コッキリのインドホームステイ記
2001年2月11日版
西武線地域・井内F・コッキリ
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★出発までの話★
インドパイオニア交流の募集があった時、即、行くことを決めた。インドにはいつか行きたいと思っていたし、ホームステイで行けるチャンスなんてHIPPO以外ではまず無いし、2回目があるかどうかわからないし、あっても行けないかもしれないし…。
最初の準備会に行ってみて驚いたのは、まだ申込みが定員の10名に満たなかったこと。僕は申込みが殺到しているのではないかと思っていたのに。でも、人数はすぐに10名になった。この10名のメンバーが、みんなしっかりしていて、今回の交流は楽だった。たとえば、行きの飛行機の中で色紙を作ろうとか、Partyで日本のお菓子を出そうとか、そういったことが直前に決まってもちゃんと用意してくるし、飛行機の搭乗手続きも、みんな自分でどんどんするし、What’s HIPPOやSADAも、楽しくできるし。それに、初めての交流で、しかもインドという国で、誰も事故や病気や盗難にあわなかったのも、各自がしっかりとしていたからだと思う。(ドンさんがパスポートをホストファミリーに預けたままで家を出てしまった、というハプニングはあったけど。)
それと、今回の交流の準備が前に僕が参加した交流と違っていたのが、e−mailの存在。メーリングリストをつくって、情報交換した。、今回の交流はパイオニア交流だから、出発前に決めなくてはいけないこともたくさんあったし、直前まで飛行機のチケットがとれなくてバタバタしていたこともあったし、人数も10名と少なかったから、メーリングリストはとても役にたった。でも、郵送やFAXとは全然違う、情報の速さと量に、人間がついていけなくなることもあったので、必ずしも必要ではないと思う。今後の交流でも、メーリングリストを作るかどうか、ってのは難しい問題かもしれない。
まあ、とにかく、出発直前までいろいろな問題はあったけど、10名のメンバーが1人も欠けることなく出発できたのは、好調なすべり出しだった。
★写真左:10人がそろっている貴重な写真。(帰国した時の成田空港で。)★
★中身の濃い交流…1回で2回分?★
期間は2000年12月28日〜2001年1月5日、ステイ地はデリーの近くのFaridabadと、ムンバイの近くのPuneで、それぞれに3泊。受け入れてくれるのは、AOTSのメンバーで、日本に研修に来たことがある人がほとんどだった。
最初のステイ地Faridabadの3泊のホームステイが終わり、国内線の飛行機で2時間、次の目的地のPuneに向かう飛行機(これがすごい揺れて面白かった。)で、疲れ果てているわかちゃんを見て、僕の口から思わず出たことば。「普通の交流だったら、これで飛行機降りたら成田だよね。」
ほんとうに、前半だけでも、わずか3日だけとは思えない内容のつまった交流だったと思う。成田から飛行機に乗って10時間、降りたらすぐに対面式、ホームステイ。翌晩も翌々晩も遅くまで「踊るマハラジャ」のようなParty。昼はAOTSが企画してくれたデリー観光もあって、僕達は朝から晩まで大忙しだった。わかちゃんは声が全然出なくなってるし、アーニャも疲れていたし、ドンさんは出発前からの寝不足がずっと続いていた。(僕はマイペースで、毎日よく寝てよく食べて、インドに来てからどんどん健康になっていたけど。)
でも、Puneに着いて、対面式でのホストファミリー達の熱烈な歓迎を受けると、みんなの疲れはふっとんだ。また1から始まるホームステイ。一緒にやったセブンステップスが、とっても楽しかった。僕のホストファミリーの子供達は、ステイ中、時々思い出したようにone,two,three…と歌っていた。
★写真左:とっても楽しかった、Seven Steps。★
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