冒険に行こう! 

第二章  魔法泥棒

作 山下泰昌


                            序
 神々しい感じのする白が基調の建物だった。
 そこの大部屋では百人は超える人間が怪しげな真言の様な物を絶え間なく唱えていた。
 その人々を横目で哀れむように見つめながら一人の赤毛の女性が大部屋を突っ切っていった。
 彼らと同じ灰色の装束を着ているが首に巻かれている布の色が紫色であるのが異なる。
 赤毛の女性は大部屋の最奥部にある扉に向かった。そしてうやうやしく一礼してからその中に入る。
 その中はシンプルな小部屋だった。だが、床には高価そうな絨毯が敷かれたり、何らかの神を形取ったのであろう、金の偶像が鎮座ましましていたりと質素さは感じない。
 その奥の一段高くなった場所で、一人の中年の男が胡座をかいて瞑想をしていた。
 赤毛の女性はその男の前まで歩み寄り、片膝を付いた。そして一礼をする。
 「お呼びでしょうか」
  すると男は今まで閉じていた目を眩しそうに開き、それを答えとした。
 「タゥアか」
 そのタゥアと呼ばれた赤毛の女性は礼をした状態のまま小さく頷く。
 「『神の目』の方、いかがでしょうか?」
 「うむ。まだ、思い通りに操れぬが、どうにかなりそうだ」
 男は重たそうに頭を数回振ると、今度はしっかりと目を見開いた。そして目の前のタゥアを見据える。
 「『目』が手に入ったことは大きかったな。次の標的を定めることが出来た」
 タゥアは顔を上げる。
 「ということは……」
 「うむ。次は『神の皮膚』だ。『皮膚』はラ・ウにいる。市井の人間だから今回は『神の足』は必要なかろう。お主、『獣』を連れて行って来い」
 「『獣』を、ですか?」
 タゥアは一瞬、困惑の表情を顔に浮かべた。だが男は目聡くそれを見て取る。
 「不服か?」
 「いえ、そんなことは」
 タゥアは再び顔を伏せる。
 「お主も、すでに三冠精の一人だ。『獣』一匹御せないでどうする」
 「は、おおせの通りに」
 タゥアは深く頭を垂れた。
 男は片膝を付いているタゥアのうなじを盗み見た。そしてそれに連なる滑らかな背中、そして胸元を見やる。
 「タゥア」
 「はい」
 タゥアは男の声に混じりだした粘質の粒子に眉を顰める。
 「こちらに来い」
 「……」
 タゥアは身体を硬くしたまま、身じろぎをしなかった。だが、何かに堪えるように苦痛に顔を歪ませる。額から油のような汗が滴り落ちる。
 「『契約』から逃れることは出来ぬ」
 タゥアはあきらめたように瞳を強く閉ざし、そしてゆっくりと身体を直立させる。そして身に纏っていた灰色の装束を無造作に床に散らばせた。美の女神が羨むような洗練された裸身が男の眼前に出現する。男は疲れたように再び、目を閉じる。
 「目、口、右腕、左腕、足、と遂に神の七体にあと二つまで漕ぎ着けた」
 タゥアはゆっくりと男に近づきかしづく。そして男の装束におもむろに手をかける。
 「残るは皮膚と頭。この二つを盗れば―――」
 男はかっと目を見開く。その目には一種狂気の光が放たれていた。
 「―――神の復活ぞ」

                              一
 わずかばかり眩暈がした。
 『本』を使うといつもこうだ。
 例えて言うならばジェットコースターを乗り終えて、地上に降り立った時の感じ、と言えばその微妙な感覚を分かって頂けるだろうか。
 「さ、早く早く!」
 レイリアがそんな俺の腕を引っ張った。当然のごとく平衡感覚がいかれている俺は足がもつれて物置小屋の床に激しくぶっ倒れる。
 レイリアは俺を見下ろし呆れたようにため息をついた。
 「やだなあ。何やってんの?」
