作 山下泰昌
早く。
早くしないと!
俺は駅で時計を見上げた。
午後一時四十二分。
ここから学校までは約一時間半。
でも、今から学校に行けば放課後までにはぎりぎり間に合う。
俺はいらいらしながら電車を待った。電車は約五分後に滑り込んで来る。俺はダッシュでその電車
に乗る。だが、乗ってから別にダッシュかまさなくても良かったのだということに気づく。
電車はのたのたと時間通り各駅停車で進行するからだ。
いらいらする。
焦る。
もどかしい。
じれったい。
俺がいくら焦っても電車のスピードはどうにもならない。
とりあえず、電車が乗り換えの西船橋に着くまでは何にも出来ない。
だがとても落ち着いて椅子に座ってなんかいられない。
扉の近く立って窓の外を眺めることにする。
平凡な町並みが次々と後方に流れて行く。
俺はその様子をぼうっと見ている。情報として頭には何一つ入っていってはいない。ガラスに映る
自分の顔が目に入る。
情けねえ顔。
立石は何でこんな情けない男が気に入ったんだろう。
こんなくだらない男が。
いや、違うか。
くだらねえ男だから罰ゲームのことを今まで話せなかったんだろう。
くだらねえ男だから壬生のことも悲しませたし、
くだらねえ男だから立石にも嫌われたんだ。
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駅から学校まで全力で走った。歩いて三十分の距離を十分に短縮した。多分、今までの登校時間
のラップタイムを大幅に更新したのは間違いない。
この通学路をこれだけ本気に走ったのは初めてだった。遅刻した時でさえ歩いていたし。
いや、違うか。逆方向だけどいつだったか立石を追いかける為に走ったことがあったな。
そうか。あの時も立石絡みだったか。
ともかくも俺は後半バテバテながら学校に滑り込んだ。
ギリギリセーフ。まだ終業のチャイムは鳴っていない。最後のホームルーム中のはずだ。
俺は校門を走り抜け、下駄箱で靴を脱ぎ捨て、廊下を突っ走り、そのまま立石の教室へと向かう。
立石の教室が視界に入って来た。
教室からは、生徒達は三々五々に下校を始めている。
まずい、早めにホームルームが終わったんだ。
俺は息せき切って教室に飛び込んだ。
勝手知ったる立石の席。すぐにそこを視界に捉える。
だが、そこにはすでに立石はいなかった。
俺は立石の隣の尾花を見つけて叫ぶ。
「立石は!?」
尾花は俺の顔を見上げて目を丸くした。
「ど、どうしたの。飯尾」
尾花はちょうどカバンからコアラのマーチを取りだして食べようとしていたところだった。
「立石は? 立石は帰っちまったの?」
そう言って改めて立石の席を観察する。
机の上はおろか中にも何も入っておらず、カバンも無い。
帰ったのか。
いや、待て。ひょっとすると。
嫌な予感がした。
「立石、また休んだのか?」
尾花は口にコアラのマーチを放り込んだまま首を横に振った。驚いた表情はそのままで。
「飯尾、真美と会っていないの?」
「……会っていないけど」
「真美さ。今日の昼、飯尾と話をするって言って飯尾のクラスに行ったんだよ。そしたらあんた休ん
でんじゃん。真美、顔を真っ青にさせちゃってさ」
どういうことだよ?
