ロシア日記2003

(インターネット版・2003年8月)
東京・西武線地域・アチャヘF コッキリ

8月10日 (日曜日)

   −−− 新潟へ、そしてロシアへ。ホストと対面。 −−−

 新潟空港には、誰も遅れずに集合。
 台風一過のいい天気で、飛行機もたいして揺れず、無事にウラジオストックに到着。出発前に、機内アナウンスで「サマリョータ」が何回も聞こえてきて、何年か前に青少年交流でロシアに行ったキリン(アチャヘF)の話を思い出した。

★写真左:想像していたよりも、ちゃんとしていておいしかった機内食。飲み物のサービスや飴のサービスもありましたが、すぐに着陸になるので、めちゃくちゃ忙しかったです。★
★写真右:ウラジオストック空港。後ろにとまっている飛行機が乗ってきたツポレフ154。★

 ウラジオの空港で、すでにホストファミリーが待っていて、そこで連れ去られた人も2人ほどいたが、残りはバスに乗り込み、出発。パンヤハリー。
 夜の8時をすぎてもまだお日様が出ていて、その子のテープみたいだね、なんて言っている余裕があるのは最初のうちだけ。途中、交通事故があったとかで大渋滞。のろのろとバスは進み、前を走っているトラックの「秋田大果市場」という文字をながめながら、まだかなまだかな、と2時間ほどもたって、すっかり暗くなってから、バスが止まると、そこにはホストファミリー達が、待ちかまえていた。
 今までの交流の話のとおり、対面式もなく、ホストがみんなを連れ去っていく。
 僕も、ホストをすぐに見つけて(身長183cmのパパチカはすぐにわかった。)、パパチカも僕を見つけ(身長181cmの 日本人は目立つ)、すぐに自動車に乗って出発。 

 パパチカは英語が上手で、以後、会話は英語モードに。これからママチカの実家に行って、預けてある娘のソーニャを 引き取りにいくから、家に着くのは40分後になるとか、ママチカが夕食の用意をして待っているとか、パパチカは7回も日本に行っているとか、ほかの国には10カ国ほど行っているとか、いろいろな話をした。
 話をしながら走るウラジオの町は、街灯や看板が少なく、暗く感じた。
 ソーニャを連れて、家に到着。去年の10月17日生まれのソーニャは、「ダーダーダー」「マーマーマー」だけしゃべって、 目にするものすべてを触って、口に入れて、何とか立ち上がって、1歩歩くとしりもちをつく感じ。(ところが、ステイ中に、5歩ぐらい歩けるようになった!)

 家は、中心部にほど近い、とあるアパートの2階(反対側からだと4階。)ママチカが迎えてくれた。ママチカも英語が上手。 

 パパが着替えてきたら、甚平だったのでびっくり。僕が持ってきたのとほとんど同じだったのだ。前の前のお正月に 彼らの家にステイしたヒッポのメンバーからのプレゼントということで、僕が2回目の受け入れということがわかった。

 もう11時に近いので、大急ぎで夕食。
★写真:メインディッシュの「船長の肉」、というジャガイモのスライスと豚肉をオーブンでで焼いた料理。ほかに、黒パンと、チーズと、ワインなどが出ました。)★

 それから、本部から渡された手紙を渡して、自己紹介アルバムをして、パダルキーを渡して、部屋を全部案内してもらって、シャワーの使い方やら、冷蔵庫の中身やら説明してもらった。
 部屋は5部屋ほどあって、とてもひろくてきれい。バスルームもホテルのようで、お湯も水も好きなだけ使えた。

 僕の部屋はリビングで、ソファーベッドで寝たのであった。
(続く)

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