 「お前は大丈夫なのかよ」
 俺は頭を数回振りつつ、竹刀入れやデイパックを取り上げ、立ち上がる。
 「私は慣れているからね」
 レイリアはそう言ってから咎めるような目で俺を見つつ、言葉を続ける。
 「頻繁にニホンに来ているし」
 「悪かったよ。どうせ俺は三年間もスラクーヴァに来ていねえよ」
 俺は多少不機嫌になってむっつりと黙り込んだまま、歩を進める。俺とレイリアは埃っぽい物置小屋を出ると、小さい庭を横切って少し離れた場所にある母屋に向かった。
 俺は辺りを見回す。時間は早朝らしい。朝靄が辺りに立ちこめ、斜めから差し込む朝日が草葉に滴る水滴に反射して輝く。
 何か懐かしい感じ。いや、ガキの頃、良く来ていたのだから懐かしいのは当たり前なのだが、そういう意味ではない。
 うん、風景や植生なんかが俺らの世界に良く似ているんだ。たぶん、異世界と言っても限りになく俺たちの世界に近い、隣り合わせな世界なんだろう。『本』を介してだが、互いの世界を行き来出来るというのもそんな理由があるのではないだろうか。 
 物置小屋から出た俺たちは母屋に入る。
 屋内の天井や壁にはところどころぼうっと光っていて照明になっている。『月光石』と言い、永続的な魔法で光を放っている石だ。だが、今回見たそれは三年前来たとき見たよりも色も光も変わっていた。レイリアは俺のそんな視線と表情を素早く見て取った。
 「どう? 新発売の『月光石』は。良い、色合いでしょ。私が選んだんだ」
 「新発売?」
 「そう。技術は日々進歩しているんだから」
 
 がちゃりと、音を立てて、俺たちは廊下から部屋に入った。
 ほわっと胃を刺激するような匂いの暖かい空気が俺を出迎える。そこは食堂だった。今まさに何かを作っているらしく、鍋のようなものから湯気が立っている。その鍋を覗き込んでいた女性がこちらを振り向く。
 「あら……?」
 その年輩の女性―――若干、口元に皺が見て取れるが、若々しい感じがする―――は、しばらく俺の顔を見つめながら思案していたが、やがて「ああ!」と大きな声を上げると驚いたように首を深く縦に振った。
 「シュンスケじゃない! しばらくぶりね!」
 その女性は調理の手を止め、小走りに俺の方に近寄ってきて、そして俺を抱いた。
 「ひさしぶり、おばさん」
 俺は少し居心地悪そうに身体を捻りながら、そう言った。
 スラクーヴァ語で。もうここからはスラクーヴァ語だ。ガキの頃、良くこちらに来ていたせいと、親父とお袋が時々スラクーヴァ語で話すせいで俺もスラクーヴァ語を操ることが出来る。ただ本格的に勉強した訳ではないので、読み書きの方は出来ない。
 おばさんはしばらくしてから身体を離し、そして俺の顔をじっと覗き込む。
 「この前来たときは坊やだったのに。本当、この時期の男の子って成長が早いわね」
 おばさんはおおげさにもかすかに涙ぐむ。
 そう、お察しの通りこの人はレイリアのお袋だ。ミュウレイ=アルケムス。俺のお袋やレイリアのような豊かな栗毛を軽く後ろで束ねている。スラクーヴァの女性ってのはロング・ヘアがデフォルトであるらしい。
 「どうした?」
 食堂の中の騒ぎを聞きつけたのか、一人の大柄な男性が反対側の扉から室内を覗き込んだ。その髭面の大男は目を眇めて俺をじっと凝視していたかと思うと、何かに気が付いたように顔を破顔させた。
 「シュンスケ!」
 男は室内にずかずかと入ってきた。その男が入ってきたせいで室内が急に狭くなったんじゃないかと思うくらいの容積の体躯が急速に俺に接近してくる。
 たくましい赤銅色の両腕の筋肉がねじくれた縄のように盛り上がっている。
 やばい。
