★この日記は、韓国で書いたものにちょっと手を加えたものです。パソコン通信用に書いてあります。
ハングルをアルファベットで書こうかとも思いましたが(アンニョン −> AN-NYEONGという具合に)、めんどうなので(笑)、カタカナで書いてあります。
機内で、韓国の入国申告書と携帯品申告書を入手したが、今までのものと全然違う形式になっていてビックリ。出入国申告書のほうは、日本のものとそっくりで、左右に切り離すタイプ。ちょっと横幅が小さくて、署名欄なども狭くて書きにくかった。携帯品申告書は、サイズがずっと小さくなって20cm×10cmくらいになっていて、紙も印刷もよくなっていた。
機内食は、あいかわらずというか、なんというかであった(笑)。ざるそばが出なくなったのは、やはり評判が悪いのか、寒くなったからなのか・・・。
13時5分、金浦空港に着陸。入国手続きをさっさとすませ、パソコン通信で知り合いになったHANAさん(これは、もちろん、パソコン通信での名前である)に会う。
HANA:「お久しぶりです。お元気でしたか?」
コッキリ:「オレガンマンニェヨ、コンガンヘヨ。」
日本語、韓国が逆転している(笑)。HANAさんは、日本語の勉強をしているので上手だ。
HANAさんの車で、市内に向かう。途中、このあいだ落ちた聖水大橋(ソンステギョ)のそばを通過。橋はそのままの状態で放置されていた。橋が落ちたためにソウル市内の渋滞はまたひどくなったと聞いていたが、平日の昼間だったせいか、さほどの渋滞もなく1時間程で蚕室(チャムシル)のホテル”ロッテワールド”に到着。
このあと、16時から江南(カンナム)にある李銀淑(イウンスク)ファミリー(韓国流に言えばパーティー)に行くのだが、HANAさんが親切にも車で送ってくれることになった。江南までは地下鉄(チハチョル)で6つめ。自動車(チャドンチャ)で10分程で到着。駐車できる場所を探すほうが時間がかかる(笑)。
まだ時間があるので、コーヒーでも、ということで、喫茶店(茶房=タバン)に入る。ここ、江南のあたりは若者向けのおしゃれな喫茶店が増えている。カフェオレ(カペオレ)が2000ウォン、コーヒー(コッピ)1800ウォン。今は8ウォン=1円なので日本人の感覚からすれば安いが、結構なお値段である。パソコンの話などで盛り上がり、滞在中にもう一度会うことを約束して、HANAさんと別れた。
そのあと、歩いてすぐの三益(サミ)アパートへ。アパートというのは、勿論、韓国では大規模なマンションのことである。日本から電話して、部屋を聞いていたので、いきなり訪問したのだが・・・。知らない女の子が出てきた。
コッキリ:「ア、アンニョンハセヨ.ヨギヌン、ラボ ガ アニエヨ?」
女の子 :「アニエヨ.」
コッキリ:「ヨギヌン、イウンスク テギ アニエヨ??」
女の子 :「アニエヨ.」
なんと、部屋を間違えてしまった。冷や汗タラタラ。李銀淑フェローの電話番号のメモがあったので、それを見せて、電話をかけたい、と言ったら、コードレスの電話機を持ってきてくれた。
コッキリ:「ヨボセヨ,チョヌン、コッキリエヨ・・・・」
李銀淑F:「あー、コッキリさん、今、どこ?」
なんとなんと、507号室と907号室を聞き間違えていた!本当は4階上の部屋だった。「カムサムニダ」と女の子にお礼を言い、あわててその場を立ち去った。その女の子も、いきなりへんな韓国語を話す人があらわれて、驚いたに違いない(笑)。
まあ、とにかく着いた。トチャケッタ。総勢15名程、お母さんと子供が中心のファミリーだった。方法はともかく(笑)、一応7カ国語がとびかっていて、SA!DA!もバッチリだった。新しいSA!DA!をやりたいということで、僕はMONKEY SEEとソウルの新しいバージョンを、あちらのファミリーのみんなは韓国のジェリコを持ち寄った。
自己紹介、ということで僕は中国語、ロシア語、マレーシア語で簡単な挨拶をしてから、韓国語で話をした。
『イ 李銀淑ソンセンニムン、チェガ 3ニョンチョンネ、ハンググゲ ワッスルテ、チョウム マンナッソヨ。クッテー、アドゥリ、イルボンマルロ ヒッポテープ マニ マルヘッソッソ、チョヌン、チョンマル ノルレッソヨ。
