のこちゃん(北坂戸・のこのこF)
今年の夏131人で韓国に行ってきた。関西から3人のグルーブフェロウと連れの子供2人、関東からは私と板橋のあられちゃん、それに5年生を中心に全国から124人の子供たちである。
当日、成田からは東日本60人、北毎道7人の子供たちと2人のグループフェロウが飛び立ち、ソウルのホテルで日本全国から131名が大集合した。その日はそこに泊まり、翌日ソウル近辺にステイする子は対面式、地方に行く子はグループでそれぞれバスや電車でホストの家に向かう。一人きりのホームテイの始まりである。
みんな可愛がられてくるだろうか。楽しんでくるだろうか。きてほしい。・・・何回も行われた準備会、合宿、グループフェロウによるカルタ。すべてそのためといっていい。
2週間本当にいろいろなことがあった。帰国してからもまだ子供達との交流は続いている。準備から今まで私かどんなことを感じたのか書いてみたいと思う。
まず私が思ったこと。
1・小学校5年生になったら、だれでも青少年交流に行ってほしい。
2・小学校5年生になったら、だれでも青少年交流に行けると思わないでほしい。
なんの準備なしに行けるほど甘くはないし、ホスト家族にも迷惑である。だけどこんな体験か10才ぐらいでできるなんてすごいことだ。全員5年生になったら韓国へホームステイに行く、と決めて、家族、ファミリーのみんなで準備して、帰ってきてからもその体験を共有してあげたいと思う。
家族になりに行く
行くまでは何回か本部での準備会、合宿があるのだが、これは面白かった。準備会というと、韓国はどんな気候で、食べ物はどんなものを食べていて、どんな習慣で、持っていくものはなにが必要で、ということを教えてくれるような気がする。
でもヒッポでの準備はただひとつ。「ホームステイに何をしに行くかiということを一人一人が考える、ということだけ。「家族になりにいく」さすがヒッポの子供たち、色々な話を聞いているらしい。そう、まずは言葉でわかるだけでもいい。
じゃあどうやって家族になる?「料理を練習していって喜んでもらう。」「ニコニコして楽しそうにする」「わからないから行った人に聞く」「ファミリーにいっぱい出て言葉をもらう。」「他のファミリーにひとりで出て知らない人と話す練習をする」「ファミリーの人の家に泊まってホームステイの練習をする」「毎日キムチを食べる練習をする。受入れした時、日本のものいろいろ食べてくれておかあさんか喜んでいたから。」
向こうで何する?「大丈夫。遊ぶの得意だから。ホストと遊ぶ」向こうは遊ぶのへ夕かもしれないよ。「そうか。じゃあ一緒にあそべるウノ持っていく。」「わたしは絵かくの得意だからサインベン持っていく。ホストに妹がいるから絵かいてあげる。」「ヒッポの漢字トランプ持ってく。家で練習しよう。」
困ったことがあったらどうしようか。「まずホストのオンマに相談する。家には電話しない。」「おにいちゃんがね、オンマに抱きついてワアーと泣いてからホームステイが楽しくなったんだって。」
そして去年ホームステイに行った子の話。ホームシックになっちゃって帰りたくなったこと。だれでもそうなると聞いていたから、あ〜ぼくにも来たか、と思ったこと。
それから、これだけはしないほうかいいかもしれない、ダサイシリーズの紙芝居。
一緒に行く子とできるだけ仲良くなって行くこと。そんな準備をず〜としていた。
そのなかで私達グループフェロウもやっと自分達の役割がわかってきた。私は先生ではない。一緒に交流を体験する仲間なんだ。そして、親や本人達にもう一度力ルタを書こうということになった。「家族になりにいく」ということをもう一度親子で話合ってほしいということだった。実はカルタを書いた時、「ゲームボーイは禁止にした方がいいのではないか。」というはなしもでた。合宿で友達をつくろうともせず、ひとの話も聞かす、話そうともせず、ゲームポーイに夢中だった子がいたのだ。もし韓国にまで持っていって、一日中やっていたらどうなるだろう。心配だ。でもそうしなかった。禁止にするのは簡単だ。でも「何をしに行くのか」がわかれば自分がどうふるまえばいいかわかるはず。ゲームボーイが悪いわけではない。それを使ってホストと遊ぶことだってできるのだ。「人に迷惑をかけない」というルール以外ない交流の姿勢に私は感動してしまった。
すばらしい体験
いきなり最後の日の話で恐縮だが、ホームステイが終わってホテルに集まった時の子供達はすごかった。みんなキラキラなのである。私はロビーのソファに座っていたのだけど、みんなにわあーと取り囲まれて一斉に話しかけられて大忙しだった。
嫌だったことも大変だったことも楽しかったことも全部言いたいらしい。ひとりが嫌だったことを言い出すとみんな嫌だったことを言うし、ひとりが楽しかったことを言うと、みんな競うように自分の家がどんなに良かったか言いまくるのがおかしかった。みんな冒険をやりとげた後の興奮ですごいパワーだ。
