15年ぶりに行った韓国家族交流

1997.8.16
井内わか (わかちゃん)
 
この文章はインターネットのコッキリのホームページでも読むことができます。
URL http://www2h.meshnet.or.jp/~zou/korea/waka.htm

 先日、8月6日〜8月12日韓国へ行ってきました。

 今春5月のG.W交流で上海、北京へ出かけ、世界が大きく地球Sideで動いていくのを肌で感じました。そして、沢山の異い(顔、文化、建物、性格、ことばetc.‥‥)を越えて、そのむこうに同じ人間のことば(赤ちゃんは、どの国の赤ちゃんも、文法や発音記号を教えられることなく3才くらいでその国のことばを話している事実!!)を話す人間同志としての暖かい家族のような関係性でつながっていく、このヒッポの活動こそ、21世紀の地球をもっと住み易くするにちがいない、と確信しながらひと息ついていた頃、本部からのFAXで今夏の韓国交流は青少年(小5〜大学生)170名受け入れOK、その上、新しく家族交流として50家族募集という知らせが入った。ウヘェ〜?! 一体これはどういうこと?!何と言っても凄い!!何か新しいページが開かれる夏だと感じたので、私も一度行って丸ごと体験してみたい!!韓国交流には15年前に行ったきり(その時の家族は今はアメリカに移住している)(15年の間に、2回位、研修会には参加したけれど)で純粋に“今”のヒッポの交流で私の家族をもらいに行こう、と決心して、即座に参加申込を本部に持って行ったのです。その時、一緒に交流に参加決定したのはコキリ、ポンズ、プーさんでした。

 今夏は井内Fから小5・小6の5人(カバジン・タクト・ユリちゃん・ミニー・ドングリ)が韓国参加を決めて以来、親子で自分達の交流は自分達でいいものにしてゆこうと、自らどんどん準備活動をすすめていて、本部へ行ったり他のファミリーへ行ったり、ヒッポの活動にも休まず参加、Tapeも家族で歌っていたり‥‥目を見はるものがありました。
 そんなこんなで、私の方はモタモタしていると、7月に入って中ば頃、小田急線アッパ(お父さん)Groupのヨッピーから、自分達は準備会を何回かやっていて、一緒に行くメンバーの自己紹介が欲しいので書いて欲しいというFAXが入り、ウーンやるなぁ! まだ私達の方は一体誰が一緒に行くのか解らないのに、彼等は本部に問い合せて、今夏の家族交流参加者全員(90人)に全国発信していたのです。 もう、これだけでもなる程“今”のHIPPOだなぁと感心してしまうのです。誰かに言われてやるのではなく、自らやりたい人が発信して自分達で自分の交流をいいものに創ってゆくのです。こういう仲間と一緒に行けること自体が嬉しい!!
 そうこうしていると、本部(チャコちゃん)から、“ハングル:Han-Guk交流ぴょんじ”が送られてきて、何と私がグループフェローとのこと。その上、“全チャラとヘボ”そして“負けない”をテーマにして行った上海交流の私の手記まで入っていて、名簿を見ると、北海道から九州まで全国にまたがる家族達90名で“お〜!!”という感じ。
 そして7月20日(日)に最初で最後の1回きりの準備会(全体では)が入っているだけでした。でも、7月20日には群馬の山本家族も入って、22名の参加。そして既に何十名かの全国からの“私たちのMessage”をヨッピーがコピーして冊子のようにしてくれていたり、当日北海道の林家族からFAX参加があったりで、血が通い合うようで嬉しい会でした。

 HomeStay先の家族が決ったのは、出発3日前で、私のホストは具奉敬の家族で、ハルモニとアッパとオンマ、そして12才、11才、4才の娘達の6人家族、ソウルのすぐ近くの京幾道に住んでいる。その日のうちにTelをした所(日本と時差はないのでとてもラク)、今日本からの青少年交流で杉本あやちゃんが来ていて、次女のユンナは今、名古屋へホームステイに行っている、そして青少年交流のあやちゃんが日本へ帰る日と、ユンナが韓国に帰国する日と、私がホームステイに入る日が同じ8月7日の日ということ。 何と、これだけ重なればコワイものなしという感じで、オンマーの声は落ち着いたもので、結構日本語もペラペラ。“何も心配しないで来て下さい。待っていま〜す。” そして、今年1月にフェローを始めたばかりで、今5家族会員がいるけれど、その4家族が今回の家族交流の受け入れをする、とのこと。 やっぱり、韓国のみんなは精一杯頑張ってくれているんだなぁ、という思いが湧いてきて、“ありがとう!!”の気持ちでいっぱいでした。

