「酒は呑んでも呑まれるな」
耳が痛いですね。おまけに胃も痛い。
これを書きつつ、もう二度としないと誓います。

後輩哀歌
大学時代音楽系サークルに入っていた時のこと。新宿は歌舞伎町でさんざん呑んだ後、当然終電など無くなって友人の
アパートへタクシーで行くことになった。金曜深夜の繁華街、タクシーはなかなか捕まらない。私は、飲み過ぎてマグロ状態に
なった後輩K君をおぶって、丁度屋寝付きのバス停にいた。(何故かK君は上半身はだか)。と、空車のタクシー来車。私は
あせって車道にタクシーを捕まえに出た時だった。「ゴーン」と、鈍い音。そう、後輩のK君の頭がバス停の屋根の支柱
(鉄製直径15センチ)にみごとにヒット。周りの人はみんな心配そうに見ていた。でもお陰でタクシーに乗れました。翌朝K君に
「頭痛くない?」と聞いたけど、「別に痛くないですよ」と行っていたので、たぶん大丈夫でしょう。北原君。
自転車泥棒
学生時代巣鴨でアルバイトをしていたとき事。バイトが終わって呑んでいると終電が無くなってしまった。まあ、どうにか
なるべえと思ってブラッと歩いていた。ふと、施錠のしていない自転車が。酔っていると何でもできる気がする。その時も
自転車で松戸まで帰るつもりになっていた。巣鴨から、不知忍通りを荒川方面へ。最初は調子も良かったが、だんだん
苦しくなる。水戸街道との交差点を目前にしてクラッシュ。肩を脱臼し、腰にもひどい打撲を負い、それでも歩いて荒川を
わたって帰ろうとしていた。帰れるわけもないのに。河を渡っている内に涙がでてきた。このときは本当に悲しかった。
乗り過ごし4
やはり朝まで呑んだ時だった。どこで呑んだかは全然覚えていない。とりあえず常磐線快速下り電車に乗った。
朝なので安心である。終点まで行っても取手。と、思っていたのが大間違い。社内アナウンス曰く
「えー、次は終点成田」
「げっ」。そう、常磐線は成田行きというのもある。しかもラッシュアワー。成田で折り返しのまま座って帰る事は許されない。
途中駅で何度も降りてゲロを吐きつつ帰宅。時に午後3時
乗り過ごし3
呑んで終電で帰るのは危険だと学習したつもりだった。で、呑んだら朝まで呑む事にした。
ある日、新宿二丁目(オカマがいっぱいいるところ)で朝まで呑んで、例によってべろんべろんになった私は地下鉄の
始発で帰路につく。新宿三丁目から丸の内線にのり、予定では霞ヶ関で千代田線に乗り換えて松戸まで帰るつもり
だった。が、気がつくと地下鉄に乗ったつもりがいつの間にか地上に出ている。いや、松戸も地上だからいいんだ。
でも、全然全く見たこともない駅。看板をみると知らない駅名。よくよく見ると次の駅は
中央林間と書かれている。
とんでもないところまできてしまった。で、電車を降りたところでゴミ箱に嘔吐。幸いだれもいないし、終電ではないので
折り返しの電車はいくらでもある。そそくさと上り電車にのって再び帰路に。しかしその後はどこでどう乗り換えたか
不明。家にたどり着いたときは昼過ぎでした。
花見の夜
画家の息子と花見に行った。花見といえば上野公園。我々は、アメ横裏の群雪酒店でビールを仕入れ、いざ公園へ。
着いた時間が遅かったので、良い場所も取れなかったが2人だけなので、ちょこんとすわる。宴は大いに盛り上がり
やがて辺りは暗くなる。いーかげん酔っぱらって、西郷さんのちかくのベンチで2人して嘔吐。「あー」とか言ってると
見知らぬおやじが隣に来る。「こんなところでしょうがねーなー」とかい言いながら、最初はこずいたり、文句を言ってた
オヤジがだんだんエスカレートして首を絞めたりしてきた。2人してプッツン。我々はオヤジが小脇に抱えていた背広を
つかみ嘔吐物の上へ「ぐしゃり」とたたきつけ、踏みつける。「逃げろ!」と叫び、われわれは夜の上野へ駆けていった。
破壊活動2
