SLY日記
1997.3/27
今日から広島での生活が始まります。東京のスラ友さん達ともお別れでとっても寂しいです。4月のドラム・ベースクリニックでお会いしましょうね。
SLYさん、ぜひぜひ広島にもライブツアー来て下さいね。待っています。
1997.1/24(金)
昨日SLYMANIAからのDMで、今日FMラジオのチューブの前田氏の番組に、樋口さんがゲスト出演するとのお知らせがあった。
17:30なんて中途半端な時間帯なので、タイマー録音した。FM聞くのなんて10年ぶりくらいと違うかなあ。と、まあ、タイマーをセットして朝出かけたのだが、
山手線の高田馬場駅で停車していたときのこと、向かいのホームに樋口さん(に似た人)が立っているのを見た。そんなはずはないのだけど、ヘアースタイルといい、
体格といい、服装といい、そっくりである。サングラスをかけて腕組みをして立っている。きっと、FMのことがあったのでそう見えてしまったのだろう。
さて、帰宅して録音したテープを聴いてみた。樋口さんの声をじっくり聞くのは初めてですねえ。以前、LOUDNESS時代のビデオで聞いた声と比べると、かなり低くなっている
ような気がするなぁ。それは年をとったって事? いえいえ、男らしい。でも、前田氏と友達だなんて意外ですね。どうしてSLYの打ち上げに飯島直子が来ていたのか、納得しちゃった。
そんなことよりも、この番組で、2月21日に発売される樋口さんのソロアルバムの曲を初めて聴いたのですよ。いやぁ〜、すごいですぅ!びっくりですぅ!
「Nuclear Foot」( g:タイ・テイバー/b:ビリー・シーン)と、「What Cost War」( vo:ロニー・ジェイムス・ディオ/g:トレイシーG/b:ジェフ・ピルソン)の2曲が
紹介されました。ド素人の私にはうまく表現できません。なんて言ったらいいんだろう。「Nuclear Foot」は、イントロとギターの音は、キングクリムゾンをハードにした感じ
なのかな。もう、樋口さんのドラムの速さは驚異的!どうやって叩いているのぉ? 私には信じられないですよ。「What Cost War」の方は、私はロニーの歌声を初めて聴いたのですが、
さすが、二井原様が師と仰ぐ人だと思いました。たぶん彼は50歳くらいなのでしょうが、全く歳を感じさせない迫力です。やっぱり、海外のミュージシャンは凄いです。
そこらへんの日本のバンドじゃあ太刀打ちできないわ。とにかくとにかく、「FREE WORLD」は凄いアルバムであることは間違いなし! 発売日が待ち遠しいです。
「一人10枚は買おうね」by Munetaka。
1997.1/16(日)
私はシャラさんのギターの音が好きである。技術的なことはちんぷんかんぷんだけど、感覚的に好きな音なのです。高崎晃が”ギターの神様”だとしたら、
石原慎一郎は”ギターの芸術家”といった感じです。いままで、私はシャラさんの音を具体的に言葉で表現するために、「うにょんうにょんした」とか「うねうねした」とか
「おどろおどろした」という言い方をしていましたが、今日、この音が”ワウ”というものであることを、宮本さんに教えてもらいました。”ワウ”?なんだそれ。
(しかし、私の表現力の貧しさには情けなくなるなぁ)(;;)
1997.1/12(日)
いよいよイベントの日。朝の9:30に新橋で奥野さんと待ち合わせました。普通はこんな朝早くハードロッカーは起きないと思うのですが、
樋口さんの場合は特別です。会場の東京ビックサイトは巨大な広さで、客の多さも凄い。結論から言うと、樋口さんは仕事の都合で来られなくなってしまいました。
SLYのマネージャーさんから聞きました。残念。でも、いいこともありました。他のSLYマニアの人達と知り合えたことです。会場でSLYマニアの宮本さんと錦織さんに
会いました。二人とも会報では有名人。樋口ファンの錦織さんはLAZY時代からのファンで自分もドラマーだそうです。宮本さんはまだ24歳のシャラファンで、ギターを弾いているらしい。
人混みの中、マニア同士の直感が働いて声を掛けたのがきっかけでした。私たち4人は車も見ないで一カ所にかたまってずっとおしゃべりをしていました。
