チョコレート粉砕工場
作 山下泰昌
みなさんはチョコレートってどうやって作られるか知っていますか?
そう、チョコレートは石炭みたいに山の中から掘られて来るんですね。
チョコレートは日の当たらない険しい山中に埋まっています。そして時々地
表に顔を出している時があります。
チョコレート山師はこのわずかな兆候を見逃しません。そこからチョコレー
ト脈を見事に探しあてるのです。
もちろん日の当たる山中にもチョコレート脈はあります。
でも地表に出ているところは全て溶けてしまっているので、手がかりが見
つからないのです。よほどの天才チョコレート山師でないと、このパターンは
発見出来ません。
まず、大きな固まりの状態でチョコレートは発掘されます。
それをクレーン車を使ってトラックの荷台に載せ、工場に運びます。
え?何の工場かですって?
そうです。チョコレート原石は、『チョコレート粉砕工場』に運び込まれる
のです。
僕の目の前には巨大なチョコの固まりがある。
丁度、僕の背丈立法くらいはある。
毎度のことながら、このチョコの質量には圧倒させられる。
僕は素手で触ってみた。
ざらっとした感触。ここはちょうど発掘するときに砕いた部分だ。だから
肌触りが悪い。綺麗にカットした表面はもっとすべすべしている。
「こらあ! 駿。またさぼってやがるな!」
僕は背後から浴びせられたその声に飛び上がった。
親方だ。
親方は、いつものしかめっつらで僕の方に歩み寄ると、まるで小石でも蹴飛
ばすかのように僕を脇に追いやった。
「おめえはここの担当じゃねえだろ! さっさと持ち場に戻れ!」
「はい」
僕はそう言って、軽く頭を下げたが持ち場に戻らなかった。僕の仕事は掃除
係り。粉砕された後の木っ端片を回収して、溶解係りの所に運ぶのがその仕事
だ。はっきりいってつまらない。だから僕は自分の仕事の手が空くと、親方の
持ち場のここ、チョコ選別裁断係りのところに出張って来るのだ。
チョコ選別裁断係りはまさしくチョコレート粉砕工場での花形の仕事だ。
チョコレート山から発掘されてきたチョコ岩を熟練の目で見極め、ビター、
スイート、マイルド、融点の高いチョコ、低いチョコなどに分けるのだ。
うちの工場はその見極めが正確なので、各チョコレート工場からの評判が良
く、そして当然受注も多い。
僕はそんな工場で仕事をしていることの誇りを持っているし、その中心たる
親方を尊敬もしている。
親方は僕など眼中になくなったようにチョコ岩に向かい、先ほど僕がやった
ように手のひらでチョコを触った。
「よう、駿。チョコを見極める時に大事なことって、何だか分かるか?」
親方はなんだかんだ言って、僕が自分の持ち場を外れてここに来るのが好き
なのだ。建前上は怒っているけど。
親方の口癖は
「仕事は盗むもんだ」
だ。
聞いた話だと、親方も自分の手が空いたときに先代の親方の仕事を良く見に
行ったらしい。まあ、僕は仕事の技術を盗むためじゃなくて、好きで来ている
んだけど。
ところで、親方のさっきの質問だけど、僕には分からなかった。はっきりい
って外見からではチョコ岩のどの部分がビターでスイートなんだか全く分から
ない。
「色ですか?」
外見では分からない、と言っておきながら僕はそう答えた。何かしら答えて
おかないと親方に見限られるのでは、と思ったからだ。
「馬鹿か? おめえは」
親方は僕の頭を軽くはたく。いつもの儀式だ。
「このチョコのどこに色の違いがあるってんだ。まして中身はどうやって
見んだよ」
親方はぽんぽんと、チョコ岩を叩く。
「チョコを分けるときはなあ、その『震え』を感じなくちゃあ、駄目だ」
「『震え』ですか?」
僕はかなり予想外の答えが返ってきたので少し、驚いていた。
てっきりチョコの『声』だとか『ツボ』とかっていう良くある単語が出てく
るのかと思ったら、よりによって『震え』。
もはや僕には何が何だか分からない。
「こう触って目を瞑るとよ。次第に指先がじくじくしてくんのよ。それは
場所によって違ってよ。その自分の指先を信じて削って行くと、まあ間違いね
えな」
「はい」
僕は殊勝にそう答えたが、分かるはずもない。やっぱりこれは職人芸だ。
僕には遠い世界の話のようだ。
