新ヤマト・出雲・邪馬台の三国志
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ひょうごインターキャンパス 邪馬台三国志
ブログ 『邪馬台三国志』検証してみよう

  

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王朝の変遷






















倭国、倭奴国の国のかたち
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高千穂宮/笠沙宮の所在地


仙桃を手にする和風西王母
鎮魂祭   橘右近

邪馬台(やまと)三国志 高田康利  明石市松ヶ丘
                                       日神の天照大御神ヒミコの一生〔歌詞(1〜12)〕
 参照  「記紀」本来の筋書き   王朝の変遷王朝の詳細王朝の変遷2/年表
  倭国、倭奴国の国のかたち   本書の王系譜王系譜2
  司馬遷の信念  中国の神話と古代史  倭国と天竺とのかかわり

 弥生史の礎となってきた常識や通説を歴史的な観点から一つ一つ検証していくと、戦前から今日まで
信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後の学校教育で「百余国を束ねる統一王朝など存在しな
かった」と教えられたことも、間違いだらけと分かります。邪馬台国史の全貌がとんと解明できない原因は、
ここにあります。一から、考え直す以外にありません。 
 司馬遷の信念の下、水田稲作の開始から、天地、厳之国倭国豊葦原中つ国伊都国倭奴国の王
朝が興ったことや、大乱後に倭奴国邪馬台国が天下を争った末に大和朝廷が成った波乱万丈の歴史を
克明に解明して、物語に綴りました(31万字)。
 渡来人らの築きあげた弥生史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」に挑戦した歴史
でもありました。本書では、これらが複雑に絡みあって織り成す歴史が、詳細かつ読みやすく分かり易く
まとめられています。特に、高天原による葦原中つ国平定・神功皇后の新羅遠征・日本武尊の北伐など、
戦わずして勝った英雄伝は、「三国志」をはるかに凌駕して、世界に誇れる歴史ですが、記紀系譜は、
神武―崇神―;応神とあるべきところに、神武―崇神の間に大日本家八代(綏靖〜開化)を挟み、
崇神―応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国王四代を割り込ませて、万世一系に改ざんされたの
です。本書の王系譜は、本来のあるべき姿に正したものです。
☆「総じて、上古のことを伝える書経(五帝・夏・殷・周の王者の言辞記録)や古老の伝承から、あまり離れていないものが真実に近
 い。それに深く思いを巡らし、心にその意を知ること、そのことが大事なのであって、伝えられていることは決して虚言ではない」
  司馬遷は、この信念の下に数年かけて各地をめぐり歩き、丹念に伝説を拾い集めてきた。司馬遷の書き残した『史記』「殷本記」
 は、神代と歴史時代を結びつけるための作り話に過ぎないとされたが、二十世紀に、王国維が甲骨文字を解読し、ついで殷の宮
 殿跡や陵墓が発見されたことで、「殷本記」にある事績や十数代にわたる王名がほぼ真実と判定された。
☆ヨーロッパでも、ホメロスの『イリアス』・『オデュッセイア』にある物語は、古代の伝説かお伽話と決めつけられたが、十九世紀に
 なってドイツの素人学者シュリーマンがトロヤの大城壁都市とともにおびただしい財宝を探しあてるに及んで、記述どおり史実と判
 明した。

 【邪馬台国】 参照  邪馬台国はどこか          【女王国と狗奴国】 参照  熊曾(熊襲)



 【電子書籍】 <パブー><アマゾン kindle><楽天kobo>
 『邪馬台三国志』ダイジェスト版       B6版120p  立ち読み58p
           (全)             B6版457p  立ち読み67p
           倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語     B6版383p 立ち読み69p
           倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編)  B6版297p 立ち読み55p
           古代史の常識と通説を疑え         B6版398p 立ち読み72p
再編中       記紀と倭人伝の正しい解釈/邪馬台国盛衰記〉  B6版124p
            『新ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』 (上、下)   B6版 (1994/1発刊)

 天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊神武天皇日本武尊    B6版300p 立ち読み18p
          乱世を鎮めた英傑たちの生涯   (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)
 『邪馬台三国志』戦わずして勝った英雄列伝          B6版177p 立ち読み13p
          素戔嗚尊の大蛇退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐
             (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)

   

   


 【王朝の変遷】

@A縄文後期から終末期にかけて、五帝期の地の神・黄帝につながる那珂(中)つ国/呉の太伯・夫差ら
子孫の天之(あめの)が連合して、天地(あめつち)が興った。
B前四世紀後半、夏后帝小康・越王勾践末裔の厳之(いつの)国王朝(越のオロチ族)に、
C前二二○年代に天之国/韓族の日高国からなる(ヤマト)国王朝に、
D続いて漢族の豊国/葦原家(厳一門)/中つ国の組む豊葦原中つ国王朝に移り変わった。
Eついで越オロチ族の伊都(いつ)国王朝に、
Fさらに一世紀前半には、倭国豊葦原中つ国からなる天地(あめつち)、即ち倭奴(ヤマト)国王朝へと変
遷した。
 一八〇年代前半、大倭の副都を治める太子・豊受皇太神が三輪氏と組んで邪馬台国なる厳之国王朝
を立て、天照大神と語って水天神に昇った。倭奴国は出雲での決戦に敗れて日向に逃れた。
 二二〇年代前半、高千穂宮(高天の原)で日神に担がれていた天照大御神は、大倭に遷座して邪馬台
国[厳之国、天(厳)之国、日本(やまと)王朝に変遷]の女王に立ち、日向のヤマト王朝[天之国から日前、
(ヤマト)王朝に変遷]と対立した。
G二八五年〜二九〇年代末、和王磐余彦(神武)は倭奴国王朝を再興すべく日向から東征して日本王朝
を討ち、三〇一年(辛酉)元旦に大和朝廷を打ち立てた。
 三〇四年二月、神武は鳥見山の祭場(桜井茶臼山古墳)で封禅さながらに郊祭して日神・高皇産霊を皇
祖皇宗に奉り、その教えに永久に従うことを誓った。
 記紀の矛盾を正して本来あるべき王系譜に組み替え、物語風に書き上げました。その筋書は「倭人伝」
・各地の伝説・古社の縁起・地名の由来と一致して、王系譜も丹後籠神社所蔵の海部氏系図(国宝)や、
『播磨国風土記』の記述と合致します。
 参照  水穂(瑞穂)  金印「漢委奴国王」の読み  
  天之国倭国(高天)/倭奴国(天地)/邪馬台国〔厳之国王朝の再現、天(厳)之国、日本国〕/大和朝廷の生い立ち

歴代王朝の都/出先、副都、仮宮
 


 【本来の記紀系譜・歴史のあらまし】
金印の委奴(倭奴)国王倭奴国王朝の初代女系天神・天常立に婿入りした豊葦原中つ国王・国常立。初代倭奴国王
倭国大乱一八〇年代中頃(熊野家を率いた伊奘諾の治世)に勃発した天下分け目の戦い。畿内の邪馬台国が勝利。
女王ヒミコ日神の天照大御神(向津姫)。六代女系天神の宗女として糸島平野平原で誕生し、熊野家で養育された。
狗奴国の男王卑弥弓呼(ヒミココ)ヒミコの子孫で、熊襲も従えた天孫火瓊瓊杵
景行・仲哀・日本武の熊襲征伐、神武東征日本(やまと)王朝と日前・和(ヤマト)王朝の覇権争い
神武(磐余彦)即位辛酉年の三○一年元旦。この日に大和朝廷が誕生


