冒険に行こう! 

第四章  神斬り

作 山下泰昌


                              四
 教団の本拠地、信者たちに『神殿』と呼ばれている建物の背後には切り立った崖がある。 高さ約百メートルはあろうかという高い崖だった。斜度はほとんど九十度で、逆にオーバハング気味の箇所まであったりする。
 ドラガンはその崖の上に立ち、眼下のその『神殿』を凝視していた。
 義経が昔平家を奇襲した一乗谷の闘いの『ひよどり越えの坂落とし』は崖というより傾斜のきつい坂であったのでそれなら奇襲も納得だが、こんな状況の崖からの奇襲は無茶というものだ。そもそもこんな崖を悠長に降りていたら、目立つことこの上ない。恐らく遠隔攻撃魔法の良い標的にされてしまうことだろう。
 ドラガンとしてもその崖を地道に降りていくつもりはなかった。ドラガンは自分の心に強い意志を送り込むと、その崖から身を投げた。
 ドラガンの身体は重力加速度に応じてぐんぐんとスピードを増し、『神殿』の屋根まであっと言う間に接近した。
 ドラガンは簡単な呪文を唱えていた。そしてその身体が屋根にまさにぶつかろうとしたその瞬間、魔法は発動された。
 ドラガンは何かに受け止められるように急速に減速し、ふんわりとその屋根の上に着地する。ドラガンは今まで身体を覆い尽くしていた緊張が弛緩するのを感じ、深いため息を付いた。
 「相変わらず、タイミングが難しい」
 そう一人ごちる。
 これこそがドラガンが使える五つの魔法の一つの空中浮遊魔法である。だが、ドラガンのそれは効果が持続するタイプのものではなく、一瞬だけ身体を浮かすだけの魔法なのだ。だから今回、ドラガンは建物に衝突する直前にだけその魔法を発動させたのだ。
 ドラガンは静かに屋根の上を移動し、そこから地面の上に飛び降りた。今度は魔法を使うまでも無い。自らの脚力で衝撃を吸収する。
 そして辺りに誰もいないことを確認し、『神殿』を取り囲んでいる下生えの草木の茂みにその姿を隠そうとした、その時だ。
 ドラガンの背負い袋の中がぼおっと熱を持ちだしたのは。

 「うわあっ」
 俺はやたらトゲトゲした植物の茂みの中に落ちた。
 瞬間、自分の置かれている状況が良く分からない俺はパニック状態に陥り、思わず声を上げてしまう。だが、俺は何者かに後ろから口を押さえられ、茂みの奥へ引きずり込まれた。その腕から逃れようとしたが、強力な腕力と絶妙な逆関節の取り方で俺は何もすることが出来なかった。
 「私としたことがとんだ失策だ。置いてくるべきだったな『本』は」
 聞き慣れた声が聞こえてくる。俺は振り向いた。
 ドラガンおじさんは呆れた顔で俺の事を見下ろしていた。
 それでようやく俺は自分の置かれている現状を把握した。
 『本』から跳躍した人間は『本』の前に出現する。
 つまり『本』を携えてレイリアの救出へ向かっている途中のドラガンおじさんの場所に丁度出現したわけだ。ある意味、この現場に来るまでの手間が省けてラッキーだったかも知れない。
 俺は立ち上がり、きっとおじさんの目を見据えて言い放った。
 「俺も行くぜ。駄目だって言っても別行動でレイリアを助けに行くからな」
 俺が挑むような目つきでそう意気込むと、あきらめたようにおじさんは肩をすくめた。
 「もう止めんよ」
 そしてぽんと俺の背をその大きな手で叩くと急に厳しい顔つきになる。
 「さ、行くぞ。ここからは妥協の許されない世界だ。気を引き締めて行くぞ」
 
 『神殿』と呼ばれるその建物はとても俺のイメージの神殿からはかけ離れていた。どちらかというと体育館とか、道場といった趣の建造物だ。荘厳さのかけらもなく、どことなく俗っぽい。ところどころに掲げられているこちらの神の紋章らしきものが唯一それらしい雰囲気を醸し出している。
 予想に反して建物の外に見張りらしき人影は見当たらない。俺が目を凝らしながらそんな訝しげな視線をくれていると、それを察したおじさんが説明する。
 「恐らく人員のほとんどが正面の国王軍の警戒に駆り出されているのだろう。こちら側はもともと崖であるしな」
 そしておじさんは周囲に注意を払った上でその神殿に素早く身を寄せる。そして俺のことを手招きする。俺もそれを見習って辺りに注意を払いながらおじさんの横に駆け寄った。
 おじさんのたどり着いた場所には小さな扉がある。雰囲気的に勝手口か裏口のような使い方をされていると思われる。おじさんはその扉に手を掛けた。
 かち、という音がしてそれはびくともしない。
 「閉錠の魔法だ」
 おじさんはそう呟いた。だが、ちっとも困ったようには見えない。口に出して言ったのは、ただ単にこちらの魔法事情に疎い俺に解説しただけなのだろう。
 おじさんは小さく呪文を唱えると、鋭い視線を扉に向けた。とたん、ぼんという破裂音がして扉が四隅から離れる。
 俺がそのあまりの大胆さに唖然としているのもつかの間、おじさんはその巨大な体躯を素早く屋内に滑らせた。俺もあわてて後に続く。中は小さな小部屋だった。やはり誰もいない。おじさんの言う通り、そのほとんどが国王軍との戦線の前線に出てしまっているのだろうか。
 俺たちはその小さな部屋からさらに奥へと進入する。
 「あ」
 廊下に出たとたん、一人の男と遭遇した。灰色の道着のようなものを着ていた男は俺たちの姿を見て取り、すかさず攻撃魔法を唱えようとした。
 圧倒的なタイムラグ。俺は思いきり男に向かって飛び込み、二メートルはあったその距離を一瞬にして無効にした。そして木刀の切っ先で軽く男の鳩尾を突く。
 「ぐ」という小さなうめき声を立てて、男は前のめりに倒れた。俺はおじさんの方を振り向き、目で合図する。
 おじさんは感心したような、そして感慨に満ちた瞳で俺を見つめていた。
 「……一瞬、マサタカと組んでいた頃を思い出したよ」
 そして先を促すように俺の背を押す。
 「さ、行くぞ。国王軍が戦端を開く前にレイリアを見つけるんだ」
 俺は無言で頷いた。

