牙城会とは、会館警備をその主任務とした創価学会男子部の中の人材グループの「名称」である。彼らは「会館警備」という任務を通して「信仰」を学び、「無事故の任務遂行」を達成する事により自分自身を鍛え上げ、一流の人材に成長してゆこうとしている青年たちである。彼らは今日も、黙々と「無事故」目指して、任務を遂行しているのである。
第7話 試練
法華鉦明寺は轟市の西、多々良町の中にあった。常勝県内における法華講の拠点でもある。もともとは「正明寺」という他宗の寺があったのだが、長い間本山との交流が途絶えたために所有者もわからぬ荒れ寺と化し、住職もいない無人の寺であったのを学会が買い取り、内装を新たにして「法華鉦明寺」として総本山大石寺に寄付したものである。
初代住職は渡部広顕尊師が勤め、現在の高市法顕尊師は2代目であった。初代の渡部師は宗内でも実力ある僧侶であった。大学もR大学の仏教科を卒業し、正宗の教学副部長を歴任したこともある碩学の僧侶だった。親学会派の僧侶として宗内だけにとどまらず、学会員の間からも慕われる僧侶でもあった。しかし病により他界し、そのあとを娘婿であった高市師が引き継いだのであった。
そして世は平成になり、宗内に激震が走った。俗にいう第2次宗門問題が勃発したのである。それは池田大作創価学会名誉会長の総講頭罷免から始まった。
高市師はもともと学会員だった。それが、自らの意思で出家したいわゆる「学会得度僧」であった。もともと宗内では「代々坊主」と俗称される僧侶たちがおり、彼らには代々宗派を守ってきたという自負がある。学会が誕生する以前から日蓮正宗は存在し、彼らの父や祖父、親戚一同が檀家であり僧侶であった彼ら。そんな彼らにとって「学会得度僧」は途中から割り込んできた生意気な「余所者」に過ぎなかった。高市師も修行僧時代、彼らから熾烈ないじめを受けた。罵倒なんかは年中茶飯事。暴力事件もおきたが、みな宗務院内部でもみ消された。傷ついた同期生は次々と挫折し、本山を去っていく。残された者にとって本山は当に地獄のようだった。
高市は「学会得度僧」として使命感に燃えていたが、やがて繰り返されるいじめによって少しずつではあるが「使命感」は喪失し、だんだんと自分が卑屈になっていくのがよくわかった。最初に「池田名誉会長」を「先生」と呼ばなくなった。呼ぶと暴行を受けるのである。そして「池田大作と呼び捨てにしろ。」と先輩僧侶や兄弟子から叱りつけられるのだ。
また、暇があると本堂で御本尊に向って題目をあげるのだが、それも「信者のマネをするな。」と叱られる原因になるのだ。
叱るのは主に、得度の際に身分を預かってくれる師僧と、同門の兄弟子たちだ。彼らのほとんどは「代々坊主」であった。
やがて修行があけて「教師」資格を受けると地方の寺を巡ることになるが、「学会得度僧」が由緒ある寺院に回される事はほとんどない。大抵が本山の大坊にて「無任所教師」として在勤するか、地方の学会寄贈寺院に派遣されることがほとんどである。学会寄贈寺院は歴史が浅く、来院する信徒のほとんどが「学会員」であり、檀家も少ない。当然、供養の金額も不安定で少なく、生活は苦しくなる。それでも、贅沢をしなければそれなりに学会員があつまるわけで、生活が出来ない事は無いが、総本山にご供養するお金がバカにならないので結果的に生活は苦しくなるのだ。
建前上、本山に上納する供養金額はいくらでもいいことになっているのだが、住職になっている僧侶間では一種の競争が行われる。
つまり、この供養額の大小が出世評価の対象になっているという噂があるからだ。
事実、高市師の同期で代々坊主であった一人は、親の力もあったのだが、由緒ある寺院に在勤できるようになったのであるが、毎年何百万と言うお金を大石寺に供養し続けていると言う。その所為か、その後いろいろな寺院を巡った挙句、いまは下谷常在寺の副住職に昇格。まさに同期の「出世頭」。やがては本山へ呼び戻される事になるとの噂であった。
下谷常在寺や池袋の法道院、常泉寺という寺院はもとから正宗の寺として歴史があり、代々の法主は必ず、ここの住職を歴任しているのである。逆に、ここの住職を経験すると言う事は、将来本山の役僧として「約束される」ということであり、宗門の僧侶にとっては「エリート」の証明ともなるものであった。
高市師は渡部尊師に認められ、長女・友里を娶る事が出来てから道が開けた。この法華鉦明寺の二代目住職を継げる事になったのだから、学会得度僧としては幸運なほうであった。同期の得度僧の中ではいまだ「非常勤扱い」の者も多い。そう思うと自らの福運を感じていた。
その渡部尊師は常に学会の行為を称えていた。自らは「学会員の下僕」を自称し、学会員に呼ばれればどこまでも行った。座談会にも積極的に参加し、御書講義を行ったりもした。その腰の低い姿勢は学会員の間でも尊敬され、まさに僧侶の鑑と絶賛された。
しかし、宗内では逆に渡部尊師の扱いは冷ややかになっていった。それでも、第六十四世法主堀米日淳上人、六十五世法主細井日達上人の時代では表立って尊師の扱いが変わる事はなかった。それというのも二人の法主は共に、学会と「正宗興隆」の道を歩んできた「同志」だったからである。
