牙城会とは、会館警備をその主任務とした創価学会男子部の中の、人材グループの「名称」である。彼らは「会館警備」という任務を通して「信仰」を学び、「無事故の任務遂行」を達成する事により自分自身を鍛え上げ、一流の人材に成長してゆこうとしている青年たちである。彼らは今日も、黙々と「無事故」目指して、任務を遂行しているのである。

 

 

第1話「初めての任命」

 

「次、栄光本部友光部、川口信行。」

構えていたとは言え、自分の名前を呼ばれると心臓がどきりとする。

「はい!」

勢い良く、腹に力を入れて出す返事。それが創価学会男子部の心意気でもあった。

 たとえ、調子が悪くても、自分で好き好んでなる訳ではないにしろ、とにかく元気に返事をしろ。つい最近、友光部に派遣でやってきた若い友光部男子部長・高橋浩二の「激励」の言葉である。

「右の者、旭日地区、地区リーダーに任ず。12月18日轟圏男子部長、細井英一」

ついに召集令状が来たな。いままで逃げに逃げまくっていたが、ついにこの日を迎えてしまった。信行は顔が次第に紅潮してゆくのが良く分かった。

 

 高橋「新」部長というのは、もと学生部の「方面幹部」(※註1)であった。今年28歳と若い「部長」であり、ちょっと風変わりな「幹部」であった。部長着任早々、信行の家に来ていきなり「おしゃべり」をしはじめたのである。「話題」は信行の趣味の話であった。

 「創価学会幹部」というのは、開口一番「勤行をやっているかい?」とか「題目をあげているかい?」とか、若しくは「今度、○月×日に会合があるんだけど…。」しか喋らない者たちのことだ、と信行は勝手に考えていたのだが、この高橋「新」部長はちょっと違っていた。信心の話などこれっぽっちもしないのである。

 「信心なんて言うのは、やってて当たり前の事だろ?改めて言うなんて野暮なことはしたくはないよ。それより、部員さん一人一人を元気付けてやることが一番大切な事なんだ。元気にする為には、相手の好きな「分野」の話をするのが一番だろ。」

のちに高橋部長は、信行に向かってこのように話をした。

信行はそんな「飾らない」高橋「新」部長に好感を抱いたのである。

 なにはともあれこの日より、地中に潜り込んでいた「男子部班長」は、少しずつ動きはじめたのである。

 それから半年後の12月。夜中にいきなり高橋部長が来て「面接があるから」といって一枚のカードを置いていった。青年部カードと書かれているそれに、名前と住所その他必要事項を書け、というのである。信行は「班長」から上には登りたいとは思わなかった。出来れば何時までも「班長」でいたかったのである。高橋部長が持ってきたこのカードは「地区リーダー面接」の為である事は明白だった。信行は断ろうとしたが、部長は「忙しいから」といって話しをそこそこに、さっさと去ってしまった。

 完全に「断わるタイミング」を逸してしまったのである。

 上手いといえば上手いやり方であった。また、ずるいとも言えた。

「いつかは召集令状がくる。覚悟はして置くことだ。」

父・光太郎が、酒を飲みながらつぶやいたことがあった。

父も昔は男子部の班長を経験したらしいのだが、今は全く活動らしい活動をしていない。一応「地区幹事」の役職は貰っているが、2ヶ月に一回しか座談会も出ていない。まして「家庭指導」や「部員回り」などぜんぜんしていない。まさに壮年部の「居るのか居ないのか分からない幽霊部員」となっていた。

「この信心を続けていると、必ず1回は引っ張り出される。おまえも必ず呼び出されるさ。」

会合出席を断わるたびに父・光太郎は信行をからかうのである。自分の事は棚に上げて。

「そうですよ、あなたもね。」

母・妙子の皮肉はちくりと父を刺す。母は地区担当員として活動しているから、言われると父は笑って、その場を誤魔化すのである。

「でもね信行。人間はいつまでも同じところには居られないのよ。進むか退くか、2つに一つなの。貴方も既に25歳。そろそろ決めるべき時が来たのかもしれないわね。」

優しい母は何事も強制はしない。今までもそうだった。必ず自分に「決めさせる」のである。この信心にしても、物心ついた頃から母に言われて勤行唱題をしていたが、いつの日かそれさえもしなくなっていった。それでも母は決して強制はしなかった。だだ、毎日毎朝「勤行は?」と聞くだけ。「しないよ。」と言えばそれまでであった。

