1998年夏、U.S.A 40日間の交流で感じたこと

1998.12.22
井内わか
 
この文章はインターネットでも読むことができます。
URL http://www2h.biglobe.ne.jp/~zou/us98waka.htm

 今回ほど沢山の人に出会ったことはないし、こんなにHIPPOの話をしまくった交流も初めてだった(何と、私は超個人的紙しばい−What’s HIPPO?−を100回もしてしまったのです)。
 そして同時に、“世界の中の日本とは?”とか“世界の中でのHIPPOとは?”を、こんなに感じたり考えたりしたことも初めてでした。

 まず、私の旅は青少年達と一緒に(PA.Group)始まりました。中高生が、TCATに全国から集まってきます。やっぱり、中1〜高1までのTeens達が親もとを離れて、ことばも人も未知の国へ1ヶ月間旅立つのですから、誰もが緊張‥‥そこで合宿で出会っていた子に会えた時は、ホントに心からホッとしていて、まるで戦友と会えた様な嬉しさの顔。
 But,そのTCATのオリエンテーションでアメリカの風の第一風が吹きます。
 長年、HIPPOと4Hの仲介役をして下さっている、ケント川口のヨーコさん(アメリカ人2世)がペラペラと英語と仏語で挨拶や注意事項(書類)の説明。みんなの顔はアッケにとられた様に、“ウーン、これがアメリカか〜!!”という感じ。サッパリ解らない!というのが事実。
そこでヨーコさんは日本語に切り換えて、アメリカの生活での5つの注意事項。

@Eye目のイラストコンタクトが大切。
話をする時も聞く時も、目を伏せたり目をそらすということはアメリカ人にとっては大変失礼なことで、自分の意見に同意しないという意味だから、ホストママと話すときもマッスグ目のイラストを見よう!
AYes,Noをハッキリ言おう。
自分の意見をはっきりもつことが大切。
口に出さないと解らないのです。(Thank you,おいしい、きれい、うれしい、きらい、etc.‥‥)
BHugの時、逃げないで!
日本人のオジギと同じ様にHugがあるのです。
(TCATのその場で、何人かはヨーコさんとHugの練習!)
CどんなStayであっても、最後の時には“ありがとう”を言おう。
ホスト家族は精一杯やってくれたのだから!(どんなホストであっても!)
お礼の手紙を書くのを忘れないでネ!
次の交流を創ってゆくのはあなた方1人1人なのです。
DアメリカではTeenになったら、もう大人としてあつかいます!(そのつもりでネ!)
 そして皆、機上の人になったのです。

 私は、今回の交流のモットーとしたことは“全チャラ”“ヘボ”“負けない”に加えて“丸ごと人間のなまりに出会う旅”と銘うちました。そう、まっすぐ人と出会って、仲良しになりたいと思ったのです(どんな人とでも)。
 私の日程は、PA(フィラデルフィア)→Boston→NY→Boston→WestMA→PA(フィラデルフィア)→L.A→S.F→成田 です。
 以下、この間に感じたこと、印象に残ったことを個条書きにしてゆきます。

◎PA(フィラデルフィア)の4HコーディネーターDonのこと(私のホストファミリー)。

 奥さんのChrisと2人暮しで、仕事を持ちながら長い間、4Hのボランティアリーダーとして日本の子供達の受け入れをしている(現在は自分の仕事を退職して奥さんと共に盲導犬の飼育訓練士)。But,今回初めてHIPPOの子供達のHomeStayの受け入れをしてくれたのです。
 空港でプラカードを持ったHost family達と対面してすぐにHotelへ。その夜は各人のホスト兄姉と同室、さらに同じBedで寝る! 次の日はフィラデルフィアの市街観光をして、各人ホスト家族の待つ家へ‥‥。
 Don曰く、“この1ヶ月間、自分がこの日本から来た弟や妹のホストであるということを自覚させる為に、この配慮をした”とか!!
 お互いに初めて会う相手だけど、同じBedに寝た仲なので、次の朝にはもうふざけ合っている。そして、市内観光の時も、日本の自分の弟妹のことをよーく面倒みているのには心から感心してしまった。

