★ホストと対面。あ、この人は‥‥

ホテルに1泊して翌日、4月29日が対面式でした。僕のホストは、やはり例の幼稚園の先生で、去年訪れた時に見たことがある人でした。また、今回は僕とユッコのほかに4家族、この幼稚園の先生が引き受けてくれていて、計6家族が幼稚園グループで、この6家族はステイ中、ほとんど毎日を一緒に行動することになりました。
ホストと対面★写真左:ホストと対面。一目で、あ、去年いた‥‥と思い出しました。★
対面式★写真右:対面式は曹楊新村の幼稚園の中の一室で行われました。司会はスカニーとET(昨年のたしろちゃんのホスト)。★
紙芝居★写真右:みんなでHIPPOの説明の紙芝居をして、ヘボの賛歌を歌いました。★
今年は、交流に参加した全員が曹楊新村というところにステイでした。と言っても、人によってはホストが「元」曹楊新村に住んでいて、現在は引っ越しているというケースもありました。僕もそうで、ホストファミリーは嘉定区の豊庄西路という所に住んでおり、ステイ中に何度も曹楊新村との間を路線バスで往復しました。(でも曹楊新村の栄誉市民証書は全員がもらいました。)
市民証書★写真左:栄誉市民証書。対面式で貰った時、「ホストに名前を書いてもらって下さい。」と言われたのをすっかり忘れていて、名無しのままです。★

★我的家族

パパ(年齢的にはパパではなく、クークーなのですが‥‥)はやさしそうな人で、テレビのブラウン管を作る仕事をしている、と言っていたようです。夜勤とか休日出勤が多くて、あまり一緒にいられなかったのですが、上海のどの家でもそうなように、料理を作るのが上手で、2回ほど夕食を作ってくれました。とても美味しかったです。
8才の息子は「ポーポー」というニックネーム(小名)で呼ばれている、元気な子でした。ポーポーは漢字で書くと「波波」。この間まで、ママが先生をしている幼稚園の生徒だったそうです。家では一緒にファミコンをしたり、僕が持っていったおみやげのジグソーパズルを作ったり、トランプをしたり、一緒に遊んで、とても仲良しになりました。
パパ、ポーポーと★写真左:パパとポーポーと。家の食卓です。★
夕食★写真右:パパが腕をふるってつくってくれた夕食。★
パズル作り★写真左:おみやげに持っていったジグソーパズル。8才のポーポーにはちょっと難しいかと思いましたが、一生懸命にやっていました。★
パズル完成★写真右:完成。今回は小さいのにしたので、作り始めて2時間ほどで完成しました。★

去年のステイ先、李子園が農村で(と言っても、今は農業をしていない)、庭付き3階建ての広い家で親子3代5人家族が多かったのに比べると、今年のホスト達はだいたい2LDK位の団地に家族3人で住んでいて、公務員や会社職員が多かったようです。僕がステイした家も、6階建ての団地の5階でした。
食堂兼用のリビングに、ご夫婦の部屋、子供部屋、そして浴室と台所という構成でした。僕は、そのご夫婦の部屋に寝させてもらいました。ホテルのようにきれいな部屋で、エアコンまであって、とても快適でした。でも、ホストファミリーはみんな子供部屋で寝ていたようで、毎度ホームステイでは迷惑をかけてしまうな、と思いました。
寝室★写真左:これがその部屋。★
浴室★写真右:浴室。韓国などと同じく、洗面所とトイレとバスタブと洗濯機が一部屋におさまっています。もうすぐガスが開通して、お湯のシャワーが使えるようになるそうです。(この時はまだ水のシャワーでした。)★

★語言交流(言語交流)

ホテルについた時にも、歓迎のことばに「河馬語言交流団」と書かれていましたが、ステイが始まってすぐに、HIPPOからの手紙をママに見せると、その場で真剣に読んで、この交流のことがかなり理解できたようでした。(ママの幼稚園の園長先生のペイペイと主任のトントンは日本にホームステイに来てHIPPOをやっているし、幼稚園でも独自の多言語活動を始めているので、ママもHIPPOのことは事前に知っていたのかもしれません。)ステイ中にはしょっちゅう「語言交流」ということばが出てきました。

ステイ中、ママは見るもの聞くもの何でも、中国語で説明してくれました。僕が「ティンブートン(分からない)」というと、ことばをかえ、何回も説明してくれました。さすがに最後まで分からないと筆談になりましたけど、去年に比べると、筆談の回数はとても少なかったです。ママが幼稚園の先生で、小さい子に話をするのが上手だった、中国語がとても聞きやすかった、というのもあると思いますけど、去年に比べちゃうと、とっても赤ちゃんになれた、という気がしました。2、3日目には、ママの言うことは、本当によくわかるようになりました。
そして、「ホストのことばは分かるのに、それ以外の人のことばはわからない」という、ホームステイではしょっちゅう体験してきたことが、今回は特に顕著でした。例えば、親戚の家に行った時など、話しかけられてもまるで分からなくてキョトンとしていると、ママが「タショー(この人はこう言ってるのよ)」と、今話していたことを説明してくれるのです。(もちろん、中国語で!)そして必ず最後に、「トンイースマ?(分かった?)」と、僕の顔をのぞき込んで言うのでした。僕が「ティンブートン」と答えると、何度でも根気よく説明してくれました。僕が「ショッタラ、ショッタラ!(分かった!)」と言った時の、ニコッとした笑顔が忘れられません。
何かを伝えたい人がいる、何かを聞きたい人がいる。そういう人と人との関係性の中で、ことばは育つもの、正しい文法や発音などはまた別の次元のもの、ということをあらためて実感しました。

実は、電子辞書も持っていったのですが、スーツケースにしまったまま、忘れていました。まったく必要を感じなかったのです。去年は「熱がある」だの「ノドが痛い」だの伝えるために出したら、以降、ちょっとわからないことばがあると、ホストが「あれがあるだろう。」って感じで、使わざるをえない状況になってしまい、ちょっと失敗だったのです。

ところで、上海で話されている上海語ですが、今回も行く前から「トゥビボーラ(おなかいっぱい)」とか、いくつかトントンに教わって行って、あちらで使うと大ウケでした。ママもパパも、またいくつもの上海語を教えてくれました。ほとんど忘れてしまいましたけど、「イグリッパ(1週間)」「ハビシャン(???)」などは、そのことばを聞いてから、みんなの会話の中で、このことばだけがくっきりと浮き出して聞こえてきました。

親戚★写真左:近所に住んでいる親戚の家で。こういうところでは、ママが「僕が分からない中国語」から「僕が分かる中国語」へ通訳をしてくれました。★

それと余談ですが、今回の交流ではユッコとほとんど毎日一緒に行動していたので、ユッコが話す関西弁が自然に耳に入ってきました。上海の風景を思い出すと、そこには関西弁がついています。このことを帰国後にスイス(東京・下町地域・チャプチャプF)に話したところ、「私もそう!」ということでした。
(実は、上海と大阪は姉妹都市です。どちらも港がある商業都市で、活気があって、似ているかもしれません)
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