実はホームステイの間中気になっていた子がいた。前半のラボキャンブで一緒たった女の子で、とにかく自分でもよくわからないけど、涙が止まらないと言って、泣いてばかりいた子だ。その子に会って本当にびっくりした。韓国で流行っていた、ニコちゃんマークの派手なカチューシャにうでわに指輪をつけて、もうとびっきりの笑顔。「どうだったの?泣かなかつた?」という問いに「ぜ〜んぜん。最初どうしてあんなに悲しかったのかわかんな〜い、すごく楽しかったよ。帰るのやだ。」だって。ガクッ。
みんなもう自信にあふれているかんじで、ひとりでフロントに行って両替はするし、買い物はするしで、おどおどしていちいちどうするのか聞いてきた行きとは大違い。ひと回り大きくなったみたいだ。この2週間の体験の大きさを感じた。
また言葉の面でも感動した。ファミリーや準備会の時はたいして話していなかった子達がホスト家族に連れられてホテルにやって来たのをみると、みんな自然にあれやこれや家族と話をしているのだ。息子の毅のオンマは、私がお礼の言葉を言うと、「毅は韓国語が話せたのでとても楽だった」と言ってくれた。
帰国してからもすごいことがおきてる。毅はこの文集に載せるのに、日記をまとめ、書いてない部分を付け足すというので、たくさん韓国での話をしてくれたのだけど、まわりの人が日本語を話せなかったとは思えないくらい自然に過ごしてきたというのがよくわかった。本当に言葉に不自由しなかったらしい。今回は小さい時からヒッボの活動に参加していた子か多かったせいか、そういう話をそこら中で聞いた。自然と体の中に溜まっていた韓国語が、ホストやオンマの言葉に触れた時に、ふっと反応したのだと思う。ただ普通にヒッポをやっていただけの息子が、「だって、ぼく、韓国語だいたいわかるもの」と、こともなげに言うのを聞いて感動した。自然習得って、こういうことだったのだ。
つまらなかった韓国
楽しかった子ばかりではない。「とても嫌だった。つまらなかった。」と言われて、せっかく行かせたのに、とがっかりされたご家族もいると思う。いろいろな理由があると思うし、本人も言い分があるだろうけど、それはまた後で触れることにして、私が気がついたことを書いてみよう。
実は準備芸や合宿の時、「この子大丈夫かな」と気になる子か何人かいた。人の話を全く聞かない、話さない。なにしに行くのか全然分かってないみたいで心配なのだけど、本人は平気だ。それで、帰りの飛行機で感想文を書いてもらうと、ホストの名前すら知らなかったりする。恐ろしいことに、ホームステイがうまくいかない子というのが事前にかなりわかるのだ。 私はグループフェロウとして、ホームステイかうまくいったかどうかで子供たちを評価しようと思っているわけではない。だけど、せっかくの人生、いろいろな人と知り合いになり、心あたたまる交流ができた方か、豊かで楽しい人生がおくれるではないか。
もし今回のホームステイがうまくいかなくても、みんなといっぱい話すことで、どうすればよかったのか気がつくかもしれない。口には出さなくても感じるものはあったかもしれない。そして、次の中学1年のアメリカでの1か月のホームステイでは準備会の時にアッキ−(三鷹)が言ってたみたいに「韓国では失敗したけど、今度は本当の家族になれるようにいろいろ準備しました。がんばります。」と言えるかもしれない。それでいいんじゃないかな。ひとりづつが前の自分よりステキになれたら。
そういう意味で、何も準備しないで行くほど甘くない。だけど、「自分てなんなんだろう何ができるのだろう。」と初めて自分に向き合うというすごい体験なので、5年生になったら必ず行くということにしてほしい。行くきっかけは、みんなが行くからでいいと思う。今、何ができるかは関係ない。行く決心をしたその時から準備すればいいのだから。そして行ってから考えればいいのだから。何をしようとしているかが大事だと思う。
なぜホームステイに行くのか
楽しさだけを求めるのだったら、仲の良い友達とディズニーランドへでも行く方がずっと楽しいと思う。10才の子供が、初めて会う家族と共に2週間も一緒に暮らすのだ。まして、言葉も習慣も違うし、誰に助けを求めることも出来ない。自分の家族だったら、言わなくても分かってくれたことを、何とかして伝えなければならない。今の自分のすべてをだして、受け入れてもらうしかないわけだ。全部自分の責任である。楽しいどころじゃない。これは冒険である。でも心を開いて家族の一員として可愛がられた時のうれしさは格別だし、人の暖かさが信じられ、国や民族が違っても同じ人間なんだということが、肌で感じられるんじゃないかな。
韓国の家族と別れた夜、ホテルの私の部屋に一本の電話がはいった。それは神奈川県からきたたまちゃんの韓国のオンマからで、「私の娘は大丈夫か、別れるときひどく泣いていたので心配で心配で・・。声が聞きたい。家に電話をするように言ってください。」という涙声の電話だった。聞いている私ももらい泣きしてしまった。さっそくたまちゃんを探して伝えたところ、たまちゃんも大きな目をうるうるさせてうなずいた。家族以外の人、それも国の違う人にこんなに愛されて、たまちゃんは幸せな子だな。オンマもこんな可愛い娘ができてどんなにうれしかっただろう。2週間いろいろなことがあったとは思うけど、きっと家族のなかにスポッとはいって、あたたかな豊かな心の交流ができたんだろうな。よかったね。みんながこんな幸せな体験ができたらいいのに。
ホスト家族が悪い?