(こちらの李銀淑先生は、僕が3年前に韓国に来たとき、初めて会いました。その時、息子さんが日本語でヒッポのテープを歌って、僕は本当に驚きました。)
ソンセンニミ ラボ ペロールル シジャケッソ ラゴ トゥッコ、アー、カゴシッポ ラゴ センガケッソッソヨ。
(先生がラボフェローを始めたと聞いて、ああ、行きたいなぁ、と思ってました。)』
(フェローのことをソンセンニム(先生)と呼ぶのは、韓国的表現)
(以下略(笑))
ファミリーが終わってみんなが帰って、ちょうどアッパもかえってきて、みんなで夕食。食事の前には2人の息子(5年生と3年生)が7カ国語(本当は、韓国語が無かったから6カ国語だ(笑))でお祈りをして、びっくり。おかあさんが、「お祈りお願いね」を6カ国語で言ったのを受けて、というのもなかなかよい。夕食は、プルコギ、トック(餅のようなもの)のスープ、セウ(海老)のフライ(なぜか、わさび醤油で食べる)などの普通の家庭料理。嬉しい。キムチも、もちろんある。
食後には、お母さんのピアノと息子のフルートの共演を聴かせてもらったり、お父さんの日本に対する質問コーナー(笑)とかで盛り上がったり、まるでホ−ムステイのようであった。10時過ぎに帰ったのだが、家族総出で車でホテルまで送ってくれたのであった。ほんとにお世話になった。
今日は、これだけ動き回ったのに地下鉄もバスもタクシーも乗らず、お金も1ウォンも使ってない(笑)・・・。
ホテルでは、パソコン通信等をして、12時過ぎに寝た。
さて、午前中は飛行機のチケットを買って、市場(シジャン)にでも行くか、と出掛ける用意をしていて、パスポートを入れたケースがまるごと無いのに気がついた。なんということか(冷や汗)。悪夢は正夢だったのか?
あわてて、昨日の行動を思い出す。ホテルに帰って来たときには、見ていない気がする。その前は・・・そうだ、李銀淑フェローの家で、友達に電話をした時、電話番号のメモを見るためにパスポートケースを出して、そのまま置いてきたのではないか?フェローの家に電話をする。
コッキリ:「チョンナ(電話)ヨッペ、パスポートガ イッソヨ?」
李銀淑 :「ちょっと待って・・・・あった。(笑)」
コッキリ:「あー、よかった。クゴッシ オプスミョン、トラガルス オプソ。」
と、思わずテープの言葉が出てしまった。
パスポートは、夕方の李京南(イ ギョンナム)ファミリーに行くとき、持ってきてくれることになった。めでたしめでたし。
9時45分、部屋を出て、まずホテル内にあるという、航空会社を探す。一人旅だから、飛行機のチケットも自分で調達するのだ。ホテル2階に旅行社があった。小さな事務所で、若いアガッシが一人いるだけだった。
コッキリ:「イルボンマル、ケンチャナヨ?」
アガッシ:「???」
どうも、日本語はダメなようなので、ハングンマルで挑戦。
コッキリ:「ヨギソ、ピエンギ ピョガ サルスイッソヨ?」
アガッシ:「ネー、○△□×☆・・・・・・.」
以下、ハングンマルの会話になった。ソウル−東京往復のオープンチケットが欲しい、というと、電話で他のところに尋ねつつ、発券してくれた。なんと、すべて手書きのチケットである(笑)。こんなので大丈夫なのだろうか、と思いつつホテルを後に、地下鉄で東大門市場へ。ホテルから駅は目の前、駅から東大門運動場までは約20分、乗り換えて1駅目が東大門。10時50分には到着。この時間だと、電車も市場もすいていた。そうそう、地下鉄のなかでは、実演販売のお兄さんにめぐりあえた(笑)。
市場では、ビデオショップ街探し。実は3回前にここの市場を訪れた時、ビデオを山積みにして安く売っている店が大量にある一角を見つけたのだが、その後、2回は探したのに見つからなかったのであった。今回はコンパスも持参で用意万端、まずは、東大門を後に東へ東へと向かう。すると、あったではないか。あっけなく見つかってしまった(苦笑)。
地図) (上が北)
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(高架が終わるあたり)