 【井原鑓溝遺跡】倭奴国王朝の初代女系天神・天常立の墓   【平原墳丘墓】六代女系天神・天之尾羽張神の墓
 【大乱の首謀者豊受皇太神】豊葦原中つ国に君臨した大穴持、向津姫の入婿、熊野櫛御家野、熊野権現、高皇産霊、外宮祭神。
  大穴持は伊奘諾の養子となり、東の副都を治める太子に昇った。180年代中頃、義父に謀反して副都に邪馬台国を建て、天照大神と語る。
 【ヒミコ日神の天照大御神】六代女系天神・天之尾羽張神の宗女、向津姫。日神は日向から纏向に遷り、女王ヒミコに立った。
   晩年、伊勢の五十鈴川上に遷座し、夫である天照大神の再来を祈り続けた。結局、天下を二分して争った内宮・外宮の祭神は、夫婦。
 【魏帝から授かるヒミコの鏡方格規矩鏡】方格規矩鏡初代以来の女系天神が尊んだ鏡で、前方後円墳と同様、天地の国体を具現。
   ヒミコが女王に立った後は、三角縁神獣鏡(八咫鏡/ヒミコが配る祝いの鏡、磐余彦が東征の功労者に授けた葬送用鏡)がもてはやされた。
 【神武(磐余彦)は大和朝廷の開祖】辛酉(301)年元旦、初代天皇に即位し、大和朝廷を開く。
   304年、鳥見山麓の霊畤(まつりのにわ、桜井茶臼山古墳)で郊祭して皇天二神(日神と高皇産霊)を天に配し、皇祖皇宗に奉った。
 【倭女王】 初代ヒミコ日神の天照大御神⇒2豊鍬入姫⇒3倭迹迹日百襲姫(孝霊天皇皇女)⇒4神功⇒5倭姫(孝元天皇皇女)
 参照  『邪馬台三国志』ダイジェスト版 倭の生い立ち1、2/倭国大乱と邪馬台国(立ち読み 41-65p)
     熊野権現   二人の天照大(御)神   日神の出現   天石窟
    『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え 八俣の大蛇/素戔嗚と大己貴と猿田彦(立ち読み 165-172p) 
     葦原中つ国/天日槍来襲(立ち読み 172-180p) 
     高皇産霊、高天原に現る/忍穂耳と天孫饒速日の降臨/葦原中つ国平定/大己貴(大国主)の国譲り/天孫(立ち読み 180-193p)
   『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 瓊瓊杵の出現/天孫火瓊瓊杵の天降り/日神の畿内遷座(立ち読み 186-200p)
     女王ヒミコ   皇子の交換   女王の朝貢   海幸彦と山幸彦
     内部抗争/火明饒速日の天降り/女王の伊勢遷座(立ち読み 223-235p) 
     邪馬台国

ヒミコの墓   邪馬台国の都ヒミコの墓 画像をクリック⇒拡大     鳥見山麓の霊畤(まつりのにわ)
    
 参照
   <パブー>ヒミコの墓の変遷歴代ヒミコの墓   封禅と蓬莱三島の仙人   桜井茶臼山古墳近年の発掘結果
  近年の纏向遺跡発掘結果箸墓発掘・レーザー探査結果   須玖岡本甕棺王墓・三雲南小路遺跡・井原鑓溝遺跡・平原墳丘墓

高天の原での日神は、天孫の降臨直後から消息がぷっつり途絶えた。その後、倭女王ヒミコが「倭人伝」
に登場する故、日神が畿内に遷座して、倭女王に転身したと考える他にありません。
 これを立証するには、記紀に散在する記述、神社の縁起・伝承、考古学などに基づきながら日神の足跡
を追って行き、それが「倭人伝」にあるヒミコの記述とぴったり重なるのか、検証せねばなりません。
日神にまつわる神社の縁起、各地の伝承、神話などは方々に散在するから、これを集めて時代順につな
ぎあわせることで、日神の足跡はそこそこ辿って行けるものです。
 そうした上で、日神がいつの頃に、いかなる理由で、どの経路をとって畿内に遷座したのか、この二人を
一人と見なして矛盾しないのか、歴史物語として筋が通っているのか、寿命は適正か、ヒミコも八咫鏡を自
身の御璽として所持してきたのか、また火瓊瓊杵・大己貴・饒速日・磐余彦(神武)とどう関わってきたのか
等々について精査する必要があります。
 次にヒミコが箸墓に葬られた経緯、皇天二神(日神と高皇産霊)が鳥見山麓の桜井茶臼山古墳で皇祖皇
宗に奉られた儀式、伊勢神宮での祭祀、さらに志賀島から出てきた金印「漢委奴国王」がこの延長線上に
あると示してみせることも大事で。
 参照  『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編)女王トヨ/一都七道制/天神火明饒速日(立ち読み 176-186p)
     太子磐余彦   景行の熊襲征伐   和王 磐余彦   仲哀の熊襲征伐
     東征出発   筑紫国の奪還   新羅遠征   吉備と出雲の征伐   生駒の敗北   熊野上陸
     日本に迫る   日隈・日前・熊野家の先祖祭祀復興   日前宮   熊野三山
  『邪馬台三国志』日本の降伏(立ち読み 388-394p)
     橿原宮   日本武の北伐   大和朝廷のはじまり1、2
     皇祖皇宗に奉る郊祭(本人または代理による略式の封禅)(立ち読み 417-421p)   おわりに
  神武(磐余彦)と神功海部氏系図   山幸彦/神武/神功/日本武尊にまつわる伝説


 





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倭国王朝の策封体制    倭奴国王朝の策封体制   素戔嗚の神去りましぬ根の堅洲国  神武東征経路