「親方、すんません。お待たせしました」
その時、威勢のいい兄さんが現れた。マサさんだ。親方の右腕で親方と共に
この選別裁断を担当している。
「おう、やっと来たか。そんじゃ、始めっか」
そして僕の方をじろりと見た。
「おめえもいつまで油売ってんだ! さっさと持ち場に戻らねえか!」
マサさんもいることだし、さすがに今回はすごすごと退散した。
さ、また工場を隈無く歩いてチョコの破片を拾い歩かなくちゃならない。
一日の仕事が終わると、僕らの身体はチョコだらけになる。
ほんのり甘い香りが漂っている。
その為、チョコレート粉砕工場には必ずといっていいほど、シャワー施設が
併設されている。
僕は更衣室で手早く仕事着をまとめると、すぐさまシャワー室に飛び込んだ。
熱いお湯が身体にぴたぴたと当たっていく内に、身体のところどころにこび
り付いていたチョコは溶けて行き、それにつれて甘い匂いもなくなっていった。
「あ、駿さん。どうも」
隣のシャワー室から出てきた男と目があった。
和吉だ。
僕より一年遅く入社した、いわゆる後輩で、僕と同じく掃除係りを担当して
いる。
何だか知らないがこんな不愛想な僕を慕っている、奇特な後輩だ。
「どうすっか? この後、飲みに行きませんか?」
和吉はそう言って右手でコップを握り、酒をあおっている真似をした。
僕は首を横に振った。
「悪いな。今日はちょっと用事があるんだ」
和吉はほんのちょっと顔を歪ませるたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「そうすか、残念っす。それじゃ、次は行きましょうね」
僕はすまなそうに手を顔の位置まで上げた。
そう、今日は親方にチョコの選別について教えてもらう日なのだ。
酒なんか飲んでいる場合じゃないのだ。
僕はシャワー室から出、身体の水滴を拭き取った後、チョコまみれの仕事着
を再び着込んだ。
「なんだ、おめえ。本気で来たのかよ!」
親方は僕を見るなり開口一番そう言った。
「ったくよう。これからひとっ風呂浴びて酒でもかっくらおうと思っていた
のによ。手間かけさせるぜ」
僕は一応、
「すみません」
と言ったが、ちっとも反省はしていなかった。だって親方だって嬉しそうだ
ったから。
親方は早速、目の前にあるチョコ岩に手を触れた。そして目を閉じる。
「ここだ、ここ。俺が触っているこの層を触って見ろ」
層と言われたが、肉眼ではどこが境になっているか、分からない。
とりあえず、親方の触っているポイントを強烈に脳に焼き付け、覚え込む。
触る。
チョコの温度が伝わってくる。常温のはずなのに、チョコは何か手のひらよ
り暖かいような気がした。
「よし。そこからずっと下の方へなぞってみな」
僕はその言葉通り、ずずっと指をずらす。
「そこだ」
親方は突然言う。
「そこが層が変わっているところだ。分かるか?」
分からなかった。
僕は正直にそう言った。
「馬鹿野郎!」
ぱつんと頭をはたかれる。
「ぼけっと触ってっからだ! もっと指先に集中しろい」
親方はそう言って僕に目を閉じて同じ事をしろと命令した。そして、自分が
感じたところで指を止めろと。
分かりっこないと思った。だが、やらない訳にはいかない。
僕はさっきと同じように指をチョコ岩の上から下へ、ゆっくりとなぞってい
った。今度は目を閉じて。
目を閉じると不思議にいつもより指先が敏感に感じられた。チョコの表面の
起伏がとてつもなく大きな物に感じられる。
その時、指先にちりりという妙な感触がする。僕ははっとして指を止めた。
そして目を開けて親方の方を見る。
「ふん。ちょっと細かい層はいくつか飛ばしたがな。ま、そこが見つかれば
しめたもんだ。そこはビターとスイートの境だ」
自分で指が止まった部分を見てみる。
相変わらず、肉眼では差が分からない。
だが、今、僕は確かに自力でチョコの層を探り当てたのだ。
チョコレート粉砕工場の花形の仕事、チョコ選別をしたのだ。
この工場でも二人しか出来ない、チョコの選別を僕がしたのだ。
「馬鹿野郎」
ぱつん
とまた頭をはたかれた。
「この程度で喜んでいてどうする! いま、おめえは四つの細かい層をすっ
飛ばしたんだよ! そんなおおざっぱな選別じゃあ、工場が潰れるわ」