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総合市場 | | 平和市場 このへん
東大門
↓
運動場方面
10件程のお店が軒を連ねている。たぶん中古だと思うけど、1本2500ウォン。安いので、おみやげにもいい。僕は鉄腕アトムとか、ポパイとか、調子にのって8本も買いあさってしまった。ディズニーのビデオを買いたかったので、訊いてみた。
コッキリ:「ディジュニーヌン、オプソヨ?」
店員 :「オプソヨ.」
うーん、ないのか。残念。
次に、カレンダー屋を探す。たしか、このへん、と思ったのだが、これが見つからない。過去2回行ったことがあるだけで、どのへんだったかわからん。テクテクと、地下鉄のウチロ4街駅まで歩いたがなかったので、あきらめて帰る。12時45分。約2時間、市場の周辺を歩き回っていたことになる。もっと寒いかと思っていたが、この日は暖かく、途中でジャンパーを脱いだが、まだ暑くて汗をかいていた。
地下鉄でホテルへ戻り、荷物をおいてロッテ百貨店とロッテワールドの民族館などを駆け足でまわる。夕方にはまたラボのファミリーに行くので、2時間も時間がないので、大急ぎ。今日は時間に追われまくっている。百貨店のビデオ売り場で、市場になかったディズニーのビデオを発見。1本20000ウォン。高い。ピッサヨ.さすが百貨店、さすがにディズニー。でも、これは頼まれ物なので、高くてもいいのだ(笑)。
ペゴパになったので、ロッテリアでブルコギバーガーのセットを食べた。プルコギがはさまっていると期待したのに、ただのハンバーガー。味付けだけがプルコギ。あんまり美味しくなかった。2500ウォン。ポテトとコ−ラつき。
食料品売り場では、ヘバラギ(ひまわりの種にチョコレートがコーティングしてあるお菓子。お土産に最適(安い、かさばらない、日本にない、美味しい、みんなでわけられる。)なので、これから行く人は買ってこよう(笑)。)(定価300ウォンが270ウォン)などを買う。あと、お茶売場でサンファチャとクギジャチャの粉末のもの。2500ウォンと2700ウォン。
それと、8mmビデオのテープも買った。ホテルの部屋でテレビから録画できることがわかったので、持参のだけでは足りない。日本製、TDKのHi8,120分が12000ウォン。高いぞ(笑)。
午後3時30分、地下鉄で三成(サムソン)駅へ。歩いて、李慶南フェローの家に。もう、何回も行っている家なので慣れたものである。昨日おじゃました李銀淑フェローも来ていて、無事にパスポートは戻ってきた。
4時20分、車で出発。今日のファミリーは、車で30分ほどのプンダンというところであった。ここのファミリーは決まった場所がとれなくて、毎週持ち回りで会員の家でやっている。場所を確保するのが、とても難しい、とフェローが嘆いていた。プンダンのファミリーは20人ほどで、小さい子が多くてやかましいが、日本のヒッポとほぼ同じ活動をしていた。
SA!DA!では、The Farmer in The Dellで、じゃんけんするときに「はさみ・いし・かみ〜!!」と叫んでいるのがおもしろかった。Sing Alongも、「うたお〜、おどろ〜、おおきくつよく、みじかくながく〜」と、日本語で歌っているし。メタ活は赤テープ。そのあとのアンジュセヨで、フェローが僕を紹介した。
フェロー:「お集まりのみなさま、日本からのお友だち、コッキリさんをお迎え
しております。彼が着ていますのは・・・(途中略)・・・さあ、
コッキリさん、感想を少し聞かせてくれませんか?」
コッキリ:「モードゥンゴッシ チェゴエヨ.」(一同爆笑)
そのあと、僕は韓国語、ロシア語、マレーシア語、中国語で自己紹介し、韓国語と中国語で始めの手紙をやった。中国語の手紙は、大波の部分をフェローが助けてくれる。でも、僕が言えないところは彼女も言えなくて、ああ、同じだなぁ、と思った。
それから、僕は空港のマレーシア語。フェローも、まけじと空港の中国語。オンマ達も子ども達も、英語の手紙、日本語の空港、と多言語を歌っていた。
