初めて韓国へホームステイしたこと

ユリちゃん(小5・女)

ユリちゃん
韓国・ソウル教育文化会館にて。ホームステイを終えて集まってきたところ。(向かって右がユリちゃん)
到着が遅れたので、一緒にSADAはできませんでした。
撮影:コッキリ 1997年8月7日

 私は今年の夏、韓国へホームステイをしました。
 もうしこみをしたときはまだ4年生で、半分心配でした。けど、5年生になって「私は今年の夏、韓国へ行くんだ!!」という気持になってきました。私は、どんどん月日がたっていくたびに、こんどは「早く韓国へ行きたい!!」という気持ちにかわってきました。そして、どんどん月日がたっていっていよいよ出発の1週間前ぐらいから「韓国へホームステイに行くんだけど、ホームシックにならないかなあ?」と少し不安もでてきました。そして、いよいよ前日、私は「もう明日日本にはいないんだなー。でも、お母さんやお姉ちゃんとけんかできないからいいや!!」な〜んて思たりもしちゃいました。でもやっばり1人で海外へ行くのは、不安でした。でも、あずさちゃんやさとこちゃんや、まりちゃんや合宿で仲よくなったお友達もいるから、少しは安心できました。でも、まだ不安はあったけど、前日の夜は以外とぐっすりとねむれました。

 ついに出発の当日・・・。わたしは、朝6:00ごろおきて朝ごはんを食べて、出発の準備をしました。そして7:30ごろの電車にのるために7:00すぎに家を出ました。その時、「この家から2週間もでていってしまうんだー。」と思いながら駅に向かっていきました。そして7:30ごろのラッシュの電車におしつぶれながら、ぶじにT−CATまでたどりつけました。そして受付けをすませて、にもつもあずけて、お話がある部屋でまっていました。そして、話がおわってとうとうお母さんとお別れのときがきました。どんどんエスカレーターの方へ向かっていきます。そして、エスカレーターにのりました。エスカレーターの向こうにいるお母さんに、お母さんがみえなくなるまで手をふりつづけました。そして、お母さんがみえなくなったら 「ホームステイがはじまったのかもしれない。」と思いました。けれども、まわりにはまだ日本人のお友だちがいるから、まだホームステイじゃあないかもしれないと思っていました。
 そして、バスで成田空港まで移動しました。そして成田につきました。まだ飛行機にのるまで1時間ぐらいあったので、友だちと成田の中をぐるぐる回っていました。そして、約束の時間になったので、時刻表みたいなところにいきました。そしたらいよいよ私たちがのる飛行機のゲートまで移動しました。そして飛行機にのりました。飛行機にのったら、お話のお部屋にいたときにお友達になったあやちゃんでした。飛行機の中では、漢字トランプをやったり、ねてたりしました。そうする内に、3時間ぐらいでとうとう韓国についてしまいました。
 まず荷物をおろしてバスにのって、ホテルまで移動しました。そしてついにホテルに到着!!まずチェックインをしました。そうしたら、合宿のときおなじへやの子3人とおなじでした。あと2人合宿のときは同じ部屋じゃなかった人だったけど、私もいれて計6人、いろいろとガヤガヤしてました。それに一番のみんなのたのしみは、明日ホストに会うことでした。私は、あずさちゃんやさとこちゃんとちがって、年上のホストでした。名前は金允貞(キムユンジョン)といって、中学2年生です。以前お姉ちゃんがホ−ムステイをした家で、オンマ−や允貞はたぶん私のことをしっているとおもうけど、私はあんまり家族のことがわからないので、少し不安でした。でも一つだけおもしろいことがありました。私の家に調査表がきた時に、うら面に「ペット」というらんがあって、そこに「犬→家出」とかいてあって、家族で大笑いしていました。というようなこともあったりしたけど、この日もぐっすりねむれました。

 つぎの朝・・・。ついにホストと対面!!
 私は、韓国LABOの移動グループだったので、いちばんさいしょにホテルから出発するグループでした。朝の9:00にはホテルを出発して、ソウルの駅までバスで移動するはずでしたが、一人9:00になってもこない人がいて、むりやりおこしてきて全員がやっとそろったと思って、全員バスにのりこんだら、こんどはバスがなかなか出発しなくて、5分たっても10分たっても出発しません。「だれをまっているのかなあ?」と思ってナンシ−にきいたら、LABOの人が移動をする人たち用のおべんとうをかいにいってたらしくて、30分たっても50分たってもバスは出発しませんでした。そして、とうとう1時間ぐらいたった10:00ちょっとすぎごろに、やっと出発をしました。その時は、もう次に移動するグループの人がまっていました。
 そして、ついにソウル駅につきました。駅についたら、駅の中を見るよゆうもなく、ひたすら走りました。そして、セマウルゴにのれたのは、発車の5〜6分まえだった。そして、ソウル駅からプサン駅行きはぶじに出発した。
 そして3時間から4時間ぐらいしたら、ぶじプサン駅につきました。そのころプサンには、台風が接近してきていて、ちょうど私たちがプサン駅についたころから雨がふってきました。そしてスーツケースをゴロゴロところがしていたら、ホストのいる所までつきました。私はまっているホストとアッパーにきがついて、走りながらスーツケースをゴロゴロところがしました。そして、私が韓国に行って初めて言った言葉が、ホストとアッパーに向かって言った「アニョハセヨ」でした。そしたら、ホストが日本語で「こんにちは」といってくれて、とてもうれしかったです。そして、車のある所までいって、車にのって家に向かって行きました。とうとう家につきました。まず、でむかえてくれたのがオンマ−でした。そして私はまた「アニョハセヨ」といったら、オンマ−は「はじめまして」と、日本語でいってくれました。その時もうれしかったです。そして、家の中に入ったら、まずホストの部屋にいって荷物をおきました。そして、すぐ允貞のやっているLABOにいきました。まるでヒッポをやっているみたいでした。とってもたのしかったです。

