恋人レッスン 

第二話 デートの仕方

作 山下泰昌


 その日の俺は、朝から覚悟が出来ていた。

 北村と本山の性格から考えて、そうなるのは目に見えていた。

 俺は学校の校門を通り抜け、昇降口で上履きに履き替え、階段を上がり、いざ

教室に入ろうとする前に一度立ち止まり、深呼吸をした。

 そして、ドアを開ける。

 どおっ!

 と音の壁が俺を襲った。

 俺の到着を今か今かと待ち受けていたクラス中の連中が囃し立てたのだ。

 割れんばかりの拍手。

 そして下品な口笛も飛び交う。

 「おめでとう!」

 とか

 「幸せにな!」

 とか好奇の表情で口々に賞賛の文句が飛び出す。

 俺はそれらには何も答えず、カバンを自分の机の上に置きつつ、黒板を見た。

 ほっとした。

 さすがに黒板に書き出すというお約束なことはしなかったらしい。

 もし黒板に相合い傘なんて書かれていた日には友人達のセンスの古さに辟易と

するところだ。

 俺が自分の席に着くと早速北村と本山が、つつっと寄ってきた。

 そう、ニヤニヤとあの嫌らしい笑みを浮かべたまま。

 「よう! この幸せ者!」

 ばん! と北村が俺の背を叩く。

 「いやあ、お兄さん参ったね! 色男にはかなわないなあ!」

 本山がそう言ってわざとらしく肩を組んで来る。

 俺は無言で二人を睨み付ける。クラス全体に知れ渡った原因はこいつら以外

にない。

 そう、絶対にない!

 「怖い顔すんなよ」

 「そう、これも罰ゲームのウチだと思ってさ」

 「ずいぶん割の合わない罰ゲームだよな」

 俺は吐き捨てるように言う。

 すると本山はおもむろに顔を近づけて来た。

 「それだったらさ、断れば良かったじゃん?」

 「え?」

 「どうせ、殴られるつもりであの場所に行ったんだろ? それだったらさ、

あの時、『嘘でした』って断っても同じだったじゃん。なんで?」

 「いや、それは、そうなんだけどさ」

 俺は急にしどろもどろになる。

 自分でもあの時の心理状態が理解出来ない。

 俺はなぜ、あの時付き合うことを否定しなかったのだろう。

 俺はなぜ「好き」というセリフを撤回しなかったのだろうか。

 俺がぼんやりそんなことを考えていた時、教室の扉が、がらっと開いた。

 教室に居たクラスメイト達はその姿を見て、皆一同にしんと静まる。

 立石真美だった。

 立石は一度、教室全体をじろりとそのきつい目つきで見回すと、大きなスト

ライドで最前列の自分の席まで行く。

 そして、どかっと音を立てて椅子に座り、無言でカバンから文庫本の小説を

取り出し読み始めた。

 誰も野卑な口笛など飛ばさない。拍手などもない。時々、教室の隅で、ヒソ

ヒソと小さな声で何やら話しが聞こえてくるくらいだ。

 お祭り騒ぎになった俺の時とはえらい違いだ。これが人が持つオーラの違い

なのだろうか。それともこれも人徳というものの一種なのだろうか。

 俺はそんな立石の背中を見ながら昨日のことを思い出した。 



 突然、

 「付き合うってどうすればいいんだ?」

 と訊かれた俺は完璧に思考が停止していた。

 改めてそう問われると、決定的な答えが出てこない。考えてみたら『付き合う』

って言葉はかなり抽象的な言葉だ。だいたい、俺自身もさほど恋愛経験が豊富

な方ではないので、返答に窮する。それでも俺は頭に浮かんだ事柄を口に出し

てみた。

 「やっぱり、デートしたりすることじゃないかな」

 場を繕うためにとりあえず口を突いて出た言葉はそれだった。

 「ふん。それが、『付き合う』ってことなのか?」

 「いや、『デート』イコール『付き合う』ではなくて、『付き合う』という

概念の中に『デート』という事柄が含まれているというか………」

 俺は何を真剣に解説しているのだろう。自分で自分が莫迦に思えてくる。

 だが、そういうくそ真面目な説明は立石には合っていたらしい。

 しばらく納得したような素振りで頷いたかと思うと、飛んでもないセリフを

のたまった。

「そうか。じゃあ、デートしよう」

 「ちょ、ちょっと待て!」

 俺は思わず声を上げた。おいおい、いきなりかよ。

 何も考えていない真っ白な状態でそんなことを言われても当然のごとく頭が

付いていかなかった。

 それに、俺が立石とデート!?