「そんなわけであんたに会いに行くって言って早退しちゃったよ、真美は。あんた家に居たんじゃな
いの? 会わなかったの?」
「いや、俺は」
遊園地に居たんだ、なんてことはとても言えないので、ぐっと押し黙る。
立石は俺の家に行ったんだ。
俺に会いに。
時計を見る。
昼休みに学校を出たって事は一時間前には俺の家に着いている計算になる。
なんてこった。
俺は尾花に礼も言わずにすぐさま教室から飛び出した。立石のことだ。家の周り未だうろうろして
いる可能性もある。今すぐに行けばひょっとして会えるかも知れない。
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「行ってらっしゃーい」
尾花はすでにその姿を廊下の彼方に消している飯尾に向かってぷらぷらと右手を振った。
「ま、もとよりあたしゃ心配してないけどね」
尾花は最後のコアラのマーチを空中に放り投げて器用に口で受け止めた。
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今、来たばかりの道を再び、駆け抜ける。
往路のあの全力疾走は一体なんだったんだろう。
なんて無駄なことしているんだろうと思うんだけど、足が止まらない。とてもじゃないがゆっくりと歩
いてなんかいられない。
足の筋肉が吊りそうだ。
肺が焼き切れそうで、心臓が爆発しそうだった。
だが、ペースは全く弛めずに一目散に駅まで駆け抜け、電車に乗る。
駅での待ち時間と、電車に乗っている時間だけが休憩時間だ。
だけど、自宅までの間、正直ほとんど覚えていない。
景色が後ろに流れていっていることと、いろいろうだうだしたことを考えていたことだけは覚えている。
気が付いた時にはぶっ倒れそうなくらいに疲労困憊した俺が自宅の前に居た。
さすがに勢い良くドアを開ける力は残っていなかった。
へろへろ状態の俺は引きずるようにドアを開ける。
だけど玄関にある靴の種類と数だけはすかさず確認した。
――見慣れない靴は、無い。
ということは立石は今、俺の家には居ないということになる。
「あらあら直斗。早かったわね」
お袋だった。
取り込んだ洗濯物をかご一杯にして、ちょうど、どたどたと二階から降りてきたところだった。
……立石が来たかどうか、お袋には凄まじく訊きにくいがここは訊かねばならない。
「あのさ。誰か、来た?」
「うーんと、そうね。新聞の集金と宅急便屋さんが来たけど」
……質問の仕方が悪かったかも知れない。
「あの、俺の知り合いが来なかった?」
するとお袋はにたあっっと嫌らしい笑みを口元に浮かべる。
「ふうん。男の子? 女の子?」
平日の学校やっている時間にそんなに俺の知り合いが来るかっ! と突っ込みたかったが、そんな
心の余裕は今の俺には無かった。
「立石だよ。ほら前来ただろ。眼鏡掛けた女だよ」
お袋は嫌らしい笑みを絶やさずに答える。
「ああ、あの子ね。確かに来たわよ。ずいぶん綺麗になったよね」
やっぱり来たんだ。
「で、どれくらい前に来たんだ? それでどこへ行ったか知らない?」
「知るわけないじゃない。来たのは確か……二時くらいかしら」
俺は時計を見る。
今は四時半。
……ってことはもう二時間以上経っている計算だ。
「で、そいつ……立石は何か言ってた?」
「ううん? 別に。あんたがいるかどうか訊かれただけよ……ちょっと待ってよ。とするとあんた今まで
どこに居たの? あ、ちょっと!」
お袋の言葉を最後まで訊いている暇は無い。俺はまた駆け出していた。立石がこの次に行く場所。
そんなもの想像が付かない。とりあえず、俺は立石の家へと向かうしかない。
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もうとっぷりと陽が暮れ掛けている。
腕時計を見た。五時二十分。
ようやく立石邸に到着する。
俺は膝に掌を置いて肩で呼吸をする。
疲れた。
俺、何か今日一日で一年分くらいの運動をしたような気がする。
震える指でなんとか呼び鈴を押す。
「はーい」
美奈だ。前回と同じパターンだが、少しほっとする。
ゆっくりと扉が開かれ美奈が俺の顔を確認すると驚いたように息を飲んだ。
「飯尾さん、どうしたの?」