◎Liberty Bellベルのイラストのこと。

 フィラデルフィアはアメリカがイギリスの植民地から独立した、建国の地。
 22年前(1976年)私がNEに居た時、アメリカ全土は建国200年祭でわき立っていた。そして、このフィラデルフィアの“自由の鐘”が各州をパレードしてねり歩き、連日TVでそれを放映していた。そしてNEにこの鐘が来た時には、このパレードの沿道は一目見ようという人、人、人でみんなHurrey!!と大騒ぎ!! 私は遠くの方から見ただけで、この鐘はスゴイんだなーと思っていました。
 その鐘をこんな近くで、それも手にさわって見ることができるなんて〜!!と、感動でした。と同時に、このアメリカの地下水として流れているものは“自由”だったんだなーということを、この夏中、改めて身体で感じました。“自由”=“自己責任”なので大変厳しいものもあるけれど、何かつきぬけていくものがあって嬉しい。
 若者がなんとなく無意識のうちに、NYへ行きたかったり、アメリカに目がむいてしまうのも、自分が自分でありたかったり、もっと大きく伸びたかったり‥‥するからなのですね!
 今も脈々とこの精神が源になっている国なのです。

◎100回やった紙しばい

 多勢の人の前でやったのは数回で、ほとんど超個人的に飛行機の中、空港、HomeStay中に出会った人達、4HのCamp、大学や地域のサマースクール、勿論Boston、NY、WestMAでのHIPPOの時、LA,SFで出会った人達etc.‥‥。
 どの人も、こちらが多言語で話すと英語以外の言葉で返してくる(子供達も!)。今はアメリカ人だけど、誰もが何代か前は他の国の人だったから。そして、誰もが感動して聞いてくれた。BéBéが先生という発想の転換、自然科学として人間のことばを見る所、79才でHIPPOに入って86才でBobの受け入れをしたシンちゃんの話。漢字を使ったHIPPOレターシステム。DNA。多言語=なまり。異い=平等。3回腹くくった話。(HIPPOは頭でやるのでなく腹でやるのだと言った人もありました(笑)!)
 最後に、
Let’s build a worldwide network overcoming the barriers of language and countries!
 と言うと、みんな、自分もやりたい、子供(孫)にやらせたいetc.‥‥と言っていました。

◎HIPPOと他の団体との異いが解った。
 −多言語活動にウラウチされたことば(英語)の豊かさ、やわらかさを見た−

 PAのDonは私の紙しばいを見た時、“やっと、ラボとユートレックとHIPPOの異いが解った”と、HomeStay最初の日に言いました。そして、自分は大学でフランス語をやったけど、何もしゃべれない!!息子がメキシコ人と結婚したので孫は多言語で育てたい‥‥etc.‥‥そして、子供達の1ヶ月のHomeStayが終わって最後のHotel集合の時、言ったことばは、
“WAKA、ボクは子供達を見ていてHIPPOが解った!! 今まで、何年も日本の子の受け入れをしてきたけれど、今年ほど子供達がHomeStayの最初からどんどん話をしていったことはなかった。 どの子も身体を使ったり、単語だけを並べたり、日本語や他のことばで言ってみたり‥‥ホスト家族達は皆大喜びで何の問題もなかった!”
 そのあと突然Hotelの会議室で行われた、Host家族とのお別れParty(Thank’s Party)では、正にDonの言った通り、どのHIPPOの子も精一杯の自分を出して、どんなHomeStayだったかを、ホストと共に話した。涙、涙‥‥特に中1のノンちゃんがクラリネットを吹き、ホストのMarybethがピアノ(小さいの)をひいて、毎日合奏していたという曲を2人共泣きながら、でもとても美しく演奏してくれた時には、もう、会場全員が泣いてしまった。
 そして、みんなの英語の上手なこと! 1ヶ月でこんなに成長するのだと思うと感動!!(今、日本に帰国して“場”がない時は見えないかも知れないけど‥‥) そして、どのホスト家族からも言われた言葉は、
“1ヶ月じゃ短すぎる。是非この子を1年間のYear Longに送って欲しい!”
 なる程‥‥こうやって、みんなが交流を創ってゆくのですね!!
 ※人を感動させることも、人と人をつないでいく達人も、リーダーシップも、全て年令ではない!ということを実感しました。