 俺はその後に起こるであろう展開を予想して半歩後退して身構えた。
 だが、その男は引いた俺など気にせずに、がしっと俺をそのごつい両腕で抱き締める。
 「ぐはあっ」
 ベ、ベア・ハッグだあ……。
 肘である程度突っ張っていたから何とかなったが、そのまま受けていたら背骨がどうになってしまったんじゃないかというくらいの渾身のさば折りだった。これで剣士ではなく魔法使いだというのだから世の中何か間違っている。
 男の名はドラガン=アルケムス。そう、レイリアの親父である。
 「うむ。日々の鍛錬は欠かしていないようだな」
 おじさんはそう言って満足そうに頷くと俺の身体をやっと解放した。俺は身体中の各関節を回しながら、どこか異常がないかどうか確認する。
 「当然」
 俺はにっこりとおじさんに微笑み掛けた。おじさんはその大きな口の両側を限界までにいっとつり上げると心底から嬉しそうに微笑んだ。
 「それでこそ婿殿だ」
 「いや、それは……」
 おじさんは俺が眉を顰めるのも構わずに、俺をテーブルの席に勧める。
 「ほら、座りなさい。お茶でも出そう」
 俺は促されるままイスに座ってしまった。あ、一応補足しておくけど『茶』と言っても俺らの世界のお茶とは微妙に異なるものだ。念のため。
 室内に一人の少年が入ってきた。そいつは俺の顔を見るなり「あ」と口を開け、露骨に嫌そうな顔をする。
 「あ、ビー。いいとこに来たわ。シュンスケよ。久しぶりでしょ。挨拶なさい」
 おばさんがそう言うと少年は複雑そうな顔をした。
 「よ、ビー。久しぶり」
 俺は挨拶代わりに右腕を上げて少年に声を掛けた。だが、その少年は睨むような目つきで俺におざなりに頭を下げると逃げるように部屋の外に出ていってしまった。
 その様子を見てレイリアはため息を付く。
 「どうしてビーはシュンスケに対してだけああなんだろ。いつもはいい子なのに」
 それが分かっていないのはレイリアだけだろう。俺はあいつの気持ちが何となく分かる。
 その少年の名前はビーバス=アルケムス。レイリアの弟で、俺の記憶に間違いが無ければ十二歳、ウチの妹の麻菜より一つ年下だったはずだ。
 あいつは完璧な『お姉ちゃんっ子』で昔からレイリアの後ろをちょこまかと付いてくるような子供だった。そういう子供がその『一応許嫁』に対して良い感情を持つはずがない。
 「はい、どうぞ」
 カチャリと俺の前にカップが置かれた。その中には白い液体が入っており、湯気を立てていた。これがこの世界のお茶である。だが味はどちらかというとコーヒーに近い。
 俺がいざそれを飲もうとすると、ぐいとレイリアに強引に手を引かれ、立たされる。
 「ほらあ! 悠長にお茶なんか飲んでいる場合じゃないでしょ! 時間が無いの!」
 「おい。お茶飲む暇くらいあるだろう」
 おじさんがレイリアに言った。レイリアは俺を引きずりながら首を横に振る。
 「登録締め切りがあと一トゥムなの。とてもじゃないけどそんな暇ないよっ」
 「ああ、『ラ・ウ』杯か」
 おじさんは納得したように頷いた。
 「懐かしいな。俺が出たのはもう二十年前だったかな」
 「そこでマサタカと会ったのよね」
 おばさんが付け加えるように言う。
 「最強コンビの初めての出会いだったのよね!」
 レイリアが興奮気味に目を輝かす。
 「その子供たちが『ラ・ウ』杯に出るんだものなあ。俺たちも年を取るわけだ」
 「まったくです」
 そんな夫婦の会話を差し置いてレイリアは俺の耳元で囁いた。
 「第六回『ラ・ウ』杯の優勝者は父さんなのよ」
 「へえ」
 「でも、実際はその『ラ・ウ』杯にたまたま紛れ込んでいたシュンスケのお父様の手助けがあったからなの。伝説コンビの最初の仕事ってわけね」
