Ogos 17,Sabtu(8月17日 土曜日)

   −−− ホストと対面。ステイ地、Tg.Karangへ。 −−−

8時起床。ホテルで朝食をとり、10時15分バスで対面式をするAOTSの事務所へ。そこにはすでにホストファミリー達が集まってきていたが、まだどの人が僕のホストだか、わからなかった。出発前に渡された調査表には、ホストの名前はArbaiyah、58才のおばあちゃん、家族は孫が3人で、全員女の子と書かれていた。でも僕は、この調査表は間違いで、きっと書かれていないけど同い年位の男の人がいるんだろうと思っていた。が、しかし・・・
AOTSの人やピロちゃんの話があってから、いよいよ対面。名前を呼ばれた順に前に出て、お互い満面の笑みで対面していったのであるが・・・。僕の番になって出ていくと、小柄なIbuはめちゃくちゃびっくりした顔で、言葉も出ず、握手もしようとしないではありませんか。
実は、ステイが始まって2、3日してIbuから聞いたのだが、Ibuはステイに来るのは女性だと思っていたそうだ。どういうわけだかIbuが知っていたのは僕の名前だけで、その名前が、マレーシアでは女性の名前を連想させるらしい。だから対面式で、ごつい男が出現して、びっくり仰天したというわけ。
対面式、Ibuと★写真左:びっくりしているIbuと対面。★
対面式、食事★写真右:対面式の食事。手前の色鮮やかな飲み物は、ライチのジュースとか。★

そのあと、皆で一緒に食事となった。Ibuは、僕のために料理を皿に取ってくれて、「Sila makan(食)!」と言ってくれた。これが最初の「Sila makan!」だった。そして、「うちには女の子しかいないけど、かまわないか」、とAOTS事務局の人の通訳をとおしてきいてきた。僕のほうは問題ないから「Tidak Apa Apa」と答えたけど(笑)・・・いいんだろうか。

対面式には、Cheeさん夫妻もきてくれた。ほんの2週間前にパペールの家にステイしていた人達だ。マレーシアでまた会えて、嬉しかった。

13時30分、いよいよTanjong Karang(略称はTg.Karang)に向けてバスで出発。ビルが立ち並ぶ大都市クアラルンプールから離れるにつれ、景色がかわっていく。椰子などの大きな木が並ぶなかに、高床式の家が出現してくる。(高床式といっても、数十センチから1m位のものだけど。)

15時20分、Tanjong Karangの中心地に到着。事前にピロちゃんの話で聞いていたより立派な町で、ケンタッキーフライドチキンだってあるし、銀行だってある。店の看板がマレーシア語のほかに中国語でも書いてあるのが不思議な感じがする。(後から聞いたら、商店経営はほとんどOrang(人) China(中国)だそうだ。)
商店街★街の中心部の商店。漢字がたくさん。★

ここでバスの旅はおしまい。メンバーはそれぞれのホストファミリーと共に自家用車で散っていった。

僕は同じ町、Sg.Sireh Utaraにステイするオスカー(仙台の久保君)の家の車に乗せてもらって移動。うちはTidak(不) ada(在) kereta(自動車)だったので、この時だけでなく、ステイ中もよくお世話になった。僕のIbuはMotor(オートバイ)で先に家へ。走っていく姿は58才には見えない。
MOTORに乗るIbu★Motorに乗るIbu。★

市街地からちょっと離れるとPokok(木) Kelapa(椰子)がしげる細い道になり、10分程で家の前に止まった。僕の家かな、オスカーの家かな、と思って「Turun(降)?」と聞いたら、「Ya.」と言って、全員降りた。実はどちらの家でもなく、ちょうど結婚式をしている家だったのだ。ここでも「Sila makan! Sila makan!」の攻撃。去年のインドネシア交流と違い、日本語で話しかけてくる人はおらず、みんなBahasa Malaysia。食事も手で食べるのが当たり前で、日本人だからといって箸やスプーンは出てこない。手で食べる。
(去年のインドネシア交流では、ホストファミリーは日本に研修に来たことのある人が多く、日本語が達者で日本での生活をよく知っている人が多かった。)
結婚式にて★花嫁、花婿さんと。向かって左端はHIPPOの仙台のメンバーで、オスカーこと久保君★
花嫁花婿さんと一緒に写真を撮ったり、家の中を見せてもらったりしてから、いよいよRumah(家) saya(私)へ。そこからほんの5分ほどのところだった。Sg.Sireh Utaraのメインストリート(と言っても、車がすれ違いできる幅で、舗装されているというだけ。途中イスラム教の寺院(モスク)と、小さな店が2軒ほどある。道の片側は水田が続き、もう片側には木に囲まれた家がゆったりと建っている。)から車1台が通れる細いでこぼこ道に入り、1km位行ったところだった。家のまわりにはKelapa(椰子)やPisang(バナナ)の木が繁っていて、100m位先にあると思われる隣の家は見えない。家に着いた時刻は16時50分、まだまだ明るい。先に着いていたIbuが出迎えてくれた。
メインストリート★写真左:メインストリート。この道から右に曲がっていくと、僕がステイした家があります。右の自動車が、僕がよく乗せてもらったHONDAのアコード。立ち話しているのはIbuと、自動車の主であるオスカーのホスト。★
家の前の道★写真右:左の写真の道から、この細いデコボコ道に入り、1km位奥に進みます。★
家★写真左:わが家。1階は天井が低いので、もとは高床式の家だったのかもしれません。これは8月21日にみんなが遊びに来た時の写真で、向かって左から、オスカー、僕、伊藤さん、Ibu、Nadiaです。★
玄関で靴を脱いですぐに階段を上って部屋に入ったので、その時は高床式だと思ったのだが、翌日見たら1階は天井が低い(1m50cm位)部屋になっていた。2階は大きな部屋(40畳くらい?)と寝室が3つ。赤いジュウタンがしいてあって、かたすみにソファーセット、反対側にサイドボードとカラーテレビがあった。調査表には電話番号が書いてなかったので電話は無いと思っていたら、電話機もあった。1階にもソファーセットとテーブル、ミシンなどがおかれていた。
部屋★派手なジュウタンとカーテンは、どこの家に行っても同じでした。天井には大きな扇風機がありますが、あまり使っていません。子供達が風船で遊んでいました。★
「Sila duduk(座).」と言われ、ソファーにすわっていると、Ibuが「Sila minum(飲)!」とTeh(紅茶)を持ってきてくれた。Gula(砂糖)がたっぷり入っていてManis(甘)! そして「Sila makan!」とビスケットを出してくれる。「Panas(暑)?」と聞かれ、「Ya.」と答えると、天井についている大きな扇風機を回してくれた。
ソファーにすわってお茶を飲んでいると、実にのんびりした気分になる。でも足下のじゅうたんをよく見るとSemut(蟻)がたくさん歩いているし、Nyamuk(蚊)も多いし、Kuching(猫)にはノミがいるし、ちょっと虫が嫌いな僕としては、くつろぎきれない(笑)。

(続く)

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