僕のファミリー(東京・西武線・井内F)の写真を持っていって、日本のヒッポの話をしていたのだが、あるオンマが、「この子は、夏に家で受入れした子です。」と言った。見たら、僕もよく知っている、クンクンだった(笑)。本当に、偶然である。クンクンが夏に来たとき、サッカーの試合を見に行きたいと言っていたのに、試合がなかったり、体の調子が悪かったりして、見に連れていってあげられなかったのが今でも心残りだ、などという話をオンマから聞く。今日初めて会ったのに、全然そんな気がしない。
最後に「みんなあつまれ、写真を撮ろう」をやって、6時半頃に再見。
車で帰る途中の店でフェローのおごりで冷麺(ネンミョン)を食べながら(調子にのって2杯も食べてしまった(笑))ヒッポの話をした。
「日本のフェローは、楽でしょう。韓国のフェローには、問題がたくさんあります。」
「いやいや、イルボンネ フェロード、モリガアッポヨ ムンジェーガ マニ イッソヨ。」
「でも、目的はひとつ、やり方もひとつでしょう?」
「まあ、それはそうだけど。」
というかんじ。何語だっかは想像におまかせします。こっちがシェシェといえばあちらはゲナダ、とにかく中国語、スペイン語、ロシア語、いっぱいとびかっておもしろかった。8時ごろ、三成駅でお別れ。と言っても、また明日あうけど。
地下鉄で戻ると、蚕室駅周辺は、まだ人が多く、にぎわっていた。ロッテワールドもデパートも終わってたけど、ロッテリアはまだやっていたので、夜食用にシェーク(1000ウォン)、オレンジジュース(700ウォン)、チーズバーガー(1300ウォン)をテイクアウト。あと、駅の売店でファミコン雑誌(5800ウォン)を買う。
部屋にもどると9時。ワープロで、この文章を書いている。テレビからは番組を録画しつつ・・・。11時に、HANAさんから電話があり、明日は朝9時にノウォンという駅で待ちあわせ、朝食を一緒に食べることにした。
13時30分に、ホテルで文秀龍(ムンスーヨン)と待ち合わせているので、それにあわせて、12時過ぎにはHANAさんの家を出発した。車で送ってもらい、1時間でホテル着。
スーヨンは、今年の夏に日本にホームステイにきた小学校6年生の男の子。埼玉の北坂戸ノコノコファミリーのメンバー、ヨッシーの家にステイして、その時に仲良くなったのであった。前もって連絡しておいて、今日会うことにしていた。ところが、20分過ぎても、30分過ぎても、現れない。待ち合わせ場所がわからないのではないか、と不安になる。家に電話をしても、留守番電話になってる。
どうしようかと思っていたら、40分の遅刻でスーヨンがオンマと来た。アッパの車で来たんだけど、渋滞がひどくて、2人は降りて地下鉄で来たんだそうだ。土曜の午後の渋滞がいかにひどいかわかる。
日本のホストから預かったソンムル(贈物)を渡して、ホストへのソンムルを預かって、ピザ屋で昼食。途中で、アッパとスーヨンのナムトンセンのスーミルも来た。スーミルは小学3年生で、とても人なつこい。こっちが分かろうと分かるまいと、おかまいなしで話かけてくれるので嬉しい(笑)。でも、僕が「タシハンボン.」とか「チョンチョニ.」を連発するので、「おじさんと話すときは、亀みたいにゆっくり話さなくっちゃ。」とか言ってた。でも、それでも、何とか会話ができるのが、うれしい。
今日も夕方はラボのファミリーに行くので、スーヨンとスーミルも一緒に行くことにした。一緒に地下鉄に乗って、一緒に歩く。これまたホームステイのようで楽しい。午後4時10分、昨日と同じ李慶南フェローの家に到着。今日のファミリーはここでする。やはり20人ぐらいだが、中学生が多かった。
やっぱり、SA!DA!をやって、メタ活があって、アンジュセヨがあって、日本のヒッポとトッカッテヨ、だった。あまりにも同じなので、書くことがないくらい(笑)。ここでも昨日と同じように自己紹介をした。
なんだか、見たことがあるような子がいるなぁ、と思ってて、アンジュセヨの時に、思い出した。3年程前に日本に来て、その後数回韓国で会っている子だった。大きくなっているので、なかなかわからなかった。今回は、本当にいろいろな人に出会う。韓国に来ている、というよりも、人に会いに来ている、といったほうがいい。