 信じられない構図だ。

 「いやか?」

 立石は疑うような目つきで俺の顔を覗き込む。

 俺は首を横に振った。

 自分から「付き合ってください!」と言っておきながら、「デートは嫌だ」

 というのはかなり変な話だと自分でも思ったからだ。

 「………じゃ、じゃあさ、遊園地とか映画に行くか?」

 俺は思いついたまま適当な言葉を吐き出した。だが、立石に対して『適当』

という言葉は通用しない。

 「デートって『遊園地』や『映画』に行くって決まっているのか?」

「いや、決まっていないけどさ………」

 それじゃ、どうしろと言うのよ、俺に。

 でも、考えたら、デートの定番コースって一体何なんだろう。ほとんど形骸

化しているような気がする。『デート』をしているって云う雰囲気に浸りたい

だけなのだろうか。それともデート初心者の為の導入編みたいなもんなんだろ

うか。

 「じゃあさ、立石はどこに行きたいわけ?」

 ふと思った俺は立石に話題を振ってみた。どうせなら当人の行きたいところ

に行くのがベストだと思ったからだ。

 「え?」

 いきなり話が自分の所に来た立石は当然のごとく驚く。

 「行きたいところ?」

 「そう」

 立石はしばらく唸ってから、次なる言葉を捻り出した。

 「図書館」

 「なに?」

 「だから図書館」



と言うわけで明日の日曜日、俺は立石と図書館に行くことになったのだ。

 何で、こうなったのかなあ。

 俺は、

 はあ

 とため息をつき、机に俯せる。

 「ま、ご愁傷様」

 北村はそう言って、俺の肩を叩いた。

 「影ながら応援させてもらうよ」

 「ぬかせ」

 俺はそう悪態を突き、手をひらひら振って、二人をおっぱらう。

 俺は後方から立石の背中をぼけっと眺めていた。

 するとその視線に気が付いたのか、立石は本から顔を上げ、くるりと振り向

いた。

 立石と目が合う。

 俺は少し意味のある視線を立石に送った。別に深い意味がある視線ではない。

 「よう」

 といった感じの挨拶程度の視線だ。

 しかし立石は怒った顔をして、ぷいとあらぬ方を向いてしまった。

 なんだってんだよ。

 「はあ」

 俺は再びため息を吐き、机に俯せた。



 四限終了のチャイムが鳴った。

 土曜日の今日はこれで終了だ。

 俺は立石の姿を探した。明日の待ち合わせ場所や時間なんかをまだ決めてい

なかったからだ。

 立石はカバンの中に教科書やノートを終い、教室から出ようとしているとこ

ろだった。

 俺はあわてて追いかける。

 「おーい」

 立石は気付かずにそのまま、すたすたと廊下を進む。

 俺はその後ろ姿にもう一度、声を掛ける。

 「おい! 立石!」

 無言。振り返る様子すらない。

 俺はちょっと気分を害しながら、その肩に手を掛けた。

 「立石ぃ!」

 「ああ」

 立石はそこで初めて気が付いたように声を上げる。

 ああ、じゃないよ。シカトしないで欲しいよ、仮にも付き合っているのなら。

 「あのさ、明日の待ち合わせ場所、決めてなかったじゃないか。どこで待ち

合わせる?」

 立石は、きょとんとしていた。

 「え?」

 「え? じゃないよ。待ち合わせる場所と時間を決めないで、どうやって

『デート』すんだよ」

 「そうか?」

 「そうだろ。お互い超能力者じゃないんだからさ」

 立石はしばらく頭を下に向けて思考を巡らす。

 「JR船橋の改札口はどうだ」

 「いいぜ。で、何時にする?」

 「一時はどうだ」

 「午後の?」

 「当たり前だろう」

 いや、立石の場合、当たり前が当たり前じゃないからな、いろいろと。

 「じゃ、飯食ってから会うって感じだな」

 立石はこくりと頷く。

 明日行こうとしているのは船橋中央図書館。最近、リニューアルオープンし

て蔵書量もアップしたので行ってみたいらしいのだ。

 今一、気乗りはしないが、ま、先方が行きたいと言うのならとりあえず、行

ってみようじゃないかという感じだ。

 「じゃあ」

 立石はそう言って帰ろうとする。

 「ちょ、ちょっと待てよ」

 俺が引き留めると立石は不思議そうな顔で振り返った。

 「なんだ?」

 「いや、もう帰るんだろ? どうせ船橋日大駅まで同じ道なんだから一緒に帰

ろうぜ」

 立石は非常に困惑した顔で俺を見返した。

 「なぜ?」

 君は本当に俺と付き合う気があるのか?

