韓国日記 その8 (2000年4月24日〜28日)

4月24日(月)
 9時〜1時授業。午後は取手のHIPPOのメンバーで、こちらに住んでいる家族の家にカレーライスを食べに行った。こちらに来てからほとんど毎食が韓食で、飽きてきた。一番食べたいのはカレーライスとラーメン。ただし、どちらも日本風のもの。というわけでこういうことになった。こちらの家族はもう数年間ソウルに住んでいて、長男のマサキ君は2年前、韓国にいる間にアメリカ交流(ペンシルバニア州)に参加している。
 6時半に駅で待ち合わせ、途中銀行に寄って、今日の宿題、「銀行でお金を振り込むこと」をする。それと、前から買おうと思っていた交通カードを買う。これはバスと地下鉄に乗れる、東京のバス共通カードとメトロカードを合わせたようなカードだけど、違うのは改札の機械を通すとき、財布にいれたままでOKというところ。バスも同様、運転手の横の機械に財布ごと近づければいい。さらに驚くのは、残金が少なくなったら、足せること。バス停のそばにたいていあるタバコ屋で「充電」できる。
 さらに、地下鉄の「万ウォン券」のことも教えてもらった。これは1万ウォンで買い、1万1千ウォン分使える切符。お得な上に、最後に端数が出て残りが最低料金の500ウォン以下になっても、最後の一回は使えてしまい、さらにお得。(韓国の地下鉄は市内がほとんど1区間500ウォン、遠くまで行くと600とか650とかになる。僕は果川とか仁川とか城南に行くことが多いので、たいてい600ウォン以上になる。)さらにさらに、僕は学生なので(^^;)学生用万ウォン券が買えるのであった。これは10000ウォンで12000ウォン分使用可。
 カレーライスは美味しいし、家の中も日本と変わらず、話をしていると日本にいるのと変わらない。ほかにもいろいろと、こちらで生活するのに有益な情報を聞いて、午後7時頃から4時間ほども、長居してしまった。
 12時前に帰宅、寝る。
★左:上が交通カード。クレジットカードと同じ大きさ、厚さです。下が万ウォン券。切符と同じサイズ。★
4月25日(火)
 授業のあと、一度下宿に戻り、果川へ。マリアンヌに電話すると、市民会館のボーリング場にいる、ということ。それだけ聞いただけで行ける自分がすごい(^^;)。マリアンヌがコーチをしているボーリングチームが試合をしていて、愛知のフェローのサーシャもいた。チョウムペケスムニダ。それからマリアンヌの家に行き、遅めの昼食にキムチポックンパブをご馳走になる。やがてマリアンヌの娘、息子も帰宅、いろいろ話をするうちにすぐ夕食。チャプチェを作ってくれた。美味しい。
 8時からホンシル宅でティーパーティ。ジプシーとビビアンしか来なかったけど。僕がもっていったSADAの画像をデジカメからテープにダビングした。
 11時になり、そろそろ帰らなくては、と言うと、去年の夏、サバイが来た時に乗り換えの電車が終わっていてタクシーで帰った話をみんな知っていて、まだ電車があるか、駅に聞いてくれた。そしたら、10時50分に乗らないと、駄目だということ。電車が無いので、今日は泊まっておゆき、とオンマが言ってくれた。毎度毎度、じつに迷惑をかけるなぁ、と思いつつ、甘えることにする。地下鉄で途中まで行って、あとタクシーで帰ってもたいした距離ではないんだけど・・・。
 スンスーが12時過ぎに、そしてイェジは1時過ぎに帰ってきた。こちらの高校生は大変である。スンスーは、突然のことなのに、嫌な顔もせずに僕にベッドを貸してくれた。毎度のことながら申し訳ない。
★左:マリアンヌ宅にて。★
★右:おなじみのホンシル宅にて。メンバーもおなじみのホンシル、ジプシー、マリアンヌ、わたがし(ソンサタン)。3人目(一番奥)が愛知から来ていたフェローのサーシャ。★