「すんません」
僕は一応、そう頭を下げたが、当然のことながら内心大喜びだった。
へこたれることはなかった。その日、僕は親方の手厳しい集中講座を二時間
受け続けた。
次の日、工場の中はかなり騒々しかった。
いや、チョコレート粉砕工場が騒々しいのはいつものことなんだけど、僕が
言いたいのはそういうことではなくて、僕らを驚かすような事件があったとい
うこと。
その日、朝一番から社長の息子さんが何やらでかい機械を持ってきた。
社長の息子さんは良くいる甘ったれのぼんぼんではなくて、他の工場に修行
に行き、何とかという有名なアメリカの大学を出た凄い人だ。
その人が一抱えもある重そうな機械を持ってきたのだ。機械はチョコ岩の前
に置かれ、すでに人だかりが出来ていた。
社長の息子さんはもとより、社長、親方、マサさん、その他偉い人たちは全
員集まっている。
僕も自分の仕事の手を休めて、彼らの背中ごしから何をやっているのかひょ
いと覗き込んだ。
すると、社長の息子さんが大汗をかきながら何やら機械を操作しているのが
見えた。
機械にはモニターがついており、何かが映し出されるようだ。
「よし、これでいいはずだ!」
額の汗を袖でぬぐい去ると、息子さんは機械のとあるボタンを押した。する
と機械は妙な音を立てて無骨な金属の腕を伸ばしてチョコ岩の廻りをはい回っ
た。
一通り、はい回るとピッという電子音を立てて止まり、モニターにぶうんと
何かを映し出した。
それを見てみんなは
「おおっ!」
と叫んだ。
僕の場所からでは見えなかったので、いろいろ頭の出す位置を工夫して何と
かそれを見ようとした。
その時、人垣の一部が崩れたので、僕はこれ幸いとばかり、そこから頭を出
した。そしてくだんのモニターを見やる。
僕は
「あっ!」
と声に出した。そこにはチョコ岩の輪郭と、そしてそのそれぞれの層が電子
画面で映し出されていたのだ。
息子さんの顔は満足そうに上気していた。
社長は息子さんの持ってきたその機械を嬉しそうに眺めていた。
だが、親方はしかめっ面でその機械を覗き込んでいた。
「上から三つ目の層が表示されていねえな」
親方は言った。
「そうですね。この機械もまだ開発段階ですから。そこら辺の細かい識別は
まだ出来ません。でもゆくゆくはそういうところも改良されていきますよ!」
息子さんは少し興奮気味にまくしたてた。
親方は渋い顔をした。
「こんな機械が出来ちゃあ、俺なんて用済みだな」
一瞬、その場がしん、と凍り付いた。
「そ、そんなことないですよ。この機械も実用化はまだ先ですし、まだまだ
親方の目利きがないとやっていけませんよ!」
息子さんはあわててそう、取り繕った。
親方は
「ふん」
と肯定だか否定だか分からないような頷きをすると、くるりと振り向いて、
どこかに歩いていった。
「親方!」
マサさんがあわててその背中を追う。
後にはうなだれた息子さんが残された。
「すみません、父さん。新しい機械を手にしたことで、浮かれすぎていまし
た。親方の気持ちをすっかり忘れていました」
社長は優しい笑顔で言った。
「良い、良い。お前は会社の為を思ってやったんじゃないか。親方にはわし
の方から謝っておくから」
だけど、息子さんはうなだれたままだった。
「ほら!何ぼけっとしている。お前ら仕事せんかあ!」
今まで社長の側で様子を静かに見ていた専務が、場の雰囲気を察し、僕ら
野次馬にそう怒鳴り散らした。
僕らは蜘蛛の子を散らすように、それぞれの持ち場に戻る。
その日、親方は自分の持ち場にその姿を現さなかった。
次の日には親方は出社してきた。
しかし、始終しかめっつらで、一言も喋らずにチョコの選別をやっていた。
マサさんはその雰囲気に気が付いて、やはり軽口や冗談は何も言わなかった。
終業時間後、親方やマサさんが帰った後、僕はチョコ岩の所に行った。
自分よりでかいそのチョコ岩の前に立つ。
そして目を閉じてその表面を撫でる。
やはり指先がちりりと感じる場所があった。
ビターとスイートの境目だ。
しかしその日はぴりりと感じる境界もあった。
これは一体、何の境目なのだろうか。
自分ではさっぱり分からない。
やっぱり親方がいないと。
親方に教えてもらわないと駄目だ。