ホスト家族とうまくいかなかったと言う子が結構いることも事実だ。うちの子のホストははずれたった、とがっかりされているお父さんお母さんもいらっしゃると思う。日本で受け入れする場合も、あの家族にいった子はラッキー、でもあの家の子はわがままだし来る子は大変だな、なんて正直に言って私自身思ったりする。確かに楽な環境、困難な環境という当たり外れはある。ホームステイが楽しかったかどうか、家族の一員になれたかどうかというのが、本人の性格、準備不足のせいだけではない、条件が一人一人違うのだから、というのはよ〜くわかる。私だって、やさしくて、楽しくて、わたしのために時間を使ってくれる家族のところに行きたいもの。
その上で言いたい。ホスト家族に悪い人はいない。異国の知らない子を2週間もの間受け入れてくれるのである。帰国後、ホスト家族をひどいやつだったかのように言う子がいるけど、それは向こうに悪意があったのではない。意思の疎通が、心の交流がうまくいかなかったのだ。それは、なんとかしなかったあなたの責任もおおきい。気持ちを伝えようと努力したのかな。家族の一人になるつもりで行ったのかな。
「おいしい?楽しい?私たちのこと好き?」
みんな、なぜホスト家族は日本の子を
2週間も、しかもなんの見返りもなく受入れてくれるのか考えてみたことがあるかな?私の家でも今まで何人もの人を受け入れているけど、やっぱりその人とすごくなかよくなってなにを感じてなにを考えているのか知りたいというのが一番じゃないかな。だから私は一緒にどこかに出かけたら、楽しかったのかどうだったのか知りたいし、食事をしたらおいしかったか知りたいし、私や家族やヒッポの仲間たちのことをどう思うのか知りたい。「おいしい?楽しい?私たちのこと好き?」か聞きたいのだ。あなたから。なんの反応もないとかっかりだ。ことばがわからなくても大丈夫。日本語で言ってもあなたの気持ちは伝わるよ。おいしそうに食べてくれて、にこにこ元気に楽しんでくれればうれしいな。
ホームステイ中、韓国のオンマから困ってます、という電話を何本も受けた。一人は近かったせいもあって、何度も会ってグチを聞いた。よ〜く聞いてみると要するになにしてやってもなんの反応もない。お礼の言葉はもちろんないし、笑わない、はしゃがない。オンマが必死で辞書をめくってなんとかコミュニケートしようとしているのに全然わかろうとしない。で私か本人に聞いてみると、オンマはやさしいし、ロッテワールド楽しかったよ。なんて言っている。オンマに伝えても信じられないと言う。Mちゃんはうちが嫌いで、日本に帰りたいのだというのだ。オンマはとても善意あふれるいい人で、自分か悪いのかと涙さえ浮かべている。
典子がいるとMちゃんも楽しそうだからと懇願されて、一緒に出かけてみて納得した。食事をしても「いただきます。」も「ごちそうさま」も言わない。実にまずそうにちびちび食べる。「おいしくないの?」という私に「結構おいしい」という。心配そうに見ているオンマに「おいしいと言ってます」と伝えると、喜んでもっと食べろと血に取ってくれる。すると嫌な顔をして無言で手でさえきろうとする。あわてた私が「もういらないの?」と聞くと「おなかいっぱい、おいしいんだけど」と言う。「そういう時は言葉がわからなくても、にっこり笑っておなか押さえて日本語ででもおなかいっぱいで食べれないの、と言ってごらん。そんな怖い顔しないで。」とささやく私。かわいい顔かだいなしだ。
その後オンマはMちゃんを喜ばせたくてデパートに行き好きなワンピースを買ってくれた。自分の娘にはTシャツとパンツなのに。その店で着替えてさあ出ようとなっても、彼女は「ありがとう」をいわない。「すごく似合う、カワイイ」とオンマか言ってもニコリともしない・・無言。私は小声で言った。「カムサムニダって言えないの?」「言えるけど恥ずかしい。」「うれしくないの」「うれしいけど言うのは恥ずかしい」「言わないほうが恥ずかしいよ。言いなさい。ありがとうと言ってもいいんだよ。」全く恥ずかしいのはこっちである。単語を覚えていたって、口に出さなければ何の意味もないよ。