4月26日(水)
 相変わらず、この家では朝の5時半に大きな音で目覚まし時計が響き渡り、一度目を覚まして、その後うとうとしつつ7時前に起床。やはり学校に行くことにした。朝食をスンスーと一緒にとり、7時20分、ホンシル宅を出発。まだラッシュ前なのか、電車はすいていた。8時半に下宿に着き、無事に9時からの授業に間に合った。
 授業が終わるや否や、李大前へ。リュウと、アラレちゃんのホストのオンマと、昼食。中華の店で、カス麺といういうものを食べる。キシ麺のことかと思ったら、ぜんぜん違い、この前食べたウル麺と同じようなもので、タンメンのようなものだった。おいしかった。そのあと、ちょうどそのオンマが果川に車で行くというので、乗せてもらうことにした。それにしてもすごい偶然である。
 途中、車の中で、電話が鳴った。プンダンのサラのファミリーのメンバーのタンポポからだった。友人が熟の英語の講師をさがしているので、大学に適当な人がいないか、ということだった。明日、学校であたってみることにする。
  果川に着いてから、オンマの通っている教会がちょっとした博物館になっており、そこをちょっと見学してから、マリアンヌの家へ。お菓子と果物をちょっとご馳走になってから、サーシャ、ジプシーとともにファミリーへ。ファミリーは12人ほどで、ちょっと少なかったけど、SADAをたくさんして、アンジュセヨではサーシャの紙しばい、それと中国語の空港とか、スペイン語の手紙とか、みなで歌った。
 ファミリーの後は、楽しみにしていたチムジルバン(サウナ)へ。僕とサーシャと、韓国のオンマ6人。隣の安養市にあり、車で行った。日本の健康ランドと同じようなところで、入浴料7000ウォン、タオルとシャツ、ズボンのレンタル料が2000ウォン。これらは持ち込みも可だけど、色は白に限る、とのこと。更衣室でシャワーを浴びてから借りた服を着て、大休憩所へ。大きな部屋で、飲食コーナー、大きなテレビ、囲碁将棋コーナー、などがあって、人々がくつろいでいた。やがて女性陣がきて、チムジルバンへ。ここも広くて、日本のサウナほど暑くはなく、うんとオンドルのきいた部屋、という感じ。座ってもいいし、床にねっころがってもいい。
 食事はワカメスープの定食。美味しかった。そしてもう一度サウナへ。暑くないといっても、しばらくいると、汗がたらたらと出てくる。外に出ると、暑いのは好きではないというジプシーがテレビを見ていた。隣に座って、しばし韓国語の講義をうける(^^;)。
 時間も10時をすぎて、そろそろ帰らなければならないのだけど、みんなはまだここにいたい、ということで、僕だけ1人で帰る。地下鉄4号線の駅がすぐそばだった。11時30分帰宅。
4月27日(木)
 9時〜1時授業。眠い。昨日、一昨日の疲れが出た。朝から雨で、ちょっと寒い。英語の先生の件を3人ほどにきいてみるが、1人は時間が無く、2人は遠いので駄目だとのこと。
 午後、家で今までもらったプリントの整理。さらに写真の整理、ホームページ作成、などをするつもりだったが、どうにも眠くて、2時半から5時まで昼寝。起きてから李大のリュウのファミリーへ。今週は李大の中をとおらず、外側をぐるっとまわってみた。ファミリーには僕とリュウ、それにオンマが2人来ただけで、SADAもメタ活もせず、ずっと話をしたけど、とてもおもしろかった。
 ・「きもちいい」ということばが、最初は「もち」という音だけが聞こえてきていた。
 ・「ふたごみたい」ということばが、最初はどこで切れるのかわからず、「ふた」「ごみ」「たい」で切れるものと思っていた。
 といった、韓国のオンマのテープを聞いての話は、とても面白い。それに、前にステイした子が「まいこ」ちゃんだったんだけど、最初は「まいご」「まいご」と呼んでいて、直されたけど、あとからそれが迷子(韓国語だとミア)だとわかった、とか、いっぱい話をして、それから日本語のおじいさんの話がとても難しい、特に語尾が聞き取れない、という話になった。教えてほしい、ということでちょっと始めたけど、僕は韓国語でならできるけど、日本語だと細かいところがわからない(^^;)。オンマの1人は英語でならできるけど、韓国語だとよくわからない、という感じで、面白かった。
 それと、リュウが下宿生活の栄養補給にと、ミスカル(穀物を粉にしたもので、砂糖を混ぜて、お湯、または牛乳に溶かして食べる食べ物。)をくれた。さらに、アラレちゃんのホストのオンマから、前に言っていた小型テレビを貸してもらった。小さいテレビと言っていたので、10インチぐらいのものかと思っていたら、電池で動く液晶テレビだった。リュウも初めて見た、とのこと。よく見たら、カシオと書いてあり、電源も100V用。日本のものだった。韓国の放送が入るのか、疑問だったけど、デジカメの電池で試してみたら、意外にも奇麗に映る。ファミリーの会場が山の頂上だったせいもあるけど、下宿でもそれなりに映った。
 ファミリーの後、4人で食事。李大の前の通りにある「FEYI(富悠...悠の字がちょっと違うかも。) express」という、アメリカンスタイルのチャイニーズレストランにて。14席ほどの小さな店だけど、きれいで、女子大生がたくさんいた(^^;)。おじさん、おばさんにはちょっと似合わないかも。料理は、たしかに中華で、美味しかった。ただ、ここでも、ほかの中華料理店と同様、付け合わせにタクアンが出る。
★左:李大前のおしゃれな店。女子大生しかいません(^^;)。★
★右:メニューも、いかにもお嬢様が食べそうな感じ。★