特に第六十四世日淳上人は、戦時中という最も大変な時期に「学会」とともに宗門厳護に走り回った僧侶だった。代々坊主にすれば最も厄介であり、最も「苦手」とする僧侶だった。彼らのいう「親学会派」という区別があるとすれば、まさに「筆頭格」であったろう。知識も並でなく、言行共に「かなわない」僧侶であった。もし、渡部尊師を愚弄しようものなら「破門」も十分ありえたろう。そう思わせるものが堀米日淳上人にはあったのである。
堀米日淳上人が「親学会派筆頭」であれば、その全く逆の位置にあったのが第六十六世阿部日顕現法主である。日顕法主自身もまた「代々坊主」であった。父親は昭和の始めに第六十世法主を勤めた阿部日開。つまり阿部日顕は典型的な「代々坊主」であり、学会に対しては常に敵対心を持っていたといわれている。その日顕法主の代になってはあちらこちらで渡部尊師の批判が聞こえるようになったのは、ある意味においては当然の成行きとも言えた。
それでも渡部尊師は、そんな雑音には耳を傾けなかった。どのような批判、中傷にもただ笑っておられた。高市師はそんな姿を「尊い」と感じていた。義父として尊敬してもいた。まさに僧侶はかくあらねばならぬとまで思っていた。
そんな義父も病には勝てなかった。床についてわずか一ヵ月後に他界。しかし、生前の行いのせいであろうか、じつに穏やかな臨終であった。
高市師にとっては忘れもしない。臨終を迎えるその夜、渡部師は枕もとに高市師を呼んだ。そして、臨終を迎える人間とは思えない、実に明快且つはっきりとした口調でこう伝えた。
「学会はこれからが大変だ。お前は学会得度僧だ。ということは、学会と宗門の架け橋にならねばならぬ使命があるという事だ。しっかりと学会を護れ。池田先生をまもれ。」
義父として最後の言葉がそれだった。
それから幾日も過ぎないうちに「第二次宗門問題」が惹起し、高市師は辛い立場に追い込まれる事となったのである。
渡部尊師には三人の子供が居た。長男の良臣は得度して僧となっていた。今は地方有力寺院の住職として活躍している。長女・友里は高市師と結婚している。次女の百合江は鉦明寺で職員として高市師の手伝いをしていることになってはいるが、その実は居候だ。彼女は既に一回、結婚に失敗しており、俗に言うところの「出戻り」であった。
高市師にとって百合江は実に嫌な「女」であった。一応は「鉦明寺事務員」の肩書きは持ってはいるが、事務員としての仕事はまるでしない。事務員は他に数名、信徒から雇用しているが、全て彼らにまかせっきりなのである。そのくせ、夜になると金をせびってどこかへ出かけていく。実姉の友里が苦言を呈そうが知らん顔である。
そんな百合江も実兄・良臣とは仲がいい。友里から小言を言われるとすぐ、実兄に泣きつく。それも言うに事欠いて、友里や高市師に苛められたと言う様で、義兄は電話で一方的に友里を叱るのである。その反動は当然、高市師に来る。むしゃくしゃした感情を夫である高市師にぶつけるのである。高市師にとってはたまらない事であった。
それだけではない。百合江は、高市師が学会員と話をしただけで義兄の良臣に告げ口をするのだ。良臣は学会員に対して、良い感情を抱いていない僧侶の一人だ。特に実父の渡部尊師が宗門内でその実力の割に「冷や飯食い」扱いされたのは、学会員を優遇した結果だといまだに信じており、学会員を何かと嫌っていたのである。高市師が学会員と仲良くなると、露骨に文句を言う。
「学会員と言えど信徒であり、僧侶と信徒とのけじめをつけるのは筋道というものだ。」
良臣は義弟に対し、そのように説教をする。僧侶としても格上であり、義兄でもある良臣に高市師は逆らう事など出来ようもなかった。
そのような一族の中で高市師はひとり、悶々とした日々を送らねばならなかった。高市師の心情としては、もともと「学会員」であるので「学会」に同情的ではあったが、彼は同時に「宗門の僧侶」でもある。彼の生活の糧は、「法華鉦明寺」という「寺」から得ているのであり、その住職たる地位は「宗務院」で決定され、保証される。サラリーマンが、給与をもらう会社に対して忠実なように、彼は住職の地位を保証してくれる宗門に対して忠実であらねばならない。そして、宗門の「長」である法主に対して「忠誠」を誓わなくてはならない人間だった。
その高市師には子供が一人居た。男の子だ。名前は雄作。既に得度して教師の資格をもっている。優柔不断な父に似ず、一本気で正義感溢れる頼もしい青年僧侶になっていた。しかし、その一本気さが災いしてか、彼は宗門問題が惹起してまもなく、仲間と共に宗門を脱退したのである。俗に言う「離脱僧」となったのだ。
「日顕。悪いのはお前だ!」
青年僧侶のリーダーは声高に叫び、法主上人を批判して山を下りた。それは、その場に居合わせた全ての僧侶の肝胆を寒からしめた。現代の大聖人と尊敬しなくてはならない「御前様」をあからさまに批判するなんぞ、考えも及ばない「不敬行為」であったからだ。その場に同席していた雄作も、そのリーダーと共に在勤していた大坊を去ったのである。
