前へ 次へ 最初に戻る テキスト表示

  そのころちまたでは、大聖人がなくなったことにより、大聖人に対して反感を抱いていた時の権力者(北条家)によって、大聖人の弟子達はさまざまな圧力をかけられていました。その中で日興上人は厳格に教義を守っていましたが、鎌倉を中心に活動していた他の本弟子達はその圧力を避けるために次第に大聖人の本義から離れ、当時権威を誇っていた「天台宗」の教義に近い教義へと移行していったのです。

しかし、それは同時に師匠・日蓮大聖人への敵対行為でもあったのです。そして、その教義は民部阿闍梨日向によって身延にもたらされたと言うわけです。