駄菓子屋通信 

第二話 はじまり

作 山下泰昌


 壊れた管楽器隊が行進でもしているのか? と思うほどけたたましい音を立てて目前をバイクが

通り過ぎた。近所の八百屋の50ccバイクだ。初めはその圧倒的な存在感に驚かされたが、最近は

さすがに慣れた。今ではもうこの辺の名物的存在でもある。

 一本離れた通りにある居酒屋で飼われている猫が退屈そうにあくびをしながら向かいの塀の上を

歩き去る。飼われている、と言っては語弊があるかも知れない。居酒屋の周辺に住み着き、そして

時々残飯を貰っているだけの猫である。実際にその店の中に入っているところは見た事がない。

要は野良猫って訳だ。

 どこか遠くで竿竹屋のアナウンスが聞こえてくる。かさねはこの竿竹屋の声を聞く度にいつも思う。

 今時、竿竹をこの行商車から買う人なんているのかしら。普通、近くのホームセンターみたいな

ところで買うわよね。そもそも竿竹なんてそんなに需要のあるものなのかしら。本物の竹を使って

いた昔ならともかく今の竿って耐久性があるし、そんなに必要ないよね。実際、この行商している人

って何なんだろう。とても儲かっているように見えないし。ひょっとしたら何かのバツゲームなのか

な?