 さて、出発当日は日本各地6ヶ所(札幌、仙台、東京、名古屋、関西、福岡)から飛びたち、ハングル:Seo-Ulのアンバサダーホテルにて全員集合。東京組が一番遅くてPM9:00からのMeetingにギリギリ間に合った感じ。(金浦空港には、意外にも姜ちゃん父子の出迎えがあって井内Fメンバーは大喜び!!)
 全国から90名の初の顔合わせで1才〜60才近くまでの大家族、3分の2以上が、まだHIPPOに入って1〜2年以内とか、HIPPOの交流は初参加とかで、新鮮なドキドキした空気が伝わってきて、なごやかな中にも清々しい緊張感!!

−対面式−

 翌日、朝10:30〜ホテルの一室(ホール)で三三五五集ってくるホスト家族と対面。(ただし、釜山、大田、浦項、春川、長安の5グループは既にホテルを出発。)ホスト達はプラカードや花束を持って来てくれて、写真を見ながら勝手に見つけ合っている感じ。
 この交流の全てをHIPPOのスタッフの任さんと徐さん、そしてLEX KOREAの李京南(にこちゃん)と洪承珠(モモ)が献身的に動いてくれている。 そして、東京本部の金子さんが一緒に参加して、家族交流のスタートとHIPPOっ子170名の青少年交流の歓送会、そしてそのメンバーと共に帰国を担当する為に韓国入りしている。何事も、目には見えないけれど水面下での縁の下の力持ちの努力は大変なもの。
 皆、精一杯やっていてもハプニングはつきもので、中にはホストの来ない人もあり(私のホストも、この日は大忙しなので、夜会うことにしていた)誰か近所の人が連れて一緒に連れて帰ってくれたりするので心配ないのだけれど、ふと部屋のスミを見ると子供2人(幼児とBéBé)を連れたHIPPOのお母さんがホストが来ないと泣いていたり‥‥。やっぱり初めての交流というのは、こんなに不安なのだなぁ、と改めて考えさせられたり‥‥。でも、みんな無事に引きとられて、最後に1人残ったのはプリンス(小田急のアッパ)で、ホスト家族全員(4人)が今日、日本から帰国する(家族交流で奈良へホームステイに入っていた)ので、今から金浦空港へ出迎えに行って、そこで対面してHomeStayに入るとか。何か、綱わたりのようでやたらと楽しい!!
 李京南(にこちゃん)の運転で私とプリンスは一路金浦空港へ‥‥。結構道が渋滞で時間がかかるけれど、にこちゃんと久し振りに会えたのが嬉しくて、今HIPPOでは「DNA」と「赤ちゃんとことばの不思議」と「自分達の多言語体験」が重なって“生きたことば”のふるまいが段々と見えてきて“ことば=人間”がハッキリ自然科学的に見えてきたり、アメリカでフーリエや量力を軸にHIPPOが始まったり、上海、北京の交流で見えてきたこと(トーチャンフーのこと)、北京大学の周先生や趙先生のこと、中国語で量力が翻訳されること。日本HIPPOではなく、これからは各国のブレーンの集る世界HIPPOになってProgramを作ること(アメリカもメキシコも日本も韓国も、全て地方になること)etc.‥‥。 来年1月には各国から集まってきてトランスナショナルMeetingが東京で行われるだろうということ。今、本部は東京にあるけれど、将来はボストンになるか、パリになるか、ソウルになるか、メキシコになるか、そんなことは解らないことetc.‥‥。夢いっぱいの話をしながら空港に到着。
 昨夜、着いたばかりの同じ出口に、今日は日本から帰国する韓国の家族Group(30名)を出迎えて“お帰りなさ〜い!!”と叫んでいるのだから、何ともいい風景!! みんな口々に日本がどんなに楽しかったか、どんなによくしてもらったか、ピカピカの顔で報告していた。そして、その中の一家族がプリンスのホストで、昼食を私もオゴって頂いて(今度はボク達がホストですからー!!と)その家族はプリンスを連れて家路へ‥‥。私とにこちゃんは、すぐに一路、今日韓国全土から集ってくるHIPPOの子供達170名と、そのホストや関係者の待つソウル教育文化会館へ。

★韓日HIPPO青少年国際交流歓送会★

 PM4:00〜5:30の予定で約500人位が大きなジュウタン部屋に集って任さんの司会、にこちゃんのTape係でSADAが始まると、喜々とした子供達がのびのびとした顔で走っている。どの子が日本の子で、どの子が韓国の子か、全く見分けがつかない。疲れも見せず嬉しい顔の集りは、あっ、いいホームステイを体験したんだなぁ、と一瞬にして思った。 そしてカバジンやドングリ、ミニー、タクトの顔を見てそれぞれがホストや友達とダンゴの様になって笑いあっている光景は、韓国へ来る前の彼等とは雲泥の差で、自信に満ち溢れた顔だった。
 そのあと、受け入れして頂いた団体、LEX KOREA、新上道小学校、瑞圓小学校、いいお父さんになろう会、LABOの5Group代表の方々のあいさつやホスト家族とHIPPOっ子の感想etc.‥‥が続いて、最後に金子さんの御礼のことばと、HIPPOが何をしようとしている団体か、という話があった。
 その時、私は金子さんの多言語の上手なこと、そして何より心のこもった韓国語のうまさに感動したのです。金子さんは昔からこの活動で育った人で、私は彼が大学生の時(19年前、我家の由紀(当時小5)は彼と一緒に韓国交流へ行きました。)から知っていて(今、彼は中学生と小学生の息子と娘の父親です)いつもまっすぐこの活動をやってきた人です。正直言って、長くこの活動を続けてきた人が世界に通用する人になっているのをまの当たりにして、心から嬉しいと思いました。
 そして会が終了し、HIPPOの子供達だけを集めての金子さんの話(これからのインフォメーションを)を聞く170名の子供達の態度に驚いてしまったのです。
『まず、僕の話を聞かないで、明日、日本へ帰れなくても全て自分の責任だから、自分のことは自分で責任を持ってやるように!! まだ、このホテルにチェックインをしていない人、手を上げて!(2分の1が手を上げる)ウン、じゃ、この会が終ったらすぐするように!!(何と、チェックインは1人1人自分でやっているのです!) それから、今から○時に夕食、○階の○へ集るように、明日はモーニングコールは○時に鳴らすので○時までに荷物を持って○へ集まれetc.‥‥点呼はしないで出発するので、そのつもりで。(各部屋まわって起しに行ったりはしないから)etc.‥‥』
 小5〜小6ばかりのワンパク坊主達170名がシーンとしてこの話を聞いているのです。そして、この会が終るや否や一勢にチェックインしたりetc.‥‥友達と相談しながら自分の行動を決めている姿に感動してしまったのです。(何だ、この子達、日本ではウダウダしてるかもしれないけど、こんなに自分でできるんだ!!)(勿論、グループフェローが9人もついていたり、HIPPOスタッフもいるので、水面下ではいろいろな配慮はしているのですが‥‥)
 いや〜、これ程の教育は日本にいて親や学校がサカ立ちしてもできることではない!!ことばもわからない外国で親から離れて1人、見ず知らずの家へ入り、2週間の間何とか自分のことばで生活してゆく。そして、自分のことは自分でやるんだぞ!!と一人立ちさせてくれる。 いいなぁ!!こんなに小さい時からこんな体験をさせてもらえるなんて。なんてラッキーな子供達なんだろう。もう、世界中を自分の足で立てるよ!それも、こんなに可愛がってくれる家族をもらいながら!! やっぱりウソじゃなく、この活動って凄いと思ったのです。
 もう1つ、この会で感動したことは、日本大使館の松田氏の話の中で『自分は外交官として韓国に来ているけれど、このHIPPOのホームステイを見て、最も年令の低い、ほんとうの外交官がここにいると感じた』ということばでした。

