1999年1月17日

震災から4年。
今でもあの煙のあがった崩れ落ちた神戸の町の光景を思い出すと涙が滲みます。
4年が経ちました。早いのか遅いのか。

オトーサンは無線のタワーが大丈夫なのか自宅が大丈夫だったのかすぐに家の
周りを確かめてくれました。
家の中は食器棚から飛び出して割れた食器が暗闇に確認されたけど 怖いと部
屋にやって来たkoharuと 余震が来るだろうととベッドにもぐって夜が
明けるのを 停電が解除されるのを待っていました。

割とすぐに電気はついて TVをかけると阪神高速が倒れ 家やビルが倒壊した
異様な神戸の光景が映し出されていて 言葉が出ませんでした。
幸いこの辺りは倒壊を免れたけど 我が家もあちこちにひびが走っています。
それを直さぬまま オトーサンは逝ってしまった。

震災を思い出すことはオトーサンを思い出すこと。当時のkoharuやリョー
イチ 守らねばならない家族がいることを思い出すこと。

家族や友を思う気持ちがあの日程強かった日はありませんでした。


1999年1月15日

成人の日
koharuも成人式に出ると友達と美容院に行き 髪と着付けをしてもらった。
雨模様だったので昼の忙しくなるまでに戻れば・・と車で二人をポーアイの会場ま
で送って行った。

六甲トンネル付近は吹雪いていた。

事故や渋滞で時間がかかった。会場周辺は車と着物姿の人で溢れかえっていた。

オトーサンがいたら着物でも買ってもらえたかも知れ無いけど・・・
「いいよいいよ おかぁさんの振袖が着れるから。」koharuはそう言って喜んでいた。

さて 写真を撮ったけどちゃんと写ってるかな?
オトーサンに報告しないと・・・


1999年1月12日

9日はオトーサンの三回忌だった。

やっぱり11月になると2年前と同じ様に何もかもが手につかなくなる。
12月になると気持ちが塞いで 正月は虚しくなって・・・
昨年と同じ気持ちの流れ・・・・

オトーサンがいなくなったことをイヤでも思い出さないといけないこの三ヶ月。
次は七回忌だけど それまでに徐々にでも薄くはなって行くのかなと思う。

みんなが来てくれて呑んでるとその時だけでも忘れられるから お墓参りもみんなと行くと
涙流さないで済むから みんなに感謝の二日間でした。


1998年11月28日

よほど疲れた時以外は うつらうつらと眠ってはふと目が覚めて またうつらうつら・・・
もう2年近く そういう眠り方。

今朝もふわっと目覚めたらまだ真っ暗。
時間を見る為にTVのスイッチをいれるといきなり立山雄山の姿が大写しに。
2年前と何も変わらない姿。
室堂の夕焼け オトーサンと巡ったみくりが池 称名の滝 弥陀が原は紅葉が美しい。

オトーサン 毎日病院から帰って来てた時 何を思ったのかいきなり「立山に行ってよかった」と。
それは オトーサン流の感謝の言葉に違いなかった。

体力も無い筈なのに自分の重い荷物背負って 母の荷物も背負ってやって。
出発の時 スニーカーを履こうとしてたのを見て なんでトレッキングシューズにせえへんの?と
聞いたら「重い。」。
それでもすべったり濡れたりせぇへんかなぁと言ったら トレッキングシューズを履くことにして。
靴が重い・・・・オトーサンの体力の低下 死期があれほど間近に迫っていたことに思い及ばなかった
悔しさ自責の念が蘇る。

いきなりのあの休暇は天からの贈り物だった。悲しいことも思い出すけど 立山をみる度に オトーサン
との日々が蘇る。
いつか koharuと行ける日が来る様に。

1998年11月8日

秋晴れだった。
団地の中の木々も色付いて やっと本格的な秋になったと実感させられる。

先日ビビオのバッテリーが上がってしまって 何度か充電してみたものの
復活はしないので 交換することに。

一度はバッテリーを買って来たものの 端子が合わなくて 結局ビビオに乗って
行って 付け替えてもらった。

あまりのお天気の良さに どこかに出かけようかと思ったけど オトーサンも
いない Kaboさんもいないと思うと出かけることができなくなってしまった。

昨年の同時期と同じような状態になっている様だ。
一昨年のこの時期の悲しいことばかりを思い出すのが原因だけど 今年は加えて
Kaboさんのことが頭から離れず。

少しずつ薄れて行くとは思うけど・・・しばらくはこのままでもいいのかも知れない。


1998年11月5日

片付けてる時に整理していない写真を見ていたら Kaboさんの写真が出てきた。
あの日 写真がいると言われて探した時は一枚も見つからなかったのに。
もっとも何も手につかずにうろうろしてただけだったみたいだから 探したと言え
るのかどうか怪しい限りではあるけど。

その写真はオトーサンが退院してすぐに行った秋吉台Mの時のもの。
Kaboさんがつなぎ来てポーズを取っている。一人で写ってる貴重な写真と言え
るかも知れない。
オトーサンと二人で向かい合って笑い合ってる写真も出てきた。
OHARUにとって大事な二人が二人共いなくなってしまった。
信じられない様なことが実際に起る残酷な現実。

生きていると得るモノも失うモノも多いのは百も承知だけど このところの立て続け
に失ったモノの大きさに ただ呆然。ひたすら胸が震える。


1998年11月4日

やっぱり気が滅入っていかん・・・

久しぶりのお墓参りも 手を合わせていると涙がこぼれそうになって 早々に
帰って来ました。

なんとも言えない孤独感。
回りに気遣ってくれる人は一杯いるのに 話し相手も不自由しないのに。

昨年は10月の間1月毎日通った道だけど 今年は木々は色付いているものの
稲刈りも終わって感動する位の季節感を味わうことができませんでした。
あの気持ち良さはお墓参りに日参してたご褒美だったかな。