高市師は慌てて息子を寺に呼びつけ、ことの真偽を質した。
「父さん。今回のやり口はどう見ても御前様の方が悪い。影でこそこそと謀略を練っているなど、宗教指導者としてあるまじき行為だ。まして、大聖人の仏法を護持し、戒壇さまをお守りしなくてはならない御前様が、宗門の大功労者であるはずの名誉会長を通告も無く、突然切るような行動を取ったのか、理解に苦しむばかりだ。」
息子は穏やかであったが、憤激を隠せない様子で答えた。
高市師は良かれと思い、息子を学会に近づけて育てた。息子は宗門の中で、学会員に触れて育ち、父や祖父の姿を見て「僧侶」になる事を夢見た。そして、もっとも決定的だったのは、池田大作創価学会名誉会長に直接であった事だった。
池田名誉会長はそのとき、息子にポケットマネーから小遣いと称して息子に与えた。
「なにか、おいしいものを食べなさい。そして、元気に頑張ってください。」
息子はひどく感激したようだった。もらったお金はわずか千円札一枚だったが、息子はその千円札を使う事もせず自分でつくった宝箱に入れ、仏壇の奥に大事にしまっていたのだ。
宗門問題が惹起したとき、息子は大事にしまっていた千円札を宝箱より持ち出してきて考え込んだと言う。あの時感じた人間性をどのように理解したものか。たしかに、猊下と名誉会長を比較するなど、不敬の限りかも知れぬ。しかし、どう見ても猊下より名誉会長のほうが人格的に上のように思えてならない。
散々に悩んだ挙句、息子は決意したのである。離脱して学会とともに歩む道を。
高市師は僧侶と信徒の「筋目」を説き、息子の考え方を戒めようとした。しかし、息子はそれを軽く否定してしまった。
「父さん。逆に聞きたい。御前様ってどういう人なの?」
息子のこの一言に、高市師は言葉を詰まらせた。阿部日顕法主の普段における行状が良くない事は、本山に近い僧侶の間ではあまりに良く、知られていた事だからだ。
母親である友里は、余りの情けなさに泣きながら息子を責めていた。
「御前様を悪く言うと罰があたる。」
僧侶の娘だったとはいえ友里には、教学と言うものは全く無い。ただ、ご本尊様を、御前様を尊仰することがよい事だと疑うことなく信じてここまで来た人間だ。そして、僧侶の妻となったことによって、それだけで信徒からは敬われた。「先生の奥様」とよばれ、大切にされた。なにもかも、ご本尊様、御前様のおかげだと信じきっていた。
その「絶対的存在」に、息子はつばを吐きかけた、と感じたのである。親子の情からすればなんとしても「矯正したい」邪悪な考え方に見えたろう。
しかし、高市師は息子の言葉にも一理あると感じてしまっていた。自分が得度してから今までの経験が、本山側の一方的な学会批判を良しと思わせなかったのだ。それだけではない。義父である渡部尊師の姿や言葉が、高市師の体のどこかに染み付いていたのか、学会を賛嘆し、学会員を敬い続けた義父の言葉や振る舞いが、宗務院の通達をそのまま鵜呑みにさせなかったのだ。
いや、むしろ「宗務院」を憎んでいたのかも知れぬ。尊敬する義父を苛め抜いた宗務院。その長たる人物は何を隠そうその当時、宗務総監を務めていた「阿部日顕」現法主だったからだ。
「父さん!僕はお祖父ちゃんが大好きだった。いつもニコニコ笑って学会員を迎えていた姿が忘れられない。そんな優しいお祖父ちゃんを、宗務院の僧侶はなぜ悪く言うの?僕が大坊に在勤していたときもそうだった。お祖父ちゃんは頭がおかしかったとか、狂っていたなんて言っていた。学会員ばかり贔屓したから罰があたって死んだなどと悪く言うのも居た。なぜ?」
高市師は何も答えられなかった。ただ、黙って息子の目を見つめるしかなかった。
「ところが池田先生は、お祖父ちゃんを褒めてくれたんだ。立派な御僧侶だったと、僧侶の鑑だったと賛嘆してくれた。信徒を大事にし、護ってくれた素晴らしい人だったと言ってくれたんだ。そんな人が悪人かい?」
友里はひたすら泣いていた。高市師は黙って見ているしかなかった。自分の中にも起きている疑問。それが高市師の喉に詰まっていた。
「父さん。僕は学会に賭けることにしたよ。お祖父ちゃんなら迷わず学会につくと思うから。父さんは父さんが決めればいい。母さんには申し訳ないが、これも宿命だと思う。どっちが正しいかは何れわかるだろう。」
雄作は寺を後にした。友里はそんな息子に向け、塩を撒いて叫んだ。
「もう、親でも子でもない。絶交だよ!」
そしてその場に泣き崩れたのであった。
それ以来、息子は寺にこなくなってしまった。
高市師は本堂で一人、題目を上げていた。創価学会が「破門」されてからはめっきりと参拝者の数が減っており、今では夕べの勤行も高市師一人で行う事が多くなっていた。
「私も歳だな。」
高市師は唱題しながら、昔を思い出していたのである。義父の時代はこの本堂から溢れんばかり。毎日誰かが訪れて題目を上げている姿が見られたのだが、今は日曜日と言っても数人の顔なじみの檀徒が訪れるだけである。
