韓国ホームステイを親の立場で振り返ると

ノラ(ミニーの母)

 いろんな思い(不安が中心?)を抱いて持っていた我が子(ミニ−こと聡子)が、そしてその仲間たちが韓国から帰ってきた。(実は私は悪い親で、自分の都合を優先させて、遠く離れた地でその日を迎えたので、直接目の前で話を聞けたのはさらに1週間後だったのだが・・・)
 電話で「どうだった?」と聞くと、「うん、面白かったような、つまんなかったような・・・」という第一声。「皆は、いろんな所に連れてってもらったりしてたようだけど、私は家にいることが多かったから。」というのが、一番のつまらないということの理由のようだった。けれど、後でよくよく聞けば、ミニーのホームステイ先はソウルの中心的な所にあったが、海にも、山の上の方にあるプールにも行っているし、63(ユックサム)ビル、南山タワー、どこかの史跡(宗廟)、そして勿論ロッテワールドにも連れて行ってもらっている。アッパーは勿論仕事で、昼間はいない、オンマ−も働いているのか、わりと昼間は不在がちで、オンニ−(16歳)とホストのジーへ(志恵、6年生)姉妹やその友達と一緒に過ごすことが多く、そういう意味でごくごく普通の、日本と変わらない韓国の若い世代の生活を一緒に送ってきたようだった。テレビをたくさん見て、韓国で今流行している歌のいくつかを覚えてきたり(ノレバンに一緒に行って歌ったとか)、タレントやグループ名を私に教えてくれたりもしている。韓国に行って、何かとても違う世界を体験するのではないかと予想していた(?)ミニ−には、それで何かもの足らないように思えたのか、という気がしている。

 それに対して私は、「聡子は酔いやすいんだから、かえってその方が良かったんじゃない?」と、最初は応えた。いろいろ話していって、日本語を喋るひとは誰もいない家庭の中で、会話はハングゴと片言の英語だったという。そして、最初の一晩だけはホームシックで泣いたらしいけれど、その後はケロッとして何も困らず、全く緊張しないで過ごせたという聡子に、「それってスゴイことだよ!」と、思わず言っていた。まったく自覚しないで、言葉の壁もなく、誰とでも普通に関われたというのは、やはり小さい頃からHippoの活動に参加してきていた聡子ならではのような気がする。

 今年の家族交流の方で韓国へ行ったわかちゃんやコッキリが、子どもたちの帰る前日の「韓日ヒッポ青少年国際交流歓送会」にも参加してくれていて、ホームステイを終えた子どもたちがグーンと大きくなった気がしたと報告してくれていた。聡子は、「私は、全く何も変わりませんでした。」とも、何かに書いていたけれど、この体験がきっと体の中で自然に発酵して、一回り大きな人間に育ててくれるだろうことを、親としては確信している。

 実は、Hippoの活動になんとなく後ろからくっつくように参加してきて、かれこれ6〜7年になる我が家だが、今回聡子が韓国に行くということは、ごくごく当然のこととして決まっていた。Hippoでは小5で韓国に行くのが、普通のことだったからだ。けれど、いざ行くとなって考えてみると、不安な要素はたくさんあった。やはり小学5年生というのは何しろ子どもだと思う。迷惑をかけないだろうか、気持ちが伝えられるだろうか、そして、特にアトピーでいろいろトラブルを抱えたり、車にすぐ酔ってしまう我が子の場合は心配事が多かった。

 けれど、その不安を一人だけ、あるいは一家族だけの中に閉じ込めないで、皆も同じなんだと安心させてくれたのが、行く前のいろいろな準備活動だった。去年グループフェロウとして行ったのこちゃんの子どもたちへのメッセージは感動的で、交流の様子がよくわかった。一緒に行ったつよし君の「韓国日記」も、聡子にとってはお守りのようで、行く前日の夜にも読み返していた。そして、何より良かったと言えるのは、同じファミリーで一緒に行く仲間とやった何回かの準備会だった。去年行った兄弟や、以前行った姉妹を持つメンバーから話を聞く会がまず最初。子どもたちの名刺作りも集まってやった。やはり一緒に行く友達のファミリーへも皆で参加した。そして、6月末に韓国から大学生が来るというので、条件の許す家族は受入れを引受け、その交流を行く家族皆で、あるいはファミリ−の皆で楽しんだ。本部での準備会には勿論皆で連絡しあって参加した。

 今回は、偶然にも同じファミリーから5人もの子どもたちが参加したけれど、行くことを決めた時点でよく知っていたのは、ユリちゃんだけ。全く初顔合わせのメンバーもいた。それが、最初の準備会(私はべべから連絡を受けた)に参加することに始まり、子どもも大人(オンマ−たち)も、それぞれが「こういうことをやりたい」、「今度はこうしたら?」、と意見を出し合って、次から次へと流れが出来ていった。振り返ってみると、こういう体験は、私のHippo活動の中で初めてのことだった。どちらかというと、前にも書いていたように、受け身的に関わっていた私は、他のメンバーにたくさんのことを教えてもらった。メンバーの一人一人と親しくなったことが、Hippoをさらに自分の身近なものにしてくれた。そして、多くのエネルギー、いろんな個性が集まると、とても楽しいということを実感させてもらった。さらには、こういう事前の準備があったおかげで、本当に5人の子ども皆が自分の子どものように思え、これからもその体験を皆で共有していけたらと思っている。


この文章は、ノラ(ミニーのオンマー)が書いて文集に掲載されたものを、僕(コッキリ)がパソコンに入力しなおしました。イラストは省略しました。

1998.3.3
西武線地域・井内F・コッキリ

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