KaboさんのCBの音が聞こえてきそうだった。お墓参りしたいと言うKab oさんを日が暮れるまで待ってたことがありました。
今度はOHARUがKaboさんのお墓参りに行く番だね。


1998年11月3日

EAGLESの曲を聴きながら家の片付けをしています。
一人で家に居るとついついオトーサンのことやKaboさんのことを考えてしまい 涙ぐんでしまう。

外はすごくいいお天気で モンスターで出かけたい気分だけど。

明日はオトーサンの月忌法要。
これからはオトーサンのことを考えるとKaboさんのことを思い出し Kaboさんのことを考えると
オトーサンのことを思い出す生活になるんだなぁと思う。
火事の現場に行った時 持ち主がいなくなったボーちゃんが カバーかけられてボツンと残された様子に
オトーサンが居なくなった後のモンスターを見た時と同じ気持ちに襲われ Kaboさんが居なくなった
こととオトーサンのことがダブッて思い出され 押し潰されそうな気持ちだった。
ボーちゃんの持ち主をなんとか見つけて可愛がってもらえる様にしないと Kaboさんも上方もぼーち
ゃんもみんな哀れな様に思う。

モンスターに乗ることで心の重荷が少し減った様に思うのと同じで みんなの気持ちが少しでも軽くなれ
ばKaboさんもそれを一番喜ぶと思うから。

上方忘年会の案内が出されて 参加表明がぼつぼつ上がりはじめてる。
Kaboさ〜ん 一緒に呑めるの楽しみにしているからね。

1998年10月31日

なんか久しぶりに日記を書いてみる。

ふうてんの寅さんやってる。渥美清氏の遺作。
見てる訳じゃなく かかったままになってて ふと 徳永英明の挿入歌が 聞こえて なんか久しぶりにレイニーブルーや壊れかけのラジオが聞きたくなった。

以前 Kaboさんに 日本人歌手では誰が好き?って聞かれて 特別誰って いないけど 強いて言えば徳永英明かな・・・

始めて上方で行ったカラオケで壊れかけのラジオを歌うKaboさんが居た。
Kaboさんが宴会には向かないその曲を何故選んだのか多分誰も知らないと思う。
そんな曲を歌っていたことさえみんなは忘れているでしょう。

その後 Kaboさんはもう一度壊れかけのラジオを歌ったことがある。

OHARUは本当はレイニーブルーや夢を信じてや最後の言い訳が好きで 壊れかけのラジオは余り好きな部類の歌じゃなかったけど Kaboさんの 気持ちをもらえた違う形の思い出の歌になってしまいました。
今晩は久しぶりに聞いてみようかな。涙流して明日目蓋が腫れてたらどうしよ。

1998年3月22日

ジャッキーが家出した・・・
夕方 店の配達から自宅に戻って来ると 鎖がちぎれて 犬小屋はもぬけの殻。
ぎゃー ジャッキーがどこかに行っちゃったぁ・・・

探しに行こうとして 車をバックさせてて 横手の用水路に前輪がぐにゅぐにゅ・・
うむ 雨で路肩がぬかるんで めり込んで落ちた・・・

バックも前進も 前輪がはまり込んだせいで後ろが浮き上がって白煙を噴くばかり・・・
だめだこりゃぁ・・・
仕方なく息子の携帯にSOS

1時間後 戻って来た息子の車で引っ張って 車を引っ張ると なんなく上がってほっ!
あ〜 よかった・・・
焦るとロクなことないのは承知の筈なのに・・・

それにしてもジャッキーったら どこに行ったのか・・・


1998年3月18日

ヴィヴィオを点検に出す為 鈴蘭台まで行く。
その後はkoharuと別行動になるので GPXを引っ張り出す。
お天気が良かったので モンスターにしようか迷ったけど まだ風が
冷たかったのでGPXにした。
しばらく乗ってなかったので エンジンがなかなかかからなかった。
それでもなんとかかかって 久しぶりにGPXで走る。

突如思い付いたので あちこちオイル切れって感じで どこもやたら重い。
それともモンスターのタッチと比べているのかな? とも思った。

点検は無料サービス中で オイル交換のオイル代だけで済んだ。

お天気いいし 暖かいので そのまま明石海峡大橋でも見に行くかぁ。
途中板宿を通るが 震災後 更地が広がっていた辺りは建物が立ちかけて
見慣れた商店街の面影を見つけられなかった。

明石海峡大橋のかかる舞子付近も様変りしていた。大がかりな工事が突貫で
進んでいる様子だった。
いつもオトーサンとたむろってた公園の駐車場には入れなかった。

そのまま明石まで行って Uターンして 再度同じルートで戻った。
朝霧から別れたR28は海のそばを走る国道だったけど 埋め立てられて
公園に整備されつつあった。
橋が見える絶好のロケーションではあるんだけど・・・・・
垂水も明石も所々でいかなごの炊く匂いがした。春なんだ。

1998年3月4日

目眩いがして この2日程 寝込んでいる。

そんな時でも嫌なニュースが入って来る。

知人からの電話。主人が胃癌で入院 近々 手術を受けるという。

はぁ なんでこうも次から次へと・・・・

慰めの言葉も出なくて・・・・・

1998年2月9日

今日は月命日。1年と1ヶ月。

2月に入って立春が過ぎて 時折春の日差しを感じる日があって。

春の日差しだなと歩きながら感じて ふと 早く暖かくならないかなぁと思う。
春を心待ちにするのは誰も皆同じでしょうか。

明るい日差しに誘われて どこかに行きたくなるんだよね〜 どこに行こうかと
思いながら オトーサンがいないことを思い出す。

そうだ 去年もそのまぶしさが辛かった。
何年も続けて来た決まり文句「暖かくなったらどこか行こう」と言う相手がいな
いことと 行く場所を特定する為に望みを図る相手がいないことを思い出す。