畳も本堂の空気も冷たいまま。いつも高市師が来るのを待っている。
「なんだ。坊主が経を読んでいるのか。」
本堂にがらがら声が響き渡った。振り向くと、良臣と仲がいい老僧・田辺雄源師だった。田辺師は良臣の兄弟子であり、宗内評議員の一人で総本山大石寺にも宿坊を持つ役僧でもあった。
高市師は知っていた。彼が法主・日顕の取り巻きの一人であり、日顕に媚び諂うことで出世した僧侶である事を。日顕の法名は阿部信雄(しんゆう)であり、雄源の“雄”はその一文字を「下付」されたものであるという事も。
「これは先生。こんな荒れ寺にようこそ。」
高市師は勤行を中断して挨拶した。畳にひれ伏しての土下座である。少しでも「格上」の僧侶には「伏せ拝」をする事が慣例になっているのだ。
「なに、今日は広良(こうりょう)のお付き合いで寄らせてもらった。法顕殿の講中で学会員の一人を折伏したとの話をきいたのでな。」
広良とは良臣の法名である。義父の法名・広顕から一字をもらってつけた名である。
「それはご苦労様です。」
あの話の事だな、と高市師は思った。あの交通事故にあった学会男子部員の父親が、鉦蓮講の青年部長・鶴丸一樹の紹介で入信し、鉦蓮講の講員になったことだ。
「法顕どのの講中には頼もしい信者が居られるようだ。大事にされよ。」
雄源師はひどく機嫌がよさそうだった。どうやら酒を飲んでいるようだった。いつものように良臣に連れられて、「街中のクラブ」で酒でも飲んできたのだろう。
高市師は酒が飲めない体質なので余り顔を出さないが、義兄の良臣は昔からの常連だ。ここへ帰ってくると必ずあの「街中のクラブ」へ寄り、飲んでくるのが常である。あそこのママは良臣の幼馴染だからである。なんでも双方に結婚した後もちょくちょく逢っているらしい。なんだかきな臭い話なので高市師は余り詮索していないが、この間妹の百合江が良臣と言い争ったとき、その場の勢いでそのあたりの事を口から出して良臣を批判した事があった。高市師は聞こえていない「ふり」をしたが、内心ため息が出た。
僧侶といっても普通の人間と変わりはないのだ。
不倫もすれば酒も飲む。酒を飲めばカラオケも歌う。同じ年頃のサラリーマン諸君と変わらないのだ。ただ、サラリーマン諸君は、安いながらも自分の体をすり減らして手に入れた、ささやかな金銭を使って飲み食いをするが、僧侶は信徒からいただいた供養の一部を給金とし、それから払っている。飲み食いする事自体はそれも構わない事と思うが、やはり限度があるだろうと思う。場末の居酒屋ならまだしも、高級クラブや料亭といった一般の人たちには縁遠い場所での「豪遊」は避けるべきだろう。
まして、僧侶は信者に「少欲知足」を説かねばならない身。「少欲知足」を指導する人間が「強欲不知足」では説得力に欠けるではないか。
高市師は義父・渡部尊師の姿を間近で見ていたので、役僧やその取り巻きたちが「料亭」や「高級クラブ」で飲み食いしているのを見て嫌悪さえ感じていた。しかし、その彼らに「諫言」することは出来なかった。役僧の逆鱗に触れ、宗務院から僧侶の資格を奪われたらそれまでである。まったく、僧侶というのはつぶしが利かない職だ、と思う。
田辺師は義兄・渡部広良師の見送りを受けて上機嫌に帰っていった。いつものとおり、門内車寄せまでハイヤーが呼ばれ、広良師も見送りとして同席し駅までいく。玄関まで高市師も見送りをした。これも仕事だ。声には出さないがいつもそう考えていた。
玄関から外に出ると既に日も暮れ、空に星が輝いていた。何の気なしに空を仰ぐ。そして小さいため息をついた。なにもかもが欺瞞だ。騙し合いだ。真に信じるものなんてあるものか。そう言って玄関に戻り、扉を閉めた。そしておもむろに冷ややかな本堂に戻って夕べの勤行の続きを始める高市師であった。
それと同じ夜。等々力市民病院のリハビリ室でひとり、歩行訓練をしている患者が居た。既にリハビリ室の使用時間は過ぎているが、煌々と明かりがともされ、たった一人で訓練を続けている。
「関口君。」
入り口に一人の看護婦が立っていた。
「もう、時間よ。そろそろ病室に戻ったら?」
一郎は返事をしなかった。ただ、黙々と訓練を続けている。看護婦はあきれたようにため息をついた。
「あまり無理してもダメよ。担当医の先生も仰っていたでしょう?無理は禁物だって。」
看護婦は黙々と訓練を続けている一郎に近づいてきた。一郎はあえて彼女を無視していた。
「一郎君!」
看護婦の言葉は命令調になった。
「気持ちはわからないでもないわ。でも、無理して体を壊しては何にもならないでしょう?」
それでも無視して一郎は続けた。
「さあ、病室に戻りましょう。」看護婦は一郎の肩をつかんだ。「一郎君…。」
「うるせえな!」
一郎は体をねじって、看護婦が肩にかけた手を払おうとした。その瞬間、バランスを崩して床に倒れた。
「痛!」
「一郎君!」
看護婦は慌てて一郎の体を起こして抱き上げようとした。
「ほっといてくれ。オレのことなんか。」
「一郎君!」
一郎の目からは一筋、涙が流れ落ちていた。
