「創価学会」というと実に昔から色々と言われてきた「宗教団体」です。現在、創価学会自体は八百万世帯とも九百万世帯ともいわれる「巨大な教団」になり、意図するしないにかかわらず日本社会に影響を与える団体になっています。
このような状況になってくると、それぞれの立場にあって思惑のある個人、団体などが批判・及び誹謗中傷などを行ない、それがために「創価学会」のその本当の姿を歪めてしまうことがあります。
私は「創価学会」に入って既に三十余年になります。その間、信心の強さもまちまちであり、いまだ道遠しの感を抱いています。しかし、巷で噂される「創価学会」の姿と、自分が内部から見ている「創価学会」の姿とは、少しずつ近づいているとはいえ、いまだ「誤解」の部分が少なからずあると感じています。
よってここでは、「創価学会って、こんなもの」という、じつに気楽な気持ちで紹介したいと思います。ただ、当たり前のことを当たり前に知りたいのであれば、創価学会のオフィシャルなHPもありますし、その他にも、私と同信の友が開いたHPも多数ありますので、そちらを参照していただければよろしいかと思います。
ここでは、私自身の経験と知識で得たものから、私なりの「創価学会って、こんなもの」という意味で「創価学会入門
舞雨 寛版」を作り上げていきたいと思います。本来、宗教とは「自我の確立」を促すものである、というのが私の「宗教観」であります。様々な価値観が溢れかえる混沌とした社会の中で、自分の為すべき事、自分の依って立つべき立場を明確にする「指針」となりうる思想を提供するもの。平たく言えば、自分が自分らしく自分であるために、必要な考え方を指し示すもの。それが「宗教」であらねばならないと考えています。
単なる個人崇拝、秘密主義、神秘主義に凝り固まってしまうものは「偽物」であります。
じつはこのような考え方になったのも「創価学会」の中で、大聖人の仏法を学び実践することによってさまざまなことを体験し、さらに自分なりに考えて整理していった結果です。その中には実に色々な葛藤が有り、また現在もその葛藤は続いています。
まあ、難しい話はこれくらいにして、このページによって、私のこの思いの一部でも皆さんに伝わり創価学会の、本当の姿の「一部」なりとも理解していただけるようになれば、望外の幸せに思います。
1998年吉日
舞雨
寛