繰り返しなんだ・・・辛いことも 楽しいことも・・・
何も変わってない自分が腹立たしくもあり 庇護したくもあり・・・

友の言葉を思い出す。
「日にちが経っても淋しさ辛さがなくなることはないでしょう。ただ そういう状況に慣れるだけ。」
何年経ったら慣れたと思える様になるのでしょう。


1998年2月4日

日記が書けない。
何故か理由がわからなかった。

ちょっと前にある番組を見た。
震災で娘さんを失ったご夫婦を取り上げた番組だった。
その中の言葉が印象に残る。
3年経っても娘に対して溢れる思いがある けど 周りの人達は自分達に対して
そこに留まり悲しい顔をしていることより 前を向いて歩いていることを望んでいる。
また 自分達もそういう気持ちに応えたいと思う。

そうなんだ OHARUはそういうジレンマの渦中にいる。
オトーサンがいない 帰って来て欲しい 悲しい 辛い。
自分の気持ちは1年前と何も変わっていない。
ただ日常は止ってくれない。周りも動いている。
いつまでも悲しい顔をしていられない。元気になったねと言われることを
望むわけではないけど 元気でいるところを見て安心してもらいたい。
本当は1年前と何も変わっていないのに・・・

日記は 何も変わってない部分だけしか書けない。1年前と同じことしか書けない。
手紙では元気だよと書けても 日記には儀礼的なことは書けない。

度重なって同じ病で倒れた人達が周りにいる。

それは・・・それは・・1年前の自分に無条件に戻ってしまう恐怖を感じてしまうから。

じっと自宅に閉じこもって 泣けるだけ泣いていいのだったら 少しは気が楽で書けるかも知れない。
普通の顔をして 客や業者の人達と接しないといけない二面性を自分自身が嫌悪する。

どちらかの自分で居なければ・・・・葛藤なのか? 現実を受け止める為の進歩なのか?
選んだのは笑顔を作った自分。1年前に戻る恐怖を遠ざけたい。

日記が書けなかった理由が思い当たった。

1998年1月1日

お正月・・・・
オトーサンのいないお正月。
何もする気がなくて お雑煮さえ作る気がしないで 朝はいつもの様にパンと紅茶。
昼過ぎまでぼーっとして過ごす。

子供達が揃ってやっと間に合わせのお雑煮ともらい物のローストビーフで食事をする。

子供達が家を出て行って一人になったら これよりひどい何もしない正月を迎えることになるのかな。

オトーサンのいない寂しさが一際身に染みて 涙ばかりが溢れる一日。

新しい年が始まったというのに・・・

先程までプレステに興じていた子供達もいつしかいなくなって・・・

1997年12月24日

クリスマスイヴだね
日々痩せて行くオトーサンを見ていないといけない辛い日々だった。
それでも死んでしまうなんて遠い遠い先のことの様に思ってもいた。

ルミナリエで人波に自分の身体が支えられないでいたオトーサン。
いつもはOHARUを支えてくれてた筈の太い腕が細く細くなって OHARUがその腕を支えて一生懸命歩いた。

もう体力の限界だった筈。足元もおぼつかなくなっていたのに 忘年会に ルミナリエに 何故オトーサンは
行くと言ったのだろう。

あれから一年も経ったなんて。

いつの日かオトーサンの写真を抱いてルミナリエを見に行きましょう。

今年のルミナリエは明日が最終日。

1997年12月17日

どんどん変わって行く
しょぼ振る雨の中 久しぶりに町に。

有馬街道を下るつもりだったけど 渋滞がひどいので大池から六甲トンネル方面へ抜け道を取る。
途中 工事で通行止めになっていて迂回させられて 結局道がわからなくなり 来た道を逆戻り。
はぁ オトーサンがいたらとっとと連れてってくれたでしょうけど。
この辺りはオトーサンの庭みたいなところだったから。
OHARUはかすかな記憶を辿ってみたけど結局抜け道には辿り着けなかった。

六甲トンネルは料金所がトンネルの手前に移動していた。
オトーサンの後ろ姿を確認できた料金所だったのに 半分は取り壊されていた。

阪神高速北神戸線の絡みで移動したのでしょうか。

神戸に出る時は必ず通ったトンネル。
道も景色もどんどん変わってオトーサンの後ろ姿が薄らいで行く。

1997年12月12日

癌でよかった
TVで癌で亡くなった有名人の妻達の特集が組まれていた。
つい 見入ってしまう。
番組の構成そのものはとても薄っぺらなものだったけど この際それはおいといて。

看取った妻達の口から出る言葉で共感できるものが少なくない。

「癌になったことで 夫婦の結び付きがより強くなった」「二人の時間が持てた。」
これはほんとうにそうだと思った。

「人生○年としたらその終焉が癌でよかったと思う。」
それは 癌を怨んでいるOHARUにはちょっと衝撃的な言葉だった。

なんで癌でよかったなんて言えるんだろう?
1年前から今までを考えてみた。

元々何でも二人一緒だったし オトーサンの命を奪い二人を切り離したのは癌だとの思
いが 怨む気持ちになっている。
しかし癌でなかったら 最後に過ごした1月半はなかっただろう。あったとしても違っ
たものになっていただろう。
今 生きておれるのは あの一月半があったから。
ではそれは 癌がもたらしてくれた一月半だったと言える。
それまで見えなかったオトーサンの強さも癌のお陰で知った。娘や息子の家族への思い
も知った。
なにより自分自身のオトーサンへのこれほどまでの思いを認識したことと それがオトー
サンにも伝わりより心を通わせることができたことは癌のお陰と言えるのかも知れない。