 俺がそう立石以上に困惑した表情をしていると、立石は

 はっ!

 と何ごとかに気が付いたように、口に手を当てる。

 「あ、ひょっとして、『一緒に帰る』というのも『付き合う』の範疇なのか」

 「ああ、そうだな、たぶんね」

 気力がへなへなと無くなっていく。

 何かだんだんどうでもよくなって来る。

 「すまん。じゃあ、一緒に帰ろう」

 何が『じゃあ』なんだ。何が。

 俺はぐったりと肩を落としながら立石と並んで廊下を歩く。

 そして階段を下り、階下の昇降口に向かって歩いていた、その時、俺はふっ

とあることが気になって立石に問いかけた。

 「あのさ、立石」

 「なんだ」

 「一応、念のために言っておくけどさ」

 俺はすうっと息を吸い込む。

 「明日、学校の制服、着てくんなよ」

 立石は目を丸くして言った。

 「なぜ?」と。

 言っておいて良かった。

 俺は安堵のため息をついた。心底から。



 俺は待ち合わせ場所の船橋駅改札口の端にあるソバ屋の壁にもたれ掛かって

いた。

 現在時刻は十二時五十分。船橋駅の近くに自宅のある俺にとってこの待ち合

わせ場所はラッキーだった。普段、割と時間にルーズな俺だが、おかげで遅刻

しないで済んだ。

 船橋駅で、渋谷の「ハチ公」や池袋の「いけふくろう」に当たる待ち合わせ

場所というと「さざんかさっちゃん」が有名(?)だが、この銅像は背が低い

ので人混みに紛れ込むと、どこにあるのか分からなくなるのが欠点だ。

 だから、よく船橋で待ち合わせする人は逆に「さざんかさっちゃん」を使わ

ないで改札口や、駅前交番を指定するのが多い。

 俺は改札口でホームから降りてくる人々をぼけっと眺めながら、

 立石は本当に来るだろうか?

