わかちゃんの上海・北京体験記

この文章は、わかちゃんがファミリーニュースNo.120に書いた文章をもとに、若干筆を加えたものです。

カット:豫園 カット:回来了
 HIPPOならではの3才〜79才までの26人の多彩なメンバー(4世代一緒に、まるで大家族!)で上海の交流に、その後、田代ちゃん、スミレちゃんと一緒に3人で北京の交流創りにまわって帰ってきました。
 何がおもしろいといってもHIPPOの仲間達と丸ごと人(初めて出会う、その国の人)にぶつかるのが何より楽しいのです。まさにいつもファミリーの場で“ことばと人間”にむきあっているそのままが、各人にとんできて自分のことばがイヤオウなく引き出され、人とつながってゆく“生(ナマ)”の体験と出会いなのです。
 今回の交流に行く前に私は“DNAの冒険’96”の本をさっと大波で読みました。トラカレ生達がこの本を創ってゆく時、毎週原稿を書いて持ち寄って、それを“全チャラ(全部ないものとする)”にして又次の週書いて持ち寄り、又“全チャラ”にして‥‥というのを繰り返しながら(講座を創ってゆく時もそうでした)創っていたのを知っていました。
 それがとても面白いなぁと思っていたら、ピアノ(ピアノは昨秋入会したオンマで、分子生物学を研究者としてやっていた人)もDNAの感想で目をキラキラさせながら“わかちゃん!私、この全チャラっていうのに感動したわ”と言ってくれたこともあって、私の中に“全チャラ”ということが残っていました。そして、人間とは単細胞(大腸菌etc‥‥)のようにDNA=遺伝子といえるくらいDNAの99%を使って効率よくふえていくものでなく、95%は捨てていて何と5%しかつかっていないヘボ。おまけに多細胞の中でも相当ヘボで、他の動物(犬、ネコ、猿etc.‥‥)は生れてホンノ少しの時間で歩いたり独立してゆくのに、人間だけは1年間近くも歩けず何としても弱いヘボ!!だから人間はことばを見つけたらしい!!人間は(過去・現在・未来を持つ)ことばなしには生けてゆけない存在なのです。そう、人間=ことばだったのです。
 そこでトラカレ生達がウクレレで歌っていた“ヘボの賛歌”(愛の賛歌のメロディー)が私は大好きなので、上海に行ったら対面式の時、何 is HIPPO?の紙しばいと一緒にみんなでこの歌を唱うことにしたのです。(トラカレ生のユンケルがウクレレをひいて)
“どんな〜にヘボくても〜、私を抱きしめて、どんな〜にヘボくても、生きていたいの〜、
 ヘボな私だから〜、ことば〜を見つけたの〜、めぐり〜めぐ〜って、しんかしてるのよ〜。”
 そして、上海の最初の日のホテルで、全国から集まってきたみんなと一緒にこれを上海弁で歌うことにして(3月の上海受け入れの時、大はやりだった、トーチャンフーとチンワーツァイナーとティンターラとスカニーを入れて)、みんなで
カット:ヘボの賛歌

を創作したのです。全国からの参加だから初めて出会う人達も、この歌と対面式をどうするかの相談で一気に仲良しになってしまうのが嬉しかったのです。
 というわけで、私は“全チャラ”“ヘボ”をテーマに、そしてユンケルとの合言葉は“負けない”で、どんなに固いエライ人ともその人のBéBéの所と会う決意をして、上海、北京のHomeStayに入ってゆきました。