悲しくて淋しい気持ちが癒えるものではないけど 少し 肩の荷が降りた気がした。

1997年12月9日

今年最後の月命日
今年最後の月命日。
朝 久しぶりに出会った知人。
オトーサンと同じ病のご主人を持つ。

「どうしてる? 元気してる?」
いつも気になっているけど たまに会えた時にしか話せない。
ご主人には告知はしていないし 仕事を止めて自宅にいらっしゃると思っていたから 訪ねて
行ってもその話はできないし 寄るに寄れなかった。

「入院してんねん。」
「えっ? 入院? 入院したの?」

お腹が張る。物が喉を通らない 検査がきついらしい。痩せてきている。抗癌剤を使用している。
オトーサンがホスピスに入る前と同じ状態だ。

あぁ その時が近付いてる。(;_;)

お参りに来て 法要に出てくれた。
OHARUは何もしてあげられない・・・・

1997年12月7日

GPXのマフラーが
錆びてるのは知ってたけど ついにカッチャカチャと外れそうになっている。

これはやばいな。よくよくみてみると 寄る年波には勝てずって感じだ。
タイヤも山がなくなってきてるし。

どうしよ・・・・
直すだけの価値があるんかな? かなりの額になりそうだし。

でもこれがなくなると足が・・・・
セローを直して乗るか・・・傷み具合から行くとどっこいどっこいか。

手放すのは忍びない・・・・オトーサンとずっと一緒に走ったバイクだもん。

はぁ 何もかも 過去のものになって行く。そこから進めない自分自身の心も・・

1997年12月5日

身体の調子が・・・
頭痛がする。熱がある訳ではないのに なんか熱っぽい。
風邪かと思ってみたりしたけど どうもそうではないみたい。

昨日は休憩時間にお墓に行こうと16時頃一旦戻ってきたけど そのまま寝込んでしまった。

ほんとうに熱でも出て 起きられなくなったら 店を開けられなくなる。それだけは避けないと・・・

オトーサンがいなくなったことで 生活の全てが自分自身にかかって来る。
ほんの些細なことでも知らない間に次から次へと追われている。どう手をつけていいのかわからないことも
まだ山積みだし。
他にも問題は日常的に発生する。

生きて行くというのは煩わしいことの連続。それを実感する度にオトーサンがいないことを思い知る。

自分自身はまだオトーサンをおっかけてるのに周りの人にとっては過去のこと。
次から次へと発生する物事はオトーサンがいないが為のことばかり。
そんなジレンマから来る身体の変調なのか。

今朝は栄養剤で変調を隠して仕事をした。 
明日は少しましになってるといいけど。

1997年12月6日

大先輩 ありがとう!
休憩に戻って何気なくチャンネルを変えたスポーツニュース番組に先輩の育てて
いる選手と特集が組まれていた。

高校時代の部活の大先輩。直接指導してもらったことはないけど 時折 練習に
顔を見せてくれていて 折りに触れて恩師の節目のお祝いの会などのお世話を下
さっている方。

2位に終わったとニュースは告げていた。

みんな輝いてるのに OHARUは何をしてるんだろ。

はぁ 落ち込んでた気分が 少し勇気づけられました。
明日 同級の友に電話をしてみよう。
勇気と力を分けてもらえるかな。はは 他力本願だな・・・

1997年12月3日

ありがとうと言わないで
身体が動けなくなりかけていた頃。
OHARUにも koharuにも。
少しのことで「ありがとう」

どう返事をしていいのか わからないのです。

オトーサンの義母が胃癌で亡くなる数日前。
「あの時のブリなぁ 美味しかった ありがとう!」
ブリをさばいて刺し身にした時のことを言っていた。
何度も何度も 繰り返して。ありがとう!って。

その状況が忘れられなかった。

オトーサンが同じ状態にいる そう思えた。
ありがとうの言葉を聞く度 胸がつかえる。

何をしてあげたらいいのか分からないから辛いのに お願い ありがとうって
言わないで!!

今も聞こえてきそうです。お線香を上げるとどこからか ありがとうって。

1997年12月2日

クリスマスツリーを飾ったよ
朝 店に行くと クリスマスツリーが出ていた。
12月になって それらしく今日はとても寒い。

GPXに乗ると 寒さがピューと身体中を突き抜ける。
オトーサンがいたら 車で送ってもらうところだけど それができない最近はGPXで出かけたり
歩いて出かけたり。

寒がりなOHARUは ちょい乗りでもこの時期バイクに乗ることはほとんどなかったのだけど
行ったり来たりする時間を節約したいからGPXで出かける。

ケーキ屋さんにはクリスマスケーキの予約に来る客らしき人がひっきりなしにやって来る。
前を行く人達 寒い今日は いつもより少し急ぎ足だけど これから段々速足になって行く。

今年ももう一月切った・・・・困ったな・・・

1997年12月1日

クリスマスの月だ
クリスマスソングが町に流れてますね。
ジングルベルや赤鼻のトナカイや・・・それはちょっと気忙しいので勘弁願いたいのですが
ワムのラストクリスマスやマライヤ・キャリーの恋人達のクリスマスなど もちろんエルビス・プレスリの
ブルークリスマスはとってもとっても いいのです。

そう言えば最近 歌も聴かなくなりました。
ずっとスピーカーから流れてるけど 聴いてないんですね。

若かりし頃も辛いことはありました。そんな時はレコードを聴いてブルーな気分を払拭して また元気が
取り戻せた。音楽って不思議だなぁと思っていましたけど。

先日 レコードプレーヤーを捨てずに置いてたkoharuが 針を注文したんだけど 合わないものが
取り寄せられてそのままになっています。
考えたらこの子たちレコードの音を知らないんですね。

