恋人レッスン 

第六話 ケンカの仕方

作 山下泰昌


 退屈だ。

 それでもって憂鬱だ。

 今まで試験や宿題などに悩まされないで、ぼうっと過ごせたら最高だろうなあ、と思っていたけど、

いざ自分がそういう状況になってみると、これって実に退屈だってことに気がついた。

 何事も経験なんだな。

 などと、訳知り顔で頷いて寝返りう……。

 ……寝返りがうてない。

 俺は顔をしかめて、元の体勢のまま目をつむった。

 そう、寝返りが打てない理由がある。

 俺の右足はギブスに固められ、宙づりになっているからだ。

 俺はぼけえっと窓の外を見る。

 五月晴れの青い空。

 白い雲。

 小鳥が小さく鳴きながら斜めに飛んでいく。

 ああ、のどかだなあ。

 と、俺がそんなじじくさい感慨にふけっていると、それをぶち壊すような大音響を立てて病室の扉を

開けて進入してきた奴らがいた。

 「ようっ! 元気にしているか!」

 と北村。

 「この状況を見てから言え」  俺は吐き捨てるように言う。

 「まあまあ、そう腐るなよ。いろいろおみやげを持ってきてやったからよ」

 北村の後ろから現れた本山はそう言って両手に抱えていた手提げ袋を俺の掛け布団の上に無造作に投

げ出す。

 「ぐっ」

 俺はそう呻いてのたうちまわった。本山は不思議そうな顔をした。

 「あれ、お前、骨折ったのって、このぶら下がっている右足だろ。こっちは大丈夫なんだろ」

 と、本山はやらなくても良いのに手提げ袋を何度も俺の左足の上に落とす。

 「ぐっ」

 痛みの余り、身もだえする。

 「やめろう!」

 俺はたまらず大声を上げた。

 「折れたのは右足だけど、左足だって多少の打撲はあるんだよ! だからそこに荷物を降ろすのはや

めろう!」

 「ああ、そうか。すまん」

 本山はそう言ったが涼しい顔をして手提げ袋をかたずけようともしなかった。

 こいつ、確信犯だな。

 「で、土産ってなんだよ」

 「ん? あ、そうだな。悪ぃ悪ぃ」

 本山はたいして悪びれた表情もせずに手提げ袋を逆さにする。

 がさがさと俺の掛け布団の上に落ちてきたモノたち。

 ……。

 「で、なにこれ?」

 「ん? これか?」

 本山は嬉しそうにそれを手に取る。

 「ほら、お前、白原雪乃が好きだって言ってたじゃん。最新シングル持って来たんだぜ」

 「あのなあ」

 「え? お気に召さないのか? じゃあこれはどうだ、復活アイドル紗悠琴音のCD!」

 「いや、だからさ」

 俺は本山に問う。

 「CDプレイヤーもないのに、これらを俺にどうしろと?」  

 俺が複雑な顔をしているとそれを察したの北村だ。

 奴は次なる商品を紹介しだした。

 「じゃあ、こいつはどうだ!」

 北村が手にしたのはやはりCD形態の品物。

 「期待の新作ゲーム『キャプテン!』だぜ! せっかく育て上げたパーティーが一年ごとに変わって

いくという野心作だぞ! どうだ! 」

 どうだ! と力説されてもさ。

 だからゲーム機本体がなくてどうするんだよ。

 俺は白けた顔で本山たちとその所詮無用の長物から目をそらす。

 「……お気に召さないようだな」

 本山は渋い顔で言った。

 「当たり前だろ。だいたい俺は明日、退院だ」

 そもそも普通、友人が入院した、と聞いたならマンガとか雑誌とかを持ってくるだろう。

 普通。

 ……そうだよな。

 こいつらは普通じゃなかったんだ。考え違いをしていた俺が間違っていた。

 「仕方がない。実はもう一つ土産がある」

 本山が一向に懲りた様子がない表情で言う。

 「まだ、あるのか」

 「ああ。入ってきていいぞー」

 入ってきていい?

 モノじゃないのか?