ヒッポは5時半ごろまで。スーヨン達もオンマが迎えにきて、帰っていった。僕は例によって、夕食をごちそうになる。韓国風のスキヤキ。マシイッソヨ.いっぱいイヤギをして、20時半頃名残を惜しみつつ帰る。まあ、また会えるだろう。
地下鉄には乗ったものの、まだホテルに帰るには早いので、一つ手前の新村(シンチョン)駅で途中下車。シンチョン駅の近くは、まだ賑わっていて、酔っぱらいのおじさんや若者達でごったがえしていた。一方、賑やかな通りから1本はずれた路地裏では、足で羽根のようなものを蹴る遊びをしている小学生の一団がいた。この光景が、なぜか、今でも印象に残っている。今まで見たことのない韓国の顔を見たような気がした。一言かけて、写真でも取らせてもらえばよかった、と、ちょっと後悔している。
賑やかな通りに戻ると、警察官も多く、補導されているらしい高校生とかもいた。僕も一度、警察官に何か言われたのだが、よく聞き取れなかったので、「ハングンマリ チャル モルゲッソヨ・・・」と言ったら、すぐにあきらめて退散した(笑)。
持って帰るおみやげが爆発的に増えたので、カバンがほしい、と思ってあるいていたら、うまいぐあいにカバン屋があった。飛行機の預け荷物にしたかったので、鍵がついているカバンがほしかったのだが、「鍵」が何と言うのかわからない。鍵がつく場所を指さして、「ヨギエ、」指を曲げて「インヌンゴッシ イッソヨ?」と言ったら、「ああ、○□#▽....」と、一発でつうじた。で、鍵付きの鞄を買った。25000ウォン。それほど安くはないけど、いいや。まだまだ賑わっている市場の中をふらふら歩き、そのまま歩いてホテルへ。10時30分到着。
ガイドブックを見てみたら、いま行ってきた繁華街は、セマウル市場というらしい。夜の市場、なかなかおもしろい。タシ カゴシップタ。
今回の旅行で一番感じたこと、それは・・・
「ハングゲ ワッスムニダ」ガ アニゴ,
「チングルル マンナロ ワッスムニダ」ラヌンゴ
.
3バク4イルドングァン,チングルル マニマニ マンナッソヨ.
ラボエド メイルパム,メイルパム,カッソヨ.
オナス ドゥルージア ムノーガ ムノーガ.(ここだけロシア語)
では、今回のソウルでのことを話します。
チョウムナルエヌン,コンハンゲソ,パソコントンシンヌル トンハヨ, マンドゥルン チング,「イ トハン」ッシ,ピョルミョングン,「ハナ」ッシルル,マンナッソヨ.
クヌン,チンジョリ,ナルル ホテルッカジ チャドンチャロ,テオダジョッタンダ.
クリゴ,クパメ,カンナムヘ インヌン,イウンスク ペミリーヘ カッソヨ.
コギソ,ヒッポ ヘッソヨ.ク ペミリー フェローヌン,チェガ 3ニョンチョン ハングゲ カッスルテ,マンナゴ,クリゴ,タシ イルボンネソ マンナゴ,タシ ハングゲソ マンナッソヨ.
コギソ,「オレガンマンニエヨ」ラゴ マルハヌン オンマガイッソッソヨ.
ネガ イジョボリョッチマン,ク オンマヌン チナン キョウルエ,ポプリ(日野:五月美F)テケ ホームステイ ヘンヌン オンマ イオッソヨ.
「ネー,ネー,オレガンマンニエヨ.」
クリゴ,タウメ ナレヌン,イギョンナム ペミリーヘ カッソヨ.
コギソ,ネガ,チュングンマルド,ロシアマルド,マレーシマルド,マレソッソヨ.イギョンナムソンセンニムン,チュングンマル ノム チャッラシニカ,カッチ,ソノコエ ピョンジ,コンハンゲソ(シンショーシェマハオマ?)ルル ヘッソヨ.
ネガ チャル マルハルスオンヌン ゴッシ イッコ,クゴッシ イギョンナム ソンセンニムド チャル マルハルスオプソッソヨ.トッカッテヨ.チョンマル チョンマル チェミイッソッソヨ.
クリゴ,ネガ ウリ イノウチ ペミリーエ サジンヌル カジゴ イッソッソ,(ウリ ペミリーエソ,アボジド,チョルムニド,アイドルド,オンマド,カッチ ファルトン ハゴイッスムニダ ラゴ ソルミョンハジ ウィヘ),ク サジンヌル ボン オンマ ガ 「アア,イ アイヌン,ヨルメ ウリチベ ステイ ヘッソヨ.ナエ アドリ ホスト エヨ.」ラゴ マルヘッソヨ.
クゴッシ,クンクンイオッソヨ.
ナド,ノレッソヨ.サジンニ オプスミョン,クリゴ,ク サジンネ クンクンガ オプスミョン,アルスオプソッソヨ.