 俺たちは探るようにその神殿の屋内を突き進む。途中、何人かの教団の人間と出会ったが、その都度俺の木刀がその意識を奪った。
 「だいたいこういう場合、幽閉施設は地下だと相場が決まっておる」
 おじさんはそう言ってしきりに地下へ下る階段を探していた。
 それはすぐに見つかった。おじさんは注意深くその薄暗い口を広げている階段を下っていく。
 そのとたん、先を行くおじさんの気配が急に硬質化した。俺は緊張する。その反応は恐らく敵だ。俺は細心の注意を払い、おじさんの背後に付いた。
 俺たちの前には一人の白髪の男が立っていた。その男は今までの信者たちと同じように灰色の道着を着ていたが、それらと差別化を図るかのように首に紫色の薄い布が巻かれていた。
 「案の定、鼠が網にかかったな」
 男は潜むようにそう呟くと短い呪文を唱えた。
 とたん、俺たちの周囲から無数の気配が生まれだした。空間に墨汁を垂らしたように次々にサッカーボール大の黒い生物が沸きだした。それは悪魔の姿に酷似している。いや、といってももちろん悪魔の姿なんて実際に見たことなんてないのだが、つまり俺のイメージの悪魔の姿にそっくりだったと言いたいのだ。真っ黒では虫類のような質感の皮膚を持っており、禍禍しい角と獣の尾を持っている。
 そいつらはかんに障るような高い声でわめき散らすと俺たちに襲いかかってきた。
 「シュンスケ、退け!」
 おじさんが叫んだ。俺は一瞬にしておじさんがやろうとしていることを理解する。俺は脱兎のごとく後ろに跳びずさった。
 とたん、おじさんの周囲の空間が異質感に包まれた。そして離れていても産毛が逆立つような感触。
 空気が張り裂けるような音がして一瞬にしておじさんの周囲が弾けた。それと同時にまわりに居た小さい獣どもは黒こげになる。
 これこそがおじさん最も得意とする雷撃魔法だ。本来なら敵に向かって直接電撃を喰らわすところだが、さすがに百戦錬磨の魔法術師はそれなりなアレンジ方法をいくつか持っている。
 ふと地面に転がった黒こげになった獣を見ると、白い煙を吐きながらその姿をネズミのような生物に変えていた。俺とレイリアが 『ラ・ウ』杯で見た現象と同じだ。
 ということは目の前にいる男があの魔法を行使した術者か。
 「変わった魔法だな。獣を異形のものに変化させる能力か」
 目の前にいる白髪の男は余裕たっぷりの笑みでおじさんを睨み付ける。
 「さすがは偉大なるドラガン。一回の戦闘で魔法の特性を見抜くとは」
 そして一度言葉を切る。
 「だが、見抜いたところでどうなる訳でもないがな」
 そして白髪の男は再び小さく呪文を唱ようとしたその時―――
 男の右胸に鉄針が深々と突き刺さった。
 「がはっ」
 男は前のめりに倒れながら呻く。
 おじさんが全くの予備動作無しでその懐から鉄芯を放ったのだ。それにしても魔法術師のくせにこんな暗器まで隠し持っているとはやはり侮れない。
 おじさんは舌打ちをした。どうやらわずかに狙いが外れたらしい。恐らく左胸を狙っていたのだろう。だが、俺としてもこの好機を逃すいわれはない。
 俺は一瞬身体のバランスを崩した男に情け無用の一刀を叩き下ろした。
 木刀は確実に男の左肩を捕らえたはずだった。
 俗に言う雁金。左肩から真っ直ぐに心の臓まで切り落とす剣技だ。
 だが、俺の木刀は空を切る。ぞくり、と戦慄が走った。
 神山一刀流には二の太刀の技は無い。一太刀目を躱されると全くの無防備だ。だが、白髪の男はその俺の隙を突くわけでもなく後方に飛びずさる。
 期せずして男の戦術眼の無さに助けられた。
 しかし男はすでに次の魔法を発動していたのだ。その魔法の効果は俺の目の前で劇的に繰り広げられていた。
 「嘘だろ」
 俺がそう思わず呟くほどそれは常識はずれだった。
 男の姿はその体積を大幅に変化させてくる。こんな魔法アリなのか? 男の服は体積の増加に応じて服を千切れ飛ばす。そして無くなった服の下から獣の毛がまるで録画ビデオの早回しのように生えてくる。
 白髪の男は俺の目の前で巨大な肉食獣に変化した。身体を覆い尽くす剛毛。口元から見え隠れする牙。そして不自然に二足歩行するその巨体。
 だが、俺が呆然としているのを余所におじさんは冷静に呪文を唱える。
 そして呟いた。
 「終わりだ」
 稲妻が一瞬、おじさんの人差し指から迸った。その雷光は巨大な獣の胸に刺さっている鉄芯に吸い込まれる。
 一撃だった。
 巨大な獣はその内包された力を一度も発揮されることなく、仰向けに倒れる。そして今までの獣と同じように白い煙を吐き出しながら元の白髪の男に戻って行った。
 「姫のセリフじゃあないが、『予測範囲内』だ」
 おじさんはそう言って、口元に笑みを浮かべる。
 凄え。闘い慣れしている。鉄芯はこのための伏線だったのか。
 これが伝説の魔法術師の力なんだ。
 俺はそう思った。魔法の強さや特殊さではなく、その戦略戦術眼で名をなして来たんだ。
 「さ、先を行くぞ」
 おじさんはそう言って俺を先に促す。俺は満面の笑みを浮かべて頷いた。
 
