韓国へ行った!
井内ファミリー・カバジン(小5・男)

韓国・ソウル教育文化会館にて。ホームステイを終えて集まってきたところ。
向かって左よりわかちゃん、カバジン、ホストのチャンスー、オンマー、妹のウンジー。
撮影:コッキリ 1997年8月7日
去年、お兄ちゃんが韓国へ行きました。
お兄ちゃんが飛行機に乗るまでは心配なことがいっぱいあった。
たとえば、飛行機がつい落しないかなと思ったり、韓国でちゃんとできるかなと心配して「ぼくは行かない」と言ていました。
お兄ちゃんが帰ってきたら、たのしそうな顔をしていろんなことを話していたのですこしまよった。
お兄ちゃんの話をいっぱい聞いているうちに行こうと決めた。
韓国に行ってまず一番したいのが友達をいっぱい作りたいと思った。
そして去年に申しこみをした。
《韓国へ行く準備をした》
自分で準備したのは、ハングル講座を見たりヒッポテープをきいた。
自分かってにしないように練習をした。
習いごとや学校で写真をとってアルバムを作ったりした。説明文は、日本語や韓国語やローマ字でかきました。
ホストファミリーに手紙を書きました。
みんなにわたす、名刺も作りました。
ファミリーには多く行っていなかったので多く行くようにして、アンジュセヨの時に自こしょうかいをいっぱいしました。
韓国語のテープをいっぱい聞いたり、コッキリに韓国語をいっぱい教えてもらった。
井内から五人も行くようになってみんなで集まって、お兄ちゃんの韓国話を聞いた。
ヒッポ本部の話を聞いた。
合宿をした。
合宿では、友達を作っていっしょにおふろに入ったりご飯を食べたり遊んだりしたのがおもしろかった。
合宿で一番したかったのが友達をいっぱい作ることです。僕が考えた方法は、まず声をかけて「名刺もってる?」と聞いて、もっていたら交かんしてもっていない時には、なにもかいていない名刺に書いてもらいました。
《ダサイシリーズ》(合宿での話)
・と中でみんなとはぐれる・毎日肉ばかりでると思いこんでいる・何も反応しない・一人で部屋にこもる・言葉がわからないからといってじしょばかりひく・心配させるような手紙を出してその後なんの便りも出さない・日本人同士になるとホストがいるのをわすれさわぐ・パスポートをなくす・帰りの待ち合わせ場所をまちがえる・おみやげをもって帰ってきてしまう・帰ってきてだれにも話さない・
この話をきいておもしろかった。
《韓国の大学生をうけいれた》
チャンイルが来る時、いっしょうけんめいさがした。
チャンイルとヒッポに行ったりカラオケに行ったりした。
チャンイルとゲームをしていっぱい遊んだ。
チャンイルにいろんな韓国語を教えてもらった。
チャンイルと、韓国語ですこし話てみた。そしたらちゃんとつうじた。チャンイルがかえる時さみしくなってすこしないてしまったけど来てくれてよかったなと思った。
《韓国へ行った》
行く日が近づくにつれて、心ぞうがとび出しそうになった。
そのわけは、空こうでみんなとはぐれないかなとか、バスの中でケガをしないかなと思いました。
飛行機の中ですこし心配になりました。それは飛行機がつい落しないかなと思った。
飛行機の中でのどがかわいたから、「ムルチュセヨ」とスチュワーデスの人に言ったら、いっしゅんなにも言わなかったので「つうじたかな」と思いました。そしたら「ムル?」と言われたので「はい」とこたえたらもってきてくれたのであんしんしました。
対面式ではキョロキョロしていたらすぐにお父さんを見つけられたけど、お母さんと、チャンスゥは見つけられませんでした。
チャンスゥとあく手をした時、いよいよホームステイのはじまりだなと思った。
《行った日のできごと》
行った日の夜、ケーキでお祝いをしてくれた。
とてもうれしかったです。もうどきどきしませんでした。
《家族のこと》
お父さんはやさしくてうちのお父さんににていました。お母さんは、やさしくて、たまにかき氷を作ってくれて食べさせてくれました。チャンスゥはよく、ぼくに、だきついてきました。いもうとのウンジは、いつも笑っていました。
《ぼくの日記》
7月28日
今日は、教会のキャンプに行きました。川で泳いだりしました。
でも、帰りたくなって帰ってきました。すこし自分かってをしてしまった。
7月29日
プールに行きました。
プールサイドに入ったら、休けい中だったので着がえて準備運動をしていたら休けいが終わったのでとびこんで入りました。
平泳ぎの練習をしてからお母さんの友達の人からうき輪をかりてそれであそびました。
7月30日
今日はかき氷を食べました。アイスをのせて、チョコレートのどろりとしたのをかけてたべました。一度まぜたら、チコレートジュースみたいにおいしかったです。
7月31日
今日は、チャンスゥといっしょにコンピューターをやらせてもらいに行ったけどやっていなくてお父さんのおみせの近くのせんとうに行って水ぶろに入って泳いだりサウナに入りました、
8月1日
今日は外国のきちの中のプールに行きました。
きちの中を見学しました。大きい塔をエレベーターで上がっていると1階から16階になって16階から24階になってそれから36階になりました。
そしてプールに入りました。
プールの水はすこしぬるくてちょうどよかったです。
まず、いっぱい泳いでからチャンスゥといっしょにとびこんで遊んだりしました。とても楽しかったです。
8月2日
今日は、えい画を見に行きました。題名は「
!」です。
びくっとしたところもあったけどおもしろかったです。
8月3日
