その3


 3日目の朝は雨の中の出発。天井川となっている草津川の土手を土砂降りの中歩く。川といっても現在は水が流れていない。右手が川、左手が町並み。高さの違いが分かるだろうか。

草津天井川


 草津は東海道と中山道が一つになる宿場町。本陣2軒、脇本陣2軒に旅籠が70軒余あったという。「田中七左衛門本陣」は昭和24年に国の史跡に指定されているが、これまで東海道を歩く中で最もよく保存され、規模も大きな本陣だ。

国の史跡 田中七左衛門本陣


 本陣に入ると各大名が使った看板が並べてあった。現在でもホテル、旅館に団体で泊まると「XXご一行様」と書いた看板があるが、当時はそれぞれ泊まる側が本陣ごとに用意したという。「看板」と書いたが正式には「関札」あるいは「宿札」と言うそうだ。大名の格式で大きさが決まっている。札のいちばん下に書かれている『宿』は料理を自分たちでまかなうとき、『泊』は本陣が料理を提供、『休』は昼食など休憩で立ち寄るときだそうだ。

関 札

詳しくは「草津宿本陣」をご覧ください


 太田道灌の子孫が営む「太田酒造」に立ち寄って信楽焼きの器に入ったワンカップを買う。そこから「建部大社」へ。近江一ノ宮「建部大社」は、源頼朝が京都から伊豆へ流される途中、武運を祈り、後年それが成就したことから、「出世開運」の神様として知られる。

建部大社参道


 琵琶湖から流れ出る唯一の川である瀬田川にかかっているのが「瀬田の唐橋」だ。近江八景の一つとなっているが、現在の橋は昭和54年に竣工したもの。橋の下では学生たちがボートの練習をしていた。

瀬田の唐橋


 木曾義仲と芭蕉の墓があるので有名なのが「義仲寺」。丸谷才一の「輝く日の宮」にも「もともと芭蕉は源平合戦のころの武将が好きだったこともあります。その一番のひいきは木曾義仲で、墓も『木曾殿と背中あはせ』でした」とある。

左 木曾義仲、右 芭蕉 の墓


 大津の旧東海道は静かなたたずまいだ。赤いポストが町並みに合い、ネコもゆったりと道を渡っている。ここを抜けると京都府へ入る。

大津 旧東海道


 京阪京津線に並走して一路京都へバスで向かう。蹴上を下るともう京都市街。京阪京津線は平成9年10月12日、京都市営地下鉄東西線の開業に伴い京津三条〜御陵間3.9kmが廃線、京都の路面電車がまた一つ消えてしまった。手前からバスを降りて三条大橋へ向かう。三条駅界隈は日曜日とあって結構人が出ていた。橋下で「東海道踏破」の記念写真を撮影。打ち上げを兼ねた昼食会場へ。

三条大橋から見る鴨川

 

橋のたもとにある「ふれあいの弥次喜多さん」


 昼食は木屋町にある桂小五郎ゆかりの「幾松」。芸者幾松とロマンスは時代劇などでおなじみのところだ。食事の前に保存されている部屋で講談調の説明をしてくれた。曰く「新撰組が乗り込んできたとき幾松は長持ちに小五郎を隠し、疑いを持った近藤勇へ『何も出てこなかったらこの場で腹を切ってください』と啖呵を切った」とか・・・。まあ、一度は訪れても良いかな、と言う感じでした。

料亭「幾松」の入り口


 食事のあとに新京極など回って、全10回の「東海道」終了しました。


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