恋人レッスン
第一話 告白の仕方
作 山下泰昌
たぶん、今日は高校生活最悪の日だ。
そう、きっと間違いない。
今までも、赤点取って補習に呼ばれたりとか、頭髪検査で引っかかって髪の
毛を切られたりとか、体育教師に殴られたとか、いろいろとろくでもない日は
あったが、今日ほどではなかったと思う。
俺、飯尾直斗はその日、何度か目のため息を飲み込むと、おもむろに振り返
った。
そこには植え込みの影に隠れている悪友、北村と本山が満面に笑みを浮かべ
て手を振っている。
どちくしょう! 勝手にやってろ!
俺は再び前に向き直るとがっくり肩を落として歩き出す。前に繰り出す足が
凄まじく重い。
ああ、何でこんなことになっちまったのかなあ。そもそもは賭事好きの俺の
性格がいけないんだろうなあ。
俺はとぼとぼと後ろ髪を引かれる思いで約束の場所に向かう。そこは学校の
中庭の一角だ。ちょうど、焼却炉があって校舎からは死角になるので、恋人達
の逢い引き場や、愛煙家どもの一服の場として活用されている場だが、今日は
そんなことで行く訳ではない。
え? じゃあ、何しに行くのかって?
うーん。話すと長くなるんだけど、とりあえず、手短に言うと、
女の子に告白しに行く
のだ。
告白に行く相手の女は立石真美。だが、実は俺はその子のことは好きでも何
でもないのだ。なぜ、好きでも何でもない子に告白しに行かなくてはならない
かというと、それを説明するには二日前に遡らなくてはならない。
その日、俺は絶対確実な情報を手に入れていた。
数学の教師、青山が学校を休むというのだ。
その日は成績に関係する、数学の臨時のテストが行われる予定の日だった。
その担任が休むというのなら、テストは順延に違いない。
俺は狂喜乱舞した。だって、テスト勉強は結局、一夜漬けで全範囲をカバー
するまでは間に合わなかったのだから。もう数日でも延びてくれれば、もう
数点取れるくらいの勉強は出来る。
俺は小躍りして、友人の北村や本山にその情報を教えた。
北村達は「本当かよ!」と言いつつ驚喜していたが、一瞬後、平静に戻った。
「んなわけねえだろ」と。
情報ソースは信用出来るものだった。というのは、数学の青山は俺の姉ちゃん
の旦那であるからなのだ。その姉ちゃんから
「今日、ウチの人、風邪で休むから」
という電話を受けたのだ、今朝。
俺はこのような説明をして、「絶対だよ!」と力説する。
そこで北村が突然ニヤリと笑った。
「じゃあさ、賭けるか?」
そこで止めておけば良かったのかも知れない。だが、自分の得た情報に百パ
ーセントの自信を持っていた俺は、その賭けに一も二もなく乗った。だって
負ける訳がないと思っていたから。
「よし、じゃあ、俺が勝ったら学食の昼飯、一年間奢りだからな!」
俺は言い放った。
北村と本山は俺に聞こえないような小さい声でしばらくごしょごしょ話して
いたかと思うと、
「OKだ」
とかなり苦渋に満ちた表情で了承した。たぶん、ワリカンで支払おうとかい
う相談がなされていたに違いない。まあ、俺には関係ないこった。
「よし、じゃあ、今度はこっちの要求だぜ」
北村は意気揚々と自分を指さす。
そしてまた、本山と何やら話し込む。
せいぜい変わった要求でも考え出すんだな。俺の勝利は間違いないのだから。
話が決定したらしい。二人とも俺の方に向き直り、かなり嫌らしい表情で
ニヤニヤ笑っている。
北村は息を大きく吸い込んで、そして少しもったいぶってその言葉を吐いた。
「俺らが勝ったら、お前は立石真美に告白すること。いいな」
な、
な、
なにい!
