池袋・雑司が谷霊園の、お墓ベスト10


雑司が谷墓地は、著名人の墓が沢山あることで有名ですが、特定宗教の墓地ではないため、 南無妙法蓮華経の隣に十字架が有ったり、自由な形の墓石があったりして、結構飽きないところです。
墓石の隣に、名刺入れがある所もあります。お墓に名刺入れ! なんというか・・・ビックリですねぇ。

「チカンが出ます」という看板がありましたが、夜、墓地を一人歩きする女性なんているのでしょうか?

比較的に有名な墓の中から、勝手に、ベスト10を選んでみました。選択基準は何も有りませんので、あしからず。




ジョン万次郎 広いお墓です。何区画分かなァ。

夏目漱石 これも、デカイ。そしてゴッツイですね。


荻野吟子 まるで、モンマルトルの墓地のよう!


羽仁もと子 さすがに、自由な雰囲気のお墓です。
名刺入れがあるんですよ!


小泉八雲 左の大木、右の植栽といい、どこか幻想的。


永井荷風 廻りを生垣で囲まれた居心地のよさそうな墓。


いずみたく ♪見上げてごらん〜夜の星を〜 と
あの名曲が記されています。



竹久夢二 もう、案内看板まで立っちゃって!


小栗上野介 徳川埋蔵金に関係有ると言われている人物。


泉鏡花 背の高いスマートな墓石。名刺入れも有ります。


雑司が谷墓地の管理事務所で、100円を寄付すると、案内図付きの「埋葬著名人一覧」をいただけます。

人物紹介(Wikipediaより抜粋)

ジョン万次郎
 文政10年1月1日(1827年1月27日) - 明治31年(1898年)11月12日)
 幕末の日本で、黒船来航でもしられる日米和親条約の締結に尽力した人物である。
 その後、通訳・教師などで活躍した。
 ジョン・マン(John Mung)とも呼ばれた。本名は中濱 萬次郎(なかのはま まんじろう)。

夏目漱石
 慶応3年1月5日(1867年2月9日) - 大正5年(1916年)12月9日
 日本の小説家、評論家、
 英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。
 『吾輩は猫である』『こゝろ』などの作品で広く知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の
 文豪である。
 江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。

荻野吟子
 1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)
 近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家としても知られる。
 東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)の一期生として入学。 首席で卒業。

羽仁もと子
 1873年9月8日 - 1957年4月7日
 日本で女性初のジャーナリスト。また、自由学園の創立者。
 墓標には、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」という彼女の信条が刻まれている。

小泉八雲
 1850年6月27日 - 1904年9月26日
 新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家。
 日本国籍を取得する前の名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン
 (Patrick Lafcadio Hearn)である。

永井荷風
 1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日、
 日本の耽美的な作家・随筆家。本名『壯吉』。号『金阜山人』『断腸亭主人』ほか。
 ストリップの楽屋への精勤など、晩年の奇行が話題に残るが、研鑽の成果の文業は
 豊かである。

いずみたく
 (1930年1月20日 - 1992年5月11日)
 東京都出身の日本の作曲家。
 元参議院議員(第二院クラブ)。本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。
 歌謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、
 フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌と幅広い
 ジャンルの曲を作曲。
 多作で知られ、総作数は15,000曲にのぼるという。

竹久夢二
 明治17年(1884年)9月16日 - 昭和9年(1934年)9月1日
 日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。
 数多くの美人画を残しており、その作品は「夢二式美人」と呼ばれ、
 大正浪漫を代表する画家である。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。

小栗上野介
 江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、外国奉行。
 通称は、又一(任官前)。安政6年(1859年)、従五位下豊後守に叙任。
 のち文久3年(1863年)、上野介(こうずけのすけ)に遷任。小栗上野介とも称される。
 勘定奉行時代に徳川の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)がある。

泉鏡花
 1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日
 明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家。戯曲や俳句も手がけた。
 本名、鏡太郎。金沢市下新町生れ。
 尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。




         それ以外の池袋墓地の、有名人のお墓


石ノ森章太郎
祥雲寺
石ノ森章太郎は1954年、高校生の時、手塚治虫に見出され仕事を手伝ってほしいという電報で上京し、1956年から、トキワ荘へ移った。
この南長崎にあった木造2階建ての何の変哲もないアパートからは、後の日本漫画の巨匠達が数多く育っている。

石ノ森章太郎は、1998年(平成10年)1月28日、心不全により享年60歳で亡くなっているが、代表作に「仮面ライダー」「サイボーグ009」「HOTEL」などがあり、「マンガ日本の歴史」の原作者でもあった。

石ノ森章太郎の墓は、池袋・祥雲寺にあるが、墓石には、ただ「萬」とだけ書かれている。 もちろんマンガを意味している。
そして、いつも献花が絶えない。




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