駄菓子屋通信 

第一話 いきさつ

作 山下泰昌


 「こんな感じかな、と」

 神崎かさねはそう言って、ぱんぱんとほこりを払うように手を叩いた。

 この手を叩くという行為は何か意味があるのだろうか。

 別段、本当にほこりが払われているとは思えない。

 気合いを入れるための柏手みたいなものかな。

 かさねはそんなどうでもいいようなことを頭の中で漂わせながら辺りを見回す。

 そこには雑巾がけされ、幾分か綺麗になった店内があった。

 わずか六畳ほどの小さい店と奥のやはり六畳の居住空間。

 それが駄菓子屋『神崎商店』の店の全てだ。

 そしてその『神崎商店』の店主こそ、この若干二十歳の女子大生、神崎かさねなのである。

 なぜ彼女がこの駄菓子屋を営むことになったのかは約一ヶ月前に遡らなくてはならない。

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 夜七時。

 秋も深まり、上着なしでは過ごしづらいこの季節になると、日が落ちるのも早い。

 この時間にはすでに辺りは闇に包まれ、街灯やネオンが幅を利かせるようになる。

 かさねは珍しく寄り道もせずに大学から帰ってくると、見覚えのある草履が玄関に揃えられているの

に気が付いた。

 ばあちゃんだ。

 かさねは帰ってきた勢いそのまま、居間に飛び込む。

 「ただいまー! ばあちゃん来ているの?」

 「おや。帰ってきたね」

 居間のソファに向こう向きで座っていた祖母、キヨは身体を少し横に捻ってかさねの方に嬉しそうに

振り向いた。

 かさねの両親はかさねが子供の頃、共働きであった。そのせいで日中は近くにある祖父、祖母の家に

預けられることがしばしばだった。

 典型的なおばあちゃんっ子であったかさねは、優しくていろいろなことを教えてくれる祖母が大好き

であった。実際、かさねが作れる料理のレパートリーは七割が祖母直伝である。

 なんにしろ家の中に家族がたくさんいるのってにぎやかでいいな。

 かさねは洗面所で手を洗いながら、嬉しくてふわふわしている自分に気づく。

 「で、どうするんですか? あの家は売っちゃうんですか?」

 「いや。せっかくの土地だからねえ。かずえさん達で何かに使えないかねえ」

 「そうですね。突然のお話なので何とも。ウチの人が帰って来てから相談しますわ」

 「そうだねえ。そうしてくれるかい?」

 かさねはキヨの真向かいのソファに倒れ込むように座る。

 クッションの反動でわずかに身体が跳ねる。

 「なに? 何の話なの?」

 台所でお茶を入れていたかさねの母、かずえはお茶をかさねの前にことりと置き、複雑な顔で口を開

く。

 「おばあちゃんがね、お店をやめるの。それであの店をどうしようかって話」

 「え? 駄菓子屋さん、やめちゃうの?」

 かさねが目を丸くしていると、キヨは首を縦に振った。

 「うん。ここのところ私、病院に行ったり来たりじゃないかい? そうしているとお店を開けている

こともままならなくなってねえ。久しぶりにお店を開けるとお菓子のほとんどは賞味期限が切れている

し。私も年だし、いっそのことお店を閉めようかななんて思ってねえ」

 「ええ! お店閉めるの? もったいないよ。駄菓子屋さんなんて今、ほとんど無いんだし」

 祖母の駄菓子屋は子供時代のかさねの社交場であった。一人っ子でおばあちゃんっ子だったかさねに

初めて友達が出来たのもあの駄菓子屋であるし、その友達とケンカをしたのもあの駄菓子屋だった。

 自分の幼い頃の思い出がたっぷり詰まったあの駄菓子屋がなくなる。

 かさねの胸に幽かな寂寥感が漂う。

 「そうは言ってもねえ。もう体力的に限界だしねえ」

 「でも……」

 「そりゃあねえ。おばあちゃんだって続けたいんだよ。子供達も続けて欲しいって言っているしねえ 」

 「うん……」

 かさねはキヨの営む駄菓子屋を思いだしていた。

 小さい店。

 そこに敷き詰められた駄菓子。

 壁にはかさねより何世代も前の子供達が書いた落書きや年代物のシールなどが張られている。

 店の片隅には冷蔵庫が置かれており、そこにはゼリーやあんず水が冷やされている。

 また店と奥の六畳との境目には湯沸かしポットが置いて有り、子供用の小さいカップラーメンにはそ

こでお湯を入れる。ちなみにお湯を入れると10円増しである。

 どれもこれもかさねにとって愛着がある物、そして光景であった。

 「そうだ。そんなにお店がなくなるのが嫌なら、かさねがやればいいじゃない」

 表情が冴えないかさねの顔を観察していたかずえは、突然そう言い放つ。

 かさねは更に大きく目を見開く。

 「ええ? 私があ?」

 「ああ。それはいいねえ。かさねがもしやるんだったら、私も安心してまかせられるよ」

 私が、あの駄菓子屋を?