 という一点だけが次第に心配になってきた。

 あの淡泊な性格から考えて、平気で約束をすっぽかしそうな気がする。

 しかしあの生真面目な性格から言って、それは絶対無いような気もする。

 早い話が不安、なのだ。俺は。

 成り行きでデートするだけなのに、割とそわそわしている自分が少し嫌だっ

た。

 そんなこんなしている内に立石がホームから降りてくるのを遠目で確認する。

 ちょっとほっとする。

 時計を見る。

 十二時五十五分。

 さすがだ。約束を違えるような性格ではなかったらしい。

 立石は俺の姿を認めると

 「や」

 と素っ気なく右手を上げた。

 俺は立石の服装を見る。

 野暮ったいおさげと、眼鏡はいつものこと。

 上着には厚めのダウンベスト。下はジーンズ。そしてスニーカー。

 はっきり言って、皮ジャンを着ているか着ていないかだけで俺の服装と大差

ない、色気も素っ気もない服装。

 まだ、学校の制服の方が可愛らしかった。

 まあ、あらかた予想通りだったから良いんだけどさ。

 「んじゃ、行こうか」

 俺はそう言って、もたれ掛かっていたソバ屋の壁から身体を引き剥がして歩

き出した。

 立石は無言で頷いて、俺の隣に並ぶ。

 船橋中央図書館はここから歩いて十分くらいだ。

 「場所は知っているの?」

 俺は訊いた。

 立石は頷く。

 「だいたい」

 「立石って普段、良く図書館に行くんだ?」

 「ああ」

 「本好きなんだ?」

 「ああ」

 「どんな本が好きなの?」

 「特に」

 ………。

 会話がまともに返って来ない。

 俺は辛抱強く再度話しかける。

 「立石って、読書の他に趣味はあるの?」

 「………」

 「ないの?」

 「たぶん」

 「空手は? ほら、空手をやっているって言ってたじゃん」

 「空手は趣味じゃない」

 「趣味じゃなきゃ、何なんだよ」

 「さあ?」

 会話は返って来るんだが、立石から自発的に話すと言うことがない。俺が問

いかけた言葉に答えるだけ。

 俺は気持ちがだんだんめげてくるのを感じていた。

 ひょっとして、話しかけられるのは迷惑なのかな。

 俺はそう思って、とりあえず図書館に着くまで話しかけるのはやめた。

 一言も交わさない男女が図書館に向かってひたすら突き進む。

 端から見たら、絶対『付き合っているカップル』に見えないのは間違いない

と思う。



 図書館は真新しいビルの2階だった。エレベーターに乗って扉が開くと、そ

こはすでに館内だった。

 新築のビルと本特有の匂いが混ざってぷんと漂ってきた。

 まだ傷が付いていないすべすべとした床。新品の本棚に整然と並べられた

豊富な蔵書。近代的な雰囲気を醸し出している受付のカウンター。

 新規オープンしてから初めて入ったけど、ずいぶん大きくなったなあと云う

のが俺の感想だ。 

 ちらりと立石の方を盗み見る。

 立石は新しいおもちゃを与えられた子供の様に目をきらきらさせて、そして

顔を少し上気させて辺りを見回していた。

 ちょっと意外だった。

 へえ、こんな表情も出来るんだ、という感じで。

 というか、いつもこういう素直な表情をしていれば、可愛いのに。

 絶対、学校でのウケも変わるのに。

 俺がそんな感慨を抱いているのを後目に、立石はどんどん書架の林の中を

散策して行く。 

 俺はあわてて、その後を付いていく。

 書架の間をしばらく右往左往していた立石は一冊の本を取り上げた。

 そして手近のテーブルに付いてその本を読み出す。

 俺は立石の対面に座り、その様子をしげしげと眺める。

 「それ、何の本?」

 俺は話の取っかかりに訊いた。

 「ボルヘス」

 「は?」

 「ホルヘ・ルイス・ボルヘス。作者の名前だ」

 「外国人か?」

 「当たり前だろう」

 「で、何て題名なの?」

 立石は顔をふっと上げて迷惑そうな表情で俺を見た。

 「申し訳ないんだが、本を読んでいる時は話しかけないでくれないかな」

 「あ、ごめん」

 ………。

 そして熱心に本を読み始めている立石をぼけっと見ている俺。

 あくびが出た。

 眠たくなってくる。

 いかんいかん。俺も何か読むか。

 本棚の間を散策し、俺は読みやすそうな椎名誠のエッセイを引っ掴んだ。そ

して席に戻り、ぱらぱらと読み出す。

 ………。

 ……。

 …。

 三十分くらいは経っただろうか。短いエッセイを二編ほど読み終わって顔を

上げた。

 立石は相変わらず、さっきの態勢のまま本に熱中している。

 しゃあない。もう少し付き合うか。

 俺は再び顔を伏せて本を読み出す。

 基本的に俺も本は嫌いな方ではない。

 結局、そのまま熱中して読み続けてしまった。

