その2


 亀山市の高台にお城がある。旧天守台には、東西八間、南北六間の多聞櫓が建てられ現存している。 石垣は古いものが残っているのか、それらしい石組みで、稜線の曲線が美しい。

亀山中学校グランドから見る亀山城


 刃物で有名なのは岐阜県の関市。こちらの関町は関の町並みはそこで生活しながら保存され、昭和59年に国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定された。

宿場の面影を残す関の町並み


  各家の玄関には注連縄が飾られている。左を縛って右が細くなったのと、その逆と。何か意味があるのだろうか。各家ちょっとずつ違った注連縄だった。

注連縄


 「まちなみ資料館」は、江戸時代の町屋をそのまま資料館に使っている。町屋とはいっても相当格の高い家だったのだろう。町屋で使われていた道具類、関宿の歴史資料が展示されている。

中庭から障子ごしに奥の庭が見える

 

「まちなみ資料館」2階の格子越にみる向かいの瓦屋根


 関宿を出るとすぐに鈴鹿峠。大型車が走り抜ける国道1号線から離れ、旧道に入る。最初は舗装されていたが途中からいかにもそれらしい道になった。結構急な坂道で、息が上がってくる。

鈴鹿峠旧道


 鈴鹿を越えると滋賀県に入り49番目の土山宿。鈴鹿馬子唄では「坂が照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と唄われた。馬子唄全文は「鈴鹿馬子唄」に載っている。

土山で見つけたツバメの巣


水口の商店街も高いアーケードで覆われていたが、桑名と違ってこちらの商店街には閉まった店屋が目立っている。

商店街を自転車で抜ける子供たち


 関が原合戦後に徳川家康は水口を直轄地とし、3台将軍家光が上洛のための宿館として築かせたのが水口城だ。明治維新で廃城となり建物と石垣の大半は売却された。その一部は近江鉄道の枕木、敷石に使われたという。本丸遺構は残され、近年資料館として整備された。

水口城址


 横田渡常夜灯は、往来の増えた旅人のために1882年、地元や京都・大阪の人々の寄進で作られた。高さ10.5メートルあり、東海道でも最大級の常夜灯だ。

横田常夜灯横を流れる泉川


 「和中散」は腹痛や暑気あたりに良く効いたとのことだ。奥書院には、明治天皇ご使用済みの遺品、蜀山人(大田南畝)真筆の掛軸、および曽我蕭白筆の襖や天袋の小襖、狩野永納筆の屏風など絢爛豪華な調度品があり、立ち寄った文人の深さが感じられる。江戸時代に多くの有名人が当家を訪れた記録が残り、ケンペルやシーボルトも和中散を買い求めたと言われる。

大角家住宅 旧和中散本舗

内部の様子はこちら


泊まりは草津エストピアホテル。夕食は魚寅楼で「本陣御膳」。

 その3へ続く


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