「オレはもう、満足に歩けないんだ。右手も指も思うとおり動いてくれない。絵も描けない。こんなオレに一体、何が出来るっていうんだよ!」
一郎が怪我で入院して既に3ヶ月が過ぎようとしていた。
頭部の怪我もほぼ治った彼には、そろそろ退院の時期が迫っていた。既に頭部の包帯も取れ、手術の為に剃った頭髪もほぼ元通りになり、縫合の跡も長い頭髪に隠れて一見ではわからないようになった。MRIによる頭部内検査の結果も良好だった。
しかし、彼には重大な後遺症がのこっていた。右手と右足に麻痺が残ってしまったのだ。
「たしかに傷口は元通りになりました。」担当医の長谷川医師は両親と本人にキズの経過を説明した。「骨もほぼ元の位置に固定され、塞がりましたし脳挫傷による脳浮腫の状態も改善されています。外観上は完治といっても差し支えありません。」
長谷川医師はそう言いつつ、今ひとつ憂さが晴れない表情をしていた。
「しかし、どうも右手と右足に麻痺が残ってしまったようです。原因は脳挫傷で脳の運動野の神経を痛めてしまったからだと推測できますが、この回復についてははっきりとしません。正直言えばこのままの可能性もあります。」
三人の表情が固くなった。特に一郎の顔色は蒼白と言ってもいい。右手をさすりながら一郎は、視線を床に落としている。まともに医師の顔を見られなくなっていた。
「気休めのようですが、症状の完治には時間がかかります。根気良くリハビリを続けていくしかありません。」
説明を受けたあと、車椅子に乗せられて病室に向うあいだ、三人は一言も口を利かなかった。病室に戻ると一郎は、看護婦の介助で ベッドに横たわった。全身がひどく疲れた感じがしていた。
窓の外は梅雨空だ。今にも雨が降りそうだった。
「丹念に訓練を続けていく事。それだけがわれわれに出来る事です。治る可能性はあります。私も最善の努力はします。」
長谷川医師が最後に言った言葉だった。
「気休めだな。」父・善治が吐き捨てるように言った。一郎は思わず、父の顔を見た。「一郎はもう、このままなんだ。望みなんてねえんだ。」
「御父さん!」母・陽子が口を開いた。「そんな事、そんな事ありません!一郎は必ず治ります。」
「なんだと!お前は医者の言う事が信じられると思っていんのか!」善治は声を荒げた。「医者は俺の足だって治せなかったじゃないか。外観上は治ったが、脚立の上に上ると途端に力がはいらなくなる。おかげで植木職人も首になっちまった。一郎も同じだ。頭のキズは治っても、手足が満足に動かないんじゃ何も出来やしない!一郎は障害者になっちまったんだ!一生このまんまなんだ。」
「そんなことはありません!一郎は、必ず治ります。治して見せます!」
「なんだと?」
「私と一郎には、このご本尊様があります。祈ってかなわざるなしのご本尊様です。このご本尊様がある限り、一郎は必ず治ります!」
母としての思いだったろうか。その言葉の力強さにはっとさせられる一郎だった。そして一郎は大輔の言葉を思い出していた。
「頑張ろうよ。祈ってかなわざるなしの御本尊様があるのだもの。」
大輔君は毎週日曜日になると来てくれた。そして、退屈だろうといろいろな本を持ってきてくれた。みな、学会の本だった。さまざまな体験談が書かれていたり、御書の内容を説明しているものであったりしたが、どうも一郎には興味がもてないものばかりだ。唯一「湊邦三著
小説日蓮大聖人」だけは読めた。一郎はそこではじめて、日蓮大聖人の生涯というものに触れたのである。
しかし、それはあくまでも大聖人だから出来る事だと思えてならなかった。どんなに頑張っても、自分にはマネ出来ない。自分の右手を見るたびにそう思えてならない。一郎は絶望というものに捉われようとしていたのである。
「関口さん。」
扉をノックする音がして、担当看護婦の声が聞こえた。
「マッサージのお時間ですよ。一緒に参りましょう。」
一郎はとりあえずベッドから起き上がり、看護婦の介助で車椅子へと移動。マッサージに向った。
既に一ヶ月の間リハビリが続いている。しかし、右手の指には相変わらず力が入らない。右足も膝より下に感覚がなく、まるで膝より下が棒の様になっているような気がするのである。
マッサージ室では全盲のマッサージ医がいた。生まれつき視力が弱く、物がほとんど見えない。光の明暗はわかるそうだがそれ以上は感じることが出来ないそうだ。それでもマッサージの腕は良いらしく、患者からは篤い信頼を受けていた。
そのマッサージ医をサポートしているひとりの看護婦がいた。歳もまだ20歳の頃だろうか。なぜか妙に明るくてまるで作りかけのポップコーンのように跳ね回っている。そんな感じがする娘だった。
一郎はそんな彼女が非常に気になってしょうがない。胸のバッジには「国分」の名前が見て取れた。じつは彼女は創価学会員だった。そして、一郎がICUで生死の境をさまよっていたとき、母親である陽子に「おにぎり」を渡した人物であった事は、一郎はまだ知らないでいた。
「関口さーん。お元気?」
相変わらず妙に明るいやつだ。一郎はその明るさに苦々しさを覚えながらも、笑顔を作って挨拶をした。