今日は、見学に行きました。
はくぶつ館みたいな所を見学しました。
雨がふってきてずぶぬれになりました。
あと今日きいたことで、チャンスゥとお父さんとお母さんとヨドンセンで、ぼくが、日本にかえる時、日本のよこはまにくるそうです。たのしみです。
8月4日
今日はお父さんのおみやげを買いました。
お父さんのおみやげはキーホルダーにしました。お母さんのおみやげは、ペンダントをもらったのでそれにしました。お兄ちゃんのはまだきめてません。
8月5日
今日は、ロッテワールドに行きました。最初に、どうくつの中を行く船に乗りました。ガイコツやヘビやコウモリが出てきました。
次に気球に乗りました。気球乗りばは、4階なので見下ろしたら、すごくいいながめでした。
次に、車を自分でうんてんできるところに行きました、最初へただったけど、だんだんうまくなって行きました。
今度は、「太陽の玉」がある広ばで「レーザーショー」をやったので見ていたら、まるでオーロラを見ているみたいにきれいでした。
「太陽の玉」にも人の顔がうつってなにかしゃべっていました。
「レーザーショー」が終わったのでコーヒーカップに乗りました。
回わすハンドルをにぎってまっていました。「ゴトッ」と音がしてゆかが動ごいたのでハンドルを回わしたらすごく速く回って目が回りそうになりました。
おそくなったのでハンドルを力いっぱい回わしたら、まわりのけしきが見えなくなりました。
おもしろがっていた時に「ゴトッ」と音がしてとまりました。コーヒーカップから下りたら頭がクラクラしてヨタヨタでした。
最後に下に水が流れているジェットコースターみたいなのに乗りました。
最初はぜんぜんこわくなかったけど下に下りるところになったら手すりをしっかりにぎって頭をさげて目をつぶりました。そして、急こう下のと中頭を上げて目をあけたらもう頭をさげられなくてそのまま、「ザブーン」と音がしたとたん水しぶきが体にかかってガチガチふるえてしまいました。
そしてまたすこしいったらまた下り坂があって、またてすりをしっかりにぎって頭をさげました。
今度は前の坂より大きい坂だったのでさっきよりもっとてすりをつよくにぎりました。頭を上げたらもう平らなところだったのでほっとしました。楽しかったです。
8月6日
今日、おみやげをかいに行きました。
お兄ちゃんのおみやげをさいしょかって、次に太こと空手のをかいました。
<日記終わり>
言葉は、だいたい身ぶり手ぶりでわかったことが多かったし、少しはこと葉もわかってたから、それほどこまったことはなかった。
家では、ゲームをしたりテレビを見たり座ぶとん投げをしたり、折り紙を教えてあげたりしてあそんだ。
ぼくが折り紙を折ったら、みんなが「折って」と言ってきました。
《食べ物編》
キムチは毎日、1枚食べていました。
日本からおみやげのとうがらしせんべいを食べてもらったら、さすがに辛かったかもしれなかったです。
<本当のおもしろ話>
お母さんは、じてんをもっていく?ときいたけどダサイシリーズになりたくないからもっていかなかった。
韓国でえい画に行ったら日本の友達に会った。そこで話したおもしろい話。
<おもしろい話>
(本当の話)
(A君)「おれ、どうやって韓国語を話しているかしってる?」
(ボク)「しらない。」
(A君)「じてんをパッとひらいてそこにかいてあるのを適当に話してる。」
(ボク)「エッ。それってダサイシリーズに入ってる。」
(A君)「えっ。ダサイシリーズにあったっけ?」
(ボク)「たしかあったよ。」
(A君)「おれダサイ。!」
<完>
《わかれた時の自分の気持ち》
最後の日、チャンスゥとわかれたくなくて、さみしくなった。家族とも、わかれたくなかった。
帰りの飛行機の中で、手紙をかくぞと思った。手紙を書けばこれからもホームステイは続く!
《日本でまたチャンスゥに会えた》
日本に帰ってきてまたチャンスゥに会えた。
さかきばらさんの家のパーティーによばれてそこでチャンスゥにあえました。
とてもうれしかった!!
お父さんお母さんチャンスゥウンジヤ、どうもありがとうございました!!!
《韓国で聞いた言葉とか、つかった言葉》
ご飯を食べた時に、チャルモッケスムニーダーとか、食べ終わった時、チャルモゴスムニダーと言いました。
のりが食べたい時にキムチュセヨとか言いました。
むこうの家族が、ボクのことをユウヤと言ったりボクの名前であそんだりしていました。
お父さんの仕事場の人にアニョンハセヨと言いました。
何かをもらったらカムサムニダと言いました。
テレビを見ていたらミヤネヨと言う言葉が聞こえました。
パオヤイルアーとチャンスゥがチャンスゥの犬に言っていました。
パオヤがチャンスゥにかみついてケガをさせて、チャンスゥがヤーと言っておこっていました。
ヒッポに入っていてよかった。また韓国に行きたいです。
この文章は、カバジンが手書きで書いたものを、僕(コッキリ)がパソコンに入力しました。句読点や漢字はそのままになっています。送りがなの間違い、漢字の使い方の間違いもそのままです。(^^;)
文集では、このカバジンの手記だけが、そのままのほうが味があるからということで、ワープロにせず手書きのままになっていますが、ここ(インターネットのコッキリのページ)に登録するにあたり、パソコンに入力しました。また、写真を追加しました。
1998.2.20
西武線地域・井内F・コッキリ
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