268羽のトキ

作 山下泰昌


 俺は牢屋に入れられていた。

 素っ裸だった。

 牢屋の中は適温に保たれており、別に裸でいても不自由なことはない。

 食事も日に三回、ちゃんと出る。だが、毎回毎回、同じメニューには閉口さ

せられる。別に嫌いな食べ物という訳ではないが、三百六十五日同じものを出

されてはさすがに飽きがくる。

 トイレはついていない。だが排泄するとすぐに何者かが来て片づけてくれる。

 風邪をひくとすぐに薬を打ってくれる。

 生きていくには何の問題がない。

 だが、ただ、生きているだけだ。

 生かされているだけなのだ。

 一体なんのために。


                    一

 共栄通信社の夜は遅い。

 ほとんど見習い同然で入社した宮田浩一にとってもそれは同じことだった。

ほんの一瞬気を抜いただけで眠ってしまった自分に活を入れるために両頬を

激しく叩く。

 だけど、変な夢を見たな。

 疲れた目を人差し指と親指で指圧しながら宮田は自分の目の前に山と積まれ

た原稿を校正していく。

 今年大学四年になる宮田は三年の時、同じ映画サークルに在籍していたOB

のコネを使って他人より一足早く就職活動を行っていたのだ。

そのおかげで宮田は現在、大学通いと通信社通いの二足のわらじを履いた生活

を日々送っているのであった。

 普通に入社するよりも初任給も安いし、まともな仕事もなかなかやらせてく

れないが、宮田は自分の選んだ道を間違いだとは思っていなかった。

 まともに就職活動をしてはこの手のマスコミ業界にはおいそれと入社出来な

い。

 そしてなによりも今の生活が充実している。毎日、朝起きるのが楽しみであ

るし、今自分の力で生きているという実感がある。

 中学、高校とのんべんだらりと通っていたあの頃とそれは格段の差であった。

 宮田は疲れてはいるが、一枚一枚丁寧に校正を進めていく。そしてちらりと

時計を見る。

 午前一時三十四分。

 まずい。そろそろ終わらせないと明日の大学での卒業論文講習に差し支えが

出る。宮田は気合いを入れ直すため、缶コーヒーを飲みに行くことにした。

 椅子から立ち上がり、背伸びをしながら歩くと傍らにあるファックスがなに

やら音をたてながら紙を吐き出している。宮田は辺りを見回した。とりあえず

送信してきた書類を確認出来るような手の空いた人間はいなかった。

 そういえばファックス書類の回収もおいおいやるように、と言われていたな。

 宮田はいかついデスクの顔を思い出した。

 そして受信完了したファックス記事を手に取る。

 そのまま先輩の机に置くつもりだった。だが、一瞬その記事が目に入った。

 トキ。アフリカ。動物園。ニッポニアニッポン。明治。268羽。

 なに?

 トキ?