◎フィラデルフィア空港でのでき事。

 私は単身、AIR TRANというあまり聞いたことのない飛行機でBostonに移動した。
 AIR TRANのcheck inのカウンターは背の高い黒人の人がぶっきらぼうに早口の英語でポンポン言うので、大体いいかげんに返事してYes,Yesと言っていたら、(私は長くHIPPOをやっているお陰で、今回ほとんどの人との会話には困ったことがなく、Open Air Theaterの“Hello Dolly”を観た時もJokeが沢山入っていて会場の皆んなと同時に笑えている自分に驚いていました)突然紙を見せられて、Oh!! 麻薬は持っていない! No! とモタモタしていた。
 その時感じたのは、1人で移動するという緊張感と、私は黒人がコワイと思っている偏見があるのとで、一気にコミュニケーションに問題があり‥‥になるということ。 そして、その様子を同じカウンターのかたわらで、じーっと見ていた、とても可愛い女の人−日本人に似ていた−が、英語で“貴女はこの空港が初めてか?この空港はとても複雑だから、Gateまで私のカートで送ってあげるわ!”と言ってくれたので、大喜びで乗せてもらった。
 そして、私が“Are you Japanese?”とたづねると、彼女はNo! エクアドルから来たの! と答えたので、私は嬉しくなってWow!  Hola!とスペイン語で話しかけると、彼女もスゴイ勢いでスペイン語で、自分の家族のこと、離婚したこと、子供2人いること、今、HawaiiにBoy friendがいること、2年前アメリカへ来たこと、etc.‥‥カートの上でガンガンしゃべる。そして、フッと私に向って、“何故、あなたはそんなに上手にスペイン語がしゃべれるの?日本人は皆外国語が下手なのに‥‥”と言ったので、私は即座に  Sabes lo que es “Hippo”?とカートの上で紙しばいをした。何とスペイン語でもできてしまった!(場がことばを引き出す。)
 すると、彼女はフィラデルフィアのHIPPOの事務所を教えて欲しい。自分は空港で働いていて沢山の国の人と出会うけど、やっぱり仲良しになるためには“ことば”ができるようになりたい。そして、自分の子供達の為にもスペイン語を残したい‥‥と。 そして、私の飛行機が出発する直前まで話しこんで自分の住所、氏名も書き、必ず連絡して欲しい‥‥最後に私に言ったことばは、(手をふりながら)“ニーハオ!(さようならのつもり)” “タンシヌン サランヘヨ!” “アンニョンハセヨ”だった。

◎面白い人達。

★NYとLAで驚いたことは、同じ道ぞいに2つ並んでいる駐車場で、1つは1時間10ドル、そしてもう1方は30ドル。どちらの駐車場にも同じくらいの数の車が駐車している事実! まあ、何事も“自分”というものをしっかり持って生きてゆけばOK。私は私、あなたはあなた!されど手をつないで1つの国に!という、自由と共にどこでもUnitedを地でいく感じ。

★“Anyone can speak 7 languages”の黄色いポスターを見て集ってくる人達は、どこかSomething Specialな感じがする。(どこの国であっても) 特にアメリカは人種がいろいろなので面白い。真黒な人が平気で2−3言語話し、ボクは国連で働きたいから、この位の数じゃ足りない、14コ位必要!とアッケラカンと言う。

★何と言っても、一番面白い家族は24時間多言語のTapeを流して、家族中でいろんな言葉を言いながら見つけ合っている人達−幼稚園生や小学生が、どんどん多言語でおしゃべりする!−改ためてアメリカでHIPPOの活動の凄さを感じました。鈴木宅、森田宅、石子宅、Heather宅、etc.‥‥私のホストファミリー宅は皆、HIPPOのTapeが流れていました。