もう合う針がないのかも知れませんが もうちょっと探してみて なんとかレコードを聞かせてやろうと
思ったりしているのです。

1997年11月30日

11月が終わる
あれから1年。その真っ只中にいるという感じがする。
どうしても気分が沈む。

胸苦しくなって 居ても立ってもいられなくなる。
色々なことが脳裏をかすめる。オトーサンの生前の姿が目の前にちらつく。

今日は新しいバイトの子が入ったせいもあって 気忙しくて そんなことも思っていられないはずなのに
重い気持ちをずっと引きずったまま。

はぁ どうしたらいいんだろうか・・・

どこかに逃げて行きたい気分だけど どこに行っても自分自身から逃げる訳にはいかないし。

その辺りにあったチラシに沖縄へのツアーがあった。
沖縄かぁ。動けなかったら車椅子ででも連れてってあげると言ってもらって喜んでいたオトーサン。
一緒に行こうと言ってたのに。
一人で行ったらどうなるだろうなぁ・・・とぼーっと考えてみる。それだけ・・・

店にいても 家にいても 何かを食べても 何かを見つけても どこか虚しくて 何かをする気力が萎える。

まだ ぼーーーと過ごしていたいのかな。ほんとは・・・
それが一番辛いことだとわかってる筈なのに・・

1997年11月28日

ポケットから
朝 何気なくオトーサンの履いていた茶色のジーンズを手に取って ポケットに何か入ってるのを発見。
出してみると 仕事にずっと離さずに使ってたスケールだった。
メモリの端が錆びて 使い込んだもの。これがなかったら仕事ができなかった。
不覚にも忘れて 持って来てくれと無線が入って現場に持って行ったこともあった。
あれからいくつ目のスケールか知らないけど 最後に使ってたもの。

あー ダメだ また涙がこぼれそう・・・慌ててポケットにしまいこむ。

オトーサンの着ていたもの まだ何も手をつけていない。
着てたのを脱いだそのまま。洗濯もしていない。

バイク用のジャケットは一枚 OHARUが着てるけど それ以外は死ぬ間際の時のまま。
このままではいけないし 片付けようかと なんどか手が延びたけど 温もりがまだ残っていそうで
そのまままた元の場所に置いてしまう。
涙も溢れて来て 居ても立ってもいられなくなるし・・・

よく形見分けとかしてるのを見るけど OHARUに出来るようになるのかな?

TLMをU−HOさんちに持って行った様に いつか 身の回りのものを手放せたりする時が来るんだろうか?

まだまだ意気地なしのままなんだな。

1997年11月27日

雨に打たれても
昨夜は一日雨で 警報も出ていた位 激しい雨風だった。

今日は晴れて11月とは思えない位暖かかった。

あの風雨でお墓のお花とか飛んでしまってないか気になって GPXのリアシートにお花積んで
出かけたけど お墓の花はそのままで奇麗だった。
部屋の中に生けるよりうんと長持ちするのね。部屋の中の方が乾燥してるからだろうか?

出かけた時は暖かいと思ったけど 今田に近づくと寒くなって 帰りは防寒にバンダナを
首とあごと2枚使用。持って行っててよかった。

眠れない日がしばらく続いてたからか 今日は眠くて。
昨日は休みだったのに 何もしないで過ぎてしまった。お天気が悪かったせいもあるけど
なんか気力がなくなってるみたい。心の穴が大きくなってるみたいな気がする。
日記もしばらく書けないままだったし・・・・・・

今日は眠れなくてもいいから早めに床に就こうと思う。

1997年11月24日

誰か 早く癌の特効薬を!
お願い! お願い!
早く早く!!
今 苦しんでる人を救える特効薬を!!

涙がとまりません。
その特効薬ができるまで 一体いくらの涙を流せばいいの。

急いで!! 急いで!!

1997年11月20日

あれから1年
そうです 泣きながらオトーサンに告知した日から丸1年経ったのです。
そんなこともあったねとオトーサンと笑って話ができたら どんなにかよかったのに。

それは奇跡が起きたってこと。

我が家には奇跡は起きなかった。

2ヶ月も経たないうちに逝ってしまった・・・・
たった50日程の命だったなんて・・・その時は思いもしなかった。

そして 1年経ってもオトーサンがいないと信じられないまま。
不思議な時間 あれからの1年。

話をした時のオトーサンの様子や言葉がぐるぐる回る。
胸苦しくなって その辺りに居ても立ってもいられなくなる。
koharuに気付かれない様に そっと深呼吸して空気と一緒に涙を呑みこむ。

1997年11月18日

ケチャップ爆弾だぁ
朝の仕込みが済んで お客さんを迎えて あっ ケチャップが入ってない・・・と 急いで
ケチャップのふたを空けると
プッシューーー
ケチャップが厨房内の端から端まで一直線に飛んだ・・・
ぎゃーーー 作りたてのサラダが・・・

オフホワイトのジーパンに点々とケチャップの染みが・・・うっ 人前に出られない・・・(^^;

おしぼり持って来て ごしごし ごしごし・・・
はー なんとか取れたからよかった。

あんなにパンパンに空気を入れてはいけません。後のこと少しは考えよう・・・こら アルバイト!

はぁ ちっともいいことがない最近・・・・

誰かいいニュース持って来て!!

1997年11月17日

このところ気持ちが塞ぐ
なんだかわからないけど 憂鬱気分な毎日。
今日は一日雨で お墓にも行けず仕舞い。

モンスターに乗っても サッカーがワールドカップ出場を果たしても うれしいことたのしいこと
一杯ある筈なのに 何か満たされない。
本当はそんなことどうでもいいと感じてる様な部分がどこかにある。

オトーサンのいないことがいまだに不思議な毎日。

昨年の同じ時期のことを思い出すからだろうか。
免許を取ってしまった脱力感なのか あの時 うれしいと思わなかったことが自分でも不思議だった。
自分の感情が読めないことのとまどいもあるのかも。

オトーサンなしで生きて行くのに通るべき関門なの?

