韓国日記 その2 (2000年4月5日〜4月7日)


4月5日(水・祝(木を植える日))
 岡本さんと10時にイデ(李大)駅で待ち合わせ。ソウルのミニコミ誌のような新聞で、岡本さんが大学近くの下宿をさがしてくれていて、電話をして見にいってみた。大学のすぐ近くで、普通の町並みの中の普通のビルで、2階が幼稚園で、3階が下宿、4階がアジュモニ家族の家。部屋はとてもきれいで、今は家族の誰かが寝泊まりしている、とのことだった。広さは2m×4mぐらい、食事は朝晩、洗濯は4階の洗濯機で自分でして、月40万ウォン、とのことだった。思っていたよりきれいで広いし、安いし、いい物件だと思うが、なにぶん下宿を見るのは初めてなので、これがどの程度のものなのか、よくわからない。とりあえず、もう少しまわってみることにする。
 次に新村駅前までバスで出た。バスはまだよくわからなくて、誰かと一緒でなければ乗れない。バス・地下鉄共通の交通カードというのができていて、それがあるとすごく便利。今はまだ無いので、バスに乗るたび500ウォン払う。
 大学できいた下宿に電話してみると、部屋は無い、ということで、駅の北側の地域をちょっと歩いて散策。下宿がたくさんあるが、繁華街で、夜はうるさいという話を岡本さんから聞く。さらに歩くと高級下宿街?にでるが、どうも女子学生専用のようであった。一応、一件当たってみたが、部屋は無いとのこと。
 一度駅前に戻って、今度は大学の北側を散策。不動産屋が休日で休みのところが多く、開いていたところで1件紹介してもらったが、部屋が空くまで10日待たなければならず、部屋もさきほどの物件より狭くてきたなくて、部屋のすぐ前がリビングで、テレビとかあってうるさそうなので、敬遠。
 さらにもう1軒の不動産屋に行くと、何件かに電話をしてみてくれたが、休日のせいか、なかなか通じない。あとでまた来てみてくれ、とのこと。
 結局、実際に見た物件が2件だけ、という状態で1時になり、昼食をとる。そのへんの店で、トッパブ。メニューを見ただけでは何が出てくるのか分からない、というちょっとした冒険。出てきたのは豚肉と野菜を辛く炒めたものがご飯の上に乗っているものでした。岡本さんはテンジャンチゲ。どちらも3000ウォン。
 それから、タクシーで延世の語学堂に行って、ちょっと見学、バスで西大門のリサイクルセンターで岡本さんが机と椅子を買って、バスで李大駅に戻り、岡本さんの住んでいる家へ。1ルームマンションで、実は最初に見た物件のすぐ近くであることを知った。しばらく休んで、歩いて不動産屋へ行くが、やはり部屋はないとのこと。
 結局、マーフィーの法則ではないが、最初に見た物件に決定。戻って、お金を払って契約する。1日歩きまわったことも、あながち無駄ではないと思う。
 5時に岡本さんと別れて、ホテルへ。近所を散策。祝日のチョンノはすごい人。2000年の手帳を買う。特価品で3000ウォン。帰りがけにカレンダーが目にとまり、買う。2400ウォン。薬屋で、鼻水が出ると言って、薬を買う。2000ウォン。めちゃくちゃ安いと思ったら、5錠しか入ってない(^^;)。仁寺洞をあるいたけど、工事中ですごい状態になっていた。ホテル並びのウドン屋でウドンと水餃子とチュルミョンのセットを食べる。5000ウォン。ホテルへ帰ってから、インターネットへ接続を試みる。NIFTYのローミングはあっけなく接続成功、メールをチェックしてホームページの更新。ただ、夜の12時のせいか、NIFTYのレスポンスが異常に遅いようで、ファイル転送がうまくいかないようである。
 1時にあきらめて寝る。
 