 扉の外に足音が再び近づいてきた。
 今度の足音も二つ。
 レイリアは扉に接近する二つの足音に聞き耳を立てる。
 どん、と言う破砕音がして扉が吹き飛んだ。教団の者ならそんな開け方はしない。味方だ!
 レイリアは飛び起きる。
 轟音を立てて倒れた扉の先には二人の男の姿。
 二人とも見覚えのある顔、大きな体躯を持つ父親、ドラガン。そしてその後ろに居たのは木刀を持った青年、俊輔だった。
 「父さん! シュンスケ!」
 レイリアはものすごい勢いで駆け寄って行く。

 弾丸のようにレイリアは俺とおじさんに飛びついて来た。
 良かった。無事だったんだ。俺は元気そうなレイリアの姿を見てほっとした。
 「二人とも助けに来てくれたのねっ!」
 「当然だろ」
 俺とおじさんは期せずして口を揃えた。そんな偶然に俺たちは思わず顔を見合わせて苦笑する。
 「さ、こんなところでぐずぐずはしていられない。早く、軍と合流するぞ。私たちも『神の身体』の暴走を食い止めることに協力しよう」
 おじさんが俺とレイリアをそう促した時、レイリアが困ったような顔をした。
 「そのことなんだけど……」
 レイリアは何かを話そうとした。だが、何かが詰まったようにその言葉は口の外に出てこない。苦しそうに言葉を吐き出そうとしているレイリアに俺は声を掛けた。
 「どうした? 何をしてんだ?」
 だが、レイリアは悲しそうな瞳を俺に向けて首を横に振った。
 「ねえ、分かって?」
 「へ?」
 レイリアはその唐突な呼びかけに俺は戸惑う。
 「何を?」
 その疑問は当然だろう。だがレイリアは「察して。シュンスケ」と辛そうに言うだけだ。 
 「相変わらず、何の説明も無い奴だなあ!」
 俺は少しキレかかって声を荒らげる。
 「何を『分かって』、何を『察すれ』ばいいんだ?」
 レイリアは首を横に振る。
 「ごめん。話せないの」
 だが声には出さずに口をある言葉の形に動かす。
 それは「い・く・な」という形に見えた。
 おじさんは怪訝な顔でレイリアを見る。
 「さてはレイリア。何か呪いを掛けられたな?」
 その問いかけにレイリアは頷く。
 呪い? 俺の心の中の疑問に答えるようにおじさんが説明をしてくれた。
 「他人の行動を規制する永続魔法のことだ。術者が死んだり、解除したりしない限り、解けることはない。教団の教祖のウゥが持つ『神の口』の能力がこの呪いの魔法に限りなく近い。恐らく、レイリアは何かしらの行動を規制するような命令を受けたんだ。そしてその事に付いて説明するようなことも出来ないようにされている」
 レイリアは目を輝かせて頷いた。
 「ってことはその魔法を解除するためにも、そのウゥとやらをぶっ倒さなくてはいけないってことだな」
 俺は意気込んで言った。だが、レイリアは「だからそれは」と言いかけて口ごもる。
 「とにかくウゥを叩かないことには何にも始まらん。先に行くことにしよう」
 おじさんの言葉に俺は力強く頷いた。そしてレイリアは悲しそうに目を伏せた。
 何だ? 一体どんな呪いを掛けられたって言うんだ? レイリア。
 俺は心の中で柄にも無く落ち込んでいるレイリアにそう問いかけた。