−ホストと対面、ホームステイに入る!!−

 長〜い1日のあと、夜8:30頃、具奉敬(クーポンギョン)オンマーの待つ家に到着。李京南Fのオンマーなので、にこちゃんも一緒にひと休み。私達が着いた時は丁度、ユンナが今日日本から帰ったばかりなので、アッパーと一緒に姉のトーリンも連れて夕食を食べに行っていて、オンマーとチビちゃんのカヨン、そしてハルモニだけだった。そして暫くするとアッパー達が帰ってきて、素敵なケーキ(デコレーション)に“歓迎”の文字を書いた旗が立ててあって、みんなで歓声をあげ、ジュースで乾杯をして、嬉しいStayの始まりだった。
 この家は我が家と同じで、四六時中HIPPO Tapeが小さい音で流れている。(消すとつけるのが大変だから消さないらしい) そして、誰もが日本語をよく話すし解ろうとする。 それにアッパのあだ名はシーザー、オンマーはクレオパトラということで、思わず東京、日野のクレオパトラ家族を思い出し、東京にもこんな家族がいるよ、と話が盛り上がった。
 アッパー(シーザー)はサムソンの企画開発部に勤務でゴルフが趣味。静かだけれどニコニコして考え深い人。オンマー(クレオパトラ)は6年前サカッチャンの講演を聞いて感動してLEX KOREAに入り、今年からフェローになったやさしくてよく気のつく愛がいっぱいの人。ハルモニは82才というのに背が高く(165cm以上)、シャンとして白髪のきれいな品のある人。長女のトーリン(リンリン)は昨年日本へHomeStayに来て、今夏そのホストだったあやちゃんを受け入れた、やさしくて聡明な子。次女のユンナ(ナヤー)は人なつっこく明るくてみんなに愛される子。三女のカヨンは日本で言えば3才だけど、もう何でもペラペラおしゃべりをして何しろ可愛い!!(家の中でもみんなに(ニックネームの)たぬき、たぬきと呼ばれていておかしい!!) たぬきはいつも家の中でもお気に入りの水筒をさげて歩いていて、“カバンガチロン、カバンガチロン”と言っているので、私も彼女の真似をして“カバンガチロン”と言うと、大笑いする。(どうも、自分はカバンガチョロンと言っているのに‥‥という感じ。)
 私の持って行った“アンバランス”や“魚つり”のゲームが大ウケで家中でワーワー言いながらやって、まるで日本の我が家そっくり!! ものの1〜2時間の間でこれはもう私の家族!!という気になるのも不思議な感じ。居心地のいいスタートです。

−大田(テジョン)のW.S.に参加−

 ホームステイに入って翌朝、Tea Partyがあるので、クレオパトラの兄の家に入っているコキリや、姉の家に入っているポンパ、ドールや、近所の同じFamilyのオンマの所へ入っているコニーちゃんやシンタロー君達がどんどん集まってくる。
 その時に大活躍しているのが、やはり自己紹介アルバム。みんなもそれを通してその人がよく解るし、話題もはずむ。(コキリは韓国のオンマー達とまるで同じFの仲間同志) 面白かったのは、コニーちゃんのアルバムに自分の結婚式の写真があって、それを見た途端にコキリが“サジンガ チョニョン タルネヨ!!”と言って、みんなで爆笑!! コキリ!ナップダー!!とか、コジマー!!とか大騒ぎ!
 そのあと、私も一緒に居たかったけど、モモとにこちゃんと一緒に今日は大田のW.S.へ、明日は釜山のW.S.に行くことが組まれていて、1人で地下鉄でハングル:Hak-Ye-Urという駅へ、乗り換えながらたどりついた。そこからはにこちゃん(李京南)と一緒にハングル:Seo-Ul駅へ行き、3人でセマウル号で大田へ。セマウル号は座席が広くて新幹線よりも快適!!車中、お向いに坐った73才のおじいさんは、現役の会計士で早稲田大学を卆業して今だに日・韓を行ったり来たりの生活とか。日本語がペラペラな品のいい人だった。私達のことを最初キョッポ?ときかれて、いろいろ説明した。(コキリ注:「キョッポ」とは、在日韓国・朝鮮人のことです。)
 大田に着いて、まだW.S.まで時間があるのでひと汗流そうと3人で温泉に行き、W.S.の会場についた。SADAも一品持ちよりもあるので、机や椅子を片づけてOpenスペースを作る。(どこの国へ行ってもHIPPOは同じ!!) 用意ができた頃、大田のメンバーや日本からホームステイに入っている家族達が続々と集り、その中に4H−LEX交流でアメリカのウイスコンシン州から1ヶ月ホームステイに入っているScott(高校生)とEdie(ママ・大学教授)もまじっていて、彼等が韓国語を言ったり多言語でTapeのことばを言ったりするのでとてもいい感じ。(毎日HIPPOのTapeが流れているので、勝手に覚えてしまった!!とか。来年は日本へ必ず行くのでよろしく!!とのことでした。) HIPPOのメンバー6家族は前日にドキドキしながらホームステイに入ったとは思えない位、すっかりなじんでいて、自己紹介も自分達の精一杯でやり、エマの紙しばいは大好評。そして子供達の多言語自己紹介は大ウケ!!HIPPOハングル:NeunHIPPOハングル:Jiを肌で感じました。