 俺がそんな疑問符いっぱいの顔をしていると、病室の扉から見覚えのある顔がひょこっと首を出し

た。

 「こんにちわ」

 小学生と見紛うばかりの低い背。

 快活そうなショートカット。

 ちょっときつめの目。

 「壬生じゃん」

 俺はちょっと驚く。

 壬生は小走りに俺のベッドまでたどり着くと矢継ぎ早に俺に質問を浴びせかけてくる。

 「先輩、大丈夫ですか! どうして、骨なんか折ったんですか? 交通事故ですか? それともスポ

ーツで? すぐ退院出来るんですか?」 

 俺が『どうしてこういう、ややこしいキャラを連れてくるんだ』的な視線を本山と北村に送るとその

視線を敏感に察知した本山は、

 「途中で偶然会ったんだよ」

 と解説する。

 俺はそれに対し不審気に眉をひそめると、再び壬生に視線を移す。

 いつもの不敵な瞳の光は陰を潜めて、不安そうに揺れている。

 「いや、たいしたことないよ。そんなに気にすんな」

 とかなんとか言って壬生をなだめていると、再び病室の扉がばん! と開いた。

 「飯尾さん!」

 そこにはやはり見覚えのある顔が、肩で息をしている。

 ポニーテール。

 壬生ほどではないが、小柄な身体。

 まん丸に開かれた可愛らしい目。

 「美奈ちゃん、じゃん」

 美奈は慌ただしく俺のベッドまで駆け寄ると関を切ったように話し出した。

 「飯尾さん、大丈夫ですかあ! 骨折ったって聞きましたけど、重傷じゃないですよね! まったく

お姉ちゃん、今日になるまで話してくんないんだもん! って言ってもやっぱり自分から話しだした訳

じゃないんですけどね! で、お姉ちゃんは?」

 ……。

 俺はどの質問から答えたらいいのだろうか。

 とりあえず、一番最後のから答えるのが順当だろう。

 「来てねえよ」

 すると美奈は大げさに身振りを加えて、驚く。

 「来てないんですかあ! 全く、自分が原因だってのにぃ! 信じられない!」

 と、そこで壬生が怪訝な視線を美奈に向けた。

 美奈もすぐにその視線を感じ、壬生を見る。

 お互いの視線が数度、絡み合った。

 緊張した空気が病室を包む。

 「あなた、誰?」

 先に口を開いたのは壬生だった。美奈はしばらく不服そうな表情でその視線を受け止めていたが、

やがて

 「立石美奈」

 とぼそりと呟く。

 「立石?」

 壬生が独り言のように問うので俺はその言葉を引き継いで、説明する。

 「ああ、この子は立石真美の妹さんなんだよ」

 それを訊いて「ああ、なるほど」と壬生は首を縦に振った。

 「で」

 壬生はまるで詰問するかのような口調で美奈に詰め寄る。

 「で、先輩が骨折った原因があなたのお姉さんってのはどういう意味?」

 背は低いがこういう時の壬生は結構迫力がある。もとより攻撃的キャラであるし。

 美奈は不機嫌な表情で、上目使いに壬生を見ると、ぼそりと言葉をもらした。

 「で、あんたは誰なのよ」

 病室が一瞬シーンと静まった。

 予想もしない返され方をしたせいか壬生は一瞬詰まる。

 「私だけ名前を言うのは不公平じゃない。あんたは誰なの?」

 壬生は美奈の不機嫌な顔を更に二倍にしたような不機嫌な顔にすると、吐き出すように言う。

 「壬生一絵」

 ここは再び俺が補足しなければならないだろう。

 「壬生は俺の後輩。今年は俺と同じ保健委員の役員をやっているんだ」

 「ふうん」

 美奈は壬生の上から下まで胡乱な視線を往復させる。

 俺はその時思った。

 この二人、似ている、と。

 外見は違うが似たもの同士だ、と。

 思ったことをストレートに言う。

 感情がそのまま態度に出る。

 それは彼女たちの長所でもありすなわち短所でもある。

 そして得てして似ている性格の人間というのは衝突するものである。

 今回も呆気ないほどに予想通りだった。

 「なによ」

 壬生はずずいと美奈に詰め寄る。

 「で、さっきの答えはどうなの? あなたのお姉さんが原因で先輩の骨を折ったっていうの!」

 「知らないわよ!」

 美奈も負けずに胸を張る。威張ることでもないんだけどな。

 「私だって飯尾さんが入院したって訊いただけだもん! だいたいお姉ちゃんはほとんど私に話して