 さて、私のホストは若い夫婦(シャオパン(夫)28才出版社、ティンティン(妻)25才幼稚園教師)で、まだ子供がいない家でした。でもすぐに解ったことはティンティンの幼稚園の園長夫妻(ペイペイとフィフィ)が私のマーマ、パーパで、シャオパンとティンティンは私のアールズとニューアーという形で受け入れてくれていることでした。メチャクチャみんないい人で仲良しで、上海弁のウズの中(毎日、幼稚園の先生達や親類の人達と一緒なので、いつも10人以上の人達に出会っていた)、弾ガンのように飛んでくる上海弁!!解るような解らないような、まさしく“全チャラ”と“ヘボ”で丸ごとの体当り!!
 犬のように五感全部を働かせて対応してゆくのはホント疲れたけれど、ただひたすらその人とつながること、何があってもスマイルとトーチャンフー(みんながこのことばを言うと笑う)とティンターラ(スゴーイ)で切りぬけ、あとはショッタラ!(わかった)とシャジャノ!(ありがとう)の連続。
 相手の言っていることをオウム返しに言って相手の目を見つめていると不思議に解ってくる。(これって、毎回のファミリー活動のメタ活と同じ!!)そんな、こんなをしていると、あまり一生懸命聞いてなかったTapeの音が自然に脈らくなく出てきて、それを口に出して言うと皆大笑いしている。例えば、車と自転車と人が入り混じってまるで競馬場のレースのようにすりぬけてゆく道路では、プノンシャンシン!あ〜パーパ、カレーパンマン!チンワーツァイナー?ハイパーラマー!と言ったり、夜ねる前に若夫婦2人にむかってパーパワーン、マーマワーン、ワーンハエズメン、ハオハオシュイバ!!とか、台所でお料理を作りながら突然ニーノンパオショーミーミーマー!とか、カレーの時は又、あ〜パーパ、カレーパンマン!とか、etc.‥‥
 なにしろ、Tapeの中の出てくる音をそのまま言ってみると、みんなお腹をかかえて笑いコロゲルのです。でも考えてみれば日本にこんな外国の人が見たら、私も笑いコロゲルだろうなぁと帰国してから思うのです。(お料理作りながら、オマエ秘密守れるか?とか、パパ助けて!とか叫んでいるわけなのです。)そして、みんなに言われたことは“とっても上手!!”の拍手と驚き!だったのです。そして、ソノ子のTapeの中のチョーツーチェンメンは何度使ったことか!何を見てもチョーツーチェンメン!(料理でも景色でも何でも‥‥)中国の人達にもついにこのことばがのりうつって言っていたり、写真を撮る時はHost達も大声で“チンワーツァイナー”そしてトウショートウショーピンミンショー!(もっともっとしゃべりたい)の所を言っているとトウチートウチーピンミンチーと言われて(食事の時に)もうお腹いっぱいなのに思わず食べてしまったり‥‥。
 何しろ、自分から発信してゆくと必ず何か話題になって(話題のない時は歌を唱ったり‥‥我是トーチャンフーetc.とか)仲良しになってゆくのだと実感しました。(これも やっぱりファミリー活動と同じだなぁと思うのです。家で聞いてきた(面白くきこえた)Tapeの中の音をとりあえず言ってみるとか、人の言ってるのを聞いて真似するとか。話題のない時はソウルを歌ったり(大波−そう、ヘボが大切!)Tapeの中の一節を歌ってみたり(SADAでも何でも)‥‥)結構ヤブレカブレのヘボをさらけ出していると笑いが生れていつのまにか(無意識に)“ことば”ができるようになって、人と仲良しになっている自分に気がつくのですね。
あっ、これってやっぱり赤ちゃんのやっていること!!

ところで、あぁそうだったのか〜と驚いたことは上海動物園に行った時!!私達は動物の名前を沢山知っている。それも“ぞうさ〜ん”とか“ぶたさ〜ん”とか“ダチョウさ〜ん”とか、まるでカバジンの様な言い方で‥‥!!
 ターシャンシェンシャンとかマーダハエズ、チュードハエズの音と共に、カバジンのようにその動物に会えるのが嬉しくて、思わず“ボクはゾウの子ですか?”ときいてしまいたくなるのです。これってやっぱり面白い!!大人は動物園なんか楽しくない、ということではないのです。何と、ここが一番印象に残った嬉しい場所で、一緒に行ったシャオパンやティンティンと一緒にカバジンの“ボクはな〜に?”のメタ活をして、みんなも“ボクはな〜に?”の日本語や“ゾウさん”など言いはじめてくれたのですから!!
 それと、昨年上海に行ってきたガッチャンの話の中で、パンダを見に行く時、パンダを説明するのに“ヘイダパイダ”と言っていたらサッカーボールのゴミ箱の所に連れて行かれたというのを聞いていて、大笑いしていたのを思いだして、その同じゴミ箱カット:ボールを見つけた時は感動で思わずヘイダパイダ!!チューシーパンダ!!大熊猫(ターショーンマオ)と言ったら、又、又大笑いになってまるでガッチャンがそこに居る様で楽しかった。