★MAの4Hピクニックでは、4HコーディネーターのHeatherとBethが2人ともHIPPOのフェローということもあって、HIPPOの活動をよく理解しようとするホスト家族が多いので、公園での遊びはSADAが流れる!
 そしてホストParents達は私に、仏語や独語、西語、中国語、タイ語、インドネシア語etc.‥‥で話しかけてくるのには驚いた。特にRalmonというお父さんは、何十年振りかでバハサ(インドネシア語)をしゃべった!!と大喜びで、私にマタハリの悠大なことばの創り方etc.‥‥説明してくれて‥‥ホントに、どうして、こんな人達に出会うのだろうと感動した。

★大学でスペイン語の教授をしているGloriaは、HIPPOのポスターを自分の教室や掲示板にはりまくっていた。そして友人に会う度びに私にHIPPOのことを説明させたり、自分でも話したり‥‥。

★L.Aに住んでいるなつめちゃん(スミレちゃんの次女)はアメリカ人のカールと結婚して3人の娘(ノエ11才、さえ5才、やえ3才)を育てています。HIPPO三代目のこの孫達の言動は、ことばも当り前に英語、日本語はNative。ノエちゃんは毎年HIPPOのCampに参加して各国の人達と活動しているので、細胞が多言語。世界HIPPO創りの大切な人になるでしょう。

◎私のホストHeatherという人。

 彼女の両親は昔から4Hのリーダーをして、大農園を経営している。今夏、4Hのシャペロンとして来日。−7月出発直前に榊原宅でお会いした時、ママのLoisから、45年前に4Hの研修生として6ヶ月間北海道にHomeStayをして新聞の記事に載ったという、古い新聞記事を見せてもらって大感動!!−
 そして、Heatherは大学時代にやはり4Hの研修でフィリピンに6ヶ月HomeStayに入っている。その時の体験−ことばも解らない、生活習慣が全く異り‥‥大変な苦労‥‥But,人の心の暖かさ、ウソでない人間関係etc.−が今Full Timeの仕事(Eastern States ExposionのAgriculture Manager)を持ちながらも、4HのボランティアリーダーとHIPPOフェローをしている原点だと感じた。
 家族は、夫(Alex)はMA大学でlumber Scienceを学び、Heather(はAnimal Science)と結婚。今、長男Daniel(6才)と長女Torrie(4才)が生れて以来自宅でTree Farmをしながら主夫もしている。200年前築の家も買って、その修理と建て増しにも忙がしい。But,家の中ではHIPPOのTapeが流れ、自分もSADAを 口ずさんだりしながら、子供達の面倒もよくみてホントにAmerican Father!という感じ。子供達も叱られるとすぐにヒッポーツァイハイワイ!ヒッポーシェンマ?とか言いながら難をのがれている。
Heatherはホントに1人で何役もよくこなしている。毎日朝6:00に起きて車で1時間半かけて職場へ出勤。途中で私を大学のSummer Schoolの日本文化Classにほうりこんだり、子供達のCampに入れたり、友人達とポスターはりに行ったりetc.‥‥そして夕方、私をPick Upして家に帰り、夕食の仕度もする!!(私も、ほぼ毎日の様に日本料理を作った。)
日曜日は洗濯と大掃除の日。タマにピクニックに家族で出かける−それが一番の楽しみ!!夜はやはり1時間以上、車で走ってBethのファミリー(HIPPOクラブ)や自分のファミリー(HIPPOクラブ)に週2回は出かける。集ってくる人達も1〜2時間、車をとばしてHIPPOにくるのです。活動は全く日本と同じ!(BéBéはどこの国でも同じだからね!)
HomeStayの最後に私にプレゼントしてくれたカードには(絵は地球、吹き出しのイラストふきだしは、多言語でMerci,Gracias,etc.‥‥)
 I owe you a world of  thanks.
 Thank you for sharing your vast knowledge with us as we start out on our HIPPO adventure
と書いてありました。ホント、冒険の旅がHIPPOなのですね!

◎Timeトンネル(10年、20年なんて昨日のこと!)

