インドに着いて、対面式でヒンディー語で「What’s HIPPO?」をうたった時、会場の雰囲気が一気に変わった…ような気がした。たぶん。僕たちの話すヒンディー語が、ちゃんと受けとめられているのが分かった。
家についてからも、さっそく自己紹介アルバムを出して、「ナマステ.メラナム…」と自己紹介を始めると、それが当り前のように全部つうじちゃって、嬉しかった。
でも、家族の誰もが、僕に英語で話しかけてくる。4才の子でさえ、英語で。それに、家族どうしの会話を聞いていると、ヒンディー語だか、パンチャビ語だかわからないことばに混ざって、英語も使ってる。あれれ?僕がいるから、気を使って英語も使っているのかな?と思ったのだけど、それにしては、内容が僕に関係ないことだったり、英語と英語以外のことばの切替が突然起こったりする。
次の日には、飼い犬のフリスキーにも英語で話していることがわかった。パパの会社に一緒についていった時に、商談しているのを隣で聞いていたら、ある人と話す時にはヒンディー語(かどうか、確信無いけど、英語じゃないことば)、ある人と話す時にはすべて英語だった。
さらに、2軒目のホストファミリーの12才と8才の子供達は、English Schoolに通っていて、全ての授業を英語でうけているということだった。8才の子は、英語は読み書きできるけど、マラティ語は読めない、って言っていた。3軒目の家でも、インドのずっと東から来たという友達がいて、その人とホストファミリーは英語で話していた。
このような姿を見ていると、インドの人にとって、ことばは、その時に、その人と、一番コミュニケーションをとりやすいものを話せばいいのであって、あまり、何語、何語、というのは関係ないんだな、ということを実感した。最後の日に聞いた誰かの感想にあったけど、「△△語で○○って、□□語では何て言うの?」と問いかけた時に、とっさに返答できないことがあったということ。そのことを言うのに一番フィットすることばをいつも使っているから、それ以外のことばにあえて翻訳することは難しい。そして、それをうけて、アメリカ在住のケンシさんのところの子供が、学校のことを話す時には英語でしか話せない(学校では英語だから。場面にことばがついているから。)のと同じだね、ってBird(一緒に行った本部コーディネーター)が話していたのを、今、思い出した。
それともうひとつ、やはり最後の日のホテルで、Birdが「ことばの切替が、単語単位じゃなくて、もっと大きな単位で起こる。」と言っていたんだけど、そういえば僕も同じ経験をしていた、と、思い出したことがある。
それは、Faridabadの家に着いてすぐ、家族で話をしていた時のこと。ヒンディー語だかパンチャビ語だかで家族が話をしているうちに、話題が、僕のデジタルカメラのことになった。なんでデジタルカメラの話をしているのが分かったかというと、ことばが突然英語に切り替わったからだ。たぶん、デジタルカメラに使われる用語がヒンディー語には無くて、英語のほうが話しやすいからじゃないかと思う。
でも、日本人が日本語でデジタルカメラの話をする時って、「スマートメディアにデータをセーブする。」って感じで、日本語をベースにして、その中に英語が混ざっているけど、それに対してインドの場合は、ヒンディー語の中に単語として英語が出てくるのではなくて、会話全体が英語になっているのだった。
話は戻るけど、そういうわけで、僕はステイ中、ほとんど英語で話した。もちろん、「おいしい(ヒンディーでアチャカナ、マラティでチャネイ)」とか、「ありがとう(ヒンディーでもマラティでもダニャワ)」とか、を言う時には、ヒンディー語やマラティ語も混ぜたけど。(こういうことばを言うと、相手の顔が輝いて、とても嬉しそうだった。)でも、たいていのことは英語で話をした。ほかの人達も、だいたいそうだったみたい。みんなとにかく、英語でしゃべりまくっていた。ドンさん(一緒に行った奈良のお父さんメンバー)は、こんなに英語を話したことは無い、と言っていたけど、実は僕もそうだった。観光で行った香港を除いて、英語圏の国に行ったことは無いし、今までホームステイした国でも英語を使ったことはなかった。こんなに英語をたくさん話して、聞いたのは生まれて初めてだったのだ。でも、不思議なことに、なんの不自由もなく会話が成り立っていた。
「英語がとってもうまくなった(ような気がする)。」というのが、今回のステイでの、ことばについての僕の感想。 でも、この(ような気がする)というところがミソで、実は、僕が話した英語はそれはめちゃくちゃな英語だった。たとえば、使い捨てカイロの説明をする時、”24時間”を”24times”と、timeとhourを間違えていたり、お土産を選ぶ時に”(あなたが)選んで。”を”Please choose”と、現在形と過去形を間違えたり、なんて当り前。自分では気づかない間違いも、いっぱいあったと思う。それでも、どんな英語でも受け入れてくれる、インドの人達のことばに対する感性というか、能力というか、それがすごいと思った。
聞くほうも、インドの人の話す英語は、クセがあると言われているし、ほかの人のホストファミリーも、すごい訛りのある英語を話していた人もいたみたいだけど、僕のホストファミリーはいずれも、聞き取りやすい英語だった。1軒目の家では、ホストの義理の息子(長女のご主人)が4年間アメリカに住んでいたし、長男も今度カナダに行くとかいうことだったし、2軒目も、子供達がEnglish Schoolに通っていたし、ということもあるかもしれない。
せっかくインドに来たんだから、ヒンディー語にどっぷりとつかりたい、ヒンディー語だけ聞いて話したい、などというカタイ頭の人は、今回のメンバーにはいなかった。みんなその場に応じて英語やパンチャビ語やマラティー語や日本語を織り交ぜながら、とにかく話をしていた。「ことば」だけをやっているのではなく、まず「人間」があるというHIPPOならではの姿だと思った。
僕自身も、実はインドでは英語で話せたらいいな、と思っていたので、あれだけ英語にどっぷりとつかることができて、満足だった。