 そんなこんなをしながら、HomeStay最後の日に、今回受け入れ母体になってくれている上海総工会の国際部長(上海のアメリカ担当で英語ベラベラ。ニクソン大統領が来中の時も一緒にかかわった人=3月に我が家へHomeStayした李慶(あだ名スカニー)の上司)や党書記の人に招待されたのです。日本担当の李慶はこの3月にHIPPOのホームステイをして一緒に活動をして以来、“長年日本担当でいろいろな日本人に会ってきたけど(全部仕事を通じてなので日本の中でも共産党や労働組合の人達、この頃は民社党etc.‥‥)HIPPOの人のようなウソのない広い世界を持っている人達に出会ったのは初めてで、自分のため、そして自分の息子(10才)の為にこの多言語の活動を上海に創りたい。(中国は一人っ子ばかりなので、この国の将来が不安。ぜひ広い世界で育てたい。)”という熱い想いがあり、招かれたのは、この3月に沖田家(テツ、マコちゃん、ハカセ、レッドキング)へHomeStayした范さん(リンダ)とコキリ、ミカ、田代ちゃん、スミレちゃん、国際部長、党書記、李慶、私の9人でした。
 そこでは上海弁、日本語、英語のチャンポンで、自分達のHomeStayがどんなに楽しかったか、我是トーチャンフー、ニ是トーチャンフーと言いながら、HIPPOでは文化、言語の異いを越えてお互いに同じ人間を見つける所。世界中どこでも赤ちゃんは同じ。母語のように、その国のことばを話したい。その国のことばを大切にすることは、その人自身を大切にすること。世界中に、このBéBéが先生の自然習得のネットワークを広げてゆきたい。etc.‥‥話しているうちに、この国際部長も党書記も段々HIPPOのファンになってきて、顔も笑顔いっぱい。“本当の世界平和はここにあるのではないか!”と国際部長の趙さんに言われた時は、思わず握手をしてしまったのです。まだまだ上海にHIPPOができる(活動として)には政府との交渉その他むずかしいことが沢山あるのですが、このあと私のマーマ、パーパと李慶が話し合って、とりあえず上海で一番いいとされている、この幼稚園の3才児のクラス(ティンティンが担任)の家族から、土or日の課外活動として、家族で多言語のHIPPOをやってゆきたい、その為に李慶が7月に又、仕事で日本へ来るので、その時HIPPOの本部と相談してTapeのことetc.‥‥のとりきめをしたい、ということになりました。ワ〜イ!!今後はHIPPOのTapeをきいて家族でHIPPOをしている家庭にHomeStayできるようになるかも知れない!!一歩踏み出した、ほんとうにティンターラ!!な上海でした。
 そして、その夜ホテルの一室に集まってみんなのホームステイの様子を聞き合いました。誰の感想も、全部笑いと涙につつまれていて、ほんとうに暖かく、大歓迎をして、ほんとうの家族のように包んで頂いたのだなぁと感動でした。太謝謝了!!シャジャノンです!!
 特に今回、李子園という開放村に、3才〜79才までの20人がむこう三軒両隣に、村長みずから受け入れをして頂いて入り、コキリ、チョウチョウさん、プランちゃん、ミカ、ビック家族もそこだったので、その話は又、又、各人ちがっていて面白いので聞いて下さい。