笑顔で過ごしていると いいことが寄って来ると教えてもらったけど。
心掛けてるつもりだけど 気付いたら深刻な顔して俯いて歩いてることがしばしば。
笑顔で前を向いて歩くのがなかなか辛いことみたい・・・今のOHARUには。

水曜日 お天気だったら元気をもらいに友人宅にでもでかけてみよう。居るだろうか・・・


1997年11月16日

琵琶湖一周ツーリング
琵琶湖一周なんて 何年振りだろうか。
朝はエンジンのかかりが悪いんだ。当たり前なのに 次からはゆっくりアイドリングする様にしよ。
高速道路は車の量もそこそこ多いし 慣れないモンスターの高速初乗りだから 慎重にと思う気持ち
もあって車の流れに乗って走る。

琵琶湖タワー前でU−HOさんと待ち合わせ。
他の人達 出てこないんだな・・・これが・・・

琵琶湖大橋を渡って 湖岸道路を北へ。
長浜辺りでマラソンで通行止めだったみたいだけど 遅めの出発のお陰で巻き込まれずに済んだ。

途中 「国武舞」で昼食。
紅葉も終わりかけの奥琵琶湖パークウェイ途中の休憩所に止る。
バイクも多かったな。
U−HOさん モンスターに試乗。(^_-)

神社前でよもぎ入り餅を買って はて どうやって持って帰る?
朝 レインウェアーをどうやって持って行くかで時間を食ってしまって 結局何も持たずに行くことに
したんだもん。
結局 懐に放り込んで帰ることに。ジャケットのお腹の辺りが膨らんでーーー。
でも あんまり邪魔にならなかった。

帰りはバイパスがだだ混み。名神もいつもの様に渋滞。
やっとまともに走れたのは中国道になってから。

その頃にはすっかりモンスターの虜に。
回せば伸びる。振動もなくなる。風が強くてもふらつかない。
この安定感 レスポンスの良さ。
益々面白い。乗ってて楽しい。

オトーサンがM400買ってあげようかって言ってくれてた時があったんだけど 買ってもらっとけばよかった。
楽しさ共有したかったのかも・・・ごめんね・・・

1997年11月15日

風邪なのか 疲れなのか
なんだか身体がだるくて 仕事が先に進まない。
困ったもんだ・・・・

夕方 お墓に行こうと帰ってきたが 時間が遅かったし 身体も本調子じゃないので止めておくことに。

明日 モンスターに乗りたいが為に U−HOさんにどこか連れてけと無理を言ったら 天気だったらどこか行こうということになる。

10時 琵琶湖タワー前で会うことに・・・・
ふみー ちゃんと走れるかなぁ・・・・心配・・・

風邪 大丈夫かにゃ・・・
バイクに乗ると 少々の風邪も直ってしまうOHARUなのだけど・・・(^^;

1997年11月14日

それぞれの別れ
OHARUがオトーサンとの別れを経験して10ヶ月。
子供達も相次いで別れの経験をすることに・・・

リョーイチは妻子と koharuは彼氏と。

OHARUと違って 二人の別れは 前を向いた結果としての別れと信じたい。
誰もが傷つくことがわかっているのに そういう結果を選択しないといけなくなったこと。
原因に「過ち」があったなら 二度と同じ過ちを繰り返すことがない様に 今の自分をしっかり
受け止めて 前を向いて歩いて欲しいと思う。

先に別れを経験したリョーイチがkoharuに
「オレらはまた会おうと思ったら会える お母さんはもう会えないんやで オレらより辛いはずやろ」
koharuがOHARUに
「おにいちゃんがそう言って慰めてくれた・・・」

二人の人生はこれからだから。

1997年11月13日

風邪ひいたみたい
今朝方は久しぶりに雨だったみたい。
暖かくて 暑い位だった。とても11月とは思えない・・・

朝から 関節や腰 頭と喉が痛む。風邪かな?

体力がなくなっていたオトーサンに風邪を移してはいけないと思い あの頃は気を付けていたけど
今は・・・その辺りで薄い布団をかぶってうたた寝なんかをしてしまう。

夜中にむっくり起きて紅茶を飲んだりして・・・

ペースが掴めない生活が続いて 風邪もひこうってもんだ・・・(^^;

生活の基準になる大きな柱時計を失ったから ペースが掴めないみたい。
もう11ヶ月に目に突入したのに・・・

熱が出ても店に出ない訳にはいかないでの 今日は早めに休むことに。

結局 体調が悪くてお墓には行けず仕舞い・・・・

熱が出ません様に・・・・

1997年11月12日

モンスターでお墓へ。

koharuが車で付いて来る。
まずBK2件に寄る。
ちょっと道路端に置いておくのが不安。koharuがそばにいてくれた。
携帯電話の件で用事があり 三田へ。中央分離帯があるため Uターンをするはめに。
実は信号から入れたので Uターンは必要なかった・・・後で気付く奴>OHARU

ハンドルの切れ角が小さいと聞いていたし まだ乗りなれないから 思うように回れなくて大変だった。

早く慣れないとなぁ・・・・

低速はギクシャクする。だいたい モンスターの低速ってどの辺りを言うのだろうか・・・
これで町中を走るのは非常に辛い。

それでも クラッチの重さ ハンドルの広さ サスの硬さ 少し慣れて来た様に思う。

お墓の前で koharuと少し話をする。
オトーサンに聞いてもらいたいことあるんだよね。

通りすがりのレストランでシフォンケーキセットを食べた。

モンスターでは寄りたくない電気屋に行く約束だったので 一旦自宅に戻り 着替えてから出向き koharu用の ファンヒーターを買った。


1997年11月11日

モンスターが直った!

