池袋の昔と今



江戸末期、萬延元年の地図です。

法明寺、鬼子母神、本立寺、護国寺などがあります。
地図上で色のやや濃い部分はお寺ですが、当時は、ほとんどお寺ばかりで、
お寺以外には、中西、内トウ、ウラノ、松平、菅沼、アカ井、小山などの
名前があるだけです。
これでは、辻斬りが出たというのも頷けます。
池袋の近くに山麓があったようですが、今の目白近辺でしょうか?

(赤字は編集部注)




  「池袋庚塔由来記」より要約抜粋

パルコ2の裏あたりに、小さな六地蔵が祀られています。その近くに「池袋庚塔由来記」
という説明書きがあります。そこから、適当に要約して紹介してみます。

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江戸時代の享保年間(たぶん、もう300年近く前だと思われる)の頃、高田雑司ヶ谷と
板橋を結ぶ街道と、長崎方面への街道との四つ辻(現在の池袋駅東口、西武池袋駅近く)
の南方に小高い松の木があり、その辺りに夜な夜な闇に乗じて、追い剥ぎや、覆面の悪侍
どもが出没して、往来者を辻斬りしたそうです。享保6年夏頃には、一晩の内に17名も
惨殺されると言うありさまでした。
そこで、池袋の有志64人が集まり、雑司ヶ谷法明寺第22世日相上人に供養塔建立を
相談し、享保6年一本松の下に石塔を建てたそうです。
霊験あらたかにその後次第に横死も減り、やがてその塔を四面塔と称し、また叶塔とも称し
善男善女が沢山参詣するようになったそうです。
昭和7年頃には、月3回の縁日に露天商も多く出るようになり、願掛けなどの参拝者も
益々増え、太平洋戦争の時にのみ一時中止したが、戦後も再び縁日を中心として栄え、
やがて池袋の発展へとつながったそうです。
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かつては、現在の法明寺、鬼子母神の付近が一番の繁華街だったようです。



不動産



さて、時は移り、昭和の戦争直後。

昭和22年7月24日(米軍撮影 縮尺約1/10,000)の池袋東口。
巣鴨プリズンが、写っています。
走っている車は、少ないですねェ。
グリーン大通りには、トロリーバスか都電のようなものが、かすかに見えます。
かつては、池袋東口駅前から、都電やトロリーバスが発着していました。
六つ又ロータリー(いまの六つ又陸橋)が大きく写っています。
まだ、首都高速は当然ありません。



不動産



そして、平成の池袋

そして、さらに時は移って平成の時代。
平成4年10月26日(国土地理院撮影 縮尺約1/10,000)
もう、サンシャインビルが完成しています。サンシャインのビルの影がさすがに長い。








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