 と、あまりに下らない想像に耽っている自分に気が付いたかさねは思わず、自己嫌悪に陥る。

 「暇だわ」

 今まで心の中で何度も呟いたその言葉を今度は言葉に出してみた。

 だが、その言葉を聞く人間はかさねの近くにいない。

 回りには所狭しと並べられた駄菓子があるのみ。

 かさねは本日二桁の大台を突破したであろうため息を大きく吐くともう一度言った。

 「暇だわ」

*******************************************

 いよいよ開店ということで勢い込んで店を開けたはいいが、一時間経っても客が来ず、閑古鳥が鳴

きまくっているという状態なのだ。

 かさねはふと壁時計を眺める。

 時は午後四時。小学校もとっくに終わって小学生は遊びまくっている時間である。子供達がどっと

押し寄せてもおかしくないはずだ。

 確かに今日、新規オープンということを誰も知らないだろうし、昨日まで祖母のキヨも約一ヶ月も

店を休んでいるのである。客が来ないのも当たり前だろう。

 雑誌か小説でも持ってくれば良かったな。

 かさねはそんなことを思いながら頬杖をついた。

 と、その時二人組の小学生と思しき子供が店の前に差し掛かった。

 そしてこちらを見て「おい、やっているよ」というような言葉を興奮気味に交わして足を止める。

 お。

 かさねは思わず身を乗り出す。そして大声で言った。いや、『言った』というより叫んだ。

 「いらっしゃい!」

 子供達はまるで犬と遭遇した猫のように身体全体で警戒心を表現すると、そそくさと去っていって

しまった。

 かさねはがっくりと肩を落とす。

 駄目だあ。売る側が「さあ、来い!」って感じで意気込むとお客は引いちゃうんだな。そういえば

自分も洋服を買いに行って、やたら「買って下さいオーラ」に満ち満ちた店員がいるところは敬遠する

のを思い出す。

 次から気を付けなければ。

 そうかさねが反省していると早くも別の二人組の子供が店の前で足を止めた。

 お。

 かさねは心の中でガッツポーズをして表面では素知らぬ振りをした。店内の整理を熱心にやっていま

すというフリをしながらも目の端で子供達の動向を確認する。

 今度は先程のように気持ちが前傾していない。いや、実際はしているのだが、端から見てもそうとは

分からないだろう。

 子供達はこちらを見て何事か相談しながらポケットの中の小銭を確認している。

 やった。これは間違いない。買う気満々だ。

 しかし、子供達は取り出した小銭の数を掌の上で数えると一斉に落胆の表情を表した。

 「駄目だよ。行こう」

 そのような言葉を交わして足早に立ち去る。

 がくりと肩を落とすかさね。

 そしてすぐ気を取り直した。

 もともと儲けようと始める駄菓子屋ではない。祖母の店を残しておきたくて始めたようなものなのだ 。

 焦らずに行こう。

 かさねはそう思って店の片隅に設置してあるイスに腰を落ち着けた。

*******************************************

 それから三十分も経ったであろうか。

 なにやら子供の話し声が店の外から聞こえるので顔を表に出してみたかさねは、少なからず驚いた。

 初めの二人組の子供が仲間を連れて現れたのだ。

 「な、やっているだろ? 『ハガナイ』」

 一人の子供はそう言うと連れて来られた子供は目をくりくりさせて頷いた。

 子供達は店内に入って来る。

 三人だけだが、わずか六畳の店はそれだけでもう一杯だ。

 初めての客にかさねは内心胸を弾ませながら対応する。

 「いらっしゃい」

 声が裏返っている。かさねは咳をして、その恥ずかしさをごまかした。

 二人の子供が駄菓子を物色している間、もう一人の子供は所在なさ気に店内をきょろきょろと見回

していた。そしてやがてその視線はかさねのところで終着する。

 その少年の意志の強そうな目でじっと見つめられたかさねは、にっこりと微笑みを返した。

 「なあに?」

 「いつものおばちゃんはどうしたの?」

 さもありなん。当然の疑問だ。かさねは得心したように頷く。

 「いつものおばちゃんは引退です。今度から私がこのお店をやることになったの。よろしくね」

 そしてにっこりと笑い最大限の愛想を振りまいたが、少年は表情をぴくりとも変えずに頷くとすぐ

さま目を逸らした。

 うーん。

 世代間交流の難しさにかさねは悩む。そして視線を落とすと少年の胸の名札が目に入った。

 『四年二組 君島浩二』

 こうじ君か。

 これからの常連さんになるかもしれない。なるべく名前は覚えておこう。

