−帰国してから、今、思っていること−

 帰国してから上斗米正子さんと電話で話していた。赤瀬川隼さんが先日直木賞を受けられ、その祝賀会に行ってきたけど、すごく沢山の人、有名人がいっぱいでびっくりしてしまったとこのこと。
 一番印象に残ったことは?とたづねると、即座に“井上ひさし氏の祝辞の中で、隼さんの作品は野球のことを通して人間のことが書かれていて、ドロドロしたこともあるけど、その野球をしている中に“いつもそこには青空が見える”と言われたこと!!”と言ってくれた、その言葉をきいた時、パッと私の頭にヒラめいたのはイズマジ会長の“それは美しい!!”という言葉だった。
 隼さんはヒッポ創立以前からこの活動に関わっておられた方だし、長女は藤村由加の1人で私達の仲間。何か私達が賞を受けた様な気がして、ことのほか嬉しかった。そう、ヒッポも同じことをずーっとやってきているな、と思ったのです。

 帰国後、多言語Tapeを聞いていて、不思議なこと‥‥‥インドネシアでは1度も使わなかったことば、韓国語、スペイン語、ロシア語etc.がクッキリしてきこえてくるのです。・・・・これは、どのことばも人間のことばだから、全細胞を開いて、ことばと人間にむかってきたインドネシアの体験は、全てのことばに影響を与え、全体を創りかえている様な気がするのです。  1つ1つのことばの積み重ねでなく、丸ごと全てを同時にやってゆく、その多言語活動がまた1つ見えた様な気がします。そして、このことを通して発見したことは、チビちゃんがよくSingAlongを歌ったり、ヒッポー ツァイ ハイ ワイ!と言っているけれど、このひとことの中に全ての多言語が含まれていることに気がついたのです。
 ヒッポの活動を通して、そのことばの音を言うことは、単に英語とか中国語を言っているのではなくて、11ヶ国語全てに影響を与えていくことばだったのだ!!ということです。確かに、“全体”は“部分”に作用するのですね。そして、その部分の中にはいつも“全体”が含まれている。  ふと考えてみると、このことは毎週のファミリー活動そのものその場だったのだ、と気づかされたのです。
 わけの解らないことばばかり‥‥‥と言って、大人は時々逃げたり落ち込んだりするけれど‥‥‥とりあえず丸ごと受け入れて、赤ちゃんのようにアーとかウーとか言いながら人に出会い、楽しくやっているこの空間こそ、まさしく“ことば”を育ててくれる最高の場所だったのですね。
 でも、大切なことは赤ちゃん(0〜2才位)のように!!というところ。(誰でも環境さえあればことばができるようになるという秘密はここにあるのです。)
赤ちゃんは (1)決して他人とくらべない。
そして、   (2)どんな中からも同じを見つけている。
そうですよね。2才位の男の子と道を歩いていて、どこにも自動車がないのにブーブーという。よく見るとポスターの中の豆つぶのような自動車の絵だったりするでしょ!そう、大人はすぐ、他人と比べたり異いばかり見つけてしまうのだけれど、それって、ことばができる方向ではなく逆方向。どこへ行っても、どんな人に出会っても、いつも(1)と(2)を忘れない様にしようと、私も肝に銘じて‥‥‥と思っています。

 たった1週間のインドネシア交流でしたが、こんなにいっぱいの宝物がころがっていました。(私の宝石箱にはまた1つ大きな宝石が入ってきたのです。)
 そして、つい先日ミニーちゃんとミラーちゃんが2人で電話をかけてきました。受話器のむこうから独特のイントネーションで“ワカチャン”がきこえた時、そのひとことで全てが解る気がしたのです。そして、お互いにテリマカシ バニャばかり言い合っているだけなのに、沢山話した気になるのも不思議!!
 また、先達パパから手紙が届き、その宛名を見て驚きました。何と、TO:Mrs WAKA−chanと書いてあるのです!!今まで沢山の人から手紙がきますが、WAKA INOUCHIの代りにこんな宛名で送ってきた人はパパが初めてです。(67才の、あの真面目なパパが‥‥‥)何となくみんなの真似をして言っていただけの パンギラン サヤ ワカチャン が、バスキさんやイズマジ会長がワカチャンと呼んでくれたり、こんなに力のあることばだったとは思いもよらないことでした。

 みんなの力で創ってゆくこの活動。これからもよろしく!!
   私も生命ある限り続けられたら嬉しいなぁ、と思っています。

テリマカシ バニャ スモア!!

1995.10.28.

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