 「……」
 俺は沈黙した。そんな話、全く知らない。俺は親父の話など親父自身から聞いたことなど一度もない。全てスラクーヴァで他人から聞いた話だった。でも、それで俺は別に困りはしなかったから、取り立てて親父に訊こうとも思わないし。
 「で、その時の年齢が二人とも十八才の時。今の私たちより一歳しか違わないの。だから何としても私も今年か来年にはこの大会で優勝したいの」
 ……。少しレイリアが羨ましかった。レイリアも少なからず親にコンプレックスを持っていると思う。だけど、俺みたいなひねくれ方ではなく真っ直ぐにそのコンプレックスを乗り越えようとしているところが。
 だけど、そう言っても俺は親父を真っ直ぐに乗り越えようなんて思いもしないが。
 はっきり言って届かない壁なんだ。親父は。乗り越えるなんて無理だ。
 俺がそんな鬱な思考に浸っているのも余所におじさんは俺たちに激励の言葉を掛けた。
 「一応、経験者の意見として言っておくが、派手な戦闘より、地味な積み重ねが大事だからな。まあ、何にしても頑張れよ」
 「まかせておいて!」
 レイリアは片腕でガッツポーズを作ってそれに答えた。
 「父さんも、仕事なんでしょ。頑張ってね」
 おじさんは深く頷く。
 「ああ。突然、ヴァドーツから呼ばれてな」
 俺を引きずって部屋を出かかっていたレイリアはそれを聞いてぴたりと止まる。
 「王宮から?」
 するとおじさんは眉を顰めて額を押さえる。
 「余計なことを言っちまったな。まあ、俺の仕事だ。気にしないで自分の事に専念しろ」
 「うん」
 レイリアはそう元気に頷いて俺を再びずるずると引きずり回す。
 そうして俺はせっかくのレイリア一家との再会の感慨に耽る間もなく、出立することになった。

                             二
 「ほらあっ! 早く! シュンスケ! 締め切っちゃうよっ!」
 レイリアがはるか前方の小屋の前で大慌てで手招きをしている。俺は肺の中の酸素と二酸化炭素を激しく交換しながら、全速力でその小屋までたどり着いた。
 そして息も切れ切れに「と、登録をお願い、します」と役員に報告した。
 役員は頷き、俺とレイリアの方に名簿のようなものとペンを突き出す。どうやらそこに自分の名前を書くらしい。レイリアは慣れた手つきでさらさらと自分の名前をそこに書き記す。続いて俺も多少、もたつきながらも自分の名前をそこに書いた。スラクーヴァ語の読み書きは出来ないと前述したが、さすがに自分の名前くらいはどうにか書ける。
 役員は確認の意味で俺とレイリアの名前を見返した。そして大きく目を見開く。
 「……まさかあの二人の」
 だが、俺とレイリアはそれには答えず、登録されたことを示す首飾りをそれぞれの首に掛け、そこから足早に立ち去った。
 「スタート地点はこの先の広場らしいわ。さ、急ぎましょ」
 レイリアは先頭に立って俺を促す。俺はそれに頷きつつも一つの提案をする。
 「な、レイリア。これから大会の出場するに当たって約束事を作っておかないか?」
 「約束事?」
 レイリアは歩を止めずにこちらを振り返り、首を傾げる。
 「ああ。俺が呼ばれたってことはこの大会、少なからず戦闘があるってことだろ? その時のための約束事だよ」
 「シュンスケにしてはまともなこと言うじゃない」
 レイリアは得心したように頷くがその口から放たれる言葉は一々棘がある。その度に反応していたら疲れるのでそこは怒りをぐっと堪えてやり過ごす。
 「つまりコンビネーションの打ち合わせってわけね」