「いや、立石は帰っているかな、と思って」
美奈はいろいろ思考しているようで肘に手を当てて数刻俯いていたが、すぐに顔を上げる。
「まだ帰ってない、けど。飯尾さん、お姉ちゃんと会っていないの?」
俺は頷いた。
今日学校をサボって立石とは会ってもいないことを話した。もちろん壬生の事は隠してだけど。する
と美奈は得心したように頷いた。
「……そう。じゃあ、ウチで待っていれば? 飯尾さん。どのみちそのうち帰って来ると思うし」
「ああ。そうだとは、思うけどさ」
俺は立石の行きそうな場所を訊いてみた。とりあえず、今は待つってことは出来そうにない。絶えず
身体を動かしていないとどうにかなってしまいそうだった。
「お姉ちゃんの行きそうなところ? そうねえ、図書館、本屋、駅前のコンビニ、あとは……」
そして美奈は最後の一つを付け加えた。
そこだ。
俺は直感した。そこに違いないと。だいいち今の俺がそうなんだから。
「あ、でも今日は違うよ。あそこは毎週火曜日と金曜日だから」
「いいから。一応、行ってみてみたいんだって」
俺は美奈にそこの場所の行き方を訊くと一目散に走り出す。
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「頑張ってね、飯尾さん」
美奈は走り去って行く飯尾の後ろ姿を見送りながら、そう呟いた。
「きっと会えるよ」
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今、俺はその建物の前に来ている。
今は六時十四分。
もう辺りはすっかり暗闇につつまれている
途中、一応コンビニ、本屋の中を覗いてきたので少し時間が掛かっていた。
この二階か。
俺はその建物、この地域の公民館を見上げる。
二階の窓からは煌々とした光が漏れている。
俺は疲弊しきった身体に最後の鞭を入れて扉を開けた。
その広い板張りの空間にはただの一人しか居なかった。
その一人の人間の呼気と衣擦れの音、そして空気を切り裂くような鋭い音だけが響いていた。
俺はその光景をぼうっと見ていた。
基本形をひたすら反復しているらしく、何種類もの突きや蹴りを繰り返し、往復しているだけだったが
その迫力に圧倒されていた。
そのだだっ広い空間に立石しかいないのに、立石は恐らくその空間の一パーセントの体積も満た
ないはずなのに、この道場一杯に立石が充満しているような迫力だった。
一つ一つの動きが素早く、気持ちが入っていて、立石の目の前の空間にまるで見えない敵がいる
ような錯覚に陥る。
そして綺麗だった。猫科の大型肉食動物を思わせるようなしなやかさと、なめらかさ。
そして飛び散る汗。
正直、見とれていた。
何時間も見ていても飽きないと思った。
と、その時、ふいに立石が俺の視線に気が付いた。
目と目が合う。
立石は驚いたように身体の力を解いた。と同時に今までの緊張感も迫力もすっと気失せた。
「飯尾」
立石は道場の真ん中に立ち尽くして俺の方を放心したように見つめていた。
「どうして」
そして額の汗を道着の袖で拭く。
「どうして、ここが分かった」
「いや、なんとなく」
俺は道場の中に足を踏み入れる。
神聖な場所に土足で入るようで――もちろん、靴は脱いでいるが――何か恐縮してしまう。
少しずつ、一歩一歩立石に近づく。
今まで激しく運動していたせいか、それとも眼鏡を掛けていないせいか、立石の表情にあの冷たさ
を感じない。
真正面まで近づいた。
立石の瞳は俺の目を見ている。でもそれは凝視しているのでも、睨んでいるわけでもない。ただ、
見ているだけだった。
その視線の意味は分からない。放心しているような、安堵しているような、でも緊張しているような。
そんな微妙な視線だ。
「今日、学校どうしたんだ」
立石は俺のガクランを見て不思議そうに言った。
「サボった」
「どうして」
「なんとなく」
「ふん」
立石はそう言って俺を道場の端へと促した。そこには畳が積み上げられていて腰が掛けられそう
になっている。どうやら柔道のサークルが練習する時用の畳らしい。俺達はそこへ腰掛ける。
「立石さ、俺のこと探していたんだろ」
「ああ。別に。何でもない」
立石は視線を合わさずにそう言う。
