第二章 寝技編 ”総合格闘技への道”
第一節 ”柔道との出会い”その2


−−−あらすじ−−−
−−私は、担任の先生に誰もいない場所につれていかれ−−
−−そして、路上で投げ飛ばされている。−−
−−そして、何も出来ないでいた。−−


「ドスーン」

部屋に私の投げられる音がこだましている。

私はファイティングポーズさえ取ることができない。
立つのがやっとなのである。
それから、私は何回も立っては投げられを繰り返した。

私は肩で息をしているが、彼はいたって普通である。
ニヤニヤしているくらいである。

何度も繰り返してくると、私は立ち上がる事が辛くなってきた。

その上、廊下で投げられているので体の節々が痛い。

私は渾身の力をこめて、立ち上がり際に右のストレートを顔面に打つ
しかし、見事によけられ、彼に正面から立った姿勢で押さえられた。

なんだか訳がわからないが、目の前の相手の顔がぼやけて来る。
そして、私は気を失った。

彼は、私に「立ち締め」という特殊な技をかけてきたのであった。

端的に言うと、私は立った状態で首を締められて、気を失ったわけである。
彼が、私にかけていた技が「柔道」であることを知ったのはそれからすぐのことであった。
選択科目のなかに「柔道」という時間を作っていたので、それに参加することを私が希望したからである。

ここで、わたしの空手の経験は全く役に立たなかった。
そこらへんのガリ勉君にも簡単に負けてしまう。

そこには、わたしの経験したことのない、世界が広がっていた。

この後、私は柔道に魅せられて行くのである。

格闘技を大きく分けると、「立ち技系」と「寝技系」に分けることが出来ると言われている。

前者はボクシングや空手、などを指し、後者を相撲や柔道、レスリングなどを指す。

「相撲は寝ないではないか?」
と、いう質問があるかもしれないが、
そこが、「寝技系」の格闘技を説明することを難しくしている。

「立ち技系」の格闘技は、おもに相手をノックアウトすることを目的に作られているのは、前章を参照頂ければ明らかであるが、
「寝技系」の格闘技の目的の多くは、「テイクダウン」とよばれる相手を投げることや押さえ込むことを通して、無力化することを目的としている。

勿論、双方はある程度のレベルに成ると、かなりクロスオーバーしてくるのであるが、
そこまで行きつくには、非常に長い年月が掛かることとなる。

私は柔道と云うモノに魅せられて行った。
それは、今まで体験したことのない世界であったと共に、その競技方法が徹底的にリアリズムに裏打ちされていたからに他ならない。

多くの場合空手やその他の格闘技には、多くの制約が付きまとう。

たとえば空手の中でも現在でも一般的な「寸止め空手」というものは、実際には相手に当てないでその威力を推し量るところに、競技性を持たせているし、ボクシングは非常に細かいルール例えば、肘や膝といった硬い部位を利用することを禁じている。

そのため、「もしも〜だったら」という部分で、いくつもの仮説を論じる輩が非常に多いのである。

しかしながら、柔道は「ギブアップ」つまり、「まいった」ということの意思表示を行なうことも出来る。
これは、明らかな勝ち負けをそこに表し、そして、勝負を決することが出来る。

これは、非常に東洋的な発想である。
そもそも「柔道」の開祖である嘉納氏は、いくつかの柔術と呼ばれる古武道を習得した後、日本の武道の持つすばらしさを世界的なスポーツとしてひろめることによって、認識してもらうために設立した。

彼は帝国大学を卒業した学者であったが、卓越した格闘技のセンスと西洋的な理論によって、多くの古武道が有していた「技」を全ての人が容易に習得出来るように、分解し指導法を確立していった。

勿論、スポーツ化していく上で、危険な技は捨てられていったのだが、有していた多くの技を残している。
その為、世界の警察や軍隊で柔道の技を全く習わないような場所は、ほぼ皆無と考えて良い。

それ程、有用な格闘技なのである。

さて、私は体育の柔道だけでは飽き足らず、町道場にも入門し、しまいには高校であれほど好きだったバスケットボール部ではなく、柔道部に入ってしまった。

しかし、競技成績は振るわず、その柔道の持っている武道性さえも見失いかけていた。
しかし、それをもう一度垣間見ることが出来るきっかけになったのは、高校3年のときアメリカに渡ったときのことであった。

つづく