 俺は頷いた。実はこういうことってどんなことでも大切だ。例えば野球でもファーストゴロはどの程度までファーストがケアするのか、はたまたどの程度だったらピッチャーがフォローするのかとか。サッカーだと敵のサイドバックが中央に切れ込んで来た場合、マークの受け渡しはどのようにするのかとか。こういう細かいところおざなりにするとゲームはガタガタになる。まして、今回の大会はそれらのスポーツよりかなり実戦勝負的な意味合いが強そうだ。ゲーム前の打ち合わせは不可欠だろう。
 「俺は剣での攻撃しか出来ないからさ。俺が前衛、レイリアが後衛で遠隔魔法攻撃が基本でどうだ?」
 俺はそう提案した。これはほとんどファンタジーRPGゲームの受け売りだ。何の役にも立たないと思っていたTVゲームも思わぬところで役に立つものだ。
 「いいよ。でも細かい所はどうする? 私が魔法で足止めをして直接の攻撃はシュンスケがする? それともシュンスケが先に攻撃を仕掛けて、その出来た隙を私が魔法かな?」
 「初めの方のが良いんじゃねえ? あ、それとも俺が前線出突っ張りで、後方からレイリアが回復魔法でサポートってパターンもあるな」
 「ん? それは駄目よ」
 レイリアはあっさり俺の意見を退ける。
 「なんでだよ。あ、柄にもなく俺のこと気遣ってんのか? それなら気にすんなよ。俺、打たれ強い方だからよ」
 俺は腕を曲げて力瘤を作る。
 だが、レイリアは「ううん。駄目だって」と相変わらずあっさりと否定する。
 「何でだよ」
 俺が不審な視線をレイリアに向けると、当のレイリアは腰に手を当て自信満々に言った。
 「だって、私、回復魔法、使えないもん」
 「は?」
 俺の聞き間違いだろうか? 俺がお袋から仕込んだ知識によるとスラクーヴァでは回復魔法は初歩中の初歩魔法。魔法学校に入ると必ず最初に習わされるもので、そういう訳でスラクーヴァ人は程度の差こそあれ、誰でも回復魔法は使えるらしい。
 ……やはり俺の聞き間違いだったかも知れない。俺はもう一度、言ってみることにする。 「俺が攻撃専念で、レイリアは回復魔法で」
 「だから使えないっていってんじゃないの。しつこいなあ!」
 レイリアは腕を組んで俺の顔を睨み付ける。
 「初歩的な魔法じゃないのか? 回復魔法は!」
 俺の指摘にレイリアは何かから身を守るかのように顔を背ける。
 「しょうがないじゃない。いくら教えて貰ってもこれだけは駄目なんだもん」
 レイリアは悪びれた様子も見せずにぺろっと舌を出す。
 俺たちの世界のゲームの設定だと、攻撃魔法使いは回復魔法が使えないという設定がある。あれはスラクーヴァの常識とは全く異なるらしい。どちらも力を行使する根元は同じなので強力な攻撃魔法を使えるのなら強力な回復魔法も使えるはずらしいのだ。だが、レイリアが回復魔法すら使えないというのは、何となく分かる気がする。
 レイリアの攻撃魔法はちょっと特殊だ。スラクーヴァ人はだいたい二、三種類の魔法しか使えない。少し才能のある使い手でも五、六種類ってところだ。そんな中、レイリアは『呪文詠唱なしの攻撃魔法』というたった一つの能力を特化するために、他の魔法を開花させる方向性を捨てざるを得なかったのだろう。
 でも、俺は念のため、もう一度訊いてみることにする。
 「本当に駄目なの?」
 「本当に駄目なの」
 「初歩的な回復魔法も?」
 「初歩的な回復魔法も」
 俺はため息をついた。これじゃ特攻玉砕ペアだ。
 「だから回復、防御なんてまどろっこしいことは考えないの! 策は一つ。倒して倒して倒しまくるのっ!」
 「そういう意味でも攻撃力の高い俺が選ばれたってわけね」
 「さっすが幼なじみ。分かっているじゃない!」
 思わず頭を抱える。何かどんどん深みにはまっているような気がするんだが、これは気のせいか?