 小一時間ほど経っただろうか。

 立石が椅子から立ち上がる、がたっという音で、はっと我に返った。

 もう一冊読み終わったらしい。

 立石は外人作家の本棚の所に行って次なる本を物色していた。

 俺はそんな光景を眺めながら、

 何か違うぞ。

 という気になってきた。

 俺も立ち上がって立石の側に行く。立石は立ったままハードカバーの本を

拾い読みしている。

 題名を見る。

 『七つの夜 ボルヘス』。立石好きだな、ボルヘス。

 「立石」

 俺は呼んだ。

 「………」

 「立石?」

 「………」

 「立石ったら!」

 立石は迷惑そうな表情で俺を睨む。

 「だから本を読んでいるときは話しかけないでくれと………」

 「ちょっとこっち来てくれ」

 俺はそう言って立石の手を取って引っ張った。

 「ちょ、ちょっと」

 そのまま廊下まで連れていく。

 半ば強引に俺に廊下まで連れて行かれた立石は、少々ご立腹ぎみであった。

 「どういうことだ?」

 立石は強い口調で俺に詰問した。

 「俺思ったんだけどさ、これって『デート』か?」

 「デートなんだろ?」

 「いや、もう少し慣れたカップルならこれでも良いかも知れないけどさ、付

き合い初めの頃の『デート』って相手のことを知るため、というか知りたいか

らするんだと思うんだよ。これじゃ本のことは良く分かるけど、立石のことま

るで分からないよ」

 立石はきょとんとした目で俺を見つめ返す。

 「本はさ、一人の時でも読めるじゃない。せっかく同じ人間同士が一緒に

行動しているんだからさ、もう少し話をしようぜ」

 立石はしばらく俯いて、上目遣いで口を開いた。

 「飯尾は私のことを知りたいのか?」

 「な!」

 いや、その、あまり深い意味はないんだけど。あの………。

 しかし、

 「好きです!」

 と告白しておいて、

 「知りたくない」

 というのはおかしな理屈だと自分でも思ったので、俺は首を縦に振る。

 立石は俺の肯定を見て、しばらく熟慮したあげく、

 「………分かった。話をしよう」

 と答えた。

 なんか、自分で自分をどんどん深みにはめている気がする。

 俺。



結局、俺達はその後、図書館を出た。そしてそこから近くにあるららぽーと

に行くことにした。

 ららぽーとというのは複合大型ショッピングセンター。

 まあ、ショッピングモールの中をぶらぶらと歩こうぜ、というのが主旨だ。

 つまり、使い古された言葉で言うのも恥ずかしいが、

 ウインドウショッピング

 って奴だ。

 だが、俺達は別に取り立てて何を見るというわけでもなく、ひたすらショッ

ピングモールの合間をずんずんと突き進んでいく。

 やっぱり、どう見ても『付き合っているカップル』だとは思わないだろう。

 このまま無言で歩いていては図書館を出てきた意味がない。

 俺は話題を探す。

 ちょうど周りは可愛いらしく女物の小物や、服飾なんかを売っているフロア

だった。

 そうだ、立石ってこういうものに興味はないのだろうか。

 服のコーディネイトだとか、アクセサリーだとか、ヘアースタイルだとか

いうものに。

 「何で立石はおしゃれしないの?」

 すると立石はうざったそうな目で俺を見る。

 「する気がない」

 「なぜ?」

 立石は「別に」と言いかけて、それでは会話が成り立たないと自分で思い直したのか、

次のように言い直した。

 「………だいたい綺麗に飾り立てて何が面白いんだ」

 「いや、面白いとかいう問題じゃなくて。やっぱ人に良く見てもらえると 嬉しいじゃない」

 「自分をしっかり持っていれば良いんだ。他人の評価が気になるのは自分

がない証拠だ。必要最小限の清潔さだけ保っていれば良いんだ」

 なんだ。センスがないだけなのかと思った。

 「でも、もったいないよ。せっかく素材が良いんだから」

 ………。

 やべ! 何を口走って居るんだ、俺は。

 あわてて口をつぐむ。

 すると立石は凄い形相で、「私がか? 怒るぞ」と今にも正拳突きが飛んで

きそうな勢いでまくし立てた。

 やっぱり自分では気付いていないらしい。

 いいや。

 ここでフォローを入れるとさらにドツボにはまりそうなんで、やめておこう。

 「空手はいつからやっているんだ?」

 俺は素知らぬ顔で話題を変える。

 「小学校四年」

 「で、黒帯?」

 「ああ。でも長くやっていれば自然と取れる」

 「そんなもんなのか?」

 「そんなもんだ」

 「あ、何か出来る? 空手の技みたいの」

 「ここでか?」

 「あ、やっぱ無理?」

 俺は少し意地悪なことを言った。ここはショッピングモールのど真ん中だ。

こんなところで空手の技を見せるなんて恥ずかしい真似は出来ないだろう、