「翔ちゃん。今日は君が関口さんの面倒を見てくれるかい?」
マッサージ医の先生がいきなり指示を出した。一郎はどきりとした。
「はーい。わかりました。」
翔ちゃんと呼ばれた看護婦はマッサージ用の粉末製剤をもって現われた。まだ、新人の初々しさが残る彼女が近づいてくるのを見て一郎は、こそばゆい感覚に襲われた。顔が自然と紅潮するのが良くわかった。
「さーてね、まずベッドにいきましょうね。」
「俺は子供じゃないよ。」一郎はぽつんと言った。「子ども扱いしないでくれよな。これでも一応は20歳になるんだからさ。」
担当の看護婦と二人で一郎をベッドに移すと、その看護婦は言った。
「私から見れば関口君はまだ子供よ!私はね、今年22歳。君より2つ年上のお姉さんなんだからね。」
「たかが二年じゃないか。たいして変わらないよ。」
「文句言わないの!病院内ではね、先生と看護婦の言う事は良く聞くことよ。それが早く治る近道なんだからね。」
「関係ねえじゃん。そんなこと。」
「関係あるわよ!言う事聞かないと、マッサージしてあげないからね。」
「いいよ、ヘタクソな新米看護婦なんかにマッサージされた日にゃ、治る怪我も治らんからねーだ。下手なマッサージでもされて、骨でも折れた日にゃ大変だ。」
「言ったわね!」
看護婦はプンとむくれた。しかし、イヤミのないむくれ方だと一郎は思った。
「よーし!今日は私の腕を見せてやる。私だって新米だとは言え、マッサージ師の資格は持ってんだからね。」
そういうといきなり一郎の右手を掴んでマッサージをし始めた。行為はぎこちないが一生懸命なのは伝わってくる。一郎はなんかそれが嬉しかった。
「国分さん、だっけ?。」
「そうよ。良くわかるじゃん?」
「だって、胸のバッジ見ればわかるよ。」
「あ〜。この子エッチなんだ。女性の胸ばっかり見ていたんでしょ?嫌らしい。」
「そんなことないよ。それに、そんなちっちゃい胸見たってしょうがないじゃん。もっとでかい胸だったらいいけどネ。」
「あ、今の一言とってもショック〜。ペチャンコ胸だって言いたいのね。」
「違うよ。どうせ言うんだったら<エグレ胸>とか、<洗濯板>とか、<鉄板胸>とか言うよ。」
「なによ〜。なお悪いじゃない!」
「そんなことより、名前なんていうの?<鉄板胸>の看護婦さん?」
「わたし?国分翔子よ。飛翔の翔に子供の子って書くの。」
「ああ、だから“翔ちゃん”か。」
「そうよ。いい名前でしょ?」
「そうか、背が小さいから“小ちゃん”じゃ、ないんだ。」
“翔ちゃん”はどう見ても身長は160センチ程度だ。一郎は175センチある。だから余計に若くみえるのだろう。
「あんたねえ…」国分“翔ちゃん”はマッサージの手を止めると上目遣いに睨んでみせた。「そんな失礼な事言うと女性にもてないぞ。」
「人のこと悪く言いはじめたのは看護婦さんからだからね。オアイコだよ。」
そう言って一郎はにこっと笑った。翔子もそれに応じてにこっと笑う。とても素敵な笑顔だと一郎は思った。
彼女の存在を意識し始めたのはいつごろだろうか。そう、病室を大部屋から個室に変えた頃だ。傷口の状態もよく、その頃は順調に回復していくのが目に見えていたときだ。
まだ体の動きもぎこちなく、一人で車椅子に乗る事さえ不安だった。それを察した担当医の長谷川医師の指示により、二名の看護婦を派遣されてきた。その一人が新米看護婦の彼女だった。
「ほら翔ちゃん。おしゃべりばっかりしないで、ちゃんとマッサージしてあげているの?」
マッサージ医の先生から注意が飛んだ。顔は向こうを向いているくせに、全てがお見通しだ。翔ちゃんはすぐに返事をした。
「すいませーん、ちゃんとやっていまーす。」
「僕はね、眼はダメだけど耳はいいからね。音で何をやっているか察しはつくからね。サボっていちゃダメだよ。」
「はーい、気をつけまーす。」
と、言いながらぺろっと舌を出す。どことなくまだ幼い少女の面影さえある。そんな娘だった。
右手をゆっくりとこね回すようにマッサージをする。上腕部は軽く、下腕部は丁寧に。そして手首から手のひらにかけてはじっくりとだ。特に手のひらと甲は、丹念に揉み解すようにしてもらっている。感覚がないからだ。常に痺れを切らしているような、そんな感じがしている。指先など、モノはつかめるが力の加減がわからない。いつも握ったり開いたりしているのだが、一向に感覚が元に戻らないのだ。
「どう?気持ちいい?」
翔ちゃんの額には汗がにじみ出ている。
「頑張ろうね。早く治そうね。」
一郎は言葉が出なかった。この娘も一応看護婦だから自分のカルテぐらい読んでいるはず。右足と右手首から指先にかけて感覚がなく、歩く事や物も上手く握れない状況であり、しかも完治する可能性が極めて少ない事も知っているはずだ。だのに、一生懸命にマッサージをしてくれている。
「こんどは右足よ。いい?」
右足のほうはもっとたちが悪い。膝から下の感覚が全くといっていいほど「無い」のである。足首などかろうじて動くのがわかる程度。それも、自分の目で見て初めてわかるというものだ。