 「レイリア! こっちこっち!」
 鈴を転がすような声が行く手から聞こえてきた。思わずそちらに顔を向けると、一人の大人しそうなお下げ髪の女性が嬉しそうに手を振っている。その隣では髪を短めに揃えた、背がひょろ高い男が、やはり嬉しそうに付き添っている。
 「ヤヤ!」
 レイリアはその女性のところに小走りで駆け寄っていく。俺はその後に付いていくことしか出来ない。
 「遅いわよ、レイリア! 来ないのかと思っちゃったじゃない」
 「ごめん、ごめん。ちょっと支度に手間取っちゃってね」
 そう言ってレイリアは俺の方をちらりと見る。するとそのヤヤと呼ばれた女性とその隣の男の視線が俺に向けられるのが分かった。俺は少し緊張して上目遣いに軽く頭を下げる。
 「どうも、シュンスケです」
 するとヤヤは好奇の色をその瞳に残したまま目を丸く見開いた。
 「この方が噂の……」
 そして背の高い男がその言葉の後を継いだ。
 「……レイリアの旦那さんか」
 「なっ!」
 俺はあわてふためく。
 何だ、おい、『噂』のって。どういう噂が流れているんだ?
 「いや、そのまだ結婚しているわけじゃないし、それに許嫁って言っても俺たちはその」
 情けないことに口から出た言葉はまるで文章になっていなかった。そんな俺を見てヤヤはくすりと笑う。
 「楽しそうな人じゃない」
 レイリアはおおげさに肩を竦めた。
 「変な奴なのよ」

 「いや、もうその話題で持ちきりだったんだよ。『レイリア嬢のパートナーを射止めるのは誰か!』って」
 背のひょろ高い男―――ウスラと言う名前らしいのだが―――少し戯け気味に言った。
 「そう。二組のテフテイングか、キルハ魔法学校のユがその座を射止めるんじゃないかって下馬評だったけどね。それがいきなり自分の許嫁を連れてくる! っていうからさ、みんなどんな人を連れてくるかと期待していたのよね」
 ヤヤは目をきらきらさせて話す。
 「ほら、回りの男どもの視線を見て。みんなレイリアのパートナーがどんな男か気になっているみたいよ」
 ヤヤが小声でそう付け加えてくれたので俺は辺りを見回した。実はこの広場に入ったときからその無数の俺に向けられた視線に気が付いていた。少しささくれたような、いや、それでいてかなり尖鋭化された視線の数々を。そうか、これは嫉妬の視線だったのか。
 そう気が付いて今更ながらに隣のレイリアの姿を上から下までなぞるように眺める。
 動きやすそうなこちらの世界のズボンとシャツを身に纏ったレイリアは颯爽としている。トレードマークの栗毛のロングヘアは後ろで一つに束ねている。魔法の修行で鍛えられているせいか余分な肉のない均整の取れたプロポーションは確かに格好良い。そしてヤヤの冷やかしに照れて頬を紅潮されているその顔は、どう贔屓目に見ても可愛い。
 外見的に言えば、俺にはもったいなさ過ぎの女性だ。こうなると日本にいるときに訊いた『好きな男の一人や二人』発言が気になってくる。傍らのヤヤを見る。どうやらレイリアの親友らしい。彼女だったら多分、そのへんのことは知っているだろう。
 ……莫迦か、俺は。何を考えている。ただの幼なじみのレイリアに彼氏がいようといまいと俺には何の関係もない。
 俺は自分でそのくだらない思考を振り切るように頭を数回振ると、改めて辺りを見回した。男女二組が原則のはずなのに、同じユニホームを着た十人くらいの集団が目に入る。
俺のそんな視線に気が付いたのかヤヤが声を掛けてくれた。
 「分かります? あれはウレイフ魔法学校の一団です。主力のルキーナ・イムン組をサポートするために他の四組がいるんです」
 「そういうことはOKなんだ」