くれないんだもん!」

 壬生と美奈のにらみ合いが続く。

 それをはらはらしながら見守る俺。

 と、その時、壬生のきつい目が俺の方に向けられた。

 「で、どういうことなんです、先輩。立石さんが原因で骨を折ったんですか?」

 「どうなんですか!」

 美奈も俺の方に向く。

 「俺たちも訊きたいもんだよな」

 北村が本山の顔を見て頷いた。

 俺は、はあっとため息を付いた。

 やっぱり、最終的にそこへ行き着くか。

 俺はしどろもどろになりながら、口を開く。

 「いや、その、な?」

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 原因、というのは言い過ぎかも知れない。

 それは四日前にさかのぼる。

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 「飯尾」

 休み時間。

 突然、背後から声をかけられて俺は身体をびくつかせた。

 誰だか分かっている。

 立石だ。

 だいたい持って立石の行動は突然だ。話の流れに沿ってやんわり話しかけることなど、まず、ない。

 昔の俺だったら飛び上がっていたところだが、さすがに最近は慣れた。

 身体をびくつかせるだけで何とか対応出来ている。

 四月が過ぎ、学年が上がった俺たちは三年になった。

 いよいよ受験の年になったわけだ。

 だが、まだ五月なので、余程の大学を狙うやつでない限り焦ってはいない。

 俺と立石は別々のクラスになった。

 それについて立石は何もコメントはしなかった。

 まあ、同じクラスに居ても、休み時間にたまに話すくらいなので、今までと違いはないし。

 話したいときには、こうしてお互いの教室に行けばいいんだから。 

 「なんだよ」

 俺はイスごと振り向いた。

 いきなり真正面から俺に向き直られた立石は急に口ごもる。

 「いや、別になんでもない」

 そしてそそくさとその場から立ち去ろうとする立石の腕を俺は座ったままあわてて捕まえた。

 「おい、それは無いだろう。それともそれは新手のボケか?」

 「なんだ、ボケというのは?」

 しまった。ナチュラルボケだったか。

 その立石の問いに真剣に返答するといつまでたっても話が本題に入りそうにないので、俺は強引に話

を引き戻すことにする。

 「だから、俺になんか用があるんだろ? 何だよ?」

 立石はぐっと口ごもる。

 そして何か決意をしたような目をして、俺の方をまるで襲いかかるように見返すと、爆発するように

言葉を発した。

 「帰りに買い物に付き合ってくれないかっ!」

 「え?」

 殴られるのかと思って、目を瞑って防御態勢を取っていた俺はその言葉に呆気にとられる。

 「買い物?」

 「何度も繰り返すな」

 立石は他の誰かに聞かれていないかと周囲に気を配りながらそう言った。

 「なんの?」

 すると立石は怒っているのか恥ずかしがっているのかまるで分からない程の凄まじい形相で顔を真っ

赤にする。

 「何でもいいだろ!」

 「人を誘っておいてそれはないだろ」

 立石は顔を真っ赤にして両の拳を硬く握ると、

 「もういい! 飯尾には頼まない!」

 と吐き捨て、大股で自分のクラスに戻って行こうとする。

 「お、おいおい、待てよ!」

 俺はイスから立ち上がって追いかけた。

 そしてその肩を掴む。

 「悪かった。すまん。いや、別に断る理由なんてないし、放課後暇だし。付き合うよ」

 「無理に付き合わなくてもいい」

 立石は横目でちらりと俺を一瞥しただけでそう言う。

 「いや、全然無理じゃないって」

 「ふん。どうだか」

 こうなった時の立石のなだめ方は非常に難しい。

 俺が途方に暮れていると立石は一つため息をついて

 「じゃあ、付き合ってくれるんだな」

 とぼそりと言った。良かった。向こうから折れてくれた。

 俺はほっと胸をなで下ろし、首を縦に振った。

 「じゃあ、放課後、な」

 立石はようやく安堵の表情を浮かべる。

 うん。こういうところは美奈も立石も同じだ。

 心の動きがストレートに出るところは。

 だけど、立石の方はその頻度が少ないだけだ。


中編へ続く