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 ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』(1994年1月発刊)
  (上)  <パブー><楽天kobo> (B6版118p) 目次・渡来人と稲作・ヤマト建国・筑紫の都
                                     ・倭国大乱と邪馬台国・東西の王朝
  (下)  <パブー><楽天kobo> (B6版104p) 倭女王 天照大御神・日本と日向の対立・大和朝廷のはじまり

 倭奴(ヤマト)国は北九州に都して東海以西を治めていたが、一八○年代、大和の三輪氏が邪馬台(やまと)国を建て反乱した。
ヤマトは敗れて日向に遷った。二二〇年代前半、高千穂宮で日神に立つ天照大御神は大和に遷座して倭女王に立ち、
日向の和(ヤマト)王朝と対立した。三世紀末、ヤマトの磐余彦(神武)は、東征して邪馬台を討ち大和朝廷を開いた。
 四世紀初め、神武は鳥見山の祭場(桜井茶臼山古墳)で封禅さながらに郊祭して日神・高皇産霊を皇祖皇宗に奉り、
その教えに永久に従うことを誓った。
  物語中で、桜井茶臼山古墳が四世紀初めの古墳だと主張。2009年の再調査で、ズバリ的中。
 邪馬台国の幕開けは、南北時代と酷似する。三輪氏らは足利尊氏と同じく政権を奪い、大和に新王朝を立てた。
神武東征も、薩長の討幕と瓜二つの歴史だ。神武は邪馬台を討ち、敵本拠に遷都した。 
伊奘諾〜神功の『記紀』物語には、こうした邪馬台国史が隠されている。当時、日向と大和に二王朝が並立していたが、
これは万世一系に塗り替えられた。

  
 邪馬台三国志 ダイジェスト版 <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>(B6版120p) 
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 邪馬台(やまと)三国志 (全)  <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>(B6版457p)
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   司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、
   互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。
    古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在し
   なかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から考え直して、再構築する以外にありません。
    大陸の古い歴史を背負ってきた渡来人たちが築きあげる上古の歴史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」の実現に挑戦した歴史でも
   ありました。それらが織り重なって流転する様子は「三国志」をはるかに凌駕して、世界中に誇れる歴史だったのですが、記紀系譜は、
   神武−崇神−応神とあるべきところに、神武−崇神の間に大日本家八代(綏靖〜開化、大日本王)を挟み、
   崇神−応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国(日本朝)王四代を割り込ませて、万世一系に改ざんされてしまいました。
    本書の王系譜は、これを本来の姿に正したもので、国宝に指定された海部氏系図と合致します。これに沿って事跡を並べ替えると、一世紀前半に始まる
   倭奴国王朝すなわち天地(あめつち)の誕生秘話、大乱前後の状況、女王ヒミコの生涯、大和朝廷誕生の経緯がくっきりと浮かび上がってきます。

 邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>((B6版383p) 
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 邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編) <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>(B6版297p) 
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 邪馬台三国志 古代史の常識と通説を疑え <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>(B6版398p) 
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   古代史を丹念に検証していくと、学校で教わったことも、常識・通説とされることも間違いだらけと分かります。邪馬台国の歴史がとんと解明できない原因は、
   ここにあります。一から、考え直す以外にありません。この考えと司馬遷の信念の下、水田稲作の開始から、天地、厳之国、倭国、豊葦原中つ国、伊都国、
   倭奴国の王朝が興ったことや、大乱後に倭奴国本家と邪馬台国が天下を争った末に大和朝廷が興る歴史を解明し、壮大な物語に綴りました。弥生史は
   過去の善政再現とともに、孫子の兵法極意「戦わずにして勝つ」の実現をめざした、世界に比類の無い歴史です。その筋書も、「三国志」を超越しています。
     【あらすじ】水田稲作が縄文晩期の那珂(なか)つ国に伝わってから、大和朝廷の成立まで、那珂つ国と天之国(あめのくに)、厳之国(いつのくに)、倭国、
    豊葦原中つ国、伊都(いつ)国、倭奴国(ヤマト、天地)の六つの王朝が続いた。
    一八〇年代中頃、出雲で天下分け目の決戦に敗れた倭奴国王朝は、南九州の高天〔日高と天之国〓倭、日前、和(ヤマト)〕と畿内邪馬台国
    〔厳之国、天(厳)之国、日本(やまと)〕に割れて覇権を争った。
    一八五年、日向を発った東征軍が十数年後に日本朝を倒し、辛酉年(四〇一年)元旦に大和朝廷を開いた。

