7時ごろから激しい雷雨。8時過ぎに起きていくと、Ibuは朝ごはんを作っているところで子供達はまだ寝ていた。Ibuはこうして毎食毎食、食事をつくるから、いつも台所にいるような気がする。
朝御飯はLempeng(韓国のプチンゲ)と、Ubi(さつまいも)。さつまいもは、Ibuが小さかった頃(というと50年程前か)に日本軍が持ち込んだもの、戦争はとっても怖かった、と説明され、ちょっと複雑な心境。
★左の黄色いのがさつまいも。★
今日のスケジュールは16時に家を出て、Malawatiという歴史的な名所を訪れて、Kelip−kelip(蛍)を見にいく、ということになっている。遅くなるので今夜はオスカー宅に泊まる。出発までは時間があるので、子供たちとチェスをしたり、ヒッポのテープを聞かせたり(あまりうけなかった)していると、電話があって、IbuがKawang(友達)が来るという。誰かと思ったらオスカーと伊藤さん夫妻が自転車に乗ってやってきたのだった。伊藤さんは僕が出した写真を持ってきてくれた。出す時ちょっと不安だったんだけど、ちゃんと現像されていた。12時前に3人は帰っていった。
★自転車に乗って、帰って行く3人。★
Ibuが昼のおかずのIkan(魚)を買いにTg.Karang市街までいくというので、写真の現像をさらに2本頼んだ。子供たちに、日本から持っていったリコーダーを披露するが、これもいまいちうけない。Aziziは自分で勝手に吹きたがるし、小学校にかよっている女の子は自分が学校で使っている笛を持ってきて吹くし。(リコーダーはマレーシア語でSerulingというそうだ。)
★女の子が持っているのは、彼女のリコーダー。左の男の子が持っている黒いのは僕のアルトリコーダーです。★
そうこうしているうちに昼食。なんだか毎日食べてばかりだ。今日は珍しく天井の低い1階で食べた。(でも、昼食をこの家で食べるのは初めてだから、いつもそうなのかもしれない。) テーブルについて椅子に座って食べた。Nasi、Ikan、Sop(スープのようなもの)など。Air(本来は水のことだけど、飲み物は何でもこう言うみたい)がSejuk(冷)なジュースで、とてもおいしかった。冷蔵庫で冷やしてあるのかと思ったら、ポットの中に氷が入っていた。去年インドネシアではおなかをこわして大変だったんだけど、今回のマレーシアではこうして氷を口にしているもなんともない。あとで他の人に聞いても、みんな大丈夫だったということだった。
15時に家を出ると言われていたので、食後に急いでMandiしたのに、今度は17時と言われた。時間までAziziと遊ぶ。家の中にいても蚊にくわれるので虫刺されの薬を塗っていると、「僕にも塗って」と刺されたあとをさがしだして、そのうちに今度は僕の首や背中をさがしては「ここ、ここ。」と薬を塗ってくれたり・・・・・箸(たまたま家に飾ってあった。)を持ってきたので、小さなボタンをつまんでみせるとびっくり。自分でも何とかやってみようとするけど、うまくいかず、今度はビスケットをつかんで、「ほら、できたよ。」・・・・とてもなついてくれて可愛い。
★箸を使って、ビスケットをつかんでみせるAzizi。★
ところが、遊んでいると、今度は今すぐ出発と言われた(笑)。16時過ぎに家を自転車で出る。今日もIbuが孫を1人連れて大通りまで来て、自転車は孫が乗って帰る。僕はまいどおなじみオスカーの家の車に乗せてもらってMalawatiへ。車で30分ほどの小高い丘に古い砲台があり、遠く海まで見渡せる。Muni(猿)がたくさんいて、人からえさをもらって食べていた。ここに18時ぐらいから三々五々、日本のメンバーが集まってきた。
★写真左:砲台。写真ではわかりにくいけど、向こうには海が見えました。写っている男の子はオスカーのホストファミリーのラムデン。★
★写真右:マレーシアの猿。これとは別に日本猿によく似た種類もいました。この写真のおおきなものはここにあります。(400×600ドット・30kバイト)★
★写真左:猿に餌をやっているラムデン。★
(続く)