★パーティのこと

 インドに着いて次の日の夜も、その次の日の夜もパーティ、というのは出発前からわかっていた。でも、あのようなパーティだとは、想像していなかった。出発前にどのように想像していたかというと、AOTSの偉い人の挨拶があって、HIPPOの紹介をして、SADAを2曲ぐらいやって、日本とインドがそれぞれ出し物(歌とか、お茶とか)をして、2時間くらいで終わりかな、と思っていた。実際、今までのホームステイ体験、インドネシアでもマレーシアでも上海でも台湾でも、だいたいそんな感じだった。ところが、インドのパーティはちょっと違った。

 Faridabadでの最初のパーティは、日本とインドの文化交流が中心、ということになっていたけど、実際には、集まって、飲んで、話して、踊って、食べて・・・インドの人たちはとても陽気だった。途中、僕達が時間をもらってWhat’s HIPPOを始めると、みんな好奇心のかたまりで見てくれた。みんなで歌った日本の歌、僕とBirdのリコーダー、わかちゃんのお茶、どれも大成功だった(と思う)。リビングルームを使って書道もした。最後はみんなで踊りまくって、おいしいバイキング形式のご飯を食べて、みんなが帰りだしたのが夜の11時過ぎ。かれこれ3時間以上たっていた。でも、みんなが帰って12時を過ぎても音楽は鳴りつづけていた。

★写真左:What’s HIPPO。出発前に借りた、ヒンディー語のサンプルテープでタイトルを歌うと、大ウケでした。HIPPOの説明はみんなで手分けして、英語でしましたが、ドンさんがヒンディー語で空港と手紙をうたいました。★
★写真右:日本の歌を歌いました。★


★写真左:わかちゃんの茶道。★
★写真右:書道。日本に来た事があって漢字を知っている人もいました。でも、“勤”賀新年を書いたのは誰?★

 このパーティには、デリーでの空港の出迎えを始め、ステイの世話をしてくれたAOTSの宮本さん夫妻や、12月に日本に来ていた時に、同じ職場にいたチェミッソFのカッセが井内Fに連れてきてくれたヴィニートさん夫妻も、わざわざやってきてくれた。
 会場が僕がステイした家だったので、セッティングから見ていたんだけど、テーブル、イス、舞台、音響、照明、料理、食器、すべてを専門の業者が運び込んだ。だから、家の人は何も用意する必要無し。スピーカの大きさに驚いたけど、理由は夜にわかった。ダンスをするために、ディスコのような音響と照明が必要だったのだ。CDをかける装置と、それを操作するDJの若者も一緒についてくる。

★写真左:宮本さん夫妻と。★ ★写真右:DJの音響装置と操作する若者。★

 翌日のパーティは、オグリッツァがステイしている家で、同じような形式で行なわれた。この日はダンスパーティ、ということで、庭にはダンス用のステージが用意され、昨日にもまして大きなスピーカが鳴り響いた。あいにく雨が降ったり止んだりで、停電もあったたけど、みんな多少の雨はものともせずに踊った。このパーティではWhats’s HIPPOはしなかったけど、日本のお菓子や料理を出したりした。


★写真左:雨の合間をぬって、踊りまくる人々。★
★写真右:日本食を食べてもらおう、と炊き込み御飯を作ってきたわかちゃん。★

 この2回のパーティ、とにかくインドの人のパワーにびっくりした。でも、僕達のためにわざわざパーティをひらいてくれたわけではなく(もちろん、僕達のため、という理由がまったく無いわけではないだろうけど)、こういうパーティは、しょっちゅうやっているらしい。
 余談だけど、インドの人も日本人も踊っている中で、実は、僕と僕のホストファミリーは踊ってなくて、似たような人間がうまくマッチングされてるなぁ、と思った。

 Puneでも最後の夜にパーティがあったんだけど、こちらはFaridbadの2回のパーティとはちょっと違う雰囲気だった。ホストファミリーの有志によるインディアンダンスを見せてもらったあと、What’s HIPPOをやって、あとは食べて、歌って、だけど、ディスコのようなダンスはなかった。最後にセブンステップスをやったら、すごく盛り上がった。


★写真左:4回目のWhat’s HIPPO?★
★写真右:かわいいダンスを踊ってくれた、女の子。★

その8へ

インドパイオニア隊 目次へ