                             五
 神殿の入り口前に姿を現したその男、ウゥを見てコロニアはわずかに拍子抜けする自分を感じていた。
 こんなに貧相な、カリスマ性もない男が教祖? そして自らを神に成り代わろうと大それたことを考えている男?
 確かにそのだれきった小さな身体、汚れきった瞳を見れば誰もがそう思う。
 そしてコロニアの気を更に抜けさせたのは、その人の数。
 これだけのスラクーヴァの軍勢を前にしてウゥはわずかに四名の男とタゥアを引き連れているのみで他に何の用意もしていなかった。しかも皆、武器らしい武器を持っていない。
 教団には確か千名を越す信者が居ると聞く。それらがこの教団の一大事に駆り出されない訳がない。
 罠か? それとも別働隊がどこかで動いているのか?
 コロニアの頭脳が激しく思考する。そんなコロニアを余所にウゥは大軍勢を前にして余裕の笑みを浮かべ、張りのある良く通った声で叫んだ。
 「諸君らは、神に刃向かおうというのか!」
 しん、と大軍勢が静まり返った。人一人の声がここまで影響するとはこれも神の力か。
 「諸君らは神の力を宿す、この私に刃向かおうというのか。それはすなわち神への反逆と同義である。神への冒涜である」
 ウゥはそこで一旦言葉を切り、口元にいやらしい笑みを浮かべ全体を見渡した。
 「つまり諸君らは、悪魔の手先、と言うわけだ。神に刃向かう者が天国に行ける訳がない。諸君らは進んで地獄に堕ちようというのか」
 軍勢のそこかしこが戸惑ったようにざわめき出す。
 コロニアは「ち」と舌打ちをした。
 この程度の煽動に動揺するとは我が軍もなっておらん。
 「戯れ言だ! 耳を貸すな! 悪魔どもはまず神と称して現れる。このような事で動揺するな。自らを律せよ!」
 ウゥほどではないが低くその声は響き渡った。
 軍勢は静けさと平静を取り戻した。
 「敵は少数。だが侮るな! 第一列進軍!」
 コロニアの号令が伝令を通して各小隊に伝えられる。突槍と盾を持った歩兵たちがわずか六名の教団軍に攻めかかる。歩兵たちはコロニアに「侮るな」と言われたが教団を侮っていた。このわずか六名にこの大軍勢が負けるわけが無い。本気でそう思っていた。
 だが、その考えはわずか数秒後に覆されることになる。
 「おろかな。それほどまでに神の怒りを喰らいたいか」
 ウゥはスラクーヴァ軍の怒濤の突撃を見ても少しも慌てることなくぼそりと呪文を詠唱した。
 ―――その後の惨状は筆舌に尽くしがたい。
 空間が張り裂けるような大音響の後には 約半径五十メートルほどの領域が破裂した。
 当然のごとくその領域内に居た兵士たち約数百名の身体は一瞬にして粉砕され吹き飛んだ。辺りは血煙で真っ赤に覆われ前が見えなくなった。
 そのビジュアル的効果は絶大だった。後続の兵士たちは驚愕に顔を歪めたたらを踏む。
 「これが最強の攻撃魔法『神の右手』だ」
 ウゥはすかさず第二撃を喰らわす。
 そのとたん軍勢の最右翼が壊滅した。
 一瞬で。
 コロニアはその光景を最後方で蒼然とする。
 これほどまでなのか、神の力とは。
 だが、トップが動揺しては末端に伝染する。コロニアは表面上は強気を保ちながら軍勢を指揮する。
 「第三列、攻撃を仕掛けよ!」
 第三列は遠隔攻撃魔法術部隊だ。すでに大半が呪文の詠唱を終え掛けていた面々は指示を受け、すかさず魔法を発動する。
 その無数の魔法の力は唸りをあげてウゥに迫った。
 だが、その膨大な攻撃魔法の数々は不発に終わった。
 「なんだと!」
 コロニアは叫ぶ。
 まさか『神の左手』か? だがこれだけ大量の攻撃魔法を、しかも四方八方から襲いかかる攻撃魔法を避けられるというのか? 
 だが、その疑問は傍らに居る遠隔透視魔法術師からの情報で解かれることになる。
 「巨大な防御魔法が展開されています!」
 「なに?」
 「ウゥの前に複数魔法術師たちによるの巨大な防御魔法が展開されています」
 コロニアは呆然と呟く。
 「莫迦な」

 その時神殿の地下道場では約千人の信者たちが一斉に同じ呪文を復唱していた。
 それは初歩的な防御魔法の呪文だった。
 千人の信者たちはその同じ呪文を何度も何度も繰り返し詠唱していた。
 その唱和は渦となってまるで生き物のように沸き立って行った。

                            六
 次の角を曲がると外の日の光が差し込んで来た。月光石の柔らかな光に慣れていた俺の目を貫く。それと同時に激しい絶叫と喧噪が俺の耳をつんざく。
 俺たちの目の前に灰色の装束を身に纏った五人の男と一人の赤毛の女の背中が見えた。
 そしてその向こうには……
 ……こんなことが許されていいのだろうか。
 人が。人を構成している部品が。
 そう、本当まるでモノのように、吹き飛んでいた。転がっていた。
 人が自分のエゴの為に人の命を玩具を壊すかのように奪う。
 こんなことがあって良いはずが無い。
 俺は人が純粋に持つであろう当然の感情を胸の内に育てていた。
 灰色の装束を身に纏った教団の六人の人間は俺たちに背を向けて無防備だった。今ならいつでも攻撃が仕掛けられるに違いない。
 俺は腰の木刀に手をやる。
 「待て、シュンスケ!」
 おじさんが俺を留めたが、その時にはすでに俺は足を思い切り踏み込んでいた。
 神山一刀流はその剛剣ばかりが目立つが実はその極意は出足にある。何よりも早い踏み込み足が一撃必殺の技を支えているのだ。俺の踏み込んだ右足はすでに教団の男の一人の間合いに入っていた。男は驚いたように振り向いて俺を確認するとあわてて呪文を唱えようとするがその口は呪文の最初の一文字の形を現しただけで終わった。その一人目が倒れるのを確認する間も無く、俺は次の男の胴を薙ぎ、そして返す刀で三人目の肩口を雁金に叩き下ろし、次の二歩目の踏み込みで下段から四人目の胴を斬り上げる。
 この間、たぶん三秒も掛かっていない。そして一呼吸置かないで最後の男、教祖と呼ばれる男ウゥに斬りかかった。だが、その剣はウゥの直前で止まる。
 く。まただ。
 ヴァドーツで味わった感触。
 絶対防御魔法、『神の左手』だ。
 「ふん。マサタカの息子か。さすがに剣の腕はなかなかのものと見える」
 俺は攻撃を防がれて、一度ウゥから間合いを置いた。ウゥの左手は俺を拒絶するように掌を開いている。
 俺は木刀を自分の右肩の位置に構えた。蜻蛉の構え。神山一刀流の基本の構えだ。
 「スラクーヴァには珍しい剣士のお主は、実は一番やっかいな異分子でな」
 ウゥは嫌らしい笑みを口元に浮かべながら言う。
 「なぜなら魔法攻撃に対しては、絶対的な切り札があるのでな」
 そしてちらりと傍らにいる赤毛の女を見る。
 なるほど魔法を盗むというわけか。だが、俺の剣術は盗まれることはない。
 俺は呼吸を整え、今まさに踏み込もうとしたその時、ウゥは一言妙なことを言った。
 「そう言うわけでお主に対する対策も取らせてもらった」
 「なに?」