 宮田の手が震えた。

 自分が情報が流れようとする最先端にいると云うことを感じたからだ。

 宮田はみっともないくらいにそこら辺にあるものを倒しながら、デスクの元

に向かった。


                      二 

 「トキ、アフリカの動物園で発見」

 のニュースは瞬く間に日本中を駆けめぐった。

 きっかけは共栄通信社ナイロビ駐在員中山陽介の気紛れだった。大使館詰め

を部下に任した中山は休暇をとってケニアの辺境の動物園に行くことにした。

 それもこれも現地のガイドの「面白いものがある」という一言と、仕事にか

まけて家族サービスの一つもしてやれなかったという妻子に対する悔悟の念を

常々持っていたのが、その原因であった。

 「面白いものがある」と言われつつも中山はさして期待もしていなかった。

  だいたい、アフリカにまで来て、その動物園で何を見ようというのか。

 だが、普段の仕事が激務なのでたまにはそういう無為な場所でぶらぶらする

のも良いか、とも考えていた。

 中山はガイドが運転する車に揺られながらいつしか眠っていた。それも中山

には貴重な一時ではあったが。


 俺は牢屋に入れられていた。

 素っ裸だった。

 牢屋の角にはカメラがあり24時間監視されているようだ。

 ある日突然、老婆が牢屋に入れられて来た。

 やはり素っ裸で。

 俺は久しぶりの人間なので嬉しくなって話しかけた。

 だが、2・3日も話続けると、もう話題はなくなる。

 俺達はいつしか目さえも合わせなくなった。

 しばらくすると老婆は表に出され、別の老婆が入れられて来た。

 一体、どういう意味があるのだろうか。

 一体なんのために。


 約二時間後、車の制止する反動で中山は目を覚ました。

 久しぶりの居眠りだったな。妙な夢は見たが。

 中山は惰眠を貪った後、特有の至福感に浸りながら辺りを見回した。

 確かにそこは動物園であった。

 スワヒリ語で書かれたその看板は読めなかったが、英語が併記してあったので

それは何とか分かった。

 ガイドの話によると、ここはケニア国境付近の小国だそうだ。

 国境を渡るのにビザもパスポートもいらないのかと聞くと

 まあ、あってないようなものだ

 と言われた。

 この分では政府すらないのではないかと思われた。おそらく国というより、

部族の縄張りといったようなものかも知れない。もともとアフリカの国の線引

きは大戦中に欧州の国々が勝手に引いたのだから。

 中に入るとさすがに日本人は誰もいなかった。

 動物はやはりアフリカの動物より、他国のものの方が多く、それがかえって

斬新でもあった。アフリカで見る熊や狼などは妙な情緒があって面白いものが

あった。

 妻も子供もそれなりに喜んでくれている。

 中山も久しぶりに童心に帰って園内を歩き回った。

 とその時、一つ気になる檻が目に留まった。

 その檻の中には白い鳥がうじゃうじゃとひしめいた。

 かなり広い檻、というより鳥かごの中で白い鳥たちはエサをつついたり、ケ

ンカをしたりと好き勝手なことをしている。

 どこかで見た様な鳥だな。

 そう思って檻の前を通り過ぎようとした時、中の鳥の数羽が鳴いた。

 その声を聞いた中山のその背に突然電流が走った。

 なんだ? 何か変だ。

 中山の記者の勘がそう告げていた。恐らく脳のどこかで埋もれているデータ

ーが無意識の内に表層に現れてきたのだ。

 思わず足を止めた中山は檻に掲げてあるプレートに目をやった。

 BOSTRYCHIA HAGWDASH

 アフリカ原産の野鳥、ハダタトキの学名だ。

 珍しくもない。

 中山はそう心の中でそう呟きながらも、とある疑いが晴れずにいる。

 これは本当にハダタトキか?

 確かに外見はハダタトキのようだ。

 だが

 ハダタトキの鳴き声が違う。

 ハダタトキはその名の通り、

 HA-DA-DA

 と鳴くからハダタトキなのだ。

 このトキは鳴き声が違う!

 だが、ちょっと待て。アフリカ他にもにもトキは居る。それらじゃないのか?

