ここの家でもやはりコーランで目が覚める。まだ6時。8時までなんとか頑張って寝て、朝食。KopiとRoti(パン)だった。
それから、ここの家の娘、息子達と遊ぶ。日本語を教えたり、バドミントンをしたり、庭の花を教えてもらったり、鶏の巣を見つけて卵を失敬したり、隣の家で飼っているうさぎを見にいったり。
★写真左:バドミントンをする。★
★写真右:庭に生えている、Nankaという名前の巨大な果物の木。★
★写真左:庭で、鶏の巣を発見。卵を温めていた親鶏を追い払うと、5、6個の卵がありました。ラムデンが籠を持ってきて採りましたが、1個は残していました。★
★写真右:隣の家で飼われていたウサギ。食べるために飼っているそうです。★
そんなこんなで昼食。また「Sila makan!」モグモグモグ・・・Sedah kenyang・・・そして昼寝。あまりにものんびりとした時間のたちかたに、このまま、ここにずっと住みたくなる。明日の夜に飛行機に乗って日本に帰るなんて、信じられない。
目が覚めると15時半。オスカーのIbuがどこかに行くというので、自転車で出発。家の近くのモスクに着くと、Pasar(市場)をやっていた。週に1度なのか月に1度なのかわからないけど、食料品、衣料、日用品、たくさんの店が出ていた。
★写真左:市場全景。★
★写真右:魚屋。棒きれにビニール袋をつけて、ハタキにしてハエを追い払っていました。★
★写真左:ランブータン。左の赤いのが1kg1リンギット(約48円)、右の黄色いのはちょっと高くて1kg1.5リンギット(約72円)。でも、味の違いは僕にはわかりませんでした。
その中に、僕のIbuを発見。ビーフンのようなものとスイトンのようなものがスープに入っている食べ物を作って売っていた。僕ももちろん食べた。「Sila makan!!」「Sedap.」
★写真左:働くIbu(右端)。★
Ibuが先に家に帰っていろ、というので帰ると例によってAzizi達が出迎えてくれた。昨日は帰らなかったので、ひさしぶりに我が家に戻ってきた気分。あれれ、孫がまた2人増えてる?
Azizi達と遊んで、暗くなる前にMandiをすませたら、Ibuも帰ってきた。昨日出した写真が出来上がっていた。次第に暗くなる中で、みんなで写真を見ながら話をしていたら・・・突然、電気が消えた。停電だ。そんなにあわててはいないから、珍しいことではないのかもしれない。でも、IbuがNadiaにロウソクを買いに行かせたから、そうしょっちゅうあるわけでもなさそうだ。
それから約3時間、ロウソクの明かりを囲んで、みんなで話をした。Nadiaが、日本語を知りたいらしく、たくさんきいてくる。
Nadia「Apa khabar,bahasa Jepun?」
Saya 「お元気ですか。」
Nadia「o−genki−desuka?」
Saya 「Ya.Pandai.」
Nadia「Nama Saya,Bahasa Jepun?」
Saya 「私の名前は。Nama Saya Nadia,私の名前はナディア。」
Nadia「Watasi−no namae−wa Nadia...」
ホームステイ最後の夜はこうして、ふけていった。Nadia達の両親もやってきて22時頃、遅めの夕食。ロウソクの明かりでの食事は、幻想的でなんだか夢のよう。ホームステイ最後の夜の、すてきな演出だった。
★写真左:ろうそくを囲んで話をする。この写真の大きなものはここにあります。(600×400ドット・30kバイト)★
★写真右:最後の晩の夕食。★
食事が終わる頃に、タイミングよく電気がついた。そしたら、こどもも大人もテレビドラマにくぎづけ(笑)。僕は部屋で荷物の整理と、日本からのメンバーみんなで作る記念アルバムを製作。
24時に寝た。この日は、Ibuと孫7人、息子夫婦と大所帯。みんな大広間にゴロゴロ寝ていたみたい。
(続く)