帰国直後に書いた文章

帰国した翌日(5月3日)に書いた文章です。


上海から帰ってきました

昨日(5月2日)、上海交流に参加した26名のうち、23名が帰国しました。(わかちゃん、たしろちゃん、すみれちゃんの3名は北京の交流をつくりに行ったため)

詳しい報告はホームページに掲載予定ですので、簡単な印象を。

今回の交流は、全体的に見れば最高だったと思います。

まず、良かったのが、受けれいれてくれた村です。26名21家族のうち、20名15家族が、李子一村というところにお世話になりました。
村と名はついていますが、上海市内の住宅地で、大通りからちょっと引っ込んだところに、40戸あまりの家が建っています。それぞれの家は3階建てで、とても広くて、普段使っていない3階をホームステイに提供してくれた家が多かったようです。トイレは各フロアに洋式の水洗のがありまして、シャワーもあり、快適に過ごせました。
これだけ近代的な家ですが、しかし、住んでいる人々はとても純朴で、いい人達でした。これは具体的に説明するのが難しいんですが、例えば道で会ったときにも笑顔で挨拶をかわしてくれるとか、ちょっと他の家に遊びにいくと、あっという間にごちそう攻めになってしまうとか・・・。そしてほとんどの人は日本語も英語も全く話せないんですが、とにかくよく話しかけてくれます。外国人が来るなんて初めて、ホームステイなんて想像もつかなかったと思うんですが、みなさん、「人」を自分の家に招き、「人」と話をするのは大好きなようでした。

そしてサンクスパーティは、歩いていける所で、ホストファミリーも一緒に、サダをしたり、紙芝居を見せたり、歌を歌ったりしました。

それと、今回の交流をきっかけに、上海にもヒッポができるかもしれません。かなり具体的な話がすすんでいました。

問題点も無いわけではなかったんですが、このように素晴らしい交流でした。

が、しかし・・・・

個人的には、体調を崩してしまい、最低のホームステイになってしまったのが残念です。中盤から風邪をひき、ホームステイ最後の日には高熱でフラフラでした。せっかくのご馳走も食べられず、ステイ最後の1時間をベッドで寝ていたという、悲惨な状況でした。ホテルに着いた時には、若干おさまっていたものの、心配してくれたスカニー(上海の交流の世話をしてくれた人で、3月の交流でわかちゃんの家にステイした人。)がわざわざホテルの部屋に医者を呼んでくれました。熱を計ったら38度7分でした。海外へは25回目(うち、ヒッポの交流が10回)ですが、医者にかかったのは初めての経験で、今思うと写真を撮っておけばよかったと(^_^;)。
そしてホテルに1泊して、日本へ帰ってきたんですが、今回は全員関西空港への到着で、空港へは文ちゃん、アミーゴ、ターキーはじめ関西のHIPPOメンバーがお出迎えにきてくれていました。しかし、僕はどんどん悪化してい て、大変でした。一番辛かったのは関空から羽田への国内線で、気圧が低かったせいもあるのか、息をするのが辛くて、このまま呼吸困難で倒れるんじゃないかと思いました。
でも、家に近づくにつれ楽になり、家に着いた時には熱も下がったようで、ああよかった、と思ったんですが、念のため計ったら38度4分。すでに、これが平熱と感じる体になってました(^_^;)。昼はいったい何度あったんでしょうか。このままではどうなることかと思いましたが、日本の空気を吸って、日本の水を飲んで、日本の風邪薬を飲んで(向こうでは中国の薬を飲んでいました)、10時間、一度も目を覚まさずに寝たら(数週間ぶりです)、なおってしまいました。

そんなわけで、これからが楽しみな上海交流でもあり、また、いろいろと心残りもある交流だったので、絶対にもう一度、上海に行こう、と思っています。

1997年5月3日
東京・西武線地域・井内F
コッキリ(ぐるんぱ)


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