 『マサタカの息子が私に対して攻撃を仕掛けたら、主はマサタカの息子に対して攻撃を仕掛けよ』
 口元が嫌らしく歪む。
 『これは契約である』
 
 「シュンスケ!逃げてえっ!」
 レイリアの絶叫が背後から聞こえた。
 思わず振り向いたその瞬間、俺の左胸が吹き飛んだ。
 「え?」
 俺は今『左胸が吹き飛んだ』と言ったが実はその瞬間、何が起きたか全く分からなかった。痛みも無かった。
 ただ分かったのは俺の胸を起点とするように内側から爆発したということだった。
 痛みは無かったが、突然、身体の中心の芯でも抜かれたように力が入らなくなったのを感じた。そして巨大な喪失感が俺の心を襲った。
 俺の両の足は芯が抜けたように身体を支えておくことが出来ず、膝から崩れ落ちる。そして上半身は仰向けに倒れ込んだ。
 「シュンスケええっ!」
 レイリアが涙を撒き散らしながら駆け寄ってくる。
 顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにして叫んでいた。これほど取り乱したレイリアは見たことがない。
 ようやく状況を把握した。俺はレイリアの魔法で胸を吹き飛ばされたのだ。目で見える範囲で左胸に真っ赤な穴が空いている。息をするとひゅうひゅうと音がする。そして血が噴水のように噴き出している。
 これはもう助からないな。俺は人事のように分析していた。
 レイリアは血で汚れることにも厭わずに、俺の身体の上に覆い被さって来る。そして何だか分からない短い呪文を唱える。しかし発動するであろうはずの魔法はちっとも発動しない。レイリアはそれでも根気よく何度も何度も何度も同じ呪文を唱える。
 「どうして! どうして、発動しないのよお!」
 ……どうやら俺に回復魔法を施そうとしてくれているらしい。無理だって。俺はレイリアのその行為を止めようとしてレイリアの頭に手を置いた。はっとしたようにレイリアが顔を上げる。
 レイリアのせいではないということは分かっていた。レイリアのこの必死の形相を見ればそれは想像が付く。恐らく、これがレイリアに掛けられた『神の口』の呪いだったのだ。
 もうすでに俺はこの時点で息をしていなかった。肺のほとんどがやられていたんだからそれは当たり前なんだけど、意外と息をしなくても苦しくないもんなんだなと新たな発見をした。だが、すうっと目の前が暗くなってくる。蒼い帳が次々と俺の目を覆い隠していく。苦しくはない。どちらかというと心地よさを感じる。このまま消えていくのも悪くはない。そんなことを思った。
 だが。
 レイリアと離れたくはなかった。レイリアやおじさんやおばさんやビーやお袋や麻菜や本山や北村やそして――親父がいるこの賑やかで華やかな世界から消えたくはなかった。
 俺はレイリアの頭に掌を置いたまま口を開いた。左肺がやられている為か声が出にくい。
 「あのさ」
 かすれ気味に放たれた俺のその言葉にレイリアは目を見開いた。そして一言も聞き漏らさないかのように俺の顔に耳を近づける。
 「な、なに?」
 何を言おう。たぶん、この調子じゃ俺には後、一言三言程度しか言う体力が残されていない。短い言葉で何か伝えることはないか。
 「許嫁のこと」
 「え?」
 「嫌だと思ったことはないよ」
 ……莫迦か、俺は。最期なんだからもっと気の利いたことが言えないのか。
 俺はそう自己嫌悪におちいりそし

 「シュンスケええええっ!」
 レイリアが絶叫した。
 俊輔はゆっくりと瞳を閉じ、ことり、とその首を横たえた。
 レイリアは無駄だとは分かっているその回復魔法をそれでも唱え続ける。
 学校で何度も習った回復魔法。幼い頃から習っている回復魔法。誰でも出来る回復魔法。
 それがどうして私には使えないのよお!
 レイリアは心の叫びを上げた。しかし、やはり魔法は発動しなかった。レイリアは目の前にある瞳を深く閉じた俊輔の顔を凝視する。
 幼い頃からずっと見てきたその顔。楽しく二人で遊んだ日々。一緒に悪戯をして親にしかられたこともある。殴り合いのケンカもしたこともある。くだらない事に巻き込んだこともある。
 初めて俊輔と出会った時、別にどうとも思わなかった。ふうん。この人が未来の旦那さんなんだな、とその程度の感慨だった。ただ俊輔と遊ぶのは楽しかった。かなりお転婆だったレイリアに対等に渡り合う子供は近所には男の子でも女の子でもいなかった。そんな中で俊輔だけはタフで、強くて、対等に気兼ねなく遊べる最高の友達だった。
 一緒に成長して行くに連れ、次第に俊輔に惹かれていく自分に気付いていた。ぶっきらぼうで愛想が悪いがその実、凄く優しい俊輔は本当に自分には勿体ないほどのパートナーだと思っていた。
 だから俊輔がスラクーヴァに三年近くも来なくなったり、俊輔が照れ隠しに許嫁のことを否定する度にその胸に痛みが走った。
 だから。
 だから今、本当に心が通じた気がする。
 俊輔の亡骸の上に覆い被さってぴくりとも動こうとしないレイリアにドラガンは近寄ってその背に優しく、それでいて力強い掌を載せた。
 それに反応したレイリアは強い意志を持って顔を上げる。
 その瞳には光が宿っていた。怒りの光、悲しみの光、そして悪に対する純粋なる正義の光だった。
 「シュンスケ、私は、今誓うわ」
 その迷いの無い一点のみ―――ウゥを凝視した瞳でそう言う。
 「未来永劫、シュンスケだけを我が夫とすることを」
 そして顔をかがめて俊輔の顔の上に覆い被さった。そしてその唇にキスをした。
 初めてのキスだった。幼い、そして拙いキスだった。だが、心の全てを込めたキスだった。レイリアは自分の心の中身を唇を通して流し込んだ。
 好き。女の子に対するいたわりの気持ちがないの? 好き。そんなに私と一緒にいるのが嫌なの? 好き。ったく男らしくないなあ。好き。合格よ、シュンスケ。好き。さっすが幼なじみ。分かっているじゃない! 好き。変な奴なのよ。好き。薄々強いとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。好き。好き。好き。好き。好き。好き。大好き。
 そしてゆっくりと顔を離し、寂しそうに一度瞳を閉じると、何かを振り切るように急に立ち上がった。
 「父さん、行くわよ」
 傍らでドラガンが頷く。
 「魔法が使えん。厳しい闘いになるぞ」
 「構わないわ。どんなことになろうとも」
 レイリアはぎりっと歯を激しく鳴らす。
 「あいつをぶっつぶすまでは我慢できないっ!」
 ウゥはレイリアの触れれば斬れるような視線をまともに受けながら笑っていた。
 「親子で命を捨てに来るか。まあ良い。神の手にかかって死ぬのなら本望であろう」
 その言葉が終わるか終わらないかの内にドラガンの鉄芯がウゥに襲いかかっていた。