人と人とをつなぐ言葉しか持たない、今日何時に起きたの?と聞くとウンと答えるBéBé(0才〜3才)は、誰もがことばが出来るという極意を心得ているのですね。
だから、HIPPO大好き人間との出会いは長〜く続くのです。

★申英姫(シン・ヨンヒ):私が初めて韓国に行った時(17年前)のホストオンマです。彼女と家族は7,8年前にアメリカ(MD)へ移住しました。長男のチュノは7才だったのに今、アメリカの大学を卒業して会社員になりました。2人はNYでHIPPOが始まると聞いて、Open Clubの時、5時間も車をブッ飛ばして来てくれました。アメリカへ移住してからも、彼女の車の中にはHippoのTapeがいつも流れているので日本語も上手。チュノが最初に私に言った日本語は“ソノ子”と“HIPPO海を渡る”と“ボクはなあに?”でした。
MDにもHIPPOを創りた〜いと心から言っていたのと、アメリカで何かを定着させる時は、新聞折り込みだってポスターはりだって、何でも大切なのは“継続!!”“ケソケソハセヨ!!”と一生懸命ケンシさんに言っていたのが印象的。

★Vandana:13年前にお父さんのRAOがインドから東大の宇宙科学研究所に1年間留学に来た時、妹のMadhaviとお母さんのVijayaと一緒に我が家の家族会員として活動しました。その時12才だったのに、今はMA大学の大学院生でDrコースにいます。私がBostonに着いた翌日にはもう会いに来て、アッと言うまに日本にいた時の12才の少女の顔になり、どんなにHIPPOが楽しかったか!あの時のおかげで今の自分がある!今、ここアメリカでいろいろな人とOpenに出会ってゆけるのもHIPPOのおかげ!と言われて、改ためて、HIPPOって人を育てるなぁ!!と感動。BostonのHIPPOに参加しても、SADAもメタ活もすぐに出来る!妹のMadhaviはHIPPOのTapeを取りに今インドへ帰っているとか‥‥。
NYのOpen ClubにもBostonから車をブッ飛ばしてやってきました。私の多言語や紙しばい、活動を見て、みんなに言っていたことばは、
“私が日本にいる時、WAKAはこんなに多言語をしゃべっていなかった!
やっぱり、HIPPOで多言語ができるのよ!!”
でした。

★Debbie:11年前、コーネル大生の時、3ヶ月日本にHomeStayに来て、我が家の娘になりました。途中大阪の藤井宅(ヒーローとノンちゃん)にもお世話になり、大阪から帰ってきた時には上手な大阪弁をしゃべっていて皆を笑わせました。
彼女は今、結婚して一女の母、可愛い2才のElizaをつれてやはりBostonのHIPPOに参加!やっぱりSADAもメタ活も、多言語も当り前に、まるで日本のHIPPOの中にいる様に!!今、お父さんの病気で頭がいっぱい!でも、落着いたら、きっと、Boston HIPPOの大きな力になれることでしょう。

★Joanne:10年前、LEXアメリカで少し仕事をしていた時、生後4ヶ月のMAXを連れて、主人のLoringと共に我が家に来ました。夜中にLoringが何回も起きてMilkを飲ませていたのと、我が家にとって家族全員でHomeStayに入って来た第1号だったのが印象的でした。
今回は10才になったMAXと8才のCalorinaを連れてBoston HIPPOに参加。子供達をペルーとコロンビアからAdoptしているのと、自分自身も仏、西、英をしゃべるので、HIPPOを自分の住んでいるBeverly(Bostonから1時間位の所)でやりたいと言っていました。

★全く新しく出会ったBeth,CarenやKathaleen,Victor etc.‥‥沢山の人にも感動だけれど、グッと腰をすえて、がんばっているエリザベス、Lee、ステフィー、そして何より日本から留学や仕事でアメリカに来ているHIPPOメンバーのすごいこと!チャーリー・サリー宅なんか朝起きてから夜寝るまでHIPPOの話題で盛り上るし、キリンさんや畑ちゃん達はNYからBostonのファミリーに顔出したり、山ちゃんもヒョウヒョウといい味出して、鈴木家にいたっては丸ごと人生そのものがHIPPO!サヌキ弁のKeiちゃんが又、又、スゴイ!みんなでTapeをガンガン歌ったり、英語だってトモリンもソッ平君も、もう既にAmerican!森田家だって、みんな負けてない!!