 かさねは自分が駄菓子屋のおばちゃんになっている姿を想像した。

 小さくて煤けた店の端にちょこんと座り次々に来店する子供達の相手をする自分。

 あれ。意外といいかも。

 「そうよ。かさね、バイトやりたいって言っていたじゃない。ちょうどいいじゃない?」

 「まあ、大したもうけじゃないけどねえ。でも変なところにアルバイトに行くくらいなら私も安心だ

ねえ」

 「でも、ほら私、平日は大学に行かなくちゃいけないし……」

 「お店は三時くらいから開けばいいんだよ。だって午前中はお客さんの小学生も学校に行っているか

ら開けても意味無いんだよ。現におばあちゃんだって午前中は買い物とかしていたもの」

 「う、うん」

 かさねは即断出来ずに曖昧に頷く。

 「お店のもうけは全て、かさねの収入にしていいよ。それであの家を守ってくれるなら安いもんさ。

さ、これから忙しいよ。問屋さんにも連絡しなくちゃいけない」

 キヨは忙しそうに立ち上がる。

 「ばあちゃん。まだ、私やるって言ったわけじゃ……」

 だが、そうは言いつつも強硬に否定する気もなかった。

 水曜日と金曜日は大学の講義が五限まであるから無理ね。月、火、木、土を午後から開けて、日曜日

は朝から開ければいいかな。

 自宅に戻ろうと支度をしているキヨを止めようとしつつも、かさねは頭の中ではすでに店舗開店の算

段を始めていた。

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 と言うわけで現在に至る。

 明日の『神崎商店』のリニューアルオープンの為にかさねは店の掃除をしているのだ。 約一ヶ月、

店は閉められていたので埃だらけだった。

 また賞味期限が切れた駄菓子は捨てなくてはいけない。

 小さい店だと思っていたが意外に掃除のしがいがあるのにかさねは辟易としていた。

 だがそうはいいつつも掃除はとりあえず一段落したので、バケツの水を捨て店の一角にある小さなイ

スに座って休憩をしていると、「やってる?」と誰かが入ってきた。

 かさねは振り向く。

 母、かずえであった。

 かずえは手提げ袋に雑巾や洗剤を入れて吊っていた。

 「あれ? 手伝おうと思って来たんだけど、終わっちゃった?」

 「とっく」

 かさねはそう言って自慢げに右手を上げる。

 かずえは店の中に入って見回す。

 「へえ。かさねにしてはきちんと掃除したじゃない」

 「『かさねにしては』は余計よ」

 かさねはわざとらしく顔をしかめる。

 「でも掃除するだけじゃなくて可愛い感じの壁紙とか張れば良かったんじゃない? 照明なんかもも

っと明るいのにしてさ」

 「うん。いろいろ考えたんだけど、ばあちゃんがやっていた時のままでやろうと思うの。だって、そ

の方が私、好きなんだもん」

 「……そう。まあ、無理しないでやるといいわ。なんたってここはもうかさねの店なんだからね」

 私のお店。

 胸が一瞬高鳴った。

 そうだ。ここは小さくて、薄汚れているけど私の店なんだ。

 その感覚は子供の頃、何も描かれていない真っ白な画用紙に向き合ったときの気持ちに良く似ていた 。

 これからどんな絵を描いてもいいんだ、自由なんだ、という。

 「毎度」

 その時、店の外から男の声で呼びかけられる。

 わずかばかり自分の世界に浸っていたかさねは驚いたように身体を震わせる。

 「は、はい?」

 「あの、問屋のもんですけど……。商品をお持ちしました」

 そこには二十代くらいの青年が立っていた。

 髪の毛は短く今風に刈られている。背はひょろっと高く、百八十センチはあるだろうか。

 繊細な印象を受ける体格とは裏腹に眉は太く、顔立ちはしっかりしている。

 「は、はい。あ、これから並べるから中に入れないでいいです。表に置いて下さい。はい、そこで良

いです」

 青年はこくりと頷くと、隣の駐車場に止めてある貨物車から次々と駄菓子の詰まったダンボールを並

べて行く。

 その様子を何をするわけでもなく呆然と見ていると母のかずえが肘でかさねの脇腹を突っついた。

 「何よ、かさね。ぼけえっとしちゃって」

 かさねは、はっと我に返る。

 「べ、別に」

 「あんたのタイプでしょ? あの男の子」

 「うるさいなあ」

 かさねは自分の耳元でこそこそと囁くかずえを邪険に振り払う。

 その外見に見とれたというのも多少あるが、意外に若い青年が配達に来たのでかさねは驚いていたの

だ。

 駄菓子屋の問屋というくらいだからもう少し、年輩の人間が来るものとばかり思っていた。

 その青年は品物を降ろし終え、伝票をかさねに手渡した。

 「三万二千百五十円です」