 さて、私達3人(スミレちゃん、田代ちゃん、私)はみんなと上海空港で別れて、北京へ廻りました。今までヒッポでは北京でホームステイがしたい!!と念願しつつ、政府のおひざもと、ということもあって、なかなか開くことができませんでした。
 そこで今回、私達は上海に行くことを決めて以来、ついでに何とか北京にも穴があけられたらいいなぁという思いで、とりあえずスミレちゃんの娘の主人カール(アメリカ人)の友人で、シャンという中国政府文化部の役人の人が、HIPPOのホームステイが北京でもできると言ってくれているらしいので、そこにアタックしてみようということになり、スミレちゃんを中心にFAXを送ったり、調査表やHIPPOの資料を送ったり、どんどん動いていたけれど、やっぱりなかなかムツカシイらしくOKの返事がこない状態で上海を出発。
 上海のホームステイ最後の日にアメリカのカールからスミレちゃんにTelが入り、2軒(2人と1人に別れて)にホームステイできるというNewsが入り、私達は大喜びで、まだ会ったことのないシャンの待つ北京空港へ着き、カット:看板という看板を持って待っていてくれたシャン(項)の顔を見た途端に、3人が同時に言ったことばは“若い”だったのです。
 シャンの奥さんのフェイ(非)との何回かのFAXのやりとりの中で、とってもしっかりした文章や考えを見て、私達はすっかりもっと年上の人を想像していたのです。
 シャンとフェイは北京大学の同級生で、2人共結婚して5〜6年間はアメリカのロスアンジェルスに住んでいた。(シャンが中国大使館で働いていた為)その時カールと友達になって、フェイは今はカールと仕事仲間。年齢はシャンが33才、フェイが36才。(シャンは飛び級で人より早く北京大へ入ったらしい) アメリカ人のような英語をしゃべるシャンとフェイに囲まれて、“まるでアメリカ”の感覚だった。でも、もう一軒のホームステイ先(私のマーマの家)−フェイの義姉の実家−に着くと、マーマ66才がしっかり中国語でニコニコ、そしてその娘家族達も中国語。やっぱりここは北京だったという実感がした。
 さて、この北京2日間の中で何をしたいか?の話になり、シャンは万里長城に行く?と言ってくれて、あっ、それも魅力!と思ったけれど、とりあえず私達は北京大学の周先生に会いたかった。というのは、私達が北京、北京と言っていると、3年前、北京大学の物理の周先生から“量子力学の冒険”にすごく感動したので是非中国語に翻訳したいという申出があった、という文章をトラカレで保存していて(渡部克子フェロー(クークー)の叔父上が学会で量力の本を紹介してくださったらしい)−But3年間放ってあったので、その文章の中のTel・FAXの場所には、今、周先生がみつからないとのフェイからのFAXも入っていた。
 ヒッポの本部から言われていたことは、周先生にもし会えたら、HIPPOから英文の“量子力学の冒険”と“フーリエの冒険”の2冊をおみやげに渡して欲しいということと、周先生がどんな人物か見てきて欲しい、もしどんなにエライ人でもHIPPOの活動が解らないような人だったら、翻訳はお願いすることはできない、ということだったのです。
 幸い、フェイとシャンは北京大学卒ということで、今も北京大学で教授をされている周先生を見つけてくれ、会うことができるアポイントまでとっておいてくれた。そして翌日、シャンの運転で北京大へ。途中、天安門の前を通ったり、Summer Palaceを散歩してから、周先生を待った。
 何と周先生はフレアースカートをひるがえしながら、次男の大学生の子と一緒に自転車でニコニコ笑顔で現れたのです。私の第一印象は、あっ、トラカレのシニアフェローの中村桂子先生(DNAの抗議etc.‥‥)に似てる!という感じで、エライのにちっともエラブラない普通のオバさん。そして、話をしていると、何と目がカバジンのようなキラキラした眼なのです。中国語での話しかけだったので、私達も思わず上海弁で言ってしまうと、エッ?どーしてこんなに上海弁が上手なの?と大笑いになり(何と周先生は上海出身、シャンも上海、私の北京のマーマも上海出身で、北京で上海弁をしゃべると大ウケしてしまったのです。−ムリにしゃべったわけでなく、勝手に上海弁になってしまった!!まあ、東京に来た外国人が上手な大阪弁でお〜きに!!(ありがとう)と言っているワケなのでしょう!!)会った途端にもう10年来の友人のような感じ!!
 「量子力学の冒険」の本を読まれた感想を聞かせて下さい、と言ったところ、まず“一般的にむつかしいとされている量子力学をこういう視点で こんなに易しく書かれた本に出会ったのは初めてで本当に感動しました。こんな面白いマンガのついた様な量力の本は、世界中どこを捜してもないでしょう。だから、どうしても私はこれを中国語に訳して中国の大学生の教科書として使いたい。もし中国語が出れば、中国のみならずシンガポール、マレーシア、台湾などにも一気に需要は広がると思います。
 それから、私がこれを読んでいて、1つおたずねしたい事があります。この量子力学の背後に、ことばの活動があるでしょう。そのことばの活動を知りたいので説明して頂けませんか?”