だいたい、チョコの選別をあんな機械でやって何が面白いのだろう。
チョコの選別は熟練の人間が己の五感の全てをかけてやるから格好良いのだ。
誰にも出来るものではないから格好良いのだ。
それをあんな機械でやるようになってしまったら、つまらないじゃないか。
僕はあんな機械が導入されたらこの仕事をやめてやる、と心に決めた。
その時、
ばつん。
僕の頭がごつい手ではたかれた。
「よう、駿。仕事も終わったのに何やってんだ」
親方だった。
僕は嬉しくなった。が、表情にはそれを出さないよう、必死に堪えた。
親方は少し寂しそうだった。
でも僕と同じようにチョコ岩を見上げた。
そしてまるで自分の孫でも見るような優しい顔をした。
「チョコはよう、ずっと奥が深えんだ」
ぺたりとチョコに触る。
「取れた場所のチョコによってその性格も違う。北で取れたチョコは厳しく
身が締まっていて境目もはっきりしているが、南で取れたチョコはその境目も
あやふやだ」
その触った指をすうっと下へすべらす。
「古い層から取れたチョコは全体的に渋めだし、新しいとこから取れたチョ
コは胸がすうっとするほど香りがいい」
そしてその指を途中でぴたっと止める。
「だけど一番難しいのはチョコの中身だ。どれだけいい品質のものかは、こ
の『掌』でないと分からねえ」
親方は僕の方を見た。
「駿、ここを触ってみな」
僕は親方の目を見た。今まで見たことの無いような優しい目だった。
僕は逆におどおどしてしまい、それに触るのを躊躇した。
「なにやってんだ! さっさと触れ」
僕はそう怒鳴られ、おずおずと自分の掌を親方の指さしたチョコ岩の場所に
ぺたりと付けた。
そして目を閉じた。
そのとたんだった。極彩色のイメージが僕の頭に飛び込んで来た。褐色の世
界から赤や青や緑や黄や橙の見たこともない動物たちが凄いスピードで僕の頭
に飛び込んで来た。そしてその動物達は楽しそうに、僕の頭の中で遊び回って
いるのだ。
僕はあわてて、掌を離した。
今、気が付いたのだが額にはうっすらと汗をかいていた。
親方はそんな僕を見てにやりと笑った。
「どうした、駿」
僕ははね上がっている心臓を落ち着けてから言った。
「なんですか? ここは」
はっきり言って、まだ興奮が取れない。こういっちゃ悪いが、たかがチョコ
にこれほどのものが隠されているとは思いもよらなかった。
「これか? これはなあ」
親方は宙を見つめ、楽しそうに言った。
「これはチョコの『夢』だよ」
「『夢』?」
「そう。チョコはただ甘いだけじゃねえ。そうだろ。それはお前も知ってい
るはずだ」
僕は戸惑った。今までチョコを食べてそんなことを考えたことがなかったか
らだ。でも、確かにそうだ。包装を切って、チョコを今まさに口に入れようと
する時、僕は何を食べているんだろう。僕は確かにあの時、チョコ以外の何か
を食べている。
「ここは世界中の子供達がチョコを食べる時のあの『楽しさ』が含まれてい
るんだ。ここを見分けられなければチョコなんてただの甘いだけの固まりだ」
その時の親方は本当に楽しそうだった。
そう、それこそ、子供のようだった。
僕は、なぜか心が熱くなった。
そして僕の頬に熱いものが、流れ落ちた。
僕はそれを指ですくった。
涙だった。
なんでだろう。涙を流す理由なんてないのに。
「はん。まだまだ機械になんか負けねえよ。機械には『夢』を見分けること
なんか未来永劫出きっこねえからな」
その時、チョコ岩の夢の層から何か透明なものが、宙にぽんわりとにじみ出て
きた。そしてそれは、泡のようにぱんと弾けると、辺りに四散した。
そしてそれは世界中に広がっていった。
僕は幻を見ていたのかもしれない。
だけど、その時涙を流しながらも、
楽しかった
のは嘘じゃなかった。
そして『チョコレート粉砕工場』で選別されたチョコはいろいろな形に変え
て、お菓子メーカーの工場に行きます。こうして製品化されたチョコはみんなの
手元に届くのです。
板チョコ、棒チョコ、チョコアイス、チョコレートドリンク、チョコケーキ。
みんなはどんなチョコレートが好きですか?
あとがき
ゴンチチの曲名「チョコレート粉砕工場」から着想しました。
絵本をイメージしたお話でした。