 かさねはそう言われてあわてて自分の財布をバッグから探し出した。

 そうか。品物を仕入れる為にはお金がいるのか。

 これから収入が入ってくるとはいえ、これはかさねにとっては痛い出費だ。

 しばらく外食は無理そうだ。コンパにも参加出来そうにない。

 仕事を始めるためにはまず資本が必要だ。

 こんな簡単な市場原理が意外に普通の消費者生活をしていると気が付かないものだと妙な感慨に耽る 。

 かさねからお札を受け取り、前掛けのポケットから小銭を勘定していた青年は、お釣りを手渡す。

 「はい、八百五十円のお返しですね。僕は毎週火曜日にこちらに通りますので月曜日に足りなくなっ

た物を電話して頂ければお持ちします。まあ、こちらからもお電話しますけどね。ところで……」

 「はい?」

 店の壁に貼ったカレンダーの月曜日のところに『注文日』と赤丸をしていたかさねは青年のその言葉

に振り返った。

青年は柔和な笑顔を浮かべながら、懐から名刺を取り出した。

 「『神崎商店』さん担当の里見啓祐といいます。これからよろしくお願いします」

 へえ、けいすけさん、か。

 貰った名刺をしげしげと見ていたかさねは、またしてもかずえにこつんと肘で脇腹を突っつかれる。

 かさねはあわてて里見に向き直った。

 「すみません、申し遅れました。前の店主、キヨの孫のかさねです。こちらこそよろしくお願いしま

す」

 そう言って軽く頭を下げる。

 「何か分からないことがあったら会社の方に電話して下さい。それじゃあ、失礼します」

 里見はそう言ってあっさり足早に車に戻って行った。

 ずいぶん慌ただしく帰るんだなあ、と思っていると車にまだ山と積まれたダンボールに気づいた。

 これからまだ他の駄菓子屋に回るらしい。

 当然か。

 駄菓子屋はウチだけではないのだから。

 ほんの少し、寂しい気持ちになったかさねだが、頬を一度ぴしゃりと叩いて気合いを入れ直した。

 今、納品された駄菓子を並べなくてはならないのだ。

 開店の為にしなければいけないことは一杯ある。

 「どう? お母さんも手伝ってあげようか?」

 かさねはその申し出に首を横に振って応じた。

 「ううん。自分で並べないと駄菓子の名前と金額が一致しそうにないから。あと並べるだけだから先

帰っていていいよ」

 そう言って黙々と作業を続けるかさねを諦めたように見つめるとかずえは「ご飯作っておくよ」と言

って去っていった。

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 明けて翌日。

 大学から帰宅したかさねは一目散に『神崎商店』へと向かった。

 裏口から入り、店内の電気を点ける。

 辺りを見渡す。

 棚、机の上は駄菓子でぎっしりと詰まっている。壁にも細かい玩具やくじびき、アイドルのカードな

どがぶら下がっている。

 レジ、といっても空き缶の箱だが、そこにも釣り銭はたんまりと入っている。

 そして、自分の胸に手を当てる。

 忘れ物は無いわ。どう? かさね。準備は良い?

 もう一人のかさねが答えた。

 準備OK。ちょっと不安だけど。

 かさねはぶるぶると首を数回振った。

 案ずるより産むが安し。やってみなくちゃ分からない。

 そう自分で自分を奮い立たせると、一気に店先の雨戸を押し開ける。

 柔らかな午後の日差しが入ってきた。

 新鮮な空気が店舗内の澱んだ空気を駆逐する。

 かさねはその空気を胸一杯に吸い込んだ。

 何かが新しく始まる。

 そんな気持ちにさせる空気だった。

 ぱん!

 と、かさねは一つ柏手を打った。

 新しく始まる仕事のため。そして何より自分自身のため。

 誰もいない店内にそれは大きく響き渡った。

 かさねの駄菓子屋稼業が今、始まったのだ。


 あとがき

 というわけでキリ番小説『駄菓子屋通信』のスタートです。

 今回はほとんど前振りだけでせっかくの駄菓子屋蘊蓄を挿入する余裕がなかったです。

 残念。

 まあ、キリ番連載なのであんまり無理しても話が続かなくなるので、のんびり、まったり進めて行こ

うと思います。

 あ、実際の駄菓子屋さんを運営するコツものんびり、まったりなんですよ。

 あんまり儲けよう! とか考えて駄菓子屋を始めて失望するお客さんも実際に何人か見ていますから

ね。

 あわてず、無理せず、マイペースでやっていくのが駄菓子屋さんを営んでいく上では肝要かと。

 さて、かさねの駄菓子屋はどんな風に進んでいくのでしょうか?

 次は50000HITの時にUPします。

 これからもどうぞ、よろしくー。


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