これじゃあ、ホスト家族がよく思ってくれなくなっても無理ない。結局オンマは最後までいろいろしてくれたけど、ホストとはうまくいかないし(つまんなかったと思う)、アッパーが「いったいなにしに来たんだ。」と心配のあまり怒ってしまったりで、私は本当に申し訳なくて困ってしまった。またうまくやれない彼女もかわいそうで仕方なかった。
Mちゃんは性格は優しいし、帰りにはわたしに自分とペアの指輪をくれたり、個人的にはとてもかわいくていい子だと思う。ただ自分の気持ちをあらわすのが苦手で誤解されてしまったばかりじゃなく、相手も傷つけてしまった。察してくれない相手が悪いのではなく、伝えなければわからないのだ。相手がどう思っているのか想像して欲しい。
ホスト家族をよくいわない子をお持ちのご家族の方、ファミリーの方、せひ、自分が相手をどう思うかを充分聞いてやった後、自分はその家族にとってどういう存在たったのか家族は自分のことをどう思っていたと思うか、聞いてあげてください。
日本でできないことは・・・
食事の前後に言う「チャルモゴスムニダ」も「チャルモケスムニダ」もふだんから「いただきます」「ごちそうさま」を言わない子には必要ない言葉だろう。ありがとう、おいしい、楽しかった、好きも同じだ。結局、日本でそういう感情をあまりあらわさない生活、言わない習慣の子はいえない。手伝いや楽しく遊ぶことも同じ。日本でできないことは、よその国に行ってもできない。それが、家庭内だとそれで済むけど、よその家庭にはいるとよく見えるということだろう。自分を知るには自分の中だけをあれこれ分析してもだめ、人のなかにはいって、初めて自分かみえてくるのだと思う。小学5年生にしてもう「What am I?」の旅である。きついよね。
ホームシック
電話をとると、韓国のオンマの困りきった声。Sちゃん本人に替わってもらうとすごいワンワン泣き。少し落ち着いたところで聞くと、嫌なことがあったわけじゃない。ただただ悲しい、お母さんに会いたいと泣く。「せっかく韓国に来たんじゃない。今のホスト家族と楽しく過ごす事考えようよ。かんばってみよう。楽しいこと探そうよ。」泣きながらも「わ、わかりました。エッ、エッ、がんばります。」という返事。私も一緒に泣いてしまうこともしばしばだった。みんな、けなげに、せいいっぱい過ごしている。
ホームシックって不思議だ。意外な子がかかってしまったりする。グループフェロウあてのハガキを渡してあるのだけど、それにも、「泣いてます。でも日本のお母さんには内緒にしてください。」なんて書いてあるのがきたりした。ホームシックは別に恥ずかしいことでもなんでもない。誰でもなる。そこからどうがんばれるかだろう。
帰ってきてから
9月に入ってすぐ、渋谷の本部で韓国交流に行った子の集まりがあった。その中に私は懐かしい顔をみつけて驚いた。わんわん泣きで電話をかけてきたSちゃんだ。彼女は北海道の子なのだ。飛行機でわざわざ会いに来たと言う。お母さんに初めてお会いしてお話をうかがうことができた。Sちゃんは甘えん坊だし、泣きむしだし、家族は、5年生で行くのは無理だから6年生で行くように勧めていたという。でもSちやんは「私は今行かなければだめなんだ。絶対行く」とびっくりするくらい強い意志で出かけて行った。
やっぱり韓国では泣いてしまって(彼女は私に、着いて3日目にあと何日で家に帰れるのと聞いたのだ)大変だったのだけど、私に電話してきたのも、あんまり泣くので心配したオンマが勝手にダイヤルを回してしまっただけで、本人はひとりでがんばるつもりだったそうだ。途中で困ってしまったオンマが、「洋服を買ってあげるから、もう絶対泣かないって約束しよう」と言って買ってくれたので、それからはがんばって一度も泣かなかった、という話しは笑い泣きしてしまった。今回も自分のおこづかいを出すから絶対に行くと言って来てしまった、こんなこと初めてなんですとおっしゃるお母さんもうれしそうだった。
さて、私を困らせたMちゃんだが、フェロウの方にはホームステイ中のことを少し話してあった。彼女にとってこの体験はいったい何だったのか、とても気になっていたのだが先日嬉しい話を聞かせてもらった。Mちゃんがファミリーで、今度はもっと自分から気持ちを話したりしようと思うということを言ったという。私はとてもうれしかった。
