Indonesia日記’95

(インターネット版1996年6月作成)
東京・西武線地域・井内F コッキリ

8月16日 水曜日

(成田 → Jakarta ホテル泊)

成田9時集合。誰も遅れること無く、順調なスタート。本日の成田空港は、人、人、人・・・。しかし、出国審査はそれほど混んでもなく、予定通り11時発のガルーダインドネシア航空のジャンボに搭乗。

今回のメンバー22名、うち夫婦と子供の家族で参加が1家族3名、お父さんをおいて母親と子供で参加が3家族8名、独身男性4名、ステイ中だけは独身の女性と、本当に独身の女性が合わせて7名という構成。最年少は小学校1年生。

機内食は、前に聞いた噂どおり「うなぎ」が出た。Orang Indonesiaが「Beef or Unagi?」と聞いてくる(笑)。ご飯が固かったけど、普通のうな丼で、味もまあまあ。
うな丼の写真★機内食のうな丼★

そのあと、機内で入国審査があった。これも珍しい。入国審査官が電車の車掌のようにまわってきて、パスポートにスタンプを押して入国カードを切り取っていく。

7時間のフライトは退屈である・・・。寝たり映画を見たり(手話ができるゴリラの映画)しているうちに、4時半(インドネシア時間で2時半)に、また食事が出た。今度はざるそばと寿司。いったい、このガルーダインドネシア航空というのは、なんなんだ(笑)。

午後3時(Indonesia時間、以後すべて同様。)、赤道通過。僕は赤道を越えるのは初めてで楽しみにしていたのだが、残念ながら雲しか見えなかった(冗談)。機内では、赤道通過証のシールが配られた。

4時ちょっと過ぎにJakartaの空港に着陸。想像していたほど暑くない。
Tidak panas.
  非     暑
空港のトイレを覗いてみると、聞いていたとおり、紙は無くて水の入ったバケツと手桶が。こういうのを見ると、来てしまったという実感がわいてくる(笑)。
トイレ★これは空港のトイレではなく、博物館のトイレですが、やはり紙が無く、手前の赤いバケツに水と手桶が入っています。★

空港には、毎回Indonesia交流の世話をしてくれているサレーさんという人が、迎えに来てくれていた。

5時にバスで空港をあとに。Jakartaの街は、高層ビルが立ち並ぶ大都市。翌17日がIndonesiaの独立記念日、しかも50周年記念ということで、綺麗にデコレーションされていた。

6時HOTEL・INDONESIA着。ヒッポの交流には立派すぎる大きなホテルである。(予定していたホテルの部屋がとれず、こちらに変更。ラッキー(笑))
ホテルの写真★左:夜に撮影したホテル外観★

ジャカルタ夜景★右:夜のJakartaの街をバックに記念撮影★

ホテルで皆そろって夕食。Indonesiaの曲の生演奏と踊りつき。8時半、ひとつの部屋に全員集合して、明日の対面式と最後のThanks Partyのことをきめる。みな疲れていたけど・・。

10時頃に解散、僕は部屋に戻るとすぐ寝てしまった。考えてみれば、日本時間では12時だ。長い1日であった。

(続く)

次の日(2日目)

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