 それでもいつの日か、再び「勤行唱題」をする日はやってきたのである。母はひたすらその日がくるのを祈っていたに違いない。かわいい息子が信心に目覚める日を…。

 信行は仏壇の脇に、自分の名前が書かれている事を知っていた。これは母の祈りの勝利なんだ、これが。信行はそれを信じて疑わなかった。

 この日も母は同じだった。決して「やりなさい」とは言わない。ただ、暗に「やってみたら?」と勧めたのである。

 その夜、蒲団の中で信行は考えた。そして、決めた。いつまでも逃げているわけにはいかないのである。あの高橋部長も必ず「やるべきだ」というに違いない。ここは、思い切って進もう。

 面接は簡単なものだった。目の前には圏男子部長の細井さんと圏書記長の金山さんが座り、ただ一言「やりぬくか?」と聞くのである。決めたからには後には引くものかと思っていた信行は、間髪入れず「やりぬきます!」と返事をした。

 そして、今、圏男子部幹部会の席で名前を呼ばれたのである。その日から旭日地区の「地区リーダー」となったのだ。

 

 旭日地区の先代の地区リーダーは、別の地区から派遣されてきていた諸角智(もろずみ さとし)さんであった。諸角さんの家は大家族であり、親子三代二世帯が「同居」している。それでいて家族全員が「創価学会員」という、まさに絵に描いたような「一家和楽」の信心をしている「大家族」であった。

 家長的な存在で有る父・文悟さんは、地区壮年長。ある中小企業の相談役をしているそうだ。母・文枝さんは支部副婦人部長であり、病院の婦長さんを続けているという。姉の明代さんは夫婦でブロック長・ブロック担として活躍しているし、本人もようやく良縁を得て、近日中に結婚式を挙げる事になったという。じつは、それに先立って引越しをすることになり、その後を信行が引き継ぐ事になったという訳である。

 

 高橋部長と一緒に諸角宅を訪れると、元気な二人の子供の熱烈な歓迎を受けた。ともに今年幼稚園に入ったばかりの男女の双子である。諸角前地区リーダーの姉の子供すなわち、甥と姪ということになる。

「そうか、今度は川口君が地区リーダーをやってくれるのか。」

智さんは信行より遥かに年上だ。10年は違う。しかし、実年齢の割には若く見えるひとだった。

「部長も新しくなったし、地区リーダーも新しくなった。友光部もいよいよ新メンバーになってきたんだな。」

智さんは同時に、この友光部の「長老格」でもあった。智さんが男子部に上がってきた当時、友光支部はとなりの中町支部から分離して出来たのだが、その頃からずっと友光支部を見てきた一人であった。

そもそも、友光支部というところは新興住宅地と呼ばれるところであり、此処十年で軒並みに住宅がたち、次々と人が流れ込んできたところだ。もとは山林と畑。所々に農家があるだけの田舎町だったのである。その田舎町で数少ない「創価学会員」だったのが智さんのご両親だ。ここで生まれ育った智さんが、「部」の長老格であったのはそれが理由でもあった。

「これから、この友光部ももっと大きくなるだろうな。川口くん、期待しているよ。」

信行はただうなずいた。

「ところで部長。川口くんの牙城会の話はどうなりました?」

信行は「どきり」とした。牙城会って何の話だ?

「うん、一応委員長には話をしておいたよ。部長推薦ってことでOKはもらっている。」

なんだ?なにがあったんだ?自分の知らないところで話が進んでいるようだぞ。

 きょとんとしている信行に、高橋部長はいたずらっぽい目を向けて笑って見せた。油断のならない「キツネの目」というやつだった。

「実はね、川口君。君を牙城会に推薦しておいたよ。」

なに?牙城会?なんだそれは?

「君は前、創価班の面接を受けた時、たまらなくなってその場から逃げ出したというじゃないか。」

嫌な事を思い出させるなこの人は。信行は顔を顰めた。

 

 それは5年も前の話だった。当時、学生部を卒業して、なりたての男子部員だった信行は、その当時の部長の強い勧めで「創価班」の面接を受ける事になった。当時の部長・中谷さんというのは見かけは温厚そうな人だったが、その実「強引」に物事を決める人だった。この時も、一言の相談も無く一方的に「創価班」に推薦したのである。

「創価班」というのは、「会合の運営」を主たる任務として活動している、男子部の「人材グループ」である。各会館で「大きな会合」がある場合、場内整理や誘導を行ない、また周辺地域の警備等も行なって、近隣住民に迷惑がかからないように、また会員にも事故や災難が降りかからないように務める。それが彼らの「任務」なのである。