 再編中 邪馬台三国志 記紀と倭人伝の正しい解釈/邪馬台国盛衰記  <パブー><アマゾン><楽天> (B6版124p)
天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊神武天皇日本武尊 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)
          乱世を鎮めた英傑たちの生涯  <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>(B6版300p)
                                            立ち読み18p 続きは有料でご覧になれます。
   倭奴国王朝六代女系天神(向津姫の母か祖母)の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子(向津姫の婿養子)が
   三輪オロチ族と組んで反乱した。伊奘諾は大軍を率いて東征したが、逆に北九州を蹂躙され、本拠の熊襲に逃げ込んだ。
   ここに皇太子率いる畿内の邪馬台国、日向の高千穂郷に天宮する高天の二王朝が並立した。
   百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒して倭奴国王朝を再興し、大和朝廷に名を改めた。
   この間に大活躍して太平の世に導いた英傑たち、天照大御神(向津姫、ヒミコ)、素戔嗚尊、神武天皇、日本武尊の生涯をつぶさに綴りました。

邪馬台三国志 戦わずして勝った英雄列伝 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集) <パブー><楽天kobo><アマゾン kindle>(B6版177p)
          素戔嗚尊の大蛇退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐
                                            立ち読み13p 続きは有料でご覧になれます。
      孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵兵を屈服させるのが善の善なるものなり。故に、上兵は謀を伐つ」
   倭奴国王朝六代女系天神の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子が三輪オロチ族と組んで反乱し、邪馬台国を立てた。
   出雲の決戦で敗れた伊奘諾は、本拠の熊襲に逃げ込んだ。百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒し、大和朝廷を開いた。
   この間に、孫子の兵法極意「戦わずして勝つ」・「刃に血塗らずして敵を平伏させる」をみごと遂げた英雄たちの偉業を子細に綴りました。

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  ブログ版 邪馬台三国志の抜粋・要約版。   立ち読み13p 続きは有料でご覧になれます。


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 ブログ BIGLOBE-『邪馬台(やまと)三国志』を検証してみよう 〈古代史の常識と通説を疑え〉

1〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉1  2〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉2  3〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉3  4〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉4  5〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉5  6〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉6  7〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉7  8〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉8  9〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉9  10〈水穂(瑞穂)国〉
11〈伊都国/倭奴国の王墓〉  12〈記紀の天地創造神話〉  13〈『後漢書』の倭奴国/金印「漢委奴国王」〉1  14〈『後漢書』の倭奴国/金印「漢委奴国王」〉2
15〈仏教の伝播〉  16〈倭奴国王朝と天竺のかかわり〉1  17〈倭奴国王朝と天竺のかかわり〉2  18〈漢字の伝来時期〉1  19〈漢字の伝来時期〉2
20〈『先代旧事本紀』〉  21〈古代国家と宗教〉1  22〈古代国家と宗教〉2  23〈記紀の王系譜〉  24〈記紀系譜の復元〉  25〈伊奘諾の治世〉
26〈大八洲国〉  27〈淡路のオノゴロ島〉1  28〈淡路のオノゴロ島〉2  29〈伊奘諾の愛児・熊野櫛御気野〉1  30〈伊奘諾の愛児・熊野櫛御気野〉2

31〈熊野権現〉1  32〈熊野権現〉2  33〈大乱前後の大陸情勢/国づくり目標〉  34〈邪馬台国の誕生〉  35〈倭国大乱の発端〉
36〈天下分け目の決戦〉  37〈伊奘諾の南遷〉  38〈邪馬台国の水火の天神〉  39〈熊曾(熊襲)〉1  40〈熊曾(熊襲)〉2
41〈伊奘諾の禊払い〉  42〈二人の天照大(御)神と天神祭祀〉  43〈根の堅州国〉  44〈五皇子と三皇女の交換〉  45〈素戔嗚の乱暴〉 
46〈天石窟前で鋳込んだ青銅祭器〉1  47〈天石窟前で鋳込んだ青銅祭器〉2  48〈素戔嗚の放逐〉  49〈八俣の大蛇〉1  50〈八俣の大蛇〉2
51〈素戔嗚と大己貴と猿田彦〉  52〈葦原中つ国〉  53〈天日槍の来襲〉  54〈高皇産霊、高天の原に現る〉  55〈忍穂耳・天孫饒速日の降臨〉1
56〈忍穂耳・天孫饒速日の降臨〉2  57〈武甕槌が葦原中つ国に派遣された理由〉1  58〈武甕槌が葦原中つ国に派遣された理由〉22
59〈大己貴(大国主)の国譲り〉1  60〈大己貴(大国主)の国譲り〉2

