五老僧の師敵対行為
五老僧の師敵対行為
一、自ら天台宗の末流と名乗り、法難を避けたこと。
- 日蓮大聖人は「観心本尊抄」にも、「本朝沙門」と名乗っており、天台沙門とは記してはいない。日興上人も、「彼の天台・伝教所弘の法華は迹門なり、今日蓮聖人の弘宣し給う法華は本門なり」と明確に宣言している。
一、謗法である神社参詣を認め、奨励したこと。
- 大聖人の仏法には「神天上の法理」があり、神社に於いて諸天善神はおらず、代わりに悪鬼神が留まり、それを以て祈れば逆に災難を及ぼすとされている。
一、法華経の写経(如法経)をし、一日経の修行を奨励した。
- 法華三部経(無量義経、法華経、普賢経)の写経をすることを如法経といい、多くの人たちを集めて一日で写経するのを一日経と言った。ともに、正像の修行(摂授)であり、末法の修行(折伏)ではない。
一、天台宗の本山・比叡山で出家受戒の儀式を行った。
- 比叡山はあくまでも像法の時代における戒壇であり、そこで受ける戒も像法の戒である。大聖人の一門は、文底独一本門の戒でなくてはならない。したがって、比叡山で出家受戒の儀式を受けてはならないのである。
- (五人所破抄・富士門徒存知之事より)
Notes: