ドングリ(小5・女)
1997.9.6

私が韓国に行きたいと思ったのは、友達になりたいから、家族がほしいからです。
自分で行くと決めました。家族と2週間もはなれてくらすのは、はじめてなのでこわかったです。韓国語だってぜんぜんしゃべれないし、友達ともはなれちゃうから心配で、こわかったです。
でも、だんだん平気になってきました。合宿や準備会で、みんな同じだということが分かって、少し安心した。そして、なるべくヒッポに行って、はずかしくていやだったSADAもすこしずつやった。アルバム作りも、お母さんといっしょうけんめいにつくった。できたらヒッポのみんなにみてもらった。そうして出発までたどりついた。
出発の前日、すごく不安になってきて泣いてしまった。泣いちゃだめ、いけないと思っていたのにやっぱりがまんできなかった。出発の時、不安やこわさが心にいっぱいあった。泣きだしそうになった。こんどは泣かなかった。
そして飛行機に乗って韓国へいった。2時間半くらいで韓国についた。1日目はホテルに泊まった。心臓がドキドキワクワクしている。コーディネーターの金子さんが言ったことを忘れないようにするだけでも大変だった。すごく、きんちょうしていた。ホテルの夕食は口にあわなくてあまり食べられなかった。キムチがぜったいに朝、昼、夜でてくるのに、びっくりした。韓国について、何もかもが変わっているので、1日目はすこしつかれた。
いよいよホストと対面式。きんちょうして、自己紹介を忘れそうになった。自己紹介が終わり、名前を呼ばれるときドキドキした。みんなしずかにまっている。名前を呼ばれていった。残念だけどホストはガールスカウトでこれなかった。だけど、とってもやさしいオンマーがむかえてくれた。うれしかった。
家に着いたら、お母さんたちのことを思い出して泣いてしまった。ホームシックにならないようにがんばったのに、がまんできなかった。オンマーが電話をしてくれた。お母さんの声を聞いたら安心してねむれた。
次の日、おきたらホストがいた。ホストが「アズサおはようございます」と日本語で言ったのでびっくりした。そうしたらオンマーが入ってきて、「洋服を1つリュックにいれてください」といったので、したくをした。そうしたら目の前にたくさんのにもつがあった。「いそいで」と言われたので車に乗ってガールスカウトの合宿の所までいった。そこにはたくさんの人がいた。だけどみんな友達になった。とっても楽しかった。
次の日は午前中で合宿が終わりだった。家に帰るのがおそくなったので家についたらすぐにねてしまった。
次の日おきたら、「ロッテワールドにいくよ」と言われて、車に乗って6時間くらいでやっと着きました。いろいろな乗物に乗りました。1つ1つ乗るたびにオジンが「チェミッササッ?」と聞いてくれてうれしかった。午後11時くらいまでいろんなものにのりました。楽しい日でした。初めて泣かないですごせた日。
次の日は、いとこといっしょに2泊3日の旅行にいった。1日目はただ車にのっていた。12時くらいについた。2時くらいまで、おにいちゃんがポーカーを韓国語で一生けん命教えてくれた。だけどねてしまった。
2日目は、お寺を、たくさんまわった。韓国のお寺のれき史かよくわかった。
3日目は、海水浴をした。遠浅だった。波が高くてとても楽しかった。
最後の日は、音大の様子を見せてくれた。3人に1人の少ない人数でやっていた。すごく上手だった。時間になったのでホテルに行った。別れる時ホストが、「冬にイルボネカジョッシポヨ」といった。そして私が、「カムサムニダ」といった。金子さんの話が終わり帰っていってしまった。そのあと部屋に行ってみんなでホ一ムステイの話をした。ホストがムカツいた人もいた。いろいろな人かいた。
次の日、飛行機に乗っていろいろ考えてるうちに、日本についた。TCATにお母さんと妹がいた。うれしかった。
手紙と電話をした。オンマーは、「アズサに会いたい」といってくれた。オジンとも話した。めちゃくちゃな韓国語と日本語でしゃべった。
2週間は特別な夏休みだった。冬、オジンがくるのが楽しみ。私が楽しかったように、オジンにも楽しんでほしい。

後日談ですが、このすぐあとの冬休み(1997年12月〜1998年1月)に、オジンはドングリの家にホームステイにやってきました。
1998.3.3
西武線地域・井内F・コッキリ