8月17日 木曜日 その2

(Bogor大学にて、ホストと対面、ホームステイ1泊目。)

2時、出発、3時にBogor大学に到着。すでにホストの大半が待っていた。大学の教室で対面式。わかちゃん(東京・西武線・井内Fのフェローで、今回の交流のコーディネーター)が簡単にヒッポのことをBahasa Indonesiaで紹介した(つもりだったが、ほとんどマレーシア語になっていた)。そして、各自ホストとともに各家庭へ。散り際に、わかちゃんが「今晩は私の家でパーティがあるから、みんな来てね。」と叫んでいた。
ホストとの対面★ボゴール大学にバスが到着すると、ホスト達が待っていた。★

今回、半分くらいのメンバーは2軒の家にステイすることになっており、僕もそうだった。対面式には両方のホストが来てくれていた。1軒目のホストはSubagioさんというおじさん、2軒目のホストはDarwinさんという独身男性。

大学から家に行くとき、SubagioさんはMotor(モトル、オートバイのこと)で来ていたので、僕も後ろに乗って一緒にどうか、と聞かれたが恐かったので遠慮した(笑)。で、アッコさん(鎌倉の川上さん)のホストの車でDarwinさんも一緒に送ってもらった。(Subagioさんの家には車がTidak Ada(無い)だったのだった。)

Subagioさんの家は、大通りから横の幅1m位の細い道に入り、100m位奥に入ったところだった。道の両脇にはあまり裕福ではなさそうな家が建ち並び、家の外で涼んでいる老人や、裸足で遊んでいる子ども達がいた。Subagioさんの家も、部屋数はあるけど、それほど立派な家ではなかった。
Subagio宅前★Subagioさんの家の前の道★

家族は奥さん(ムーランさん)と、中学2年の娘Aiちゃんと中学1年の娘Tiaちゃん。
アヤ&イブ★左:Subagioさんと、奥さんのムーランさん★
Ai&Tia★右:AiちゃんとTiaちゃん★

お手伝いさんはいないようだった。家の裏に学生が下宿している部屋が6部屋位あって、そのうちの1部屋が僕の部屋だった。部屋に入るなり天井にヤモリを発見(笑)。そうか、これが噂のトッケーか、とその時は思ったのだが、実はこの小さい(10cm位)ヤモリは、Cicak(チチャ)といい、Tokek(トッケー)とは別のものだった。Tokekは、2軒目の家で見ることになる。
部屋★左:ここが寝室。母屋とは別の棟で、平屋のアパートのような感じ。ベッドの中央に載っているのが、「抱いて寝る」ための長いマクラ。(寝冷え防止らしい)★
チチャ★右:部屋の中にいたチチャ(ヤモリ)。外出して部屋に戻ってくると、天井や壁に1〜2匹張り付いている。★
Subagioさんは、1984年に日本に研修に来ていたということで、日本語がかなりできた。ムーランさんは、日本語は話せない。でも、すごいおしゃべりなお母さんで、Bahasa Indonesiaのシャワーを浴びせてくれた。2人の娘は年頃のせいか、恥ずかしがってあまり話さなかった。
Darwinさんも日本に研修に来ていたことがあり、今は日本語の先生もしているということで日本語が上手で、この日はずっと通訳をしてくれて、帰るときも、何かあったら家に電話してください、と言って帰っていった。
夜の7時頃まで、おみやげを渡したり、Kamar mandi(マンディーの部屋、すなわち水浴びとトイレの部屋)の使い方を教えてもらったり、いろいろ話をしたりした。
マンディ1★左:この大きな水桶には常に水がたまっていて、1日4〜5回マンディ(水浴び)をする。トイレの後も、この水で洗って、流す。★
マンディ2★右:これが、うわさのトイレ。僕の所は、こうして使い方を教えてくれたけど、そうでない人は、どちらが前だかわからなかったとか。★

7時ちょっと前にみんなで車に乗って、わかちゃんの家のパーティに行った。僕は、今回のホームステイに関係する人だけの一品持ち寄りパーティのようなものを想像していたのだが、着いたら体育館のような会場に数百人の人がいて、ステージではバンドが演奏したり、伝統的な舞踊をしたりしていてビックリした。わかちゃんのホストはBogorにあるUNITEXという会社の偉い人で、今日はちょうどIndonesiaの50回目の独立記念日なので、会社をあげてパーティをしていたということらしい。
パーティ1★左:わかちゃんの家のパーティ。体育館の舞台では、民族衣装に身をつつんだ子供達が歌っていた。★
パーティ2★右:客席。ヒッポのメンバーも、ほとんど来ていた。前列向かって一番右がつくばのモリタン。左にいるホストのママに化粧されて、衣装を着せられたとか。右から4番目がわかちゃん、その左がホストのスラマトさん。★

サテアヤム★パーティで食べた夕食。右がSate Ayam(ヤキトリ)。中央はLontongといって、お米をバナナの葉で包んでゆでたもの。左のビニール袋に入っているのは、Empingという、せんべいのようなもの。★

パーティから帰る途中、Pasar(市場)のようなところで果物とおやつを買って帰った。
市場★左:市場の屋台。★
おやつ★右:市場で買ったおやつ。わかりにくいけど、左の皿には2種類の食べ物があって、左がPisang Goreng(ピサンゴレン、バナナを揚げたもの)、右がTahu Goreng(タフゴレン、豆腐を揚げたもの)。右の皿はLengkeng(レンゲン)という果物。皮が厚いけど中身はブドウのような味。中国産らしい。★

家に着いてから、Ayah(お父さん=Subagioさん)や下宿している人と話をしたりして、結局寝たのは11時半過ぎ。ベッドで、長いマクラを抱いて寝た。寝る前にIbu(お母さん)が電気蚊取りを持ってきてくれたので、蚊に悩まされることはなかった。

(続く)

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