 その変化に気が付いたのは何人居ただろうか。
 俊輔の身体からをぽおっと白い光が沸きだしたのを。そしてそれはまるで身体を隅々から癒やすように回り始める。特に無くなった胸部にその変化は劇的に現れた。
 ぼこりと胸の肉が盛り上がったのだ。そして生き物のように筋肉が神経が血管が骨が組織が自己増殖を繰り返して行き、その失われた部分を再生して行く。白い光は身体を再生しただけでは飽きたらず、その心の臓を動かし、血液を全身に勢い良く循環させた。そしてその脳に直接語りかける。
 シュンスケ。
 好き。
 だから起きて。

                              七
 コロニアは見慣れた三人組がウゥの背後に迫って来たのを見ていた。そしてマサタカの息子が瞬時にして四人を薙ぎ倒したのを見ていた。
 どうせ、役には立たないだろう。だが、わずかながらに時間稼ぎにはなる。
 コロニアは軍を二つに分け、別働隊に神殿を脇から襲撃するように命じていた。とりあえず、恐らく千人を超す信者が唱えている防御魔法を解除することが先決だ。そして最終目標のウゥには。
 コロニアは自らの鎧を確かめた。
 私が行くしかいない。『八影』の私が。

 鉄芯は辛うじてウゥの目前で止まっていた。『神の左手』だ。だが、ドラガンはもとよりそれで決着が付くとは思っていなかった。そしてすかさず自分の懐から何やら紙切れを取り出すとウゥではなく隣のタゥアに向け投げつける。
 「な!」
 タゥアは驚く。そして自分の回りが瞬間的に音が無くなったのに気が付く。
 沈黙符―――
 持続性のある沈黙魔法がかけられた札で一定時間、その札の周囲の音を吸収することが出来る。
 これでわずかな時間だが魔法を奪われる心配がなくなった。
 「やれ! レイリア」
 レイリアはその言葉を待たずにすでに魔法を発動させていた。
 どん、とウゥの脇腹が吹き飛んだ。辛うじて『神の左手』で防御した。だがそのあまりのスピードに防御が追いつかなかった格好だ。レイリアは舌打ちする。確実に頭を狙ったのに。数少ないチャンスを逃したことに腹を立てる。
 だが、レイリアの攻撃は無駄ではなかった。その瞬間、すでにドラガンが懐に飛び込んでいたからだ。ドラガンは腰を溜めて右拳を繰り出した。その腕には雷撃呪文が込められている。
 しかし、その拳は空を切った。
 ウゥの姿が消えたのだ。とっさにドラガンは気付く。
 しまった。『神の足』か!
 背後にウゥが現れる気配がした。この態勢から振り返って呪文を唱えることなど不可能だ。ドラガンは自分の失敗に目を瞑る。
 だが、ウゥは攻撃出来なかった。その閃光魔法を押さえることに精一杯だったからだ。
 閃光魔法。そう、コロニアだった。
 「ドラガン。伝説の魔法術師が本当に伝説になるところだったぞ」
 コロニアは第二撃をいつでも発せられる態勢で傍らのドラガンに声を掛けた。
 「礼を言う」
 ドラガンとコロニア、そしてレイリアの三人は揃ってウゥに正対する。そして沈黙符を自力で剥がしたタゥアがウゥの隣に寄り添った。
 ドラガンは口元を歪めた。
 「やっかいな」
 実際、タゥアが戻ってきたのは問題だった。これで魔法が使えなくなる。もう同じ手は使えないだろう。後、考えられるのは三人による同時攻撃か。
 ドラガンがそう素早く思考していた時、その肩を背後から誰かにぽんと叩かれた。
 気配を全く感じなかった。ドラガンは驚愕してあわてて振り向く。
 そこには見慣れた顔―――だが、決してあるはずの無い顔があった。
 「魔法は使えないんだろ。後は任せてよ、おじさん」