そのときは自転車で呑みにきていた。家までだいたい10分くらいの距離の店。久しぶりの友人たちと交わす杯は止まるところを
知らない。べろんべろんになったところで友人一人連れ近くの知り合いの店へ。その店では2人してもうロレツが回ってないので
全然会話にならない。マスターの話だと同じ事をなんどもなんども話していたらしい。で、ふらふらになりつつ店をでて友人と別れた。
そこまでは良かった。私は自転車にまたがり帰路へとつこうとするが、のれない。乗ってもすぐすったおれてしまう。でもまた乗る。
で、花屋の前でもいちどドテン。花屋の入り口のガラス、畳2畳くらいあるでかいやつがピキピキピキ。大きなひび割れ一本。
修理代8万円なり。
乗り過ごし2
友人と新宿でしこたま呑んだあと、まだ終電まで間があるなと思い、新宿から一度代々木上原まで出て、そこから千代田線
(そこが始点駅)で座って松戸まで行く予定だった。で、座ったまでは良かったが車両の連結近くの3人掛けの椅子だったため
ごろりと横になる。体の良いベッドだ。んで、どれくらい時間が経ったろうか。気がつくと終点我孫子駅。起きた時もよこになった
ままだった。道中結構込んでいる電車なのに、、、。当然折り返しの電車はない。さて、どうすんべ。家まで歩くか。で、考えたのが
線路の上を歩けば最短距離だなあと。トボトボ歩き始めるが、行けどもゆけども退屈な景色ばかり。ついに柏で挫折。いきなり後輩
宅を襲撃し、事なきをえる。
破壊活動
大学時代私はバンドを組んでいた。、画家の息子と埴輪顔と私の3人。ある日、画家の息子の地元でライブをやり、その後
そのライブをやった店で打ち上げになった。どんどん酒は進み、後から聞くとアーリータイムス3本とバド24本呑んだといっていた。
明け方ぐでんぐでんになりつつ店をでて画家息子の家まで行く途中に、若かった私らは、ストレスがたまっていたんだろうか、途中の
自動販売機を次々に破壊。持っていた楽器で叩き割り状態。楽器を持っていないドラムスの埴輪顔は公衆電話ボックスに入り、
受話器をたたき割っている。ほどなくして当然お巡りが到着。われわれは浦和警察まで連行された。んで、さらに酔っているもんだから
さんざん悪態をつく。幸い画家の息子のオヤジ、つまり画家が名士だったので迎えにきてもらい事なきをえる。
乗り過ごし1
その昔、千葉の松戸に住んでいた頃船橋で飲み会があり、例によってベロンベロンに酔っぱらった私は帰りの電車、予定のコースとしては
船橋〜西船橋〜新松戸のコースを帰るつもりが、船橋で座って寝てしまい、気がついたら見慣れない駅。看板をみると「み××」とある。
「おっ、三郷まできちゃったよ。」と思い、駅を降りてタクシーへ。「運転手さん松戸まで」。すると運転手は駅の周りをぐるりと一回りし、私に
言った。「お客さん、ここ、三鷹ですけどいいんですか?」。そう「み」の次は「たか」だった。
小雨のしとしと降るなか「さて、どうしよう」。酔っぱらった頭で友人の家が近くにないかなあと。だけどこちらの地域、土地勘とか全然ない。
仕方なく新井薬師の先輩宅に電話をするが不在。でも他に頼る人もいないので、着くまでに帰宅していることを期待してタクシーで向かう。
着いてみると案の定不在。窓が開いていないかと、塀づたいにベランダに進入するが鍵がかかっていて入れない。
さてと。次は、と財布を見ると後1100円しかない。豊島園のSくんに電話、幸い在宅。「Sくん、これこれこーゆーわけで今日とめてくんない?
でも、いま1100円しかなくて」するとSくん「いいよ」とのこと。んで、再びタクシーで豊島園まで。たくしーの運転手に1100円で行ける所まで
いって」とおねがいする。幸いなことに豊島園の駅前でちょうど1100円。無事Sくん宅に到着しました。翌日早々に出かけたSくん。私はその後
カップラーメンいただきました。ありがとね、佐土井君。