 かさねがそんなことを思っていると、かさねの目の前に手が突き出されていた。

 「え?」

 「これ」

 突き出した手には何かが握られていた。

 浩二は硬く握られていた手をぱっと開く。 そこには飴玉が四つ乗っていた。

 「え?」

 かさねはまぬけにも聞き返す。

 「だから、これ」

 浩二はその飴玉の乗った掌を更に突き出した。

 かさねはその飴玉を呆と見つめている。

 飴は一つ一つ包装されている。黒色はコーラ味、赤色はリンゴ味、紫色は巨峰味、そして青はサイダ

ー味。包装紙には『あわ玉』とポップな文字で表記されている……。

 「ねえ、おばちゃん!」

 かさねはその声にはっとなった。

 そうだ。お菓子を売らなくちゃ。

 かさねは『あわ玉』の値段を素早く読みとり計算した。一個十円。馬鹿馬鹿しいほどの単純な暗算だ 。

 「はい、四十円ね」

 浩二はポケットからむき出しの五十円を取り出し、かさねに差し出した。かさねは空き缶で作った

釣り箱からすぐさま十円を取り出し、浩二に渡す。

 「どうもありがとう」

 かさねはまたもや最大限の愛想を口元に浮かべそう言った。だが、子供達はすぐさま踵を返し店外

へと駆け出して行く。

 かさねはため息を付く。そして思った。

 子供って難しいな。

 だが、心の中のそんな空しさとは裏腹に身体には輝く光体のような何かが充満されているのを

感じていた。

 そう、なんだかんだ言って開店してから初めて品物が売れたのである。かさねは手元にある四十円

をもう一度眺める。

 やったあ。これが私の初めての売り上げって訳ね。

 かさねはその金を握りしめてもう一度その感慨に酔った。

だけど、「おばちゃん」はやめて欲しいな。

 かさねは複雑な気持ちで店の隅にある定位置の丸イスに落ち着いた。

*******************************************

 だが、ゆっくりしていられるのもわずかの間だった。その後ひっきりなしに子供達が押し寄せて

来たからである。

 まだ駄菓子の販売に慣れていないかさねは菓子の値段が分からずにその応対にいちいち時間を食った 。

そのせいもあって客足は切れなかった。

 子供達の話を総合するに口コミであったらしい。店の前を通った子供が公園や塾で『神崎商店』が開

いていると友人に話したらしい。後はその繰り返しである。

 口コミってあなどれない。

 夜の七時頃、ようやく客足が途絶えて奥の居間に倒れ込んだかさねはそう思った。

 目をちらりとレジ代わりの空き缶に移す。

 締めて三千四百二十五円。

 これが今日の売り上げだ。

 これが駄菓子屋として多いのか少ないのか、かさねには分からなかった。

 だが、初めての商売で初めて稼いだお金は、ひとかたならぬうれしさがあった。。

 ひょっとすると何点かは計算間違いがあったのかも知れないし、値段間違いもあったかも知れない。

でもそれでも良いのだ。

 開店一日目を無事に成し遂げたのだから。

 かさねは落ち着きを取り戻した目で誰もいなくなった店内を見回す。

 先程までは気付かなかったが、綺麗に並べられていたはずの駄菓子がところどころ汚らしく散乱して

いた。

 まあ、それも駄菓子屋らしいのだが、かさねは初日からだらけるのも問題があると思い、疲れた身体

をのろのろと引きずり整理を始める。

 そうだ。閉店時の店内整理。これは日課にしよう。

 子供達がほったらかしにしたイカの容器の蓋などを閉めながらかさねはそう思った。

 ところでかさねにはさっきから気になっていることがある。

 店に来た子供達が口々に「ハガナイ」「ハガナイ」と言っていたことだ。

 そういえば最初に来た子供も「『ハガナイ』開いている」と言っていた。

 文脈から察するにどうやらこの店のことを指しているようだ。

 ウチのおばあちゃんて旧姓なんて言ったかしら? 羽賀内? 芳賀内でもないわよねえ。

 かさねはふと思って懐の携帯電話を取り出した。そして慣れた手つきでボタンを押す。

 「あ、お母さん?」

 「なによ、かさね。どうしたの。お店に何か問題でもあったの?」

 「ううん。ちょっと聞きたいことがあって。おばあちゃんの旧姓って何?」

 「滝沢だけど」

 「ふうん」

 「それがどうしたのよ」

 「ううん。なんでもない。それじゃ」

 ぷち。

 かさねは切断ボタンを押した。理不尽な仕打ちだ。こんな不思議な質問を一方的にされ突然電話を

切られた先方はさぞかし怒り心頭だろう。

 だが、当のかさねにはそんなことはどうでも良かった。問題は『ハガナイ』の謎だ。

 やっぱりおばあちゃんの旧姓じゃなかった。じゃあ、『ハガナイ』って?