ただ、信行は噂に聞いていた。「創価班」は色々な意味でかなり厳しい団体であると。

「なに、別段厳しい事なんかないよ。」

当時の中谷部長はこともなげに信行に言った。

「面接は今度の日曜日。場所は田中会館で行われるからな。俺も一緒に行くから。」

田中会館と言うのは、信行の家からは少々離れたところにある個人会館(※註2)であった。ゾーンの小さな会合で良く使われているが、主に本部で使用している「本部拠点」でもあった。

当時、信行はまだ車の免許を持っていなかった為、どこに行くにも自転車を使うか、歩くしかなかった。田中会館は隣の境本部にあり、しかも交通機関が近くを通っていない関係で、歩けば40分、車でも15分はかかるほど離れていた。中谷部長はそれを気遣い、信行を自分の車で送ってくれるつもりなのである。

 その日曜日がやってきた。男子部員とは言え、事実上まだ学生である信行はスーツを持っておらず、仕方なく夏用の薄いサファリジャケットを着て面接に臨んだ。しかし、このジャケットがまず、いけなかったのである。創価班の面接を担当した当時の圏創価班委員長の加瀬一成圏男子部長(当時)は開口一番、信行のこのジャケットを問題にあげた。

「川口君はスーツを持っていないのか?」

「はい。まだ、持っていません。」

「創価班では任務の時は<白いワイシャツ>に<ネクタイ>と、<紺若しくはグレーのスーツ>を着るという事が決まっている。そのようなジャケットを着て任務にはつけないぞ。」

寝耳に水とはこういう事であると思った。ぜんぜん聞いていない話だ。

「買う予定はないのか?」

「まだありません。」

「しょうがないなあ。じゃ、俺のうちに客が放置していった古いスーツがあるから、それをやろう。ネクタイは今しているものでいいとして、これからそれを着て任務に当たりなさい。」

加瀬圏男子部長の仕事は、自宅でクリーニング店を経営している。だから、たまにクリーニングに出したスーツのなかで、客が放置していくものが何着かあると聞いていた。中にはすでに3年以上も放置しているものがあるという。その中の1着を信行にくれるというのだ。加瀬圏男子部長からしてみれば、当時学生であった信行に気を遣ったつもりであったろうが、その言葉が信行にはカチンときたのだ。

 俺は貧乏人ではないし、物貰いでもない。なんで他人の捨てた古着を着なくてはならないのか。

 でも、その言葉はぐっと腹の底に押し込めた。ところが追い討ちを掛けるように、加瀬圏男子部長の口から、無謀とも思える言葉が発せられたのである。

「川口君の家では電話があるか?」

「うちも他のところと同じです。電話ぐらいあります。」

「いや、そういう事じゃない。川口君個人の電話を持っているかと聞いているんだ。創価班となれば夜中に電話がかかってきて翌日に任務という事も十分有りうる。家の人に迷惑を掛けないという意味でも、個人持ちの電話というのは必須アイテムだ。持っていなければ買いなさい。」

これも初耳だった。「前日の連絡で当日着任」ということや「個人持ちの電話を持て」なんぞ、アルバイトをしているとは言え、たいしてお金を持っていない自分に出来るわけが無い。なんか聞いているうちに無性に腹が立ってきた。このような内容であったならば面接など受けなかったのに。信行はこのような面接を受けさせた中谷部長を恨んだ。

「できません…。」

「なに?」

「創価班をお受け出来ません。」

「そうか…。ならばもう一度、部長に指導を受けて来なさい。」

加瀬圏男子部長はさらりといった。去るものは追わずといった冷たさだった。

 信行は怒りに任せて、勢い良くその場を立った。ところが、長い間正座していた為に足の裏の感覚がなくなっており、一歩踏み出したとたんに畳で足をひねって転倒した。加瀬圏男子部長は「大丈夫か。」と声を掛けたが信行はそれに答えず、別室に居た中谷部長のところへ這うようにしていった。

「どうしたんだ?」

中谷部長は面接の途中で飛び出してきた信行を怪訝そうに見つめた。

「僕は創価班なんか勤まりません。」

「どうして?なんかあったのか?」

心配そうに中谷部長は信行を見ていたが、信行はそれ以降口をきかなかった。中谷部長の一存で、あまりにも場違いな場所に連れてこられた事に対する怒りと、たとえ嫌な任務であったにしても、それを受けきれなかった自分の不甲斐なさに、信行は涙をにじませていた。

 結局その日はそのまま家に帰る事となった。ついに創価班にはなれなかったのである。

 