(だって、そこに樋口さんが来る予定だったんです。離れるわけにはいきません。)周りから見ると奇妙な4人だったことでしょう。だいたい女同士でこんな会場に来ることが
珍しいのですから。時間の経過と共に目つきも鋭くなっていきました。あまりに樋口さんの来るのが遅いので、宮本さんもいらいらが頂点に達していました。もう少しで
暴れ出すところでした。(朝刊の見出しが「SLYマニア暴れる」になるところでした。)結局樋口さんには会えなかったけど、次のチャンスは逃さないわよ。
強力なお仲間ができましたからね(ほとんどストーカーと化している)。(^^; せっかくですからマネージャーの堀内さんをご覧下さい。(右端の女性はファンクラブの金子さんです)
1997.1/10(金)
有明のイベントの件でSLYファンクラブに問い合わせたら、12日に樋口さんが会場に来るとのこと。
1997.1/9(木)
長い正月休みも終わり、東京に戻って参りました。さて、まずは明日から始まる有明のモーターショウが目標です。別に車が好きなわけではありません。
その会場にSLYのメンバーが遊びに来るらしいのです。去年までの私なら一人でそんなところへは行かないでしょう。でも、今は一人じゃないもんね。スラ友さんがいるもんね。
早速メールで奥野さんと打ち合わせ。
1997.1/7(火)
私には弟がいるんでけどね。今年22歳になります。姉の私が言うのも変ですが、顔は整っています。でも、小さい頃いじめすぎたせいか、
あまり口をきいてくれません。SLYのCDもプレゼントしたのに聴いている様子はないし、誰のおかげでハンサムになったと思ってるんだ。私のおかげではないか。
1996.12/27(金)
今日は待ちに待ったライブの日です。もちろんSLYさんのです。中野サンプラザに行きました。今日もひとりです。
でも、一人は今日が最後です。だって、今日はライブ会場で、スラ友(スライ友達)さん達に会える予定なのです。4:00に会場入りしました。
まずは売店に直行し、新作のSLYカレンダーを3つ購入。家用、職場用、実家用です。荷物になるけど、早く買っておかないと、売り切れたら大変だもん。
自分の座席を探して着席。しばらくすると、メールで知り合っていたSLY MANIAの奥野さんが声を掛けてくれました。良かった、会えて。しばらく
二人で立ち話をしていました。すると、私たちは偶然にも同じ年でした。そしてお互い、大の二井原ファンというのも同じ。でも、彼女の場合、LAZY時代からの樋口ファンでもあり、
自身もドラマーという、私なんかよりも年期の入ったマニアです。開演までおしゃべりに花が咲きました。他のメールフレンドのOgiu夫妻にもお会いできました。
4:30開演。私たちはそれぞれの席に戻りました。詳しいライブの様子はSLYのライブレポートのコーナーを見て下さい。1番目のアクションのライブが終わったとき、隣の席の
女の子が声を掛けてきました。「誰のファンなんですか?」 私はちょっとびっくりしましたが「SLYです」と答えました。すると彼女もSLYMANIAでした。その人は佐藤さんといって、
なんと、札幌から一人で東京に来たそうです。すごい! 一組のバンドのライブが終わると、次のライブの合間に奥野さんが私たちの席まで来て、3人でSLYの話題で盛り上がりました。
佐藤さんは、LOUDNESSの頃からのファンで、なんと15歳の時から11年来のファンなのです。しかし、奥野さんも佐藤さんも一見とてもハードロックを聴くようなタイプには見えません。
普通のお嬢さんです。SLYファンの女の子って、結構普通の人が多いです。ライブがすべて終わり、出待ちをあきらめた私たちは、喫茶店でお茶をしながら、ずっとSLYの話題で
盛り上がりっぱなしでした。住所を交換しあい、別れて帰宅したのが12:00過ぎていました。まだ、興奮が冷めないけれど、明日は帰省です。早く寝なければ。
1996.12/24(火)
今日はクリスマスイヴである。別に私には関係がない。でも、せっかくなので、綾田先生と隣の研究室のY先生(独身・女)
といっしょに、表参道のイルミネーションを見に行った(女3人で見に行くものではない)。すごい人混みだった。縁日か初詣のようである。