 そして、たのしい日はあっというまにすぎていってしまって、7/31〜8/2のLABOキャンプはあっというまでした。LABOキャンプでは、ヒッポのお友達とも会えたし、韓国のお友達もできて、とってもたのしかったです。それにいちばんたのしかったことは、全体会みたいなときに、おもいっきりサダをやったり、キャンプファイヤーのときなんてべプシマンもでてきてとってもたのしかったです。それに、キャンプファイヤーをやった日は、とっても空かきれいで、日本ではみられないような、空に星がたくさんちりばめられたようにたくさん星がみえて、とてもきれいでした。そして8/2、韓国のお友達とお別れの日でした。とてもつらかった。お友達がないていると、私までもらいなきをしてしまって、なかなかなみだがとまりませんでした。そして家にかえったら、允貞はとてもつかれてしまって、そのまま朝までねてしまいました。

 そして8/3、きょうは家族(アッパーとオンマーと允員)と私で、お寺にいきました。そしたら、水があって、のんでみたらとてもおいしかったです。かえりに、じゅずとお母さんへのおみやげのゆびわと、あと私は十二支がかいてあるゆびわをかってもらいました。

 そして、どんどん日がたっていって、ホームステイ最後の夜、家族(アッパー・オンマー・オッパー・允貞)と私で、プサンの「ヘウンデ」という海に行きました。そしたら、允貞に手を引っばられて、波にぶつかりました。そうしていくうちに、こんどはたのしくなって、はだしになって自分から波に向かっていくようになって、少し高い波がきたときに自分から向かっていったら、ズボンとパンツまでぬれてしまいました。そして、10:00すぎごろに、車にのって家に帰りました。

 ついにやってきてしまった帰りの日。私は全部荷物をまとめて、あとは韓国のおいしかったおかしをかうために、すぐちかくのスーパーみたいなところにいくだけでした。そして、ホストといっしょにかいにいったときに、ホストはピアノのがくふをもっていて、なんか変だなー?と思っていました。そして、かいおわって家にもどろうとしたら、允貞が「私、ピアノ。ゆり、バイバイ。」といって、ピアノの学院にいってしまいました。そして、私は家に帰りました。そしたら、オンマーが允貞のいったピアノの学院に電話をしてくれました。そして「さようなら」をいいました。
 そのとき、私はうれしかったです。

 そして、家を出る時間になりました。スーツケースを車の中に入れて、いよいよ出発。プサン駅へむかいました。そしてとうとうプサン駅につきました。ホームまで、アッパーとオンマーがきてくれました。とうとう発車です。私はアッパーとオンマーが見えなくなるまで手をふりつづけました。そして、帰りはお昼だったので、セマウルゴのおべんとうをたべました。ごはんとめんたいこはおいしかったけど、あとのおかずはとってもまずかったです。そしてまた、3時間〜4時間ぐらいたってソウル駅につきました。そしたら、プサンやテグからのらず、ほかのセマウルゴにのってソウル駅にくる人もいたので、ジュースをのみながらその人たちをまっていました。そしたらその人たちもきて、バスに全員のってホテルに移動しました。そしてホテルについてチェックインをして、歓送会の会場にいきました。そしたら、歓送会が始まったのは3:30ごろなのに、私たちがついた時間は、5:00ちょっとすぎでした。そして、さきにホテルについた友達にかぎをかしてもらって荷物をおいたりするのに5分以上かかってしまい、歓送会に行くまえにだいぶへ卜へ卜になってしまいました。けっきょく聞けたのは、このあとどうするかという話ぐらいだけでした。そして、夕食も食べて、部屋にもどりました。そして、みんなであそんでいました。あと、ホテルの電話をつかってはいけないのに、つかっている人がいて、私たちの部屋や、ほかの人の部屋にいたずら電話がかかってきたりもしました。

 そして、つぎの日は肌5:30におきなくちゃいけなかったので、はやくねようとおもったけど、なかなかねれなくて、4:00ぐらいまでおきていたけど、そのうちにねむたくなってきて、ねちゃいました。

 そして、いよいよ帰国の日・・・。
 朝5:30にちゃんとおきて、わすれものはないかチェックして、朝食をたべにいきました。その日は、バイキングでした。そして、ホテルを出ました。そして、ソウル空港につきました。AMII:00ごろ出発する東京行きのひこうきにのりました。そして、11:00ごろソウル空港からりりくしました。そして、きない食がでてきたけど、あんまりおいしそうじゃなかったので、フルーツだけたべました。そして、2時間半〜3時間ぐらいたって、やっと成田空港につきました。そしたらこんどは、バスでT−CATまで移動をしました。そしたら、お母さんとお父さんがまっていました。お父さんは、会社にもどってしまい、お母さんとあずさちゃんたちと、さとこちゃんたちといっしょにかえりました。そして、夕万ぶじ家に帰りました。

 <最後に一言>

 さいごにホストとちゃんとお別れはできなかったけど、家族で海にいったりとかしたから、さいごにあえなくても、それだけでもたのしかった。
 私にとって、とてもいい経験をしたと思った。

おわり


この文章は、ユリちゃんが書いて文集に掲載されたものを、僕(コッキリ)がパソコンに入力しなおしました。写真を追加し、イラストは省略しました。

1998.2.24
西武線地域・井内F・コッキリ

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