 リュウに家まで車で送ってもらった。じつに世話になっている。それにしても、昨日、今日とずっとアジュマと一緒に行動しているなぁ(^^;)。
 家に帰ってから、もう一度電話をしに外出。オドリに、明日行く旨電話。それと、黄氏に電話。彼は、パソコン通信での友人で、10年ほど前に韓国に来ていたころ、よく会っていたのであるが、この数年は連絡していなかった。番号が変わってないかな、と思いつつ家に電話をすると、奥さんが出た。まだ会社にいるということなので、番号を聞いて電話をする。「ぐるんぱエヨ。」と、言うとすぐに思い出してくれて、来週にでも会おう、ということになった。
 

4月28日(金)
 なぜか、あまりよく眠れなかった。そろそろ、ベッドで寝たくなってきた。
 会話の授業は今週の復習。若干の問題が発生。基礎ができてないのである(^^;)。4級で新たに習うことは、まあなんとかなるにしても、3級までに勉強してきた内容が必要な問題の場合、お手上げ。先生に指摘されて、休み時間にクラスメートに教わった。ちょっと前から感じていたけど、僕の場合はほとんどが耳で聞いて覚えた韓国語だから、たとえばハングルの部品の名前とか、動詞の変化とか、すごい基本的な部分がかなり抜けているのである。たぶん、このまま5級に進んで勉強するとしたら、しんどいことになりそうである。3ヶ月だけにしておいてよかった(^^;)。
 それに、昨日の電話を例にとっても、どうにもことばがわからなくて困る、ということは無いので、まあ、学校の勉強は適当に、とお気楽に考えよう。
 昼食は例の中華料理屋へ。覚えていてくれた。これで顔なじみの店が写真屋に続いて2軒目。チャジャンミョンを食べた。顔が韓国人のようで、日本人には見えないと言われた(^^;)。自分ではそうは思わないが。その後は選択、じゃなくて洗濯。午後の選択授業(料金は別途)の発音のクラスも受けたいような気もするけど、どうにも忙しい。
 洗濯が終わってから、高陽市のオドゥリーのファミリーへ。オドゥリーはホンシルの妹で、この前日本に来た時、横浜のチェミ宅にステイした時に会ったのだった。高陽市までは地下鉄で1時間15分程。遠い。
 ファミリーには5家族ほどが集まった。小さい子が多い。SADAをして、座ってメタ活、アンジュセヨ。やはり小さい子が日本語とか英語で自己紹介。みんなが中国語のお祈りとか、日本語でパパが帰ってきたところとか、ドイツ語の空港とか、うたった。僕は自己アルと、最初の手紙を中・西・韓で。
 ファミリーのあとは、今日はオドゥリーが忙しいということで、メンバーのポニーの家におじゃました。2人の息子達は6才と5才で、とっても恥ずかしがりや。ポニーのお母さんが、わざわざ来てくれた。彼女は戦争が終わったときに14才だったそうで、それまで日本の神戸に住んでおられたとのことで、きれいな日本語を話す。受け入れをした時に、困ったことがあると、救援に来るとのこと。今回は極力ハングンマルで話していただいた。一緒に夕食のプルコギを食べて、コーヒーを飲んだ。砂糖もミルクも入ったコーヒーのことを、前はチャパンギ(自販機)コーヒーと言ったけど、今はヨンブイン(令夫人)コーヒーというそうだ。以前に李花女子大に通っていたHIPPOのメンバー、南さんもこの家に遊びに来たことがあるそうで、その手記があったので読ませてもらう。李花も宿題が多くて、家で4時間勉強したと書いてあり、ああ、西江はやはり少ないんだなぁ、と納得。それに、授業で面白いのは、週に1度くらい、2人が前に出て、テーマにそって実際に会話をすることで、それが漫才のようだ、と書いてあったけど、西江ではそれがほぼ毎日なのだ。
★左:オドリーのファミリー。★
★右:ポニー宅にて。★

 ハルモニが帰り、話をしていると、やがてアッパも帰宅。写真を見せながら、話をする。ほとんど、韓国語で話をしているのだけど、このところ、どうにもHIPPOのことばと、学校で学んだことばが自分の中で衝突していて、気分が悪い。
 今日は、泊まっていってもいいよ、と言われて、おことばに甘えることにする。本当は4月から3ヶ月間、フランスの女性を受け入れる予定だったそうなので、まあそれほど迷惑ではないかな、と思う。子供部屋を僕が占拠、念願かなってひさしぶりにベッドで寝る。
韓国に来てから27泊のうち、ホームステイが7回。4日に1回というハイペース。


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