★嬉しかったのは、チャーリーがEmailで“わかちゃんが来たぞー”と発信してくれたのに対し、即刻、コキリがアクセスしてくれていて、それを満面の笑顔で私に報告してくれる!ボストンと東京という地球のウラ側同志なのに写真まで送られていて、日本のファミリー活動の時にはもう、その話題がのぼる!!ほんとうに地球は1つ。気持さえあれば距離は関係ない!と心から思いました。(ありがとう!!)

◎私の失敗−Share(シェアーするということ。)−

 Heatherはとても忙しいので、いつも車の中でHIPPOのTapeを流しながら今日の予定は‥‥etc.‥‥早口でしゃべる。
 HomeStayに入った翌日、私は子供達のCampにほうり込まれた。今日1日、どの様なProgramで何が起ってゆくのか、サッパリ解らない(サマースクールに行って、泣きワメイたトモリンの気持がよく解る)。どうも、アメリカの歴史を体得する様だった。私も建国時代の洋服を着せられ、15人位の1つのGroupの1員で昔の遊びをしたり、歌を唱ったり、ゲームをしたり、物々交換の時代の物の計り方やカギタバコやトーモロコシの石ウスでのひき方etc.‥‥どんどん進んでゆく。私も子供達に1人1人の名前をカタカナやひらがな、漢字で書いたり、HIPPOのことを話したりもするので、結構仲良しになる。
そこで、昔のCraftを作るコーナーがあり、木のワクを額にして、金の板をはりつけ、そこに絵を描いて、釘と金づちで穴をあける(絵の線の通りに)。Tableには8人位いたけれど、ハンマーは6コしかなかった。
誰かが私に、先にやっていいよ!と言ってくれたので、Thank you!と言って私は穴をあけ始め、なるべく早く終らして待っている子に返そうと、大いそぎで穴をあけ、9分通り出来上がった所でフッと横の子供達を見て、アッ!と驚いた!彼等は黙って3cm位穴を開けると次の人にハンマーを渡して、グルグル廻しながらやっていたのだ。
アー、何ということを!私は1人でこんなに使ってしまった!
私は心からゴメンナサイ!と思った。それにしても、この子供達は誰に何も言われなくても、こういう風にShareができるのだ−とこの国の人達の躾のすごさを思った。
 そして、夕食の時、その話をしたら、HeatherもAlexもDanielも私の話を聞いて何も言わなかったけれど、間髪入れず3才のTorrieが、“WAKA! You are silly!”と言ったのです。ホント!! “I was silly”と答えてその話題はオシマイになってしまったのですが‥‥。つくづく、Shareという事を考えさせられました。こんな小さな子でも解っているのですね!そういえば、いろいろな人種のルツボのこの国は200年以上かけて人と人が仲良くつながって1つの国を創ってゆくのに、このShareということは欠かせないことだったのですね!考えてみれば“ことば”だってShareの原点。自分さえ良ければいいという利己的な人は、ことばも物も1人でとり込むだけで、Shareしない(言わない)んですね!人間としてもう少し、Mature(マチュアー)になりたいと学びました。
 そういえば、犬が他の成犬に美味しいものを2つに分けてShareしている姿を見たことはないですね! Shareというのは、“人間が人間である”ことの原点の様な気がしてきました。