クンクンエ ハングゲ オンマヌン,「クンクンガ,チュックールル ポゴシッチマン,クッテー,(試合が少なくて,体の調子も悪かったので,)カルスオプッソッソ,クゴッシ,イジェド,ユイガンハムニダ.」ラゴ マレッソッソヨ・・・・.
クリゴ,タウメ ナルエヌン,アッチムブト,イトハンシチベ カッソヨ.
クヌン,ノウォン ラゴハヌンゴッセソ サルゴイッソヨ.
ホテルエソ チハチョル タゴ,ハン シガンチョンド エヨ.
コンギガ マシイッコ,シクロッジアナヨ.
コギソ,アチムバブ モゴッソ,コンピュターエ イヤギ マニ ヘッソヨ.
クリゴ,ホテルヘトラワッソ,スヨンハゴ,スヨントンセン,オンマ,アボジルルマンナッソヨ.
スヨングン,チナン ヨルメ,キタサカド ヘ インヌン,ノコノコペミリーエ ホームステイヘッソヨ.クッテー,チングガ デオッソヨ.
イヤギ マニヘッソヨ.トゥッキ,スヨンゲ ナムトンセングン,ノムキヨプタ.
チェミイッタ.とても人なつこくて,よくしゃべる.
ク トンセングン,アホプサル エヨ.ネガ,チャル モルゲヌン ハングンマルド マニ イッチマン,イヤギガ,テゲ ハルスイッソヨ.
クヌン,「アジョッシガ イヤギ ハルテヌン,コボギ カッテ ヘヤジ アンヌンダ」ラゴ,マレッソッソ,モードゥ ウッソッタ・・・.
クリゴナソ,スヨンハゴ,トンセンハゴ,チハチョル タゴ,サムソン ヘ インヌン イギョンナム ペミリーエ カッソヨ.
コギソ,タシ,サダ ハゴ,メタ活 ハゴ,ヨロナラマルロ,ヒッポ テイプ ルル ノレッソヨ.チョンマル,チョンマル チィミイッソッソ.
タシ カゴシッポヨ.タシ マンナゴシップン サラミ マニイッソヨ.
タウメヌン,ヌグンガ カッチ カミョン,チョムド チェミイッケッチド モルラ.カッチ カルカヨ?(笑)
12時40分,税関,出国審査へ。ガラガラで,あっというまに終わり、またまた余裕。これなら,あと2時間遅くホテルを出ても間に合った計算である。そしたら、あと1軒行きたい家に行けたかも。でも、あと1時間遅く出てたら渋滞になっていたかもしれない、そうに違いない、ということにする(笑)。
(終わり)
おまけ
日本についてきかれたこと
「食べれる、食べられる、どちらが正しい?」
「課長・部長クラスの年収は?」
「米はいくらくらい?ガソリンは?」
「私たちくらいの家庭(子供が高校生、中学生の4人家族)が暮らすとしたら、 生活費はどのくらいかかる?」
最初の以外は、よくわからない。我不知道、と答えたら笑われてしまった。
ソウルで気がついたこと
コンビニが増えた。セブンイレブンはもとよりミニストップとかLG25というチェーン店とか。店の中で、カップラーメンを食べられるコーナーがある。
電車の席があいていても、座らない人が増えたような・・。以前は、ちょっとでも隙間があればアガッシであろうと若者であろうと、座っていたのが、若者はあまりそういうことをしなくなったようだ。まあ、たまたま僕が乗った電車がそうだっただけなのかもしれない。
地下鉄は、350ウォンになった。自動販売機は小型のものが増えてきた。
ホテルで、使い捨ての髭ソリ、シャンプー、歯ブラシ、歯磨き粉などの提供が政府のお達しにより、廃止されたそうで、お金を払って買うようになった。
???なこと。
道を聞かれた。これで、通算4回目。それと、おまわりさんに、いきなり、普通のハングンマルで話しかけられた。そんなに韓国に溶け込んでいるとは思えないんだけど(笑)、どうしてだろう。
でも、お店で買い物する時なども、結構、容赦のない韓国語で話しかけてくるから、かなり溶け込んでいるのかも。
話せる韓国語はわずかだけど、そのわずかの言葉が、たぶん、自然なのだろうと思う。
帰ってきてからのこと。
帰国報告、最初は韓国語でやっていたんだけど、いつからか、ロシア語でやりだしたら、これがおもしろい。わかんないけど、なぜか、言えちゃうって感じ。今までにいろいろな人のロシアの話を聴いているからだね。
さあ、次はいつ行こうかな。誰か、カッチ カプシダ!
(本当に終わり)