 俺は驚愕で顔を歪めている三人を余所にウゥの前に姿を現した。
 「ど、どうして」
 レイリアが嬉しさ半分、驚き半分の顔で俺を見つめている。
 「お前が助けてくれたんだろ、回復魔法でよ」
 「え? 私の?」
 レイリアはそう言って、目を丸くする。そう、それ以外に無い。あの時レイリアの声が聞こえた。そしてレイリアの力が俺の中に流れ込んできたのを感じた。レイリアが一体どういう風に回復魔法を放ったのかは知らないが、レイリアの力で助けて貰ったということだけは分かる。
 だから。
 だからこそ、ここからは俺の仕事だ。
 俺はウゥに木刀の切っ先を突きつけた。死ぬ寸前まで行ったせいか少し身体がふらふらする。だが、精神はいつになく冴えていた。
 「悪いがここまでだ」
 若造の俺に言われたのが腹に立つのかウゥは顔を真っ赤にさせて叫んだ。
 「身の程知らずが。大体まだ『契約』は結ばれたままなのだぞ!」
 「え!」
 後ろでレイリアが声を上げる。自らの意志とは別にレイリアは攻撃魔法を放とうとする。
 ふん。そんなことは承知の上だ。舐めて貰っては困る。今だからこそはっきり言わせて貰うが俺の剣はレイリアの魔法より早い。
 ノータイムで俺は剣をウゥに振り下ろした。ウゥは驚愕の目で俺を見つめる。
 斬られた。
 ウゥはそう思ったのだろう。目を極限まで見開き硬直していた。
 だが、やがて自分の身体に何の異常も見られないのを見ると大きく高笑いをした。
 「はははは! 一度死に損ねて剣術を忘れたか! どこも斬られておらんぞ」
 ふん。良く調べてみやがれ。ほらどうだ。俺の後ろのレイリアと赤毛の女だけは分かっている。
 「あ」
 レイリアは小さく呟いた。
 「呪いが……契約が効いていない……」
 「嘘」
 赤毛の女が自分の掌を信じられないように見つめた。彼女も何かの契約から逃れたのだろうか。
 「な、何を莫迦なっ!」
 驚くウゥは自分の内面を見つめるかのように目を閉じた。そして驚愕に戦慄く。
 「そんな、『口』が……」
 俺はつまらないものを見るように目を細める。
 「いろいろバラエティに富んだ能力があるみたいだけどさ」
 俺は木刀を構えながら言った。
 「その中の一つでも自分で努力して手に入れたもんはあるのか?」
 「なんだと!」
 俺の挑発に激怒したウゥは短く呪文を唱えた。とたん強烈な圧力が俺の頭上から襲ってくる。最強の攻撃魔法『神の右手』だ。確かに破壊力は絶大だ。だが、避けられないスピードではない。
 俺は一瞬にしてその破壊領域から逃れていた。と同時にウゥに対して間合いを詰める。 俺を目前にして驚くウゥに向かって俺はもう一太刀振り下ろす。その剣は先程と同じようにウゥの身体の中を通り過ぎて、下まで斬り下ろされた。
 ウゥはようやく気が付いたらしい。俺の剣がまるで自分という水の中を通り過ぎて行くのを。
 「き、貴様あ!」
 ウゥは絶叫する。
 「今、何を斬ったああ!」
 俺はそれには答えず、第二撃を袈裟懸けにウゥに見舞った。またしても俺の剣はウゥの身体の中を通って行った。
 「ああっ! 『右手』が! 『左手』があ! 私の力があっ!」
 「一応、やばそうな奴から始末させて貰ったぜ」
 「ど、どういうこと?」
 レイリアが不思議そうに呟く。
 「多分、シュンスケはウゥの『能力』を斬っているんだ。ウゥと『神の能力』の繋がりを斬っているんだ」
 レイリアの問いにおじさんは答える。さすが、相変わらず鋭いぜ、おじさん。
 「ま、魔法みたい」
 レイリアは目を丸くした。
 これぞ俺が親父に最後に稽古をつけて貰った時に編み出した技だった。神山一刀流の技ではない。俺のオリジナル技だ。多分、お袋の魔法術師の血が俺にも流れていたのだろう。期せずして俺は魔法と剣技のあいのこの様な技を編み出していた訳だ。はっきり言って使い処が無いので久しくこんな技忘れていたが、出かけの親父の言葉のおかげで思い出した。
 恐慌状態に陥ったウゥは短く呪文を唱えようとする。
 おおっと。
 斬。
 俺は『神の足』を使って跳躍しようとしていたウゥを寸前で叩き斬った。そのとたん、ウゥの身体から『神の足』も消え失せる。
 「はっきり言っておっさん。あんたの能力、自分で手に入れたんじゃないだけはあって、結びつきが弱いぜ。努力して手に入れた物ならこんなに簡単には無くならないと思うんだけどな」
 もう一度剣を振り下ろす。今度は『神の皮膚』を斬った。ヤヤ、お前の能力、取り返しは出来なかったけど、この世から無くしたぜ。
 俺はウゥの眼前に木刀の切っ先を向ける。もう目の前の男は何の力もないただの中年のじじいだ。俺が斬るまでもない。
 ウゥはがっくりと大地に膝を付く。
 「残るは『神の目』。もう逆らえるような能力は残っていないという訳だな」
 コロニアが低く呟くように言った。
 その時、神殿の前方に唸りを上げて展開されていた、防御魔法が次第に消え失せてくる。
 「別働隊も仕事をこなしたらしい」
 コロニアが気が付いたように顔を上げる。
 もう、最後だった。ウゥは観念したように、俯いているだけだ。
 「ウゥ=オドナルフ。これよりヴァドーツへ連行する」
 コロニアは大人しくなって何も出来ないウゥに向かってなにやら呪文を唱えた。すると見えない縄の様なものがウゥの四肢を拘束する。なるほど、拘束魔法、手錠みたいな物か。
 「そして教団幹部のタゥア=ヒネ。お主も一緒に来てもらうぞ」
 コロニアはウゥの傍らで同じく俯いて跪いていたタゥアにそう言った。
 だがその瞬間、タゥアは素早く動いた。あまりに予想外の行動だったので誰も対応出来なかった。至近距離にいた俺すらも動くことが出来なかった。これが俺たちに向かってきたのなら俺は何かしらの対応はしたと思う。だが、タゥアは俺やレイリアやおじさんやコロニアでは無く、全く予想だにしなかった人物に向かって行ったので、何にも出来なかったのだ。
 「ば、莫迦な」
 ウゥが呻いた。ウゥの左胸にはナイフのようなものが深々と突き立てられていた。
 胸からは血がしとどに吹き出していた。
 タゥアは血走った目でその自分が突き立てたナイフと自分の血塗れの手を見比べ、その口元に笑みを浮かべた。
 「なんて私にお似合い……」
 そして懐から取りだした何かを口に含む。
 「しまった!」
 おじさんがあわてて駆け寄りそれを吐き出させようとする。だが、時はすでに遅かった。タゥアはすでに絶命していた。
 俺、レイリア、おじさん、コロニアの四人は誰一人、言葉を発することが出来なかった。その四人の中央には二つの躯が転がっているだけだった。