◎L.Aの王さんのこと。

 王さんは、父は中国人、母は日本人で、早稲田大学卒業までは日本に住み、日本語しか話せなかった。そのあと中国(台湾)に行き、中国人になり、その後アメリカに来てアメリカ人になった人です。年令は65才位で仕事は現在retireをして、奥さんと2人暮しです。
 どうして王さんにお会いしたかったかというと、彼はL.Aの紀ノ国屋書店で“ことばを歌え こども達”の本を見つけた時、これは自分が中国語ができる様になったプロセスと全く同じで大変感動し、その後、トラカレから出した本は全て(人麻呂の暗号→量子力学の冒険まで)読破し、自ら東京の本部にTELをして、昨年は本部やトラカレにも来られて、榊原さんともお話をなさったとか。是非、L.AにHIPPOを、トラカレを!と熱望していらっしゃる方、という情報を得ていたので、一度お会いしたかったのです。
 お会いした瞬間に感じたことは若い!日本人で学者のような人!でした。そのあとは、何と王さんの方から一方的にHIPPOがどんなにいい活動か!ということを1時間以上、私達8人(平岡夫妻(ヒラメちゃんとカレイちゃん)・田中夫妻(トラさんとノブ子さん)・ナカシマ夫妻(トラカレのリオ)とアメリカに住んでいる私の娘、ゆき)に話されました。
内容は
●“ことばを歌え こども達”を読んで、その中に、そのことばが話せた時にその国の人になる、という部分があるけれど、ボクも本当にそう思います。ボクも中国語が話せるようになって、はじめて中国人になりました。そして、ボクの中国語もまず音から赤ちゃんのようにできるようになりましたので、どのことばもHIPPOのやり方でできるようになると確信しています。
●NYとBostonにHIPPOができているそうですが、今一番必要なのはL.Aにできることです。何故かというと、L.Aには約1000万人の人口のうち約200万人がいわゆる中国、韓国、タイ、メキシコ、イタリアetc.‥‥の国の人達です。その人達がそれぞれにTownを作っていて、お互いにまじり合っていない、モザイク状に住んでいます。
2年前に黒人が韓国人街を焼きはらうという暴動が起りましたね。それは、お互いにことばが解らなかったから起こったのです。事件のキッカケは黒人の青年が、別にそれ程悪いことも何も言っていないのに、そのことばが解らなかったことで誤解して始まったのです。(勿論、それまでの長〜い蓄積の結果)
ほんとうに、HIPPOのやり方でたくさんのことばができる人を作りましょう!!
(私もKorean Townに行きました。20万人が住んでいるらしいけれど、そこは全く韓国でした。車の中から聞こえてくるのも、看板も、人も、歩いている人達も、皆韓国語の世界でした。)
●日本人の人は気をつけて下さい。 ボクも日本人として育ったのでよく解るのですが、日本人は10のことを知っていても1しか言わない。アメリカ人は1しか知らなくても10のことを言います。日本人はもっと言って下さい。!!
今、アメリカはどんどん変わっています。黒人や有色人種達が議会にどんどん入っていて、あと10年には随分変わっているでしょう。50年 後は、この国は決して白人の国ではなくなっていますよ。ところが、日本人がほとんど議会には入ってないのです。5年〜6年アメリカに住んでいてもほとんどの日本人は日本と自分の企業のことばかり考えていて、アメリカに住みながら子供の教育も全て日本の方向ばかり向いているのです。今やLittle東京には日本人がホンの少しでほとんどが中国人と韓国人になってしまいました。(実際に私も行きましたが、ホントにその通り!)日米友好協会という立派な建物もありますが、中はガランとしています。このままいくと50年後にはもっと悲しいことが起りますよ。ボクは沢山の人脈があります。HIPPOの講演会をするのなら、3ヶ所くらいの所でそれぞれに100人位集められます。HIPPO活動の会場は、日米友好協会を使うといいと思います。今の日本を大きく開いていく突破口になるのはHIPPOです。そして、アメリカにとっても、21世紀にむかって必要なのがHIPPOなのです!!早くボクもLAにHIPPOを作って会員として活動したいし、トラカレもやりたい!!
今日はwifeも連れてきたかったのですが、突然の用事(車の事故処理)の為、来られなくて残念です。ところで、NY のLeeの奥さんはHIPPOを理解してますか?‥‥

 ヒョエ〜というのが正直な気持ちでした。私は今だかつてこんな人に出会ったのは初めてです。まず私の方からHIPPOがどんな活動か、という話を1時間位するのが普通なのに‥‥全く、こういう人がでてくるようになったのですね!!