 「一つの組を他の組がフォローしたりするのは大丈夫。ただ最終的に『杯』は一つだけなのでそこで決着は付けなくちゃいけないんですけどね。ウレイフは名門校だから『ラ・ウ』杯の名誉が欲しいのです。実際、過去八回の優勝者はウレイフから出ていますしね」
 ヤヤは更に少し角度を変えてとある集団を指差す。
 「あそこの岩に寄りかかっているのが、さっき名前だけでたユ・ミクン組と、テフティング・アゥエイ組。両チームとも強力な魔法を誇っていますからね。それとユとテフティングはぎりぎりまでレイリアと組みたがっていた男の子ですよ」
 そう言ってヤヤはいたずらっ子のような笑みをその口元に浮かべる。俺は多分かなり渋い顔をしたに違いない。レイリアは少し離れた場所でウスラと何やら世間話をしている。そして良い機会だと思い、ヤヤの耳元でそっと小声で訊く。
 「レイリアってそんなに人気があるの?」
 「それは、もう!」
 ヤヤは何を当たり前なことを訊くんだというような顔でまくし立てる。
 「レイリアはウチの学校でも一番人気の女の子ですし、他校の男の子からも注目を集めているんですよ! 今まで登校途中で何度男の子たちから言い寄られたか分かりません」
 ヤヤはそう言って指折り数え始める。なるほど、親友が知っているだけでもそれだけの事例があるのか。
 「それにあの魔法でしょ? この『ラ・ウ』杯では強力な戦力になりますし、今大会だってパートナーの申し込みは引く手あまただったんですよ」
 なるほど。俺の今いるポジションはワールドカップなみに高価なチケットだったってわけか。しかもそのチケットはあまり乗り気ではない男の元に向こうからふらりと落ちてきた。そのチケットを熱望していた男たちにとってこの俺の存在は腹立たしいこと以外ないのだろう。
 「シュンスケって異国の人なんですよね? レイリアが言ってました。どこですか? シセ? それともシルバかしら?」
 それらの国は恐らくスラクーヴァ辺境の国なんだろう。俺は首を横に振る。
 「ニホンって国だよ。もっと思い切り遠い国。だからあまりこっちに来れないんだ」 
 「へえ」
 ヤヤは納得したように頷く。そんなヤヤを見ながらさっき心の中で少しだけ浮かんだ疑問を訊く良いチャンスだ、と気付いた。そう。あまり深刻に訊くのはよそう。さらっと訊くぞ。さらっと。
 「あ、あのさ。レイリアってさ」
 俺は妙にどもりながらヤヤに話し掛けた。全然、さらっとしていない。自分で自分に突っ込みたくなる。
 「……付き合っている男とか好きな男とかっているの?」
 「え?」
 ヤヤは戸惑うようなそれでいて嬉しそうな表情を浮かべながら、俺の顔を見返す。そして上目遣いに俺を見上げると、「それはですねえ……」と勿体ぶるようにゆっくりと口を開きかけた。
 「何の話をしてんのよっ!」
 「うわああ!」
 突然、レイリアが後ろから出現した。俺はあわててヤヤに「いい! 話さなくていい!」というようなメッセージをボディランゲージで伝える。ヤヤは残念そうな顔で頷いた。
 「何よ、ねえ、ヤヤ一体なんなの?」
 その様子を見ていたレイリアは怪訝な顔で問いかける。
 「ううん。何でもないわ」
 「嘘。だってシュンスケ凄い動揺しているもん」
 う。余計な観察眼だけはありやがる。
 「しょうがないなあ」
 ヤヤは楽しそうに頭を振る。
 「シュンスケはねえ、今日のレイリアはとっても綺麗だって言ってたの」
 「え?」
 「ちょっと待ったあああ!」
 俺の絶叫(日本語)が広場に響いた。


二章 二

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