何でもないってことはないだろう、と思ったが、今日会いに来たのはそれが問題じゃあない。立石
の方に用はなくても俺の方に用があるんだ。
「立石」
俺は座ったまま上半身だけ立石の方に正対させた。
そして唾を飲み込む。
深呼吸をして心を落ち着ける。
「俺」
……覚悟を決めた。
「立石が好きなんだ」
「な!」
立石は小さく悲鳴のような声を上げた。
「と、突然、何だ!」
「もう嘘にしか聞こえないかも知れないけど、何言っても駄目かも知れないけどさ」
「そんな」
立石は辛そうに俯く。
「信じてくれなくてもいい。だけど、俺、立石のことが好きなんだ。立石と離れているとたまらなく不安
になる。立石に嫌われたと思うと胸を掻きむしりたくなる。俺、いつの間にか立石のことが好きになっ
ていたんだ」
そこまで言って俺は立ち上がった。
立石は俯いたままだった。視線を合わそうともしてくれない。
やっぱり駄目だったか。
遅かったんだな。
「ごめん。勝手に言いまくっちまって。だけどこれを言わないで終わりにしたくなかったんだ」
俺はくるりと立石に背を向けると道場の出口に向かって歩き出した。
しょうがない。恋愛ってのは一人でやるものじゃないんだから。
自分と相手、その二人の心が同じじゃないと出来ないものなんだから。
いくら俺が好きでも相手が嫌いだったらそれはすでに恋愛じゃない。
とりあえず、自分の本心だけが伝えられて良かった。
自己満足かも知れないけど。
「待て」
強い口調の声が背中にかけられた。
俺は足を止めて振り向く。
「尾花と美奈に言われた」
俯いたままで立石はぼそりと呟く。
「美奈には『じゃあ、今のお姉ちゃんの気持ちはどうなのよ』と言われた。尾花には『じゃあ、この
まま終わっていいんだね』と」
立石はそこまで言いきると何か決心したように顔を上げた。そして俺の顔を決然と見上げた。
泣いていた。
鉄仮面の立石が泣いていた。
頬に涙を伝わらせて泣いていた。
立石に初めて逢った時――罰ゲームで告白した時に一度だけ目を潤ませていたことがあったが、
ここまで感情を露わにして泣いているのは初めて見た。
「『終わって』いいわけないじゃないか。『好き』に決まっているじゃないか! 私だって飯尾が好き
だよ。離れたくないよ。嫌われたくないよ」
そう言って立石が泣きじゃくる。
俺はそんな光景を見て驚いていた。
正直、こんな立石は見たことが無かった。いつもの毅然とした立石ではなかった。さっきまでの周り
を圧倒するような立石でもなかった。
俺の前に居たのは、本当にか弱い女の子だった。
鉄仮面は言い得て妙だったのかも知れない。
立石は外界から身を守る為に仮面を被っていたんだ。そうそれこそ鉄のペルソナを。その脆弱な
心を守るために。
俺は今まで張りつめていた心が急に緩んだせいか、身体の力が抜けた。そしてへなへなと立石の
前に座り込む。
実際、ほっとした。
あれだけ、何日もうだうだ悩んでいたのが、ほんの一瞬で解決してしまったのだ。
会って良かった。
話をして良かった。
考えたら一人でいろいろ悩んでもしょうがないことだった。
恋愛とは二人ですること。
それはさっき自分でも思ったことじゃないか。
立石は頻繁に涙を拭きながら口を開く。
「飯尾は。飯尾は何で私のことが好きになったんだ。信じられない」
「どうして?」
「こんな可愛げのない女のどこがいいんだ?」
「じゃあ、さ。立石は俺のどこが気に入ったんだよ。こんなくだらない男のさ」
立石は黙って涙の溜まった瞳で俺を見上げる。
「俺だって信じられないよ。勉強も保健委員の仕事も中途半端で、部活をやっているわけでもない
し、何かに打ち込んでいるわけでもないし、バイトをしているわけでもない。こんななんでもない男の
どこがいいの?」
「それは……」
立石は何かを言い出そうとした。
『好き』ってなんだろう。
例えば男性が女性を好きになって、その理由は何? と訊くと「可愛いから」とか「性格が」とか
「好みのタイプだった」とか言うがそれは全て単なるきっかけに過ぎないような気がする。
心が震えた瞬間。抱き締めたくなる瞬間。満たされる瞬間。
あの時の心の感じは一体なんだろうか。
その心の感じ『好き』は一体どこから来るんだろう?
――立石がそこに存在すること。それが好きになっていた。
その『好き』ってなんだ?