バイク屋に電話を入れたら直っているということだったので 持って来てもらうと料金がいるということでもあり 取りに行くことに。
たまたまリョーイチがいたので「モンスター取りに行きたいんだけど」と言うと「運転して行く」と言ってくれたので  助手席の人となる。

やはり リレー周辺の接触不良だった。
エンジンは軽くかかった。

町乗りは始めてだし・・・・大丈夫かな? 不安・・・心なしか見送る店の人の顔も不安げに見える。(^^;

走り出して あー この感覚・・・ギクシャクギクシャク・・・下手なのかなぁ・・・こんなバイクなのかなぁ・・・? 渋滞気味な道路を しゃくり続けて 欲求不満なまま家に着く。
やれやれ 転けずに帰れた・・・・(^^;


1997年11月9日

月命日
法要を終えて 母とお墓に参る。
お花を一杯生けて 賑やかになった。

帰りに食事をして 家に戻る。
1997年11月8日,,夕日を浴びて
お墓にお花を持って行ったけど 前からのがまだまだ奇麗なので持ち帰る。
明日 母と一緒に来た時に生けよう。

夕日を浴びてゆっくりマスタングで走る。

昨年 一緒に出石に行った。同じように山や木々が色付いたここを通って行った。
オトーサンはもう歩くのが大変だったのに。
最後の遠出。

あの時も オトーサンも もう戻らない。

1997年11月7日

なんでこんなことに
久しぶりに一日店に張り付いて。
リョーイチがアルバイトに出かけた。

忙しくてお墓には行けず仕舞い。
それも仕方ない。
無理はしないというのが オトーサンが元気だった時からの二人の合言葉みたいなものだったから。

無理をしない・・・・
貧血がひどくて座っていられないのに医者にも行かず・・・OHARUは無理してた。
胃が痛むのに 仕事を休むことをしなかったオトーサンも無理をしてた。

結局二人とも無理をしていたんだけど・・・

なんでこんなことになってしまったんだろうと 死ぬ数時間前にオトーサンはベッドに座ってOHARUの顔を見て言った。
OHARUは返事ができなかった。

今頃 その言葉を思い出す。
なんでこんなことになってしまったんだろう・・・・

1997年11月6日

モンスター入院
モンスターを引取に来てくれた。
ドアを外して ジャイロを出して モンスターを引っ張り出そうとしたら やりますよと表に出してくれた。

タンクの下をちょこちょこっと触ったら ブゥーンとエンジンがかかった。
はっ かかった・・・思わずニコニコ。

そんなに大層な故障ではなさそうだ。ヤレヤレ

タンクの下にリレーがあって その辺りの接触不良らしい。

出先でエンジンがかからなくなったら困るので 直してもらうことにする。
しばらくお別れ。
早く帰してね。もうすぐ寒くなる 寒くなったら乗れない 春まで乗れなかったら せっかく練習した大型の感覚を
忘れてしまう。免許が無駄になる。
お願いだから 早く直して〜

祈るように見送って家に入ったら 昼ご飯を食べてないことに気付く。
リョーイチに頼んでそばを持って来てもらって食べたのはもう3時を回っていた。

お墓に行こう・・・モンスターのこと 報告しなくては・・

すっかり夕暮れ。日が暮れないうちに・・・
今田までの道は 夕日が紅葉を更に赤く染めて 徐々に晩秋の趣が深くなってきた。
ほぼ毎日通る道だけど 日々表情が変わって飽きない。

お墓は工事の人達が帰り支度をしていた。

変だね。あの工事の人達が立てたただの石なのに・・・毎日手を合わせてる。
なんの意味があるのかと昔は思ってたのに 今は来ないと済まない気がして。

帰りは暗くなって オトーサンが最後にモンスターを取りに行った時のことばかりが思い出されて 辛くて悲しくて。
ただ 家路を急ぐ。

1997年11月5日

休みの日
今日はお休み。
一日 のらりくらりと過ごす。

免許を取って することがなくなった様な気がして また 心の中に穴が明いたみたいに思う。
オトーサンがいないと実感する。

マスタングで墓に行く。周りの木々が色付いて オトーサンと行った紅葉狩りを思い出す。
いつもそばにいてくれたオトーサンが今はいない。
奇麗ねという言葉を共有する相手がいない。

お墓の周りの木々も山も色付いて来た。静かないいところだね。ここを選んでよかった。

ほぼ毎日60km近くをバイクで走る。
バイクに乗るチャンスをオトーサンがくれたと思う様になった。
OHARUがモンスターに乗ることを望んでた。そう思うことにしよ。

お墓の前で一杯涙流して オトーサンのこと考えて そんな時間と場所がOHARUには必要みたい。
人前では泣けないんだから・・・

戻って来る間に 涙を乾かして 玄関に立ったら 普通の顔に戻ってる。

1997年11月4日

納骨から一月
ほぼ毎日お墓に通う。

そこでオトーサンに会えると思う訳でもないし 何がある訳でもない。
それでも何かに憑かれたかの様に 毎日通う。

お墓の前は静寂に包まれ 誰にも邪魔をされずにオトーサンのことだけ考えておれるからかも知れない。
往復の時間を含めると 約1時間半はオトーサンのことを思っておける。

それはやっぱり懺悔なのかも知れない。
自分にとっては悲しみに対峙する時でもあるんだけど。

いつか 涙を流さずにお墓を離れることができる様になる時が来るのだろう。

そしたら 毎日はお参りしないで済む様になるのかも知れない。
そうなるのを願っているのか 今のままがいいのか よく解らない。
1997年11月3日,,やっぱり修理かぁ?
朝からM900のエンジンをかけて見る。
やっぱりうんともすんとも言わない。