キディランドに行って、その後、近くのレストランで食事をした。カップルだらけだった。食事が終わって外に出た。まだ、人混みは絶えない。
やはりカップルだらけ。今日1日で1年分のカップルを見たような気がする。私はクリスマスなんてどうでもいい。ただ、ひたすら心の中で
「HAPPY BIRTHDAY 樋口さん。お誕生日おめでとう」と、唱えていた(本当かいな)。イルミネーションがきれいだったかどうかは、私にはわかりません。
ただ、言えるのは・・・・女3人で行く所じゃないな・・・(;_;)
1996.12/20(金)
早速今日、SLY会報最新号を大学に持って行って、研究室の人達に自慢した。みんな”すごいね”
って言ってくれた。もう、わたし幸せ、超・HAPPY。卒論の学生の一人が同じく日本のロックバンドファンだそうだが、彼女は
ヴィジュアル系が好きとのこと。ルナシーとかペニシリンとか・・・。”どうしてヴィジュアル系のライブは会場の人達全員、
同じ振り付けで踊ってるの?”と聞いてみた。それがとっても楽しいのだそうだ。まるで、ジャニーズ系アイドルグループのコンサートだわ。
SLYではあり得ないだろうなぁ。そして彼女は言った。”ヴィジュアル系は外見が命なんです。きれいだったらいいんですよ”。
音楽性は二の次ってことか。個人的な趣味だから文句はないけど、バンドにとっては悲しいね。ルナシーの曲は結構好きなんだけど私。
1996.12/19(木)
今日、家に帰ったらSLYファン倶楽部会報の最新号が届いていた。喜び勇んで部屋に入り、
早速読んだ。私の送ったお便りが載っている。このHPのことを宣伝したのです。それよりももっとびっくりしたのは
SLYメンバーの座談会コーナーで、なんと私のことを話題にしているではないか!。前号の会報で、私は二井原様の
ヘアーコーディネイトの合成写真を投稿して載せてもらったのだが、それについて寺ちんは”最高だったね”と言ってくれてるし
、二井原様は”今後の参考にします”っておっしゃっているし、石原殿下にいたっては”うけたね””miki2さん、あんたはえらい”
とまで言ってくれたのです。よかった、てっきり二井原様は怒ってらっしゃるものと思っていた。もう、その夜は嬉しくて、
眠れませんでした(SLYMANIA 00374のGINAさんに超感謝)。明日、大学に会報持って行ってみんなに自慢しようっと。
1996.12/17(火)
SLYのファン倶楽部会報は超面白い。SLYメンバーの漫才のような会話にいつも大笑いしてしまう。しかし、時々、うその
ような信じられないエピソードが載っていることがある。会報 Vol.4に3rdアルバムのプロデューサであるマックス・ノーマン氏が来日したときのエピソードが
載っていた。以下はその時の内容。
「SLYのベースボール・シャツと短パンをマックスにプレゼントしたところ異様に喜び、なんと、その場で着替えてしまった。
・・(中略)・・・しかし、この冬の寒い季節、さすがのマックスもその格好では寒いらしく、『う〜・・・サミ〜〜〜 ヘイガ〜〜・・・・・』と、変なしゃれをとばしていた。」
本当にぃ?!本当にマックスがそんなことを言ったのかぁぁぁ!!やはり信じられないのでありました。
1996.12/10(火)
昔のロック雑誌を見ていたら、アースシェイカー の記事があった。そこに載っている写真を見て、シャラこと石原慎一郎氏に、
な、な、なんと胸毛があることに気が付いてしまった。ちょっとショックだった。
1996.12/9(月)
来年のSLYのライブツアー申込書に付いていた写真 を、HPの壁紙にしようと思い、大学に持っていった。菊池、山田両助手さん
に見せた。
「三木先生の好きな人ってどの人ですか?」と聞 かれたので、「この人!」と、はりきって二井原様を指さしたら、おもいっき
り「ぶっさいく〜!」と言われてしまった。ひどい!ひどすぎるわ!そりゃあ、その写真は写りがちょっと悪いなぁっ て思っていたけれど、そんなに
はっきり言うこと無いじゃないのぉぉぉぉ。ちなみにその写真は現在、このHPのSLYのレポートのコーナーのバックになっております。