 カマハシトキ、クロトキ、それらじゃないのか。

 違う。カマハシトキは褐色、クロトキは黒色だ。

 それに対し、このトキはその名の通り朱鷺色だ。

 頭が整理されるにつれ、中山は次第に興奮してきた。そして眠っていた記者

魂がむくむくと沸き上がってくるのを感じていた。

 次の瞬間、中山の足は園長室へと駆けだしていた。


 DNA鑑定の結果、そのトキは

 BOSTRYCHIA HAGWDASH

 ではなく、

 NIPPONIA NIPPON

 であった。

 その動物園に眠っていた記録と後に日本で発見されたごくわずかな資料によ

ると、当時フランス領であったその国に日本の高官、山田賀一郎氏が友好の為

に30羽のトキを送ったということらしい。当時の日本ではトキなどそれこそ

腐る程いたし、そんな属領の小国にとある一政治家が個人的に鳥を送ったこと

など公式の文書にも記載されず、しかも一国が左右されるようなことでもない

ので、うやむやになってしまったらしい。

 トキが納められた動物園の方も月日がたつにつれて、それがハダタトキと

思いこむようになっていったらしく、こちらの方でもその記録が忘れ去れたと

云うことだった。

 その後30羽のトキはその国の気候とエサが意外にも合っていたらしく、ど

んどん増え続け、ついには268羽まで繁殖してしまったのだった。

 あまりに増えた為、実は他の動物のエサに使っていたという衝撃の事実も園

長の話から明らかになった。

 この糞鬱陶しい鳥が日本で絶滅の危機に瀕しており、しかもそれを救う為に

中国産のトキを呼んできたりと、多大な金をかけていると知ったその小国は、

すぐさまその268羽のトキを全て日本に贈ると公約した。

 日本中が歓喜の声でわいたのは云うまでもない。向こうの国としては、たか

が鳥を送るだけで、金満大国日本に恩を売ることが出来るのだ。こんなにおい

しい話はない。あるいは日本の政治家とトキを贈る代わりに開発援助を、とい

う密約を結んだのかも知れない。

 トキは船で1週間後、日本に到着することになった。


                      三

いつもは異常なほど殺風景な港が今日は人で埋め尽くされていた。白熱化し

ている報道陣はもとより、一般市民も熱に浮かされたように熱狂している。

 誰が呼んだのか豪華な楽隊までもが用意されていた。

「お帰りなさい、トキ」

 の垂れ幕も港の端から端まで渡されて、まるでお祭りのようだ。

 いや、それはお祭りだった。不景気のどん底に沈んでいる国民にとって、こ

の明るい話題は待ち望んでいたものだったのかも知れない。

 日本で最初にこのニュースを受けた男、宮田浩一も例外ではなかった。彼は

会社の先輩である、社会部の神崎義則に強引に頼み込んでこの場に居合わせる

権利を無理矢理得たのであった。

 「凄い。僕は日本中がこんなに沸き上がったこと、今まで見たことがないっ

すよ。神崎さんはどうです?今まで記者されてこんなことはありましたか」

 十年前に入社した神崎は宮田にそう問われ、あまり表情を変えずに答えた。

 「そうだな。皇室の結婚なんかが似ているが。だが、今回のはまた違うな」

 同行していたカメラマンの中野友彦も頷く。

 「そうだね。不景気、凶作、政治不信と暗いニュースが続いていただけに

今回のはそれらを吹き飛ばす久々のハレのニュースだったかも知れないね」

 宮田もともに頷いた。

 「そうですね。これを良い機会にして景気も回復してもらいたいもんだ。

しかし、あれですね。種族を存続させるのに最低4匹、健全な配合を望むなら

20匹は必要とされているところが268羽ですよ。また日本の空にトキが飛

び交う日がくるんですね」

 宮田は多少、興奮ぎみであった。明るいニュースであることに加え、自分が

この報道に携わったということも手伝ってのことであろう。

 対照的に隣にいる神崎は、始終無表情であった。

 それを不思議に思った中野が神崎に話しかけた。

 「どうしたんですか。社会部きってのエコロジストのあなたが浮かない顔で。

変ですね」

 神崎は困ったような顔をして頭を掻いた。

 「いや、べつに」

 神崎は無理に笑顔を作る。その努力があまりにあからさまだったので、宮田

はさらに問いかけた。