「俺と最初に話しをした時、言っていたろ?今度は逃げないって。」

確かにそんな事言った覚えがある。

「それに牙城会は、任務の日が予め決められている。それに、一ヶ月に1回有るか無いかだ。創価班よりは楽だよ。」

高橋部長の言葉を信用していいのだろうか。

「何かまだ心配か?」

「いえ、そのう…。」

高橋部長の顔が、前任の中谷部長の顔にダブるとは言えなかった。このまま調子に乗って面接を受け、創価班の時みたいに裏切られないかと内心びくびくしている。

「とりあえず、今度の日曜日の午後3時。轟文化会館で面接だから。」

信行は行くしかないな、と思った。

 

不安と期待がない交ぜになったまま面接の日を迎えた。轟文化会館へ車で乗り付けると高橋部長が待っていた。高橋部長といっしょに会館の中に入り、入り口近くの小部屋に入ると牙城会分県委員長の向田直樹と同分県警備長の林五郎が座っていた。

 

分県幹部は圏幹部のすぐ上だとはいえ、あまり見慣れない顔の人物が多い。とくに、自分と同じ圏から出ていれば何度か顔を合わす機会があるだろうが、ぜんぜん関係のない圏からあがってきた幹部だと、名前を言われても“ぴん”とこないものだ。でも、この二人の顔は知っていた。常勝県の竜虎と呼ばれる二人であったからだ。

竜虎と呼ばれているのはこの二人、実は同じ栄光圏出身であって栄光圏でも骨のある活動家として有名だったからである。

信行の聞いたところでは、折伏の件数にしてもこの二人は他の幹部を圧勝していた。数はともに三桁に達しており、御本尊流布の数もこの年齢にしては珍しく、二十を遥かに越えていた。その時の武勇談にも事欠かず、実にさまざまな伝説を残している二人なのである。

 

この二人、以前は互いに対立していた元・暴走族の最高幹部であったなどとは誰が信じるだろうか。

 

「友光部の川口君だね。」

向田分県委員長が開口一番に名前を確認するように声を掛けた。

「25歳か。いいね、若くてさ。」

意外に見かけよりくだけた人だな、向田さんて…。

「牙城会はいいよ。創価班に比べてさ、寒いところに立たなくていいしさ。」

「はい、そう伺っております。」

信行は思わずそう言ってにやりと笑い、頭を掻いた。すると、林五郎分県警備長の目が鋭く光った。

「そうとは言え、やるからには腹を括ってそれ相当の覚悟を持って任務にあたらなくてはならない。牙城会の任務は、広布の牙城である会館を守り、会員を守る事だ。生半可な気持ちで任務に着くと必ず事故を起こす。それだけは忘れないでくれ。」

「はい。」

信行は林警備長の鋭い目付きに、暴走族時代の面影を感じ取って冷やりとした。やはり、外観は見事に堅気になって変わっているように見えるが、人間の本質は変わっていないようだ。暴走族をやっていたとき、向田さんがどちらかと言うと、皆を暖かく包むようなリーダーであったのに比べ、林さんは厳しく詰め寄る緻密なリーダーだったのだろう。そんな気がした。

それが学会の中で磨かれ、研ぎ澄まされているに違いない。だから、あんな伝説のような結果をだせたのだろう。

ここにも学会の凄さが現われているような感じがした。

面接の時間はあっという間に過ぎた。部屋を出ると高橋部長が待っていた。

「どうだった?たいしたことも聞かれなかったろう?」

「はい、なんだかスッと終わっちゃいました。」

「向田委員長と林警備長はどうだった?なんか言っていたかい?」

「いや、特に何も…。ただ、気構えと言うか、心構えみたいな事を言っていました。」

「そうだろう。ま、たいしたことはないからまず、やってみな。全てはそれからだ。」

高橋部長はさらりと言ってのけた。この人がそういう風に言うとは案外、牙城会と言うのは気楽にやれる団体なのかもしれない。こんな自分でも勤まるような…。

しかしこの時、牙城会員として後にとんでもない事件に巻き込まれる事になろうとは、信行自身想像もつかなかった。

ともあれ、この日より信行の15年にも及ぶ牙城会人生がスタートしたのである。

 

第一話 終了

 

 

<註解>

 

※註1 方面幹部

創価学会の組織は日本全国を13の方面に分けて統括されている。北海道・東北・東京・関東・東海道・信越・中部・北陸・関西・中国・四国・九州・沖縄である。その方面を総括している役職の事。

 

※註2 個人会館

みずからの意志で以って個人が創価学会に対して活動拠点としての場所を無償供与している「個人所有の家宅」の事を指す。たいていは、無償供与している個人の名前が冠されている事が多い。年度の終了のとき、創価学会会長の名で「感謝状」が授与される。

 


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