 かさねは店の外に出ておもむろに看板を見上げる。

 看板は長年の風雨にさらされて文字が消えている。だが、目を凝らすとうっすらと『神崎商店』と読

み取れる。

 『ハガナイ』なんて書いてない。じゃあ、何なのよ。

 その時、店の前でぴたりと立ち止まる青年がいた。黒い詰め襟の学生服を着ているので恐らく高校生

だろう。

 髪の毛は短く切られており爽やかそうであるが、百八十センチはあろうかという長身が暗くなり始め

た夕闇の中から現れたのである。かさねは少し恐怖した。

 「やってる?」

 その学生は木訥にそう言うと店内に入ってきた。

 「は、はい。いらっしゃい」

 かさねは多少緊張しながらそう答える。実際、怖かった。こんな人気のない通りでこんな時間にこん

な大きくて力の強そうな男に襲われたら、何にも出来ない。

 かさねは学生の一挙手一投足に注意深く目を配り、身構えていた。

 対する学生はしばらく駄菓子の詰まった棚を物色していたかと思うと、チョコFO(円盤状のチョコ

カステラ)を三枚取り出してかさねに九十円を無骨に渡す。

 「は、はい。ちょうどね」

 かさねは警戒心を解かないままそのお金を受け取る。

 学生はそのカステラを口に頬張るとまた視線をきょろきょろと動かし、棚を物色し出す。

 「ラーメン、無いの?」

 「え?」

 「ラーメン。お湯を入れる奴。前のばあちゃんの時あったけど」

 「え? あ、ああ。あれは来週から仕入れます。まだ仕事に慣れていないから余計な手間のかかる物

は止そうと思って」

 「ふん」

 学生はそう言って二枚目のカステラを口に放り込む。

 何だ。この人もおばあちゃんの時からの常連さんなんだ。ちょっとほっとした。

 安心してくるとその学生をじっくりと観察する余裕が出てくる。

 話し方や仕草は無骨だけど、顔つきは意外に整っている。太い眉は今風じゃないけど、その分誠実さ

や意志の強さを忍ばせる。それにカステラの包装紙をその辺に捨てないで自分のポケットに仕舞ったこ

とに驚いた。多分、かさねが掃除をした後だったので気を使って自分でゴミを持ち帰ろうとしたのだろ

う。

 へえ。

 かさねの口元に笑みが浮かんだ。

 「ばあちゃんの親戚か?」

 学生は三枚目のカステラと格闘しながらかさねに訊いてきた。真っ直ぐな目で訊いてきた。かさねは

その視線に少し気圧されつつも答える。

 「うん。おばあちゃんの孫で神崎かさねって言うの」

 そして続けて「よろしくね」と微笑みかけると学生は初めて視線を逸らした。

 学生は視線を逸らしたまま、腹の中から内蔵でも吐き出さんばかりの表情で言いにくそうに「俺、

君島真一」とだけ答える。

 「部活の帰りに毎日ここに寄っていたんだ」

 かさねが何の反応もないので補足しなければと思ったのだろう。その学生、真一は真っ赤になって

そう言葉を続ける。

 うわあ、ウブ。

 かさねはその時点でようやく真一から警戒心を解いた。そしてあることに気が付く。

 君島。そしてどこかで見たような仕草。

 「あのさ、ひょっとして真一君って浩二君のお兄さん?」

 すると真一は「あいつ、なんかやったのか!」と言って真っ赤になった顔のままバツの悪そうに顔を

顰める。

 やっぱり。名字が一緒だったっていうこともそうだけど、微笑みかけた時の視線の逸らし方がそっく

りだったのだ。それで試しに訊いてみたのだ。

 「ううん。何にもしないよ。今日お菓子を買いに来てくれただけ。あ、そう言えば私のこと『おばち

ゃん』って言ってたな」

 すると真一は「あの野郎」と言って右手で拳を作る。

 「帰ったら口の効き方をなおしてやる!」

 かさねはあわてて憤慨している真一を止める。別にかさねは「おばあちゃん発言」をそれほど気にし

ているわけでもないのだ。

 そんなことよりかさねには訊きたいことがあった。この店の常連でもあり多少分別のつく高校生なら

この質問にきっと答えてくれるだろうとかさねは考えたのだ。

 「『ハガナイ』て何?」

 「は?」

 真一は間抜けにも口を大きく開けたまま呆然としていた。

 真一のそんな反応を見て、「しまった。変な質問だったのかな?」と心の中で舌打ちする。だが、

真一はいきなり予想もしない単語を投げかけられて単に戸惑っていただけだった。やがて左脳がその

言葉の演算を終了すると真一は納得したように頷き、再び意志の強そうな瞳をかさねに向けた。

 「ああ、『ハガナイ』ね。知っているよ」

 「本当! どんな意味なの?」

 かさねは手を叩いて飛び上がる。

 「だから『ハガナイ』だって」

 「え?」

 かさねは眉をひそめる。それじゃあ、全く分からない。

 真一はそんなかさねの反応が楽しいのか嬉しそうに話を続ける。

 「発音を変えてみると分かるよ。今は『ガ』にアクセントがあるだろ。それを『ナ』に変えてみな」

 かさねは頷いた。そして心の中で早速やってみる。

 ハガナイ。はがない。はが、ない……。

 「何よ、まさか」

 「そう。『歯が無い』なんだ。前のおばちゃん、総入れ歯で歯がなかっただろ。それでこの辺の子供

達はここの店を『ハガナイ』って呼んでいたんだ。俺らは『ババヤ』って呼んでいたけどね」

 どっちにしてもあまり歓迎したくない呼ばれ方だ。だが、ショックのあまり言い返す気力すらなかっ

た。 

 「でもこれからは、ばあちゃんじゃなくてあんたが店をやるんだからさ」

 慣れない仕事での疲労と開店のプレッシャー、そして『ハガナイ』の真相を解明した虚脱感のせいだ

ろうか、かさねは店の片隅に備え付けてある丸イスにへなへなと座り込む。

 「『ハガナイ』とは呼ばれないだろうね」

 「『ババヤ』も勘弁して欲しいわね」

 女子大生駄菓子屋店主の苦悩はまだまだ続く。


 あとがき

 前回から三ヶ月ぶりの『通信』第二話いかがでしたでしょうか。

 でもこのペースでこれから進むとするとちょっと辛いぞ。まあ、ネタはたくさんあるから困らないん

ですけどね。

 今回の『ハガナイ』は実際にあった駄菓子屋さんの話です。そこの七十歳になるおばあさんはやっぱり

歯がないせいか、子供達はそこのお店を『ハガナイ』と呼んでいるんですよ。あのネーミングセンスに

は驚きましたよ、本当。

 子供って時々とんでもないことを考え出すから面白いですよね。

 さて、次回のUPはいつなんでしょー(こら)


戻る

ご意見・ご感想はこちらへどうぞsakamiti@mxm.mesh.ne.jp