 「やっぱり、変ですよ。ひょっとして嬉しくないのでしょう、トキが帰って

きて」

 宮田は本音を聞き出そうと少し鎌を掛けてみる。

 神崎は少し逡巡した。そして口を開く。

 「いや。うん、そう。嬉しくない」

 宮田は己の耳を疑った。

 「え?」

 「こうしてみんなが喜んでいる時にこういうのもなんだが、実はあまり嬉し

くない」

 「ど、どうして・・・」

 「いや、トキが絶滅から免れるのは素晴らしいとは思うよ。けど、そこ

までして種族を残す必要はあるのだろうか」

 「・・・」

 「トキを必死に生かし続けている人たちのその献身的努力には頭が下がる思い

だ。だが、トキを生かし続けるってのは、一体、何になるんだ?絶滅から救っ

たって、環境が戻るわけでもない。生態系が元に戻るわけでもない。また、何の

役にたつわけでもない。所詮人間のエゴだよ。自己満足だ。トキを絶滅から救

ったって何になる。ただ、人間が他の動物の絶滅を救った、その名誉と栄光が

欲しいだけさ。それともこの世から消えると淋しいから残して置きたいという

悲しいコレクション心からかな?」

 「そんな。でもトキは人間のせいで絶滅寸前に・・・」

 「人間の出現と云う環境変化に耐えられなかっただけだ。彼らが消え去って

も生態系が狂う訳でもない。絶滅するってことは、その種が持っていたポテン

シャルがそこまでだったと云うことだ。生存競争に勝てなかったということだ。

そんな淘汰種族を生かし続けて何になる」

 「だけど、そんな考え方って人間のエゴじゃ・・・」

 「エゴ?絶滅しそうな動物を生かし続けようとする方が人間のエゴのような

気がするけどね。だいたい何様なんだい人間は。創造主でも気取っているのか

ね」

 宮田が不機嫌な顔をして俯いた。

 その態度を見て神崎もさすがに言い過ぎたと内省した。

 「すまん。君の気を悪くさせる気はなかったんだ。ただ、自分の考えを率直

に話しただけのつもりだったんだが」

 「いえ、そんな気を悪くなんてしてませんよ」

 宮田も神崎が悪気で言った訳ではないと思っていたのでそう笑顔で答えた。

 しかし、両者の間に以前にはなかったものが出来たのも確かであった。

 その時である。神崎の持っていた携帯電話が突き刺すような音をあげた。

3人は緊張した。すぐさま神崎は電話をとった。

 「はい。神崎です。え、海上保安庁から。え?」

 そのただならぬ雰囲気に、宮田、中野はおろか他の記者たちまで総毛だった。

 「はい・・・。はい。・・・わかりました」

 携帯電話のスイッチを切った宮田は顔色を変えずに2人を見回した。

 「どうしたんですか!」

 宮田は神崎に詰め寄った。他の記者たちも駆け寄ってくる。神崎は重々しく

口を開いた。

 「トキを乗せた船が爆破されたそうだ。船は大破炎上。おそらくトキは全滅

だろう、ということだ」

 記者たちはどよめいた。そしてそれぞれが連絡を取る為に、一斉に周囲に散

って行く。

 神崎、宮田、中野だけが残った。

 中野が苦しそうに口を開く。

 「なんだって爆破なんてことに」

 「今、捜査を始めているらしいのだが、おそらく隣にある同程度の小国が、

日本との交流を妬んでやったのではないか、ということらしい」

 「そんな・・・」

 「俺達はこちらの現場の取材をしろ、だと。さ、仕事を始めようか」

 神崎はそう言うと先刻から項垂れ続けている宮田の肩をぽんと叩いて、先を

歩き出した。

 宮田はあわてて後を着いて行く。

 「嬉しいですか。トキが全滅して」

 宮田は自分でも何でそんなことを言ってしまったのか分からなかった。

 自分が初めて携わったニュースの悲惨な結末や神崎の痛烈な批判などがない

まぜになって、思わずそんな言葉が口をついて出てしまったのかも知れない。

 神崎は無表情のまま振り向き、拳を軽く宮田の頭に当てた。

 「怒るぞ」

 そして神崎はまた宮田に背を向けて歩き出した。

 宮田の目にはこころなしか肩を落としているように見えた。

 しかし、この何万と云う群衆が同時に落胆する様子は凄まじいものだろうな。

 宮田は自分が受けたショックを棚に上げてそんなことを考えたりしていた。  


あとがき

改めて振り返ると、時の流れの移り変わりの早さを感じますね。今では国産トキなどはもういなくて、中国産トキの繁殖や放鳥が話題になるのですものね。