普通。

 だが、相手は普通ではないということをすっかり失念していた。

 立石は少し躊躇した後、

 ぶあっと俺に向かって足を飛ばした。そしてその足は俺の眼前でぴたりと止

まる。

 目の前にスニーカーの製品名のロゴが克明に見て取れた。それほど顔の真ん

前だった。

 上段足刀蹴り、と言うんだそうだ。足の外側が鉈の様に俺の方へ突き出され

ている。なるほど。足刀とは言い得て妙だ。

 そして、ふわっと元の態勢に戻った。その様子は軽やかで鳥のようだった。

 周りのお客どもは何が起こったのかとじろじろと視線をこちらにやっていた。

 「結構難しいんだぞ。飯尾もやってみるか?」

 「え? 今の」

 さすがに人にやらせておいて、自分だけやらないという卑怯な真似は出来な

いだろう。

 男として。

 というより人として。

 見よう見まねで俺は足を横に振り上げた。ところが、まず、足がそこまで上

がらない。そして足を鉈の様に突き出せない。

 「踵を押し出すようにすると良いんだよ」

 とは言うがはっきり言って素人の俺にいきなりそんなことを言われても無理

だ。そして終いには尻の筋肉が吊った。俺はバランスを崩してフロアの床に無

様に転がる。

 「いてててて!」

 俺は隅の方まで走って地べたに腰を下ろし、吊った尻の筋肉をもみほぐす。

 周りの通行人どもがくすくすと失笑している。くそ。やっぱりやらなければ

良かった。

 「駄目だなあ、飯尾。身体がなまっているぞ」

 立石は近づいて来て、笑った。

 あ。

 俺は、はっとした。

 笑った。

 立石が笑った。

 時々見るひきつった笑いじゃない。

 怒られているのかと思うほどの無理のある笑いじゃない。

 ごくごく自然で素直な微笑みだった。

 その笑顔のイメージは『羽根』。

 ふうわりと柔らかくて、軽やかで、純白で、優しい。

 そんな笑顔だった。

 俺は思わず、ほっと見とれていた。

 普段が普段だけに、たまのこういう笑顔が凄い引き立つんだろうか。

 「何だ? 何か顔に付いているか?」

 急にいつもの『鉄仮面』に戻って自分の顔をチェックし出す。

 少し落胆する。

 「付いているのか?」

 返答がないことに不安になったのか、立石はもう一度問いかける。

 俺はゆっくりと立ち上がりながら答えた。  

 「いや、取れちゃったよ」

 「そうか?」

 「もう少し付いていて欲しかったけどね」



 俺は立石を見送るために船橋駅に来ている。

 あの後、目的もなくぶらぶらとひたすら歩き続けた俺は、いいかげん足が痛くなっ

てきたので、

 ここらでデートをお開きにしよう、ということにしたのだ。

 立石の方はさすがに体力があるのか、それともいつもの『鉄仮面』で単に

表情が表に出ていないだけなのか分からなかったが、ちっとも足にダメージは

ないらしい。

 でも、ちょうど辺りも暗くなって来て、お開きにするには頃合いも良かった。

 歩いているだけのデートだったけど、結構いろいろと話したと思う。

 学校のこととか、家族のこととか、趣味のこととか。

 その都度、応対だけの会話になりそうな立石だったが、苦労しながら、自分

の言葉で答えを紡ぎだしていた。

 でも俺は立石が券売機でキップを買っているところを、ぼけえっと眺めながら

猛烈な自己嫌悪に陥っていた。

 最低なデートだったと思う。

 仮にもイニシティアチブを取る男側が、こんな何の計画性もないデートをし

たというのが情けない。

 ただ歩いて、一方的にまるで尋問するかのように問い続けただけのデート。

 客観的に見ても大失敗の部類に入ると思う。

 後から考えれば、もう少しやり方があったような気がする。例えば、ベンチ

に座るとか、喫茶店に入るとか。

 仮にも女の子である立石に対しても申し訳ない気がする。

 でもそれもすでに終わってしまったこと。あとの祭りってやつだ。

 立石はキップを買うと自動改札を通り抜けた。

 「じゃあな」

 内心かなりブルーな俺がそう言うと立石は

 「ああ」

 と言って無表情で、ホームに向かう。

 ああ、たぶんもうデートなんかするもんか! なんて思っているんだろうな。

 俺はその姿を見届け、

 もう少しそつのない男にならなくちゃな、と反省し、自宅に戻ろうとした

 その時、

 「飯尾」

 と背中に声を掛けられた。

 ホームに向かったはずの立石だった。

 「なに?」

 俺は振り向く。

 「今日はさ、………」

 立石は言いづらそうに口を開く。

 「………割と楽しかったぞ」

 「ええ?」

 俺はぽかんと口を開けた。

 楽しかった?

 あのどこに行ったでもない、ただ歩き回っただけのデートで?