俺はその瞬間、教室の最前列にいるその対象である、立石真美の方を向いて
しまった。
色気のない眼鏡。髪の毛を素っ気なく束ねた、おさげ。何か本を読んでいる
のか、無表情にそのページをめくっている。
俺は北村達に向き直った。
「マジかよ!」
二人は首を大きく縦に振った。
「学食一年分なんだから、これくらいはしてもらわなくちゃ」
俺はかなり暗澹たる気分になったが、でも考えたら俺の勝ちは決定している
訳だし、そんなに暗くなる必要はないんだと気づき、機嫌は一瞬で復活した。
「いいぜ! その賭け、のった!」
だが、それが最悪の選択肢だったということは、今のこの俺の状況が現して
いる。
そう、俺は賭けに負けたのだ。
姉ちゃんの情報は正しかった。
旦那の数学教師青山は確かに風邪を引いていた。
そして三十九度の高熱を出していたのも間違いなかった。
ただ、唯一の誤算は、青山が高熱を出しても学校に来るという余計な根性の
持ち主だったということだ。
案の定、俺達はテストで散々な点を取り、怒髪天を衝いた北村と本山の怒り
は俺にへと向けられたのだ。
そして今に至る、と。
待ち合わせの場所まで、あと数十歩だった。
が、俺の足は目的地に近づくにつれ反比例して重くなっていく。
立石真美の逸話は数知れない。
曰く、空手を習っていて黒帯の腕前である。
曰く、昔、立石真美をからかった男子が顔面をグーパンで殴られ、鼻血を出
して昏倒した。
曰く、人付き合いが悪く、友人がほとんどいない。
曰く、無口で無表情で『鉄仮面』の異名を取る。
曰く、背が高く百七十五センチはあり、まるで上から見下ろされているよう
である。
曰く、男言葉で話し、ぶっきらぼうである。
などなどなど。
つまり、あまりお近づきになりたくない女なのだ。
冗談で告白なんぞしたら、グーパンどころではすまないかも知れない。上段
回し蹴りか踵落としが問答無用で飛んで来るに違いない。願わくば痛みを感じ
るまもなく気絶させて欲しいものだ。
と、なんだかんだ考えているウチに約束の場所に到着してしまった。
立石真美はすでに来ていて、校舎の壁に寄りかかり、文庫本を読みながら俺
を待っていた。
そして俺の気配に気付いたのか読み差しの本を閉じ、俺の方に顔を向けた。
無表情だった。
少し怒っているような気もする。
俺の足は自動的に回れ右をした。
しかし、俺の背後では植え込みに隠れていた北村と本山が、
「なにやってんだよ!」
「ふざんけんな!」
と声は聞こえねど、険悪な表情で口を動かしている。
俺は再び、くるりと反転し、立石真美に向き直った。
ああ、前門の狼、後門の虎。
俺は意を決した。嫌なことはちゃっちゃっと終わらしてしまった方が良い。
ぎこちない足取りで立石真美の前まで行った。
「よう」
かなり上ずった声で俺は挨拶した。だが、対する立石真美は挨拶を返しもせ
ず、黙ってポケットから一枚の紙切れを取り出す。
「これ、どういうことだ?」
そこには立石真美を呼び出すため、この場所まで来てくれとのメッセージが
書いて有った。書いたのは本山だけど。
俺は勢い良く頭を下げて、まるで台本でも読むかのように、決められた言葉
を言いきった。
「立石真美さん、あなたが好きです! 俺と付き合って下さい!」
どうだ!
言ったぞ!
見たか! 北村、本山!!
俺は頭を下げた状態のまま固まっていた。
さあ、グーパンでも回し蹴りでもなんでも来い! 覚悟は出来ているんだか
ら。
しかし待てど暮らせど、立石真美からの攻撃は飛んで来なかった。
俺は少し不安になって、顔を少し上げた。そしてその表情を盗み見る。
睨んでいた。
立石真美は睨んでいた。
表情を変えずに俺を睨んでいた。
やべっ!
俺は再び、頭を下げる。
回し蹴りどころですまないかも知れない。俺の頭の中に、アンディ・フグや
佐竹の数々の技が過ぎった。俺はその瞬間、死を予感した。
と、その時だ。
「いいよ」
へ?
予想外の言葉が俺の耳に聞こえてきた。
俺は驚いて顔を上げた。
「それって、どういうこと?」
間抜けなことに、思わず聞き返す。
立石真美は少し困った顔をした。
「だから、付き合ってもいいと、言っている」
は?
え?
俺の頭は完全に混乱していた。この展開は予想外だった。
今更、
「ごめん、冗談でした」
なんて言う訳にはいかないだろう。それこそ半殺しの目に会うに違いない。
「本当に?」
俺は聞き返した。
「ああ」
「嘘じゃなくて?」
「ああ」
「冗談でもない?」
「しつこいぞ」
立石真美の拳が固く握られ始めていた。いかん。これ以上は危険だ。
俺は背後をちらりと盗み見る。
植え込みの影では北村と本山が口を押さえて爆笑していた。よく見えないが、
今、奴らは、涙を流しながら必死に笑いを堪えているに違いない。
「いや、びっくりしちゃって、さ。まさか告白を受けてくれるとは思わなく
て」
俺はとりあえずその場を取り繕った。でも、これは正直な感想だ。
立石真美はかなり腹立たしそうな顔をして答える。
「男と付き合わない女ってさ………」
そしてうつむき加減で、かなり言いづらそうに言葉を続けた。
「………おかしいのかと思って」
「は?」
「いや、最近クラスの女子を見回しても、男と付き合ったことのない女は
少ないだろ」
そこで一度、言葉を切る。
「それに、みんなの会話を聞いていると異性と付き合わないのは人間的に変
なのか、と考えてさ」
ということはさ、ということはだよ。
立石真美は打算的に俺の告白をOKしたのか?