親の準備
みんな状況は違っても、一人一人のステキなドラマがあるのだ。みんながんばっている。そして、いろいろなことを感じてきているのだ。無駄だったホームステイなんてない。でもそれをどうことばにするかで、体験がかわってきてしまうような気がする。どう話すかというのはまわりかどう聞くかということでもある。聞いてあげるのはまず親かな、と思う。そうすると、ホ−ムステイをどうみるか、なにをしに行くのか、などの準備はまず親がしなければならないんじゃないかな、と私は思った。ホームシックになった子は、自分の家族がどんなにかけがえの無いもので、自分はそれに支えられて生きているのだということを、考えるかもしれない。つまらなかった子も、与えられた環境のなかで楽しくすごすにはどうしたらいいのか考えたりしただろう。そんな生きる上で大切なことを少しでもこのホームステイで感じられたらいいと思う。
報告会準備
今回私のファミリーからは息子の毅を含め5人、隣のファミリーの子をいれて6人が一緒に参加した。帰国後、報告会をやることにした。何回か集まってみんなで模造紙にいろいろまとめ、5枚にもなった。 6人いればいろいろな子がいるし、いろいろな体験がある。自分が受け入れた子の家に行った子、家族が日本語が話せた、話せない、家が金持ち、そうでもなさそう etc.ホストか大嫌いと言って、家でもファミリーでも全然話さない子もいた。
ところが、『遊び』というのをまとめていると、みんなどんどん話す。「家ではね、そうじゃなかったよ」とか言って大騒ぎ。『家族』でも『食べ物』でも『日本と違うこと』『使った言葉』でも同じ。そして、そういう中で、オンマの言った言葉やホストの言ってた言葉を思い出し、家でテープを聞いているうちに、その言葉と同じものを発見したりしている。話しているうちに、ホストと心が通じたうれしさを思い出す子もいる。言葉にしてはじめて体験になるんじゃないかな。話せる仲間かいるっていいよね。
ホームステイはたったの2週間だ。でも準備会を通じて同世代の友達がたくさんできるし帰ってきてからも聞いてくれる人がたくさんいる。大人だって、ホームステイをする時は実は緊張もするし、ホームシックにもなるのだ。みんな同じだから、子供の話も仲間として聞けるのだと思う。一年後に次に行く子に自分の体験を話して、初めて自分の体験がみえた、と言った子もいる。韓国語で話せるようになっていたのは本人も驚いたみたい。家族や友達と一緒にヒッボの活動に参加している限り、その体験は終わることなく、ずうっと続く。これがみんなで行くヒッボのホームステイのいいところだ。
実際の準備は結局、日々のヒッポの活動に参加することだと思う。すべてがファミリーの中にある。となると準備は行く子だけがするものではない。親が子どもの体験をどう捉えるかで、みえるものが全然違ってしまう。本人はもちろんのこと、親もファミリーのみんなも一緒に準備して送り出し、温かく迎えて欲しいなと思った。
みんなありがとう
グループフェロウとしてみんなと行けて、本当によかったと思う。ソウルの空港の荷物カウンターが急に変更になって、67個の荷物を移動しなければならなかった時、そして、ターンテーブルの荷物を下ろす時、男の子たち5、6人がさっと駆け寄ってあっという間にやってくれ、とても頼りになってありがたかった。みんないざという時はすごい力を発揮する。帰ってきてからも、ぐんと成長した話が聞けて、とてもうれしい。ヒッポで育った子はたくましいなと思う。
そして韓国では受け入れてくださる団体の方、家族の方がせいいっばいいろいろしてくださった。今回楽しいと思えば、また受け入れてくださるだろうし、日本にも来てくれるかもしれない。このホームステイ交流は今までのひとり、ひとりの交流の上に成り立っているのだ。そして、私たちも今回このメンバーで造ってきたのだと実感した。
みんなありがとう。
1998.3.3
西武線地域・井内F・コッキリ