どうして、俺は立石と一緒に居たいと思うんだろう。
「理由なんて無いよ」
立石が俯き加減に恥ずかしそうに呟いた。
ああ、そうなんだよな。
『好き』って理由が無いんだ。
『好き』って感情は、本当、天から降ってきたようなもの。
たぶん、高い空から落ちてきた羽根のようなもの。
何億と云う数の羽根が無限の軌道を辿って降ってくるのを受け止めるようなもの。
たまたま自分の掌の中に落ちてきた、暖かいもの。
「それだけで、いいんだよ、な」
俺は座っている立石の前で中腰になると立石の顔を覗き込んだ。
「今、俺すっげえほっとしている。立石が俺と同じ気持ちだってことが分かってさ」
立石は目を泣き腫らしたまま口元に笑みを浮かべた。
最高の笑顔だった。
この笑顔が見られて良かった。
俺は目を閉じてゆっくりと唇を近づけた。立石も瞳を閉じる。
唇が触れた瞬間、身体が軽く痺れた。
この感じ。
この心の揺れ。
理由なんてあるはず、ない。
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ゆっくりと唇を離し、その瞳をしばらく覗き込んで、柔らかな気分に浸っていると、ふいにどうでもいい
ことを思い出してきた。
そうだ。
あいつ。
あの男。
立石と並んで歩いていたあのイケメン野郎は何だったんだろう。
止せばいいのに、俺はついつい思ったことを口に出してしまった。
「ところで立石さ。この前すれ違った時に立石の隣に居た男、A組のヤツだよな」
「ああ」
「あいつ何なの?」
「だからA組の男子生徒じゃないか」
「いや、そういうことじゃなくて」
立石は俺から少し距離を取って探るような目で俺を観察する。そしてしばらくして何か合点がいっ
たように頷いた。
「飯尾、ひょっとして嫉妬しているか?」
「ばっ!」
莫迦と言おうとしたが、良く考えたらその通りだ。だけど、それを素直に口に出すのも癪に障る。
俺がそんな複雑な表情をしていたら立石は
「何でもないよ。体育科の荒島に言いつけられたんだ。第二グランドの倉庫からサッカーで使う
コーンを取ってきてくれって。それでたまたまその場に居た、あの男と私が頼まれただけだ」
と、さらりと返した。
「本当に?」
「ああ。だいいち私はあの男の名前すら知らない」
本当に莫迦なのは俺だった。訊いてみればこんな何でもないことに振り回されていたなんて。
名前も知らない男のことで落ち込んでいたなんて。
俺がそう安堵していたのもつかの間、思いも寄らぬ逆襲に遭う。
「それはそうと」
立石はいつになくおどけた口調で問い掛ける。
「飯尾はあの時、壬生と一緒に居たが?」
ぐ。
「なんでもねぇよ」と言いかけたが、遊園地のことが心に引っかかった。
もう、立石には嘘は付きたくない。
「正直言うと、今日学校サボって壬生と遊んでいた。だけどなんでもねえよ。途中で断って立石に
会いに来たんだから」
と軽く流すように言った。
軽く言ったつもりだったが、立石は相当動揺しているようだった。挙動不審にしきりに髪の毛を指で
梳いたり、視線を逸らしたりして口を閉じてしまった。
しまった。失言だったかも知れない。言わなくてもいいことだった。
「おい、立石。壬生とは何でもないよ」
俺はあわてて補足する。
「その割にはいつも一緒に居るじゃないか。実際、可愛い子だし。バレンタインにはチョコも貰って
いたんだろ?」
……どうしてこう情報が筒抜けなんだろう、ウチの学校は。身近にスパイでもいるんじゃないだろう
か……。
……居た。言うまでもなくお喋り広告塔の北村、尾花ホットラインに決まっているじゃないか。
ええい、今はそんなことはどうでもいい。
「だいたい、その遊園地、私は行ったことが無い」
「じゃあ、今度行こうぜ。分かった。全部おごるからさ」
「ごまかそうとしてる」
立石は駄々っ子のように首を振る。
ああ、もう! どう言ったらいいのかなっ!
「だから、俺は壬生じゃなくて、立石が」
少し焦れてそう力説しようとした時、俺はあることを思いついた。
俺はおもむろに立石の前で立ち上がった。
そして深々と頭を下げる。
「『立石真美さん、あなたが好きです。俺と付き合って下さい』」
「え?」
立石は目を丸くした。そしてしばらくしてようやくその意味を悟ると玩具でも見つけた子供みたいに
目をきらきらさせると小さく口を開いた。
「『いいよ』」
「『本当に?』」
「『ああ』」
「『嘘じゃなくて?』」
「『しつこいぞ』」
そう言って立石は拳を握って軽く俺の頭を小突いた。
そしてその状態のまま俺の頭に自分の頭を押しつけて呟いた。
「本当に私でいいんだな。他の誰でもなくて私で、さ」
「ああ。……そして俺でもいいんだな」
こくりと立石が頷く。
これからだ。
これからが俺達の本当の始まりだ。
多分、これからいろんなことが俺と立石との間に降りかかるだろう。
でも俺達はこれから一緒に学んで行けばいいんだ。
そうレッスンでもするように一つ一つ。
立石と一緒ならそれは出来るような気がする。
そして泣き笑いの立石は目を指でそっと拭うと最後にこう付け加えた。
「で、『付き合う』ってどうすればいいんだ?」
と。