 エッ?!何と最初からことばの活動の方をたづねて下さるとは!!と大感激。私は(自己紹介)アルバムを持っていたので、それを見せながら、BéBéが先生のこと、自然習得のことetc.‥‥上海のMeetingでも話した様なことを3人がウマク、コンビネーションを組みながらおしゃべりしていった(何の打ち合わせもなくても見事にKey Wordを言っている私達!!伊達に長年HIPPOをやっていないなぁ、と自分達に感動)。
 そうすると、周先生ものりだすように、自分の子供達2人がまだ幼稚園の頃、アメリカへ渡ってスタンフォード大学で勉強していた時、子供達が如何に英語を自然習得していったか、という実体験を言われて、それを多言語でやるのですね!よ〜く解ります!!と返事された時は、私達みんなお母さんの顔で同じでした。
カット:北京  ちょうどその日は国民の休日だったので、私達は北京大学の池のホトリの橋のランカンに腰かけて、緑とお花や、柳花の飛んでくる自然な中でのおしゃべりで、周先生を中心に、田代ちゃんスミレちゃん私が、それを少し遠まきにした所にフェイとシャンと周先生の息子、そして上斗米正子さんの友人で大阪でフェローをしていたヒロコちゃん(御主人が松下電器の駐在員なので北京在住)達が、その話に耳を傾けながら‥‥という雰囲気でした。
 話が一段落すると、周先生が、今日、私の主人が出張から夕方帰ってくるので、是非あなた方を主人に会わせたい。一緒に小ロ乞でも食べて下さい!!と言われるので皆で四川料理の店へ入った。御主人の趙氏も学者でカタ書きが4つもある。(超伝導工学のエキスパートで中国科学アガデミーの長らしい)でも、主人も「量子力学の冒険」の本を読んでとても感動しています、と周先生に言われたので、きっといい人だろうと想像していた。
 そしてしばらくすると御主人の趙先生が現れ、長身で柔和なカッコイイ人だった!!どこかで学会があって飛行機で北京へ戻られたばかりで疲れておられるだろうにニコニコと私達の話を聞いたり、私達が「ヘボの賛歌」を歌うと、ボク達も音楽が大好きだとか‥‥息子はスモウとりの様に太っていたけど35kg減量して今は95kgになったとか‥‥とってもなごやかで、まさか何時間か前に出会ったばかりの人達とは思えない感じで、小ロ乞でなく大ロ乞で、大ご馳走(北京ダックまででてきた)になってしまった。最後に明後日から御主人の趙氏が日本の東大での超伝導工学学会へ5月11日まで来られることが解り、是非日本で再会しよう、ということで別れた。
 そして、次の日は朝5:30にマーマに“カワ!イーチライ?!(わか、一起来?)”と起こされて、近くの公園へ太極拳をやりに行った。驚いたことに毎朝毎夕、公園は太極拳や刀の体操や社交ダンスや鳥の鳴き声きいてる人が満員で、みんな他の人のことは気にもしないで恥かしがり屋は1人もいない。堂々と踊っている人達。(みんな大人!!そのあと働きに行くのでネクタイしている人もいる) 毎朝毎夕、この公園でHIPPOのSADAをやれば沢山の人が集まってきて踊るだろうなぁ、と確信したのです。
 その日の昼間はフェイと私の娘スンチーと私達3人一緒に日本料理の材料の買物。(すし、カレー、天ぷら、茶わんむし、照りやき)に行き、我が家で親類友人13名を呼んでのThanks Party。その時ミッケ(神奈川のフェロー)の友人のアッコちゃん(家族)がすぐ近所の大使館級の家に住んでいることが解り(御主人はNTVの北京支局長)、一緒にjointした。
 北京に住んでいるヒロ子ちゃんやアッコちゃんの口からもれたことばは“HIPPOってスゴイ!!”どうしてこんなスゴイ人達とアッというまに10年来の友人のようになってしまえるのだろう?!北京大学の構内へ入るのも普通はとってもムズカシイのにー!!ということでした。

 そして、この土曜日には趙氏と歌舞伎や浅草へ行き、すっかり仲良しであだ名をCiaoとつけて、トラカレ、HIPPOにも案内し、榊原さんとも会って頂いて、何とサカッチャンとCiaoはすっかり意気投合(科学に国境はない!!と)めでたく量力の中国語版ができそうです。北京のシャンもフェイも是非北京であなた方の友人のHomeStayを進めてゆきたいと言ってくれて、今からのスタートです!!VIVA HIPPO!

◎先日、周先生から私達3人に手紙がきて、今後の段取りやお礼が書いてあったのですが、その中にWe are 自家人(スカニー)老朋友と書かれていて、ウソでなく、こんなに仲良しになれたんだなぁと感動しました。それにしても“ヘボの賛歌”はすごい威力!!
1997.6.6


このCartaは、前回発行したNo120を、わかちゃんが修正・加筆したものです。パソコンへの入力は僕(コッキリ)が行っています。できるだけ原文に忠実にしてありますが、日本に無い漢字(“あなた”を意味する“ニー”等)はカナ表記になっています。インターネットで読むこともできます。
URL: http://www2h.biglobe.ne.jp/~zou/
1997.6.30
西武線地域・井内F・コッキリ

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