◎大和田先生のお話。

 CA在住、奥様はアメリカ人。レッドランド大学を創られた方。 榊原さんのお友達でHIPPOを創る時には大変お世話になった方です。
今、HIPPOの活動がこの様になってきました、とお話をした所、
“すごいですね!良かったですね!僕も子供達がどんどん多言語(ことば)がHIPPOで出来てゆくだろうということは信じていましたが、大人の方達がこんなにお出来になるということは‥‥これは大変なことです!!今のボクはあまりお手伝いができていないのですが‥‥みなさんによろしくお伝え下さい!” とのことでした。

◎これだけは忘れないでおこう!!

 8月31日の夕方成田空港に着きました。アメリカも暑かったけれど、日本は何という蒸し暑さ!!何より驚いたのは、この蒸し暑い日に、成田から家に帰りつく間に、電車に乗り込んでくるサラリーマン達が一様に真黒な背広を着て、ネクタイをきちんとしめて‥‥髪の毛も真黒の人ばかり!!40日間、アメリカ大陸の中にドップリつかっていた私には、異様な光景でした。単言語、単一民族、1つの価値観。閉塞感で息がつまりそうになりました。同時に思ったことは、ああ、日本とはこういう国だったのだ。私も日本人なので1週間もすればコレが世界だと思ってしまいそう。 アメリカに居る間、私が自分で日本人だと言わなければ、誰も私を日本人と言った人はいなかった。目の色、髪の毛、それぞれ異っていても、皆Americanとして接するのです。日本の常識は世界の常識ではない!久しぶりに“井の中のカワズ大海を知らず”という言葉が浮んできました。
翌日、渋谷の本部へ行く為に本店通りを歩いていたら、金髪に髪をそめた高校生が私に前を歩いているのに出会い、心の底から“ホッ”とした自分がいます。
“そうよ、この子だって思いっきり伸びてゆきたいのよ!”
“カイワレ大根じゃなくて、世界をまたにかけて大木になってちょうだい!”
“金魚鉢の中にいないで、大海を泳いでサメにもクジラにも出会って地球規模で生きてゆくのよ!”
と思わず声をかけそうになりました。
多言語=多様性
異うこと=平等
“異い”を認め合いながら“同じ”を見つけていくのがHIPPO!

◎HIPPOのTapeのすごさ

 韓国でもメキシコでもアメリカでも初めて出会った人なのに、その瞬間からお互いに何か暖かい、家族のように、ことばを見つけ合い育て合える関係性ができるのは、このTapeを中心にみんなが“ことばと人間”にむかっているから!でした。
フランスのジャンピエールの家に行った時も足を踏み入れたら台所から“ソノ子”の多言語Tapeが流れてきて、まるで自分の家に帰ってきた様な気がしました。

◎世界HIPPOは、全て一番手前の自分のFamilyの中にある。!

 沢山のことばをやるということは、たった1つ“人間”のことばをやるということなのですネ。どの国の赤ちゃんも3〜4才になればことばができるようになっている事実は物が上からしたへ落ちるように当り前のこと!HIPPOは、人間が人間であれ!という一番当り前のことをしているのです。
今思っていることは、
BéBé(母語)=多言語(なまり)=人間=DNA です。
Tape流れていますか?ファミリーに行っていますか?言いわけばかりしていても、ことばはできるようにはならないのです。閉じてないで、勇気をだして1歩前へ!
新しい年を迎えて、又、新しい自分を見つける旅に、みんなで出かけましょう!!
 ※ファミリーの活動では、みんながオカシな音みつけて(ドイツ語のケツカイテブーダetc.‥‥)、笑い合って、何語でもヤブレカブレ言いたいことを言い合って“楽しく”やりましょう。“笑い”は人間だけですネ!犬が、ガハハ‥‥と笑っているのは見たことがありません。

−以上−


この文章は、わかちゃんが手書きで書いたものを、僕(コッキリ)がパソコンに入力しました。
なお、僕のヒッポネームは、ハングル:Ko-Kki-Riなので、カタカナで書く場合はコキリでもコッキリでもOKです。
1999.1.26
西武線地域・井内F・コッキリ

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