あー いいお天気なのに 悔しいなぁ・・・・

これは修理に出すしか仕方ない。
明日 電話しよう・・・・

店に入って 昼過ぎに自宅に戻る。
仕方ない。GPXでお墓に行こう。

準備をしていると Kaboさんから電話。
忘年会のことだったけど お墓に行くと言うと Kaboさんもお参りすると言うことで
待ち合わせることに。

帰りに寄ってドカティのスイッチ周りを外して見てくれたけど 異状はなさそう。
結局明日 バイク屋に引取に来てくれるように電話することに。

ねぇ オトーサン ドカティが駄々こねてるよ。(^^;

1997年11月2日

モンスターがぁぁ

さて 今日も昼過ぎに仕事からもどって モンスターでお墓に行くよ。
んー んだけど モンスターを出すのは至難の技。

準備してたら店から電話。
「ARAさんが来てるよ。」
一緒にお墓に行くことになり ラッキー モンスター出してもらえるぞ。(^^;

それまでに一人でできるとこまでは出しておこう。
引き戸2枚を取り外し ジャイロを引っ張りだして 物を置いて狭くなった通路をそろりそろり通って出入口に。
よっしゃぁ!

ふふ バイク自体は軽い。教習所のGSXに比べたら取り回しは断然楽だ。

敷居があるし 車が行く手を狭めてるから ここからはARAさんが来てから出すことにしよう。

ARAさんは「あっ もう出てるやん」と言いながら「軽いなぁ」とモンスターを出してくれた。
「これじゃ ツーリングに行けないなぁ・・・」今朝 リョーイチにも言われた。
多分 出せるよ。ちょっと慎重になって 何かあって傷つけるのいやだから 来るの解ってるんだったら待って 出そうと思っただけ。

メットかぶってグローブはめて さぁ出発。
スタータースイッチを押すもエンジン うんともすんとも言わない。
ゲゲゲ またか・・・・・
ゆすってみる 押してみる 立ててみる どうしてもエンジンかからない。うんともすんとも言わない。
バイク屋に電話入れてみる。スタートスイッチのところにCRC吹き付けてと言われ その通りにするがダメ。
乗りたい・・・乗りたぁぁぁぁい。

結局小一時間程ごそごそ。もう今からでは暗くなる・・・・
諦めてモンスターを元の場所に戻してGPXでARAさんとお茶しに出かける。

帰りは寒かったーーー

なんでエンジンかからないんだろ・・・・なんでぇ せっかく免許取れたのに・・・


1997年11月1日

モンスター初乗り

お天気がいい。
なんとかモンスターに乗ってオトーサンのお墓に行こうと思う。

いきなり乗れるのか心配だった。どんな感じだろう・・・と。

作業場でキーを回してみる。エンジンがかからなかった。
リョーイチと二人でわっせわっせ あーでもないこーでもないと 揺り動かしてみたり 起こしてみたり。
ひょんなことでエンジンがかかった。
リョーイチとでバイクを出す。

オトーサンが手放さなかったバイク。「置いとくやろ!?」あの時の顔と声が脳裏から離れない。
乗ってるところを見るとと喜んでくれる筈だ。
生きていたら きっと大喜びしてくれただろう。

またがって見る。足つきは 教習所のに比べたらうんと楽だ。
ハンドル幅がやけに広い。

エンジンかけて そーっとクラッチをつなぐ。
リアタイヤからぐぐぐっと振動が伝わって来て そのまま前進する。
うぉぉ すごい リアタイヤだけで走ってるみたいだ。
すぐの信号で止る。クラッチが重い。信号を待ってるだけで左手がだるくなってきた。
ガソリンがないので すぐ隣のガソリンスタンドに入る。近過ぎて怖い。段差が頭に響く位クッションが固い。 どうやって曲がればいいの・・・(^^;
なんとか給油したが 出るに出られない。渋滞で車がとぎれないのだ。まだ感覚がわからないのに いきなり割り込みはつらい。リョーイチが車を止めてくれて前に割り込む。

発進はスムーズ。アクセルのオンオフは気を付けないとエンブレがすごい。ノッキングを起こす。
身体がしゃくって乗りにくい。更に信号という信号 みんな赤。
お願い 少しは走らせて・・・・なんて信号が多いんだ・・・
はぁ 疲れそうだ。途中で帰ろうかと思った位。
しかし教習所であれだけ厳しい練習したんだもん。これに乗るために耐えた。
途中でなんか戻るもんか・・

三田幹線に入って少し慣れ 信号も少なくなって流れ出した。
丁寧にクラッチを繋ぐ。ゆっくりブレーキを踏む。ブレーキのタッチは絶妙だ。気持ちいい。
フロントの沈みが少ないというかほとんどない。

コンコンとした振動と エンブレの効果に恐れをなして カーブでは慎重にならざるを得ない。
スピードをぐぐぐと落として ゆっくり丁寧に回る。
変にトラクションかかってパニックになるのはいやだ。(^^;

お墓に着いて オトーサンにモンスターで来たと報告を済ませ リョーイチと戻る。
帰りはクラッチの加減も少しわかって来て 少し引っ張ってみる。
あっと言う間に加速する。うわぁあぁーーんって感じで加速する。すごいすごい。
信号でリョーイチが並びかけて来て 「おかあさん 慣れた? おいつかへん。小さくなって行く」と言う。
そうそう いつもオトーサンの後を付いていく時 そうだったんだよ。

調子に乗って引っ張ると 前の車にすぐに追い付く。これはやばいバイクだ。(^^;

家に戻り バイクを直してほっとする。
あー よかった。今日は絶対転けないで戻ると思って乗った。
記念すべき56kmの墓参り初ツーリング。

オトーサン モンスターに乗ったよ。
オトーサンにしかわからなかった気持ちが少しわかった様な気がした。
このバイクは手放さないからね。

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