邪馬台(やまと)三国志

『ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』 神武天皇即位






【桜井茶臼山古墳】(奈良県桜井市外山)、鳥見山麓にある全長二○七b、円形部一一○bの柄鏡形前方後円墳。一九四九・五○年の後円部における調査では、長大な竪穴式石室、その上に土盛りした方形壇、方形壇の縁に並ぶ二重口縁の壺形埴輪が出た。これと同類の壺が箸墓古墳の方墳上にもあった。

四面に朱塗りした石室には、長さ五.一九bのトガをくり抜いた木棺が残っていて、そこから王権の象徴とされる碧玉製の玉杖、三角縁神獣鏡など二十面近い鏡片、各種石製品、鉄剣・銅鏃・鉄鏃の断片などの副葬品が出た。

平成二十一年の再調査では、方形壇(東西九.二b、南北一一.七b)の周囲で幅約一bの溝が見つかり、溝の四方で柱十本分の痕跡が確認された。石室周辺から、大量の鏡破片や炭が出土した。

前調査では四世紀後半中ごろの古墳とされたが、今回の調査によって三世紀末から四世紀初めにかけての築造と断定された。

〔『ヤマト・出雲・邪馬台国の三国史』や『新ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』(1994年1月発刊)の物語でも、桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳が四世紀初めの古墳だと主張。ズバリ的中しました。〕

出土した鏡の破片から、少なくとも十三種、八十一枚以上の銅鏡があったと判明。福岡県平原遺跡の四十枚を大幅に上回って、最多である。国内最大級の直径四十数aに達する内行花文鏡の破片も出た。(同じ種類の鏡が平原遺跡から五も出た)

これについて橿原考古学研究所は、「石室上に土の方形壇を築いて壇周辺に供物用の壺を並べ立て、ついで火を使った葬送儀礼を営んだ後に、直径三十a、高さ二.六bの丸太一五○本で玉垣風に囲って聖域とした」と見立てる。