−釜山(プサン)のW.S.に参加−

 次の日は、にこちゃんと私は釜山へモモはハングル:Seo-Ulの自分のFへ参加。釜山駅に着くと、海の匂いがして、いかにも海のそばという感じ。13階の展望室での昼食は釜山港が一望でき音符(トラワヨー、プサンハゲー、クリウネー、ヒョンジェーヨー)音符と、思わず歌ってしまった私達でした。
 そしてすぐにW.S.の会場“東明大学校”へ着くと、何とも大きな立派な部屋が用意されていて(展示場ホール)何百人でも入れそう。そして、そのホールには横タレ幕までできていて、“HIPPO・LEX釜山交流歓迎会”とか‥‥。釜山にはまだファミリーが1つ、今年の初めにできたばかりで、会員も4家族とか‥‥。その中の1人がこの大学の教授なので(あだ名はショーン・コネリー)こんなに立派に用意して下さったらしい‥‥。
 ここのフェローは李姫淑といって(クララ・マーサのオンマでもある)、2年前家族交流にチビちゃんを連れて日本に来て(アップルちゃんとおていちゃん宅にHomeStay)いて、昨秋ハングル:Seo-UlのにこちゃんのFamilyからこちらに移りFamilyをはじめたオンマで、あだ名はサダリンといい、SADAがほんとに上手!! 何しろ彼女がSADAをやると心から楽しい!!というのが溢れてくるので、みんなも楽しくなってしまう。ここにも日本から3家族が入っていて、もうすっかり家族の一員でどちらが韓国でどちらが日本なのか解らない感じ。
 手話のメッセージが覚えたい!!と2回もやって楽しかった。そしてここでも、みんなが同じように韓国も日本も関係なくTapeを歌ったり多言語自己紹介したり‥‥。同じ活動をしている(多言語の自然習得)とは、こんなにも人と人を近くし、親しくしてしまうものなのだと実感しました。
 そして、昌原から会員と一緒にやってきたハングル:Bakハングル:Sang-Riフェローは、やはり昌原で1人フェローとしてがんばっている。彼女は1991年に榊原さんの講演を聞いて、これだ!!と思い、今も続けているとか。私のオンマのハングル:Seo-Ulのクレオパトラも、モモも、にこちゃんも、この釜山のサダリンも、ハングル:Bakさんも、みんな6年前のサカッチャンの話で‥‥と言っている。 どんなに国が異っても“人間のことば”をやる時、必ず、この指とまれに集ってきて、強く歩き続けている人がいる、という事実に感動です。