61〈天孫〉  62〈忍穂耳の再度降臨〉  63〈火瓊瓊杵の出現〉  64〈火瓊瓊杵の降臨 〉1  65〈火瓊瓊杵の降臨〉2
66〈火瓊瓊杵の降臨〉3  67〈日の御子・瓊瓊杵が火瓊瓊杵と語った理由〉  68〈薩摩吾田に降った理由〉  69〈日神の畿内遷座〉1  70〈日神の畿内遷座〉2
71〈天御舎/日隅宮・杵築大社・出雲大社〉  72〈女王ヒミコ〉1  73〈女王ヒミコ〉2  74〈蛭子〉  75〈火瓊瓊杵の三皇子、火照・火スセリ・火遠〉
76〈垂仁皇子の誉津別〉  77〈皇子の交換〉  78〈ヒミコの朝貢〉1  79〈当時の大陸情勢〉1  80〈当時の大陸情勢〉2
81〈ヒミコの朝貢〉2  82〈魏帝鏡〉  83〈海幸彦と山幸彦の争い〉1  84〈海幸彦と山幸彦の争い〉2  85〈海幸彦と山幸彦の争い〉3
86〈邪馬台国と狗奴国(日前、熊襲)の抗争〉1  87〈邪馬台国と狗奴国の抗争〉2  88〈邪馬台国と狗奴国の和睦〉  89〈火明饒速日の降臨〉

90〈日本国の建国〉  91〈倭姫の伊勢巡行〉  92〈五十鈴宮(斎宮、磯宮、渡会宮)〉  93〈卑弥呼以に死し、大いに冢を作る〉
94〈ヒミコの宗女・壱与(台与)を王と為し〉  95〈一都七道制の実施〉  96〈可愛山陵・端陵/男狭穂塚・女狭穂塚〉  97〈磐余彦の誕生〉
98〈女王トヨの朝貢/七枝刀献上〉  99〈邪馬台国の天神、天照国照彦火明饒速日〉  100〈日本武尊誕生の秘話〉
101〈倭迹迹日百襲姫の墓〉  102〈火火出見の英断〉  103〈景行の熊襲征伐〉1  104〈景行の熊襲征伐〉2  105〈磐余彦火火出見〉
106〈磐余彦の東征仕度〉  107〈仲哀の熊襲征伐〉1  108〈仲哀の熊襲征伐〉2  109〈天下は一つ、家は一つ〉1  110〈天下は一つ、家は一つ〉2
111〈東征出立〉1 112〈東征出立〉2  113〈五代目女王倭姫〉  114〈神功の新羅遠征〉1  115〈神功の新羅遠征〉2
116〈八幡(応神)誕生の秘話〉  117〈吉備と出雲の征伐〉1  118〈吉備・出雲の征伐〉2  119〈播磨の制圧〉1  120〈播磨の制圧〉2

121〈生駒の敗北〉1  122〈生駒の敗北〉2  123〈紀伊で日前祭祀のお膳立て〉  124〈熊野上陸〉1  125〈熊野上陸〉2
126〈熊野村の戦い〉1  127〈熊野村の戦い〉2  128〈熊野家の祭祀〉  129〈熊野から北上〉1  130〈熊野から北上〉2
131〈日本に迫る〉  132〈日隈・日前・熊野家の先祖祭祀復興〉1  133〈日隈・日前・熊野家の先祖祭祀復興〉2  134〈日前宮と熊野三山〉
135〈日本王朝の滅亡〉1  136〈日本王朝の滅亡〉2  137〈黒塚古墳 〉1  138〈祭殿取り壊し〉  139〈橿原宮の造営〉  140〈日本武の北伐〉1
141〈日本武の北伐〉2  142〈日本武の北伐〉3  143〈日本武の北伐〉4  144〈黒塚古墳 〉2  145〈大和朝廷のはじまり〉1
146〈大和朝廷のはじまり〉2  147〈皇天二神を称える御陵〉  148〈宗廟の創建〉  149〈建国式と神武天皇の即位〉  150〈皇祖皇宗の祭祀〉1
151〈皇祖皇宗の祭祀〉2  152〈皇祖皇宗の祭祀〉3  153〈おわりに〉