 自分でも申し訳ないなあ、と思っていたくらいなのに。

 「楽しかった?」

 「ああ」

 「本当に?」

 「ああ」

 「お世辞じゃなくて?」

 「しつこいぞ」

 立石の身体がふっと自然体になった。どこからでも攻撃できる姿勢だ。

 その気になれば改札越しからでも、蹴りが飛んでくるに違いない。

 これ以上の追求は死を招く。俺はすすっと半歩身を引いた。

 考えてみたら立石はお世辞を言うような性格ではなかった。

 ということは本当に楽しかったのか? あれで?

 「私ってさ、あまり友達とかもいる方じゃないからさ、こういうのあまり

慣れていなくて、その」

 そこで立石は口ごもったが、気を落ち着けて改めて口を開く。

 「結構、人に自分のことを話すってのは楽しかった」

 なんだ、ほとんど友達にに対するような感想じゃないか。

 ちょっとがっくり。ん? なぜ俺はがっくりこなければならないんだ?

 そうこうしている内に、立石はくるりときびすを返した。

 そして背中越しに手を振る。その姿はちょっと格好良い。

 「じゃあな、飯尾。明日、学校でな」

 「ああ」

 俺も手を振り返した。

 なぜか俺は立石の姿が見えなくなるまでそこに居た。



 月曜日。

 その日、俺はかなり浮ついていた。

 なぜかは分からない。

 たぶん前日、デートという大きなイベントをこなしたからかも知れない。

 俺の心の中に大きな空っぽのポケットが出来ていた。

 その感情を具体的に表現するのは難しい。

 敢えて数値化すると、

 ほっとした、というのが十パーセント。

 やりとげた、という充実感が十パーセント。

 疲れた、というのが十パーセント。

 散々なデートで申し訳ない、というのが十パーセント。

 それなりに楽しかった、というのが十パーセント。

 で、残りの五十パーセントが欠乏感というか喪失感である。

 これは何なんだろう。

 このいわれのない欠乏感の理由が掴めない。

 俺はそんな心理状態のまま教室の扉を開けた。

 どおおう!

 と教室全体が湧く。

 俺はびっくりした。

 な、なんだ? 何が起こったんだ?

 前の時とは違い、心の準備が全く出来ていなかった俺は教室の扉を開けた形

のまま凝固する。

 クラスメイトどもが例によって好奇の表情でもって俺を囃し立てる。

 俺は頭の中をハテナマークでいっぱいにしながら教室中を見回す。すると

黒板に何か写真のような物が張ってあるのが目に留まった。

   ここからではよく見えない。

 俺は近づいて、それを覗き込む。

 「な!」

 俺は思わず声を上げる。

 そこには俺と立石が並んでららぽーとの中を歩いている光景が写し出されて

いた。

 瞬間、俺は全てを悟った。

 「北村あ! 本山あぁ!」

 何かを察していた北村と本山はすでに教室の後部の扉から逃走したところだ

った。

 俺は嘆息する。

 何ちゅう古典的なことを。

 でも考えたら、あいつらは俺と立石がデートの約束をした時、近くの植え込

みに隠れていたんだし、こうなることはある程度予想の範疇内だったわけだ。

 俺は自分の愚かさに腹が立った。

 その時、教室が急に静かになった。

 俺は何事かと、辺りを見回す。

 原因はすぐに分かった。

 立石が入ってきたのだ。

 立石は相変わらずのストライドの大きい歩調で自分の机まで来ると、どんと

カバンを机に置く。

 そして俺と目が合った。立石は

 「よう」

 と言ってにこりと笑い、そして何事も無かったかのように机に座り、本を読

み出す。

 俺は少し驚いてた。

 立石の方から挨拶してくれるのはこれが初めてだったからだ。

 そしてその瞬間、胸の奥に出来ていた喪失感がすっかり消えているのに気が

付いた。

 あ、あれ?

 俺は一瞬にして変化した自分の心情に戸惑っていた。

 そしてその理由もその時の俺では分かる良しもなかった。


あとがき

 一話目の反応が良かったので、二話目はちょっとプレッシャーがかかり

ました。

また今回の話を書くにあたって職場のK女史に女性からの視点としてのア

ドバイスをいくつか頂きました。ここで感謝を致したいと思います。

 では次回第三話『クリスマスの過ごし方』を乞うご期待。



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