右足のマッサージが終了すると最後に足首を中心に赤外線をかける。本当ならば患部が仄かに温まるのがわかるのだろうが、一郎にはわからない。左手で触ってみて初めて「温もっている」ことがわかるだけである。
マッサージ治療が終り、病室に戻る時間になったが担当の看護婦がこなかった。静かに車椅子に乗って待ってみるが30分経っていても看護婦は現われなかった。
「あれえ?今日は友永さん遅いね。」
マッサージ医の先生が声を掛けた。友永さんというのが一郎の担当看護婦の名前である。年のころは30過ぎたくらい。ベテランらしい看護婦さんである。
「しょうがないね。翔ちゃん、関口くんを病室まで送ってやって。こっちは暫く一人でやれるから。」
「はーい。」
そう返事をすると翔ちゃんは飛び跳ねるようにやってきて一郎の車椅子を押し始めた。
「さあ、行こうね。」
一郎にはちょっと嬉しかった。
病院の本棟から病棟に移動する途中で一郎は思い切って頼む事にした。
「ちょっと外へ行ってみたいな。」
「これから?」
翔ちゃんは怪訝な顔をしたように一郎には思えた。
「天気はよくないわよ。それでも行く?」
一郎はこくりとうなずいた。翔ちゃんは暫く考えているようだったが、やがて力強くうなずいて「ま、いいか。」とつぶやくと車椅子を病室とは違う方向に向けた。
「本棟の屋上でもいいかな?そこならば雨になってもすぐに戻れるから。」
一郎は心の中で快哉を叫んだ。翔ちゃんといま少し、話せる場所と時間が欲しかっただけだったからだ。一郎は力強くうなずいた。
屋上は蒸し暑かった。今にも雨が降りそうな天気だし、吹いてくる風もまた温いものだった。そろそろ梅雨本番なのだから仕方が無かったが。
「どう?あまり長くはいられないけどいいかな?」
一郎はうなずいたが話をあまり聞いてはいない。どうやって翔ちゃんとの話を続けられるか必死に考えていて上の空状態だからだ。
やがて見晴らしのいい場所で車椅子は止まり、翔ちゃんもフェンスにもたれかかるようにして背伸びをした。
「サボるにはちょうどいいわねえ。ここは。」
一郎はまだ考えていた。なにも、共通の話ネタというものは無いか、自分の頭の中にある引き出しを手当たり次第にこじ開けているような感覚だった。
そんなこんなで黙りこくっている一郎に、翔ちゃんはいきなり先制打を打ちかけてきた。
「でも、良かったわね。ここまで回復してきたものね。」
そのとき、一郎の心がちくりとうずいた。
「あとはリハビリね。頑張らなくちゃ。」
こいつ、励ましているつもりなのか?一郎の気持ちが急に冷めていくようだった。
「いまは大変だけど、頑張れば歩けるようになる。堂々と道の真ん中をネ。」
そう言ってにこっと微笑む彼女だった。
「気楽に言ってくれるよな。」
一郎はなんかむしゃくしゃしてきた。先ほどまでの達成感はどこへやら。今目の前にいる女がものすごく鈍感で、無性に腹立たしい存在になりつつあるのを覚えたのである。
「え?」看護婦の国分は、一郎の態度の変化に戸惑いを感じているようだ。「どうしたの?あたし、なんかへんな事言った?」
「しらねえよ!」
ようやく自分の言葉が一郎に不快感を与えてしまったのだと気づいたか。でももう遅い。
「ぼく、さっき長谷川先生に歩けないと宣告されたんだ。リハビリを続けてもムダだって。」
これは正確な表現ではない。長谷川医師は可能性を否定してはいなかったが、さりとて容易に回復する状態でもないという説明をしていたのである。ところが一郎は、それを悲観的に捉えてしまっていただけなのだ。
でも、一郎からしてみれば「可能性の提示」はあくまでも気休めに過ぎなかった。いま、自分が感じている右足および右手の状態。それを考えるたびに襲ってくる虚無感、絶望感は生易しいものではなかった。どう、楽観的に解釈しようが「もう治らないのだ」という思いのほうが強かった。
「そんなことは無いわよ。頑張れば治るわ。あの長谷川先生がそんな事言うわけ無いもの。」
この一言が余計だった。目の前の看護婦が長谷川とか言うヤブ医者を弁護しているように思えたのだ。一郎は急に黙りこくった。
こいつに何を言ってもしょうがない。こんなボケが自分の状況を理解できるわけが無いと感じた。こんな鈍いやつに俺の気持ちがわかってたまるものか。
暫く二人の間に沈黙が流れた。やがて翔子のほうが一郎に近づいてきた。そして一郎の目の前にしゃがみこむと、一郎の両目をじっと覗き込むようにして見つめた。一郎は思わず両方の頬に血が上がるのを覚え、慌てて視線をずらし、真横を向いた。
「一郎君。怪我に負けてはダメ!自分の力を信じなくちゃあね。」
一郎はそれまでの軽薄な看護婦のイメージとは違う翔子の姿に驚きを覚えていた。
「人間てね、凄い力をもっている存在なのよ。病気でも怪我でもネ、『絶対に治すんだ』とか『治るんだ』という想いがあると不思議なほど回復する力を発揮できるものなのよ。あきらめてはダメ!」
一郎はふんっと鼻を鳴らした。「よく言うぜ。口だけだったらなんとでも言えるもんな。」
「本当よ。ウソじゃないわ。私の経験から言えることだもの。」
