ベル(ユリちゃんの母)
友里の韓国ホームステイの準備は、姉晃子が小学5年生で韓国、中1でアメリカ(オレゴン)と行って来ているのを見て、私も小学5年生で行ける、行く・・・韓国って楽しい所、楽しそうだなと軽い気持ちで、4年生の秋申し込みました。 その後、ファミリ−は欠席、あげくには「やっぱり韓国行かない」「HIPPOやめる」と、全然HIPPOへ耳を傾けなくなり、どうなるやらと思っていると、4年生の冬、本部より「5年生韓国青少年交流ホームステイ」の参加、不参加の確認のハガキが届いた。本人と話し合い・・・
父親より「お姉ちゃんは、5年生で韓国へ行って来た。大きくなって、友里は一人で韓国に5年生で行けなかった、と言われていいか。5年生で行けるのは、今年だけだよ。」と言われ、負けず嫌いの友里は、参加のハガキを出した。でもまったくファミリーに出ない。春になり本部にて夏の青少年交流の準備会の連絡があり、しぶしぶ本部へ行くと、井内Fの5人(男2人、女3人)と顔を合わせることが出来た。初顔合わせです。
簡単に自己紹介をして、今度ファミリ−で会いましょうと、この時は別れたが、やはり友里はファミリーには行きませんでした。4月下句、やっとしぶしぶファミリーに顔を出したら、本部で会った女の子ドングリ、ミニー(学校で同じクラス)が来ていて、3人で話が盛り上がったようでした。家を出る時はしぶしぶたった顔が、ファミリーの帰り道、友里は楽しそうに「私、これから土曜日は行くからネ。皆が私たちも来るから友里も来てネ、待っているからネ、と言われ、約束したからネ。」と元気な声でした。いくら言っても動かなかった友里が、自分から行くと言い出した、この友達の力は本当にありがたく、うれしかったです。準備の始まりです。
ホームステイ先は、本部の連絡より早く韓国のオンマから電話があり、「友里が夏休み来てくれるのうれしいです(とても日本語が上手で全部日本語で話したのですよ)」晃子とも話し、「友里の好きな食べ物はなあに?楽しみに待っている。」アッパーも替わって「この夏晃子も一緒に来なさい。待っている。」と、両親よりうれしい電話でした。改めて晃子のことを良くしていただいたと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。韓国のオンマは、4年前、晃子がホームステイをした時の釜山の家族・金さんで、韓国ラポに人って1年たらずで初めての受入れ、第1号だったのです。
家族はアッパー、オンマ、男の子、ホスト允貞(ユンジョン)、旅行が好きなハルモニの5人家族です。ハルモニは日本語が上手で、晃子はとても助かったようです。晃子がホームステイから帰ってからは、バースデーカード、クリスマスカードを出していました。そして翌々年の旧正月には、オンマと允員が大阪に来てくれたのですが、晃子は入試半月前で会いに行けず、泣いていました。この年の春に父親が釜山へ出張した時、ホストの家へ電話をしたら、両親と允貞が出張先へソンセンニンと一緒に会いに来てくれました。そして今年の旧正月には、「ゴマのお菓子」を送ってもらい、家族で食べました。なにかと優しい韓国の家族です。7月上旬本部より調査票が届き、家族5人の名前があり、ハルモニは70歳と書いてありました。友里は、ハングルもゼロ状態なので、ハルモニと話をして、ハングルを聞いて来れたらと願っていました。
御土産も準備できて、7月25日出発の日です。食べ物の好き嫌いが多く、家ではわがままな友里です。友里にとっても、私たち親にとっても大勝員のスタートです。箱崎では、井内Fのメンバー、準備合宿の友達に会い、とてもいい笑顔で旅立ちました。
7月26日夜電話があり、「元気だよ。アッパーの妹が来ている。」との話でした。その後連絡はなく、帰る前日の8月7日、速達で「おそくなってごめんね。」と手紙が届いた。内容は、2泊3日のラボキャンプは楽しく、最後に泣いた事、日本では父親には言ったこともないのにアッパーが帰って来ると、日本語で「おかえりなさい」と言って、アッパーに頭をなでてもらったこと、皆に優しくしてもらっていることなど書いてあり、最後にハルモニは「マヒしているの」と書いてありました。
8月8日箱崎へ迎えに行った時の友里の顔は、自信のある生意気な顔に見えました。心配して箱崎に来ていた父親にも、「友達と帰るから、先帰っていいよ。」と冷たい言葉でした。韓国が楽しく皆と離れたくない気持ちでいっぱいのようでした。家へ着いて夜、韓国へ電話。お礼を言ってハルモニの様子を聞くと「脳血栓」との事でした。オンマは「友里は可愛い、いい子」と言ってくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。友里より少しずつ話を聞くと、ハルモニは2年前に倒れていて、挨拶をしてもしゃべれなく、マバタキで分かるという事。アッバ−の妹が来ていて、オンマと一緒にハルモニの手の運動をしたり、叔母さんはハルモニと一緒の部屋で寝ていたよ。私がラポキャンプ(2泊3日)の時だけ、叔母さんは家に帰ったみたい。と言っていた。2回くらい病院へも付いて行ったようです。とっても毎日が大変なのに、よく友里を受け入れていただいたと胸が痛いです。
晃子の時には、いろいろ遠くへ出かけることがありましたが、友里は近くのお寺へ行き、「晃子の時よりいいブレスレットだから、友里の好きな物をここから選びなさい。」とか、オンマと允貞と3人で歩いていると、「友里はいい子、允貞悪い子」と言って、友里を安心させてくれたオンマのやさしさに「ありがとうございます」と言いたい。又、夕食に焼き肉屋さんへ行ったり、海へ夕日を家族で見に行ったりと、毎日忙しい中、いい思い出を沢山作ってもらった友里は、幸せです。
2週間もの長い間だったことを考えると、本当に「ありがとうございます」という感謝の気持ちでいっぱいです。
友里も韓国へ行って良かったと言っています。
最後に、晃子と友里とのホームステイに送った時の気持で、私のとても大きな違いは、友里の何分の一かですが、楽しさが共有できたことです。友里だけとか、家族だけで準備をしたのではなく、ホームステイに行く仲間の大きな力があった結果だと思います。わかちゃんがよく「うちの子ども達はHIPPOの皆に育てられた」と言っていたことを思い出します。今少しだけ、わかったような気持です。
友里のホームステイに出かける前後を見ると、本人は気が付いてはいないでしょうが、少しずつ変化が見え隠れしているように思います。
晃子の場合も、2ケ国のホームステイの体験は、学校生活での人間関係などいろいろ問題があるようですが、やはり晃子の心の中で大きな自信になり、目には見えない自分の財産になっているように思います。
1998.2.24
西武線地域・井内F・コッキリ