−ただいま!!ハングル:Seo-Ulの我が家へ−

 釜山から金浦空港に夜の10時半頃到着。そこにはアッパーのシーザーとクレオパトラ、たぬき(もう眠っている)の3人が待っていてくれて、ほんとうに心から嬉しかった。
 途中にこちゃん宅にまわって、我が家に到着した時は夜11時を大分過ぎていた。それからオンマーのクレオパトラが、疲れたでしょう、と美味しい“人参茶”を入れてくれ、3人で大田や釜山、そしてハングル:Seo-UlでのHIPPO活動のこと、世界HIPPOを今後みんなの頭を使いながら創っていくトランスナショナルMeetingの話etc.‥‥をした。
 シーザーとクレオパトラとたぬきは、2年前の家族交流で千葉のダイトーリャの家にHomeStayして、とてもいい体験をしているので、話をしていてもツーカーとよく解る。特にシーザーは21世紀のところを見すえていて、世界ネットワークの中で自分達が活動してゆく方向に大賛成で、共振する部分が多々あり、大切な感覚の持ち主だなぁと感動した。
 翌朝、日曜日はゆっくり朝寝坊して、みんなで近くの公園へ散歩に行き、帰ってから昼食はちらしずしとソーメンを、リンリンやユンナと一緒に作り、みんな美味しい、美味しい、と食べて、そのあとバッタリ昼寝を5時頃まで。その間、シーザーはゴルフの練習に出かけていた。
 夕方、オンマのクレオパトラが参鶏湯を作ってくれる間、他の家族みんなで又又、アンバランスやトランプで大さわぎ。そして、遊びのあい間にみんなTapeの空港の場面を日本語で言ったり、シーザーも電話の所を“もしもし、パーマーさんのお宅ですか?”etc.‥‥どんどん言ったり、仏語だって、中国語だって、どんどん言って遊んでいて、これがまさしく“今”の活動の中で育っている家族達なのだと、その中にすっぽり入れてもらっている自分が嬉しかった。世界中にこんな家族ができていったら、この子供達が大人になる頃には、あたり前のこととして多言語はできるようになるし、世界中に家族と呼べる人達が居るんだろうなぁと、HIPPOの未来はここにあるような気がしたのです。
 そう!!HIPPOは英会話教室etc.とは比べられない価値観(ものさし)の活動なのです。

−さよならなんかは言わない!−

 アッパーのシーザーは7:00AMすぎに出勤なので、「ハングル:Kam-Sa-Hab-Ni-Da!!」と「日本へ来て、ネ ナンピョンのヘンボと一緒にゴルフをして下さい」と「行ってらっしゃい」を言う為に6:30AMに起きた。朝早いとお互いに寝ボケているので、シーザーも「アー、ウンー」とか言いながら行ってしまったけど、きっとあとで、こういう風に言えば良かったと思っているにちがいないと感じた。アハハ‥これはお互いさま!
 11:00AMまでクレオパトラと娘達の教育のことについて、いろいろ話し、親というのはどこの親も同じで、悩みも同じ。人間らしく大木に育てよう!!その為には、まず親が自ら自分の価値観を広く持って、あまりフラフラしないこと!!etc.‥‥。
 ホテルへ行く前に、クレオパトラともう1人のオンマの運転で、日本人3家族とそのホスト達で、インサドンという所へ寄ってくれた。美術品や古い街なみ、民芸品など、とても面白いところで、どのホストのオンマー達も精一杯よくやってくれていて感動した。
 ホテルでさよならの時は、やっぱり皆、涙・涙の別れになってしまった。

★夜7:30からの感想を言う会はとても面白かった!!★

 90人が誰1人として同じではなく、それぞれが宝物のような体験をしていて、最後の日にやっと仲良しになれたから、これからが本当の交流になるとか、コミュニケーションに問題があったけどどても楽しかった、これからは韓国の家族のように日常的にもっとTapeをかけようとか‥‥etc.‥‥
 自分1人で自分とは何か?と、いくら考えてみても、それは何もないのと同じ。他人との関係性の中でのみ、自分とは何か?が見えてくるものです、というサカッチャンの声が聞こえてくるような気がする体験交流会でした。
 そのあと、姜ちゃんやチョン君と久し振りに会って、プーさん、ポンズ、コキリと一緒に、まるでひばりが丘のHIPPOの場所が戻ってきたような雰囲気で話をしたのが楽しかった。 新しい世界HIPPO(どの国も地方−どのことばも人間のことばの中のナマリでしかない)という話に、チョン君はキラキラした目で合づちを打っていたのが印象的。

★帰国してはじめてのFamily(8月14日)の時★

 いっぱい可愛がられ、ホメられて帰ってきたカバジンやドングリ、ユリちゃんの話を聞いて、ウソでなく成長している彼等に、そしてその子達を送り出した親達自身の話に感動しました。

−以上−


この文章は、わかちゃんが手書きで書いたものを、僕(コッキリ)がパソコンに入力しました。イラストは省略してあります。
8月22日にホームページに掲載した後、若干加筆があり、8月29日に最新版を掲載しました。
なお、僕のヒッポネームは、ハングル:Ko-Kki-Riなので、カタカナで書く場合はコキリでもコッキリでもOKです。
1997.8.29
西武線地域・井内F・コッキリ

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