一郎は大輔君が持ってきた「体験談」の本を突如、思い出していた。
「私の母はね、高血圧と動脈硬化症でね、脳卒中になったのよ。いわゆる『脳溢血』ってやつ。なんとか命は取り留められたんだけどね。出血した部分が脳の運動神経を司る部分でね。右半身不随の後遺症が出たのよ。」
右半身不随!一郎と同じ状況だ。
「右手も右足も全然動かないの。寝返りさえ不自由になるほど重症だったのよ。私と弟、父の三人で看病する事になったんだけど、トイレさえ満足に歩いていけないほどだった。」
一郎の場合はまだましのようだ。寝返りはとりあえず打てるし、つかまり立ちしながらならばトイレにもいける。
「でも、私の母はあきらめなかったわ。必ず治ってみせる!ってろれつの回らない口で叫んだのよ。ここが私のがんばりどころだから、決して負けない。負けてなるものかって。」
一郎の心にずしりとくるものがあった。そんなにうまいこと行くものか、という気持ちも確かにある。しかし、妙に納得させられるものも確かにあるのだ。それは、一郎がわずか一年ではあるが実際に信心をし、その経験があったからだと分かるのはそれから後なのだが、このときはどうしてこのような気持ちになるのかはよく分からなかった。
ただ、このことは本当のことだ、と心の奥のほうで確信していたのである。
「母はね、起きることができないから寝ながら題目を上げていたわ。それも大きな声でろれつが回らない口で題目をあげるの。病院の中でよ。さすがの私も恥ずかしいからやめてといったくらい。でも、母はやめなかった。『声、仏事を為す』と言ってね。必死だったのよ。何が何でも治りたいという『想い』をご本尊にぶつける為には『恥ずかしい』なんて感じる余裕などあるわけなかったのよね。」
翔子はじっと一郎の目を見つめている。そうか、この人も必死なのだ。僕のために。一郎は逆に翔子の目をにらみ返すように見つめることにした。真剣にならざるを得ない。でないとこの人に失礼だ。
「必死の祈りって言うのかしら。母は題目を上げ続けたわ。病室は個室だったけど、部屋の外までも聞こえるような声だった。父はそんな母に「お守りご本尊」をいただいて渡したの。母はそれを首にかけ、必死に祈っていたわ。でも病状は一進一退。なかなかよくならなかった。」
「でもね、そのときは突然現れたの。あれは題目の数が十万偏を越えたころかしら、それまで動かなかった右手が少しずつだけど動き始めたの。それだけじゃない。気がつくと足のほうも動き始め、言葉も少しずつしゃべれるようになってきたのよ。」
「医者も驚いていたわ。脳溢血というのは程度があるのよ。軽いものは社会復帰が簡単だけど、重度のものは社会復帰どころか死ぬことさえあるの。母のは誰が見ても重度の症状だった。実を言うと、ちょうど同じころに別の患者が同じ病院に転院してきていたの。そこの病院は脳外科が専門だったから、重度の患者さんがよく転院してくるところだったんだけど、その患者さんは私の母に比べるとはるかに軽度の患者さんだったのね。担当した先生も同じ人だったんだけど、その先生、はっきり言ってうちの母のほうが死ぬのじゃないかと思ったそうよ。でも、結果としては逆に、転院してきたほうの患者さんのほうが亡くなってしまった。」
「というのも、脳溢血に限らず脳卒中と呼ばれる病気は症状を繰り返すものなの。つまり、脳出血の場合は一ヶ所に限らず、複数の箇所に出血したり、脳梗塞の場合はいくつかの血管が詰まったりするといったふうに。そうなってしまうともう、手がつけられなくなってしまうのよね。」
「うちの母がそうだった。CTで見ると出血箇所が3箇所あった。どう見ても後遺症は免れないし、もう一回出血したならば確実に死ぬところだった。生きているだけで奇跡だったのよ。でも、奇跡的な回復をみせたのは母のほうだった。転院してきた患者さんは二度目の出血でそのまま死んでしまったそうよ。」
「治り始めたら早かったわ。半年後には杖をつかってだけどたって歩くまで回復したのよ。信じられる?少なくとも担当の先生は驚いていたわ。こんなに回復するとは思わなかったってね。今でも杖をついているけれど、言葉ははっきりしているし、どこへでも歩いて出かけられるようになっている。上げる題目の量もすごかったけど、大切なのは『想い』よ。何が何でも『治りたい』『治るんだ』という一念が大切なのよ。」
翔子の話に一郎は感動を覚えていた。翔子の母に比べれば自分のほうがはるかに軽いではないか。そうだ、祈るんだ。何が何でも祈って、自分の体を元に戻そう。そして、あのときのように「イラストレーター」の道にまい進するんだ。
そのように決意をしたはずだった。一郎は再び歩く努力を開始した。しかし、あいも変わらず、自分の足は思うように動いてくれない。それでも必死に題目を唱えながらリハビリ室で練習をするが、感じることは絶望しかなかった。
看護婦の手を振り解き、転倒した一郎はぽろぽろと涙を流した。床には一滴二滴と涙の跡がついていく。いったいいつになったら元の体に戻れるのか。あまりにも遠く険しい道のりに、一郎はただ涙するしかなかったのである。
第7話 終