ペンネーム「舞雨 寛」について

私のペンネームは「舞雨 寛」(Maisame Hiroshi)であるが、この名前は実は、前からずっと考えて続けて思い付いたものだ。

 

 私がペンネームを考えていたというのは、将来作家になって稼いでやろうとか、いろんなコンテストや大会にこの名を使って、自分を売ってやろう、などと考えてつけたわけではない。

 確かに一時期、そのように考えていなかったわけではない。真面目な話、コンテスト目指して作品を作ることに熱中した時期もあった。でも、途中で断念してしまった。 それでも、ペンネームだけは大事に、胸の奥にしまい続けてきたのである。

 理由はいろいろあるが、その中で一番大きい理由は、「ものを書くこと」が好きだったからである。人から読んでもらって金をいただけるレベルではないにせよ、自己の表現方法の1つとして、「ものを書く」と言うのがどういうわけか自分にぴったりのような気がしてならなかった。

 だから、せめてペンネームくらい、自分の気に入ったものにしようと考えたのだ。

 ペンネームの由来もたわいないものだ。それは、小学校高学年から中学校いっぱいまでの約5年もの間、ずっと呼ばれ続けた私の「悪口」いわゆる、「アダ名」である。それがこのペンネームの元になっている。

 その「悪口」とは「デブッちょ、ブーカン」である。

 私は小学校高学年の頃から、目立って太っていた。現在(平成8年)も、体重は3桁に達しようとしているほどだ。人には「(身長も体重も)舞の海と同じだよ」とうそぶいているほどである。

 だから、中学校に上がっても胴長短足、ややがに股のでぶであった。初めて顔を合わせた時から、どういうわけか言われる言葉があった。「でーぶー、でーぶー、百貫でーぶー。」である。

 「でーぶーでーぶー百貫でぶ。電車にひかれてぺっちゃんこ。」

どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている歌だった。当時の僕はこんな歌など、だいっきらいだった。歌われるたびにムカついていた。

どうやら、その「でーぶー百貫でぶ」が略されて「でぶ貫」になり、「デブー貫」からさらに短くなって「ブーカン」となったらしい。

でも、嫌なものというのは、それだけ記憶には強いインパクトを与えるものだ。そしてその「効能」は意外なところから 、嫌が上にも気付かされる事となった。

高校生になるといつの間にか「ブーカン」とは呼ばれなくなった。かわりに誰が付けたか、「社長」がアダ名となった。どうやら、太っている僕がどうも「倒産寸前の中小企業の社長」に見えたらしい。

でも、中学卒業後にも付き合い続けてくれた中学校の同級生は、相変わらず「ブーカン」と呼んでくれていたのである。

 

このころ以来、私はこの「ブーカン」なるアダ名が妙に気に入ってしまった。なぜかは分からないが、何時の間にかこのアダ名に対して、妙に魅力を感じてしまっていたようだ。

さらに時が流れていった。

事情があって私は、社会人になって初めて車の免許を取得したのであるが、その勢いで中学校の恩師宅を突撃訪問したことがあった。恩師からしてみれば、アポイントメントもとらず失礼な奴だ、と憤慨ものの訪問であったろうが、私はそのとき、もっと憤慨ものの扱いを恩師から受けたのである。

それは、玄関で久しぶりに顔を合わせたとき、恩師の口から何の前触れもなく、いきなり出た言葉が「ブーカンじゃないか。」であった。つまり、恩師は「佐藤利彦」という本名ではなく、中学時代の私があれほど嫌っていた「アダ名」で呼んだのである。と、言うより、どうやら本名がとっさに思い浮かばなくて「アダ名」で呼んだと言うのが実情らしい。

中学校の3年間もの間担任をしていて、私がそう呼ばれる事を快く思っていなかった事を知っていたはずなのに失礼な奴だ、と思ったが、ここで私は「アダ名」の効用をまざまざと見せつけられたのである。

このとき、「自分のペンネームは{ブーカン}にしよう。」と心に決めたのだ。

 

 でも、「ブーカン」とカタカナで表記するのは躊躇われた。というのは、やはり日本人だし、どこかの非合法まがいの作品を世に問う自称エンタティナーになるつもりもないし、もっと堂々とした立派な(?)ペンネームを持ちたいと考えていたから。

そこで漢字をあてて、訓読みをしてみようと考えた。いくつか候補があったが、その中で「武有寛」と「武雨貫」が残った。そこで結局「武有寛(たけあり・かん)」と名乗ることに決めたのである。だが、どうも気に入らない。「武」の一字が、である。さらに、このペンネームにはメッセージなるものがない。まさしく「当て字」が見え見えなのである。それも気に入らなかった。

ある時、漢和辞典を見ていたときにふと「舞う」という字が目についた。そのとき、はたと手を打ったのである。「舞う」という字は「ぶ」とも読めるではないか。さらに「ぶう」と音読みさせるとき「雨」と一緒にさせると「舞雨」となり、「雨が舞う」といった、妙にロマンチックな名になるではないかと。

ちょうどその年は、自分が三十の齢を迎える年だった。ちょうどいい機会だ。「武有寛」を「舞雨寛」に変えよう。読み方も「たけあり・かん」ではなく「まいさめ・ひろし」にしよう。

そして、今に至っている。

いずれはこの名前にも飽きが来るかもしれないが、それまでは取り敢えずこの名前を大事にしていきたいと思っている。

舞雨 寛

 

1996.10.05発表

1998.2.28改版


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