4月6日(木)
 ホテル最後の朝。7時頃に目が覚めてしまった。再びインターネットに接続してみると、今度は問題なくファイルのアップができた。10時過ぎにチェックアウトして、タクシーで下宿へ。親切な運転手で、大学の近所に咲いている白木蓮や、ケナリ(たぶん、山吹)の名前を教えてもらったりした。
 下宿につくと、なんと、まだアガッシが僕の部屋で寝ていた(^^;)。大急ぎで引越しが始まって、20分程で入居可能に。改めて見ると、それほど広くはないものの、快適に暮らせそう。窓を開けると、隣の家の屋根が下にあり、もう1件隣の煉瓦造りの家がちょっと視界をさえぎるものの、あまり高い建物がなくて、遠くまで見渡せて、大学もすぐ目の前、岡本さんの家も、見えそうな感じ。
 まず、アジュモニに教わった布団屋に布団を買いに行く。下宿の近所は昔ながらの小さい店がたくさんあって、おもしろい。布団を買う時「背が高いので大きいのがいい」と言ったつもりが、あとから考えてみると、「コガ キールンデ(鼻が長いので)、クンゴッシチョワヨ」と言ったような気もする・・・(^^;)。とにかく、大きな(丈が2mある)敷布団と掛け布団、枕を手に入れた。90000ウォン。高いのか安いのか、よくわからない。
 下宿まで運んで敷いてみてから、今度は近所で洗濯物を干す台と、小物を入れるボックスを購入。15000ウォンと5000ウォン。これで、とりあえず部屋らしくなった。
 そうこうしているうちに1時をすぎたので、イップニの家へ。もう、4回目なので、一人で行ける。6才になったスチョルが大歓迎してくれた。オンマに頼まれて、一人で牛乳を買いにいったりもできるようになっていた。やがてスチャンも帰ってきた。「タクチハジャ、、タクチ」というので、何かと思ったら、メンコのことだった。日本のメンコとちょっと違って、紙を折ってあるものだけど、遊び方は同じで、相手をひっくりかえせば勝ち。ひっくりかえると、タッタ、タッタ、と大騒ぎ。昔聞いた話を思い出した。語学堂に通って韓国語ペラペラになった学生がいたんだけど、下宿先に帰って子供にメンコで遊ぼうと言われても、何のことか分からなかった、という話。僕は少なくともメンコは分かるようになったぞ(^^;)。
★左:ひょうきんもので、ギャグマンというニックネームを持つスチョル。★
 イップニの家の新しい車で、5時からの、クレオパトラのファミリーへ行った。ほかに、クレオの妹のシャンペインと、もう一家族がいた。SADAをして、メタ活して、アンジュセヨ。
★左:プンダンのクレオパトラのファミリー。この日は4月13日の選挙のため会場が使えず、家でやっていました。★
 そのあと、LEX KOREAのページができたというので、見せてもらう。ここの家はなんと、ADSLによる専用線接続だった。
 それから、僕のページも見てもらう。日本語のフォントを入れれば、日本語の表示ができる、という話をすると、ぜひそうしたい、ということだったけど、時間が無いのでこの次にする。
 教会によってから、家に帰ると、アッパが帰っていた。うどんを食べて、寝る。花粉症なのか、中国の黄砂なのか、鼻づまりが直らない。

4月7日(金)
 富川のリュウ宅で説明会。スチャンを幼稚園に、スチョルを運動のクラブに送り出してから、イップニと電車に乗って出発。
★左:相変わらずの、食事の風景。★
 あまりにも鼻水が止まらないので、駅前の薬局で、薬を調合してもらって飲む。この薬のせいなのかどうかわからないけど、この日から鼻水は止まった。
 富川の街は新都市ということで、とてもきれい。特に、リュウの家は引っ越してきたばかりで、玄関に人が来たときにモニターで見ることができるとか、オンドルの熱源は町全体を管理しているボイラーから送られてくるとか、びっくりすることがたくさん。
★左:富川の新しいアパート群。★
 説明会には、9人の新しい人と、5人のフェロー(リュウ、ドナ、ランラン、オドリ、コド)、2,3人のメンバー、それに事務局のアガシが来た。ニコちゃんも、遅れて来た。やはり、テープ代が高い、という声があるようだったけど、熱心に話を聞いていった人もいた。一緒に昼食を食べて、解散。
★左:説明会。★
 僕も体調がちょっと悪く、リュウも疲れていたので、2時から4時までお昼寝。初めて訪れた家で、いきなり昼寝ができるのはヒッポならでは、かもしれない。
 夕方、高校生の娘さんが帰宅。チョウムペケスムニダ、と言うと、日本語で「忘れたの?」と言われてしまった(^^;)。昨夏、ドナのファミリーで会ったとのこと。それと、このお正月に松山へホームステイした時、ゆきちゃんの家にも行ったということだった。ゆきちゃんは、去年の夏にホンシルの家にステイしていて、そこで僕とも会っているのである。やがて、中学生の息子さんも帰ってきたが、やはり、僕を日本で見たことがあると言う。この世界は超せまい(^^;)。やがてアッパーも帰宅。気さくな、やさしそうな人だった。夕食は、各自適当に、昼の残りを食べていたが、僕は温かいものが食べたかったので、ラーメンがあるか、と尋ねたら、戸棚にたくさんあった。辛くなさそうなのを選んで、作ったけど、やはり辛かった(^^;)。
★左:リュウと、娘さん。★
★右:インスタントラーメン。★
 9時から1時間ほど近所を散策。ソウルと同じく、横文字の看板、DDR(ダンスダンスレボリューション)とPUMP(韓国製のDDR)が主流のゲームセンター、携帯電話の店、小奇麗でおしゃれな店が軒並み増えていて、僕の知っている韓国では無いようだ。
★左:近所の商店街。★
★右:PCバンはインターネットができる店。★
 歩きながら、リュウが日本に行った時に東京でもんじゃ焼きやミクラジ(どじょう)を食べた、という話になり、僕がどちらも食べたことが無い、と言うと、「あなた、日本人?」・・・でも、この前、日本のメンバーではっちゃんというアジュモニが来た時、リュウは始めてテミリ(あかすり)に行ったということで、「本当に韓国人?」と、どっちもどっちで、爆笑。
   家に帰ってから、リュウがこの正月にステイしたマリリンの家と、この前の大学生交流でリュウの家にステイしたフクロウの家へ電話をした。こうしていると、外国という気がぜんぜんしない。
 リュウの家でも、1日中テープが流れている。ただ、オートリバースでないのですぐにひっくりかえさなければならないのだった。僕もこの日だけで5回はテープをひっくりかえしたと思う。  この夜は、息子さんの部屋で寝かせてもらったが、ここにあるパソコンが専用線でインターネットにつながっていて、娘さんが学校のクラスメートと夜中の3時までチャットしていた。時代が変わったと感じる一幕であった。


目次に戻る