                              八
 やがて後攻めの兵士たちが押し寄せてきた。神殿内部を急襲した兵士たちも合流して一次神殿前は騒然となる。コロニアは無秩序に動く兵士たちに次々と指示を出し、やっと秩序化させた。
 そして全ての指示を出し終わった後、おもむろに俺の方に歩み寄って来た。
 な、何だよ、一体。
 俺はおもわず身構える。
 コロニアは俺の前で立ち止まり、じっと俺の目を見る。
 そしてゆっくりと口を開いた。
 「素晴らしい活躍だった、シュンスケ」
 「え?」
 俺は我が耳を疑った。こちらの人間が「マサタカの息子」と呼ばず俺のことを名前で呼ぶなんて初めてだったからだ。特にこのコロニアが、だ。
 「お主の剣がスラクーヴァを、そして世界を救った。素直に感謝しなければなるまい」
 『シュンスケ』
 俺たちの回りに居た兵士たちの誰か一人が叫んだ。
 俺は呼ばれたのかと思い、その姿を探す。だがあまりに大勢の人間に囲まれているせいでそれは特定出来ない。しかしそれは特定する必要がなかったことだとやがて気付く。
 『シュンスケ。シュンスケ!』
 あちらこちらでまばらに俺の名前が呼ばれる。やがてそれは同じリズムを持って重なって言った。
 「シュンスケ! シュンスケ!」
 お、おい。
 「シュンスケ! シュンスケ! シュンスケ!」
 ……大合唱になっちまった。
 やめてくれ! 恥ずかしい。
 俺は少し顔を赤らめてその様子を他人事のように見つめる。
 「照れるな。お主の力で勝ち取った、当然の名誉だ」
 「そうよ。歓声に答えるくらいしなさいよ」
 傍らに居たレイリアが俺をそう促した。
 しょうがない。俺は恐る恐る右手を上げた。申し訳ない程度に上げられたその腕を掴んで更に上に引き上げたのはコロニアだった。
 「『神斬り』のシュンスケだ!」
 轟と歓声が湧いた。
 駄目だ。俺にこういう場は似合わん。誰か助けてくれ。

 「どうだ。私の言った通りになっただろう?」
 ドラガンの横で一人の女性がぼそりと呟いた。
 「さすがは『神の頭脳』ですな。こういう成り行きも予測しておりましたか」
 「いや、どちらかというとこれは予測ではなく希望とも言うな」
 姫は楽しそうに言う。
 するとドラガンは眉を顰めた。
 「ということはこのような事態は全く予想していなかった、と」
 「当たり前ではないか。シュンスケが『伝説の剣士になる』とは言ったが、まさかウゥの『神の身体』を斬るなどとは思わなかった」
 「では、なぜ」
 とドラガンは言いかけてある一つの結論にたどり着き胡乱な目を姫に向ける。
 「姫、まさかお戯れを。シュンスケは一応我が娘の許嫁であるのですぞ」
 すると姫は平素見せたことのない照れた顔をして大きく首を振った。
 「憧れるだけなら構わぬだろう。まさか奪おうなどとは思っておらん」
 冷静沈着で通っている姫が大慌てしているその姿を見ているだけでドラガンは口元が思わず緩むのを感じていた。
 ま、これもシュンスケ効果というわけか。
 ドラガンが一人そう思考に耽っているのも余所に姫は話を続ける。
 「ところでどうだ、マサタカ。息子の活躍は」
 「マサタカ?」
 ドラガンは目を剥いた。そして周囲に視線を走らす。すると姫の背後にいつの間にか俊輔の父、神山正隆がいるのに気が付く。
 「どうした! 珍しいじゃないか、お前がスラクーヴァに来るなんて」
 ドラガンが嬉しそうに言うと正隆は諦めたように瞳を閉じる。
 「まあな。万が一の為に息子の後始末に来た。だが、それも杞憂だったようだ」
 「杞憂も何も。凄い活躍じゃないか。どうだ? 息子の活躍は」
 ドラガンは肘で正隆を小突く。
 「……もとより俊輔は私より才能があるよ」
 ドラガンに一度視線をやると正隆は諦めたように話し出す。
 「剣術の指導も二年前で止めたのはもう教えることが無いからだ。もうすでに免許皆伝の腕前だ。本人は何か勘違いしているようだが」
 「それならそうと言ってやれば良いじゃないか」
 「それは本人が自分で知れば良いこと。他人がとやかく言うことではない」
 そうきっぱりと言い切る正隆にドラガンは嘆息する。
 「相変わらず言葉が足りない奴だな」
 そして視線を再び、歓声に埋もれている俊輔に移す。
 「まあ、何にしろ、これで……」
 「……シュンスケもこっちの世界に足を踏み入れちまったって訳だ」
 正隆は肩を竦める。
 歓声は途切れることなく続いていた。


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