いや、俺も人のことは言えない非道い理由の告白だけど、少しそれはがっく
りくる。自分のことを棚に上げて申し訳ないけど。
「じゃあさ。とりあえず、男と付き合ってみるっていう意味でOKしたのか?」
「すまん。気を悪くしたか?」
立石真美はすまなそうな顔をした。というか、おそらくすまなそうな顔を
したんだろうと思う。睨まれているとしか見えなかったけど。
「飯尾も多分、罰ゲームか何かで私に告白したんだろ」
ぎくっときた。その通り、図星だ。
「大丈夫、私、中学の頃からそういうの慣れているから」
立石真美はそう言って頬に笑みを浮かべた。でもその笑顔はひきつっていて、
とても笑っている様には見えない。
「いや」
俺はそれだけ言って思わず立石真美から目を逸らす。
そして
「ごめん、本当はその通りなんだ」
と思わず言いかけて、立石真美の顔をまっすぐに見た。
「あ」
俺は思わず声を上げる。
『鉄仮面』立石真美の瞳が潤んでいた。
『男女』立石真美の瞳には涙が浮かんでいた。
そして俺は今、初めてまともにその顔を見たことに気が付いた。
無骨な眼鏡や、しゃれっ気のない髪や、センスのない制服の着こなしや、ぶ
っきらぼうな言葉使いで気付かなかったけど、立石真美の顔立ちは綺麗だった。
俗に言う『可愛い』系の娘ではない。どちらかというと、『美人』系だ。
彫像のような端正な顔立ちだった。背も高いし、一歩間違えればモデルなみ
かもしれない、そんな美貌だった。
そして何よりも眼鏡の奥の瞳が綺麗だった。北の凍てついた深い湖のように
透き通った瞳。うっかり触ったら壊してしまいそうな、そんな危うさのある瞳。
内心、立石真美の隠れた美しさに俺は驚いていた。
それとも俺の目がどうかしてしまったのだろうか。
「なんだよ。じろじろ見るな」
立石真美は涙を拭いながら、ますます怒った顔になる。そうか、こういう人
なんだ。感情表現が下手くそなだけなんだな。
俺は思わず、くすっ、と笑った。
「何だ。何がおかしい」
「いや、別に」
俺はとぼける。
俺のそんな態度に、立石真美はしばらく居心地悪そうにしていた。
俺は大分、立石真美に対する評価が変わってきたのを自分で感じていた。少
なくとも、数分前より、この女性を嫌いではなくなっている。それはきっと、
彼女の中に自分なりの『良さ』を見つけてしまったからかも知れない。
誰も気付いていない、隠された宝石を見つけてしまったからかも知れない。
「じゃあさ、とりあえず、形だけにしろ付き合ってくれるんだな」
俺は何を口走っているんだろう。これじゃ、まるで本当に告白しているみたい
じゃないか。
「ああ」
立石真美は頷く。そしてしばらく、沈黙が二人を包んだ。その空気はそれほ
ど悪くない。
「ところでさ」
その沈黙を最初に破ったのは立石真美だった。
立石真美は再び元の『鉄仮面』に表情を戻して口を開いた。
「な、なんだよ?」
俺は少し身構えて聞く。
そして立石真美は言いづらそうに、しかしそれでいてはっきりと、次の言葉
を紡ぎ出す。
「『付き合う』ってどうすればいいんだ?」
………。
「え?」
俺は絶句した。
放課後の学校の中庭にはゆっくりと校舎の影が落ちてきていた。
俺と立石真美はその中で呆然と立ち尽くしていた。
そして北村と本山は植え込みの影で、腹を抱えてのたうち回っていた。
あとがき
ラブコメ度全開! の恋愛小説です。ぶっきらぼうなヒロインは、このとき初めて
書きました。それだけに書いていて楽しかったですね。新たな自分を発